展覧会
2020/06/26 10:00:00 宮武辰夫コレクション展 〜番外編〜
展覧会
東上
こんにちは、国際文化資料館です。
スタッフ最小限にて自粛運営しておりました。
前回のブログから2ヵ月が経ち季節は梅雨に入りましたが、みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
夏本番にむけて雨に濡れる新緑を楽しみましょう。
そんな中、南館長は京都新聞さんの取材を受けておりました。
6月13日(土)の京都新聞朝刊(25ページ)「ミュージアムの力」に国際文化資料館が掲載されました! ぜひご覧くださいませ。
記事はこちら
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/277149
さてさてさて京都市内の博物館や美術館は少しずつオープンしてきましたね。
国際文化資料館はと言いますと、感染症対策をしっかり練って開館に向けて準備中ですので、もうしばらくお待ちくださいませね。
今回は勝手ながら宮武辰夫コレクションの中での東上の推し展示品をご紹介したいと思います。
台湾より
パイワン族の「木製加彩女神像」「木製加彩男神像」です。
どうでしょう。この表象。どうですか。
“この男神像はパイワン族の寝室に飾られていた祖霊神で、頭から直ちに手足が表現されている様子は、幼児画の発生途上の頭から手足が生えるとの同様”(『幼児の繪は生活している』宮武辰夫著)
『世界原始民藝図集』や宮武の著書を読む度に出てくる、”芸術の健康さ”とはこのことか、と私はこれを見たとき、そのフレーズが胸にストンと落ちた気がしました。
宮武はくりかえし書いています。
原始社会には藝術と呼ぶ分科もないし、藝術家という特殊な存在もない。
原始社会には譲渡という事が殆どない。
原始人はものを美しくつくろうという意識をもたない。
原始社会にはお互いがつくったものを誉めあったり批評したりする事をしない。
宮武が蒐集品を通して伝えたかったこととは、生活への必然性が発揮するものの力なのではないでしょうか。
“末梢的な技巧美を追って遂に行き詰った現代文化人の藝術が、遠い過去に置き忘れたものを原始人が持っている。”
宮武のコレクションとともに「もの」と「想い」を今後も伝えていきたいと思いました。
開館の暁には、じっくりゆっくり眺めて見てください。
宮武の蒐集品を直接見たいと自宅を訪れた柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司、外村吉之助たちも時間を忘れて見入ったようです。(『世界原始民藝図集』第4巻 編輯後記より)
展覧会場では当時の宮武邸の写真を壁面に貼っています。雰囲気が少しでもつたわりますように。
お楽しみに!
スタッフ最小限にて自粛運営しておりました。
前回のブログから2ヵ月が経ち季節は梅雨に入りましたが、みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
夏本番にむけて雨に濡れる新緑を楽しみましょう。
そんな中、南館長は京都新聞さんの取材を受けておりました。
6月13日(土)の京都新聞朝刊(25ページ)「ミュージアムの力」に国際文化資料館が掲載されました! ぜひご覧くださいませ。
記事はこちら
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/277149
さてさてさて京都市内の博物館や美術館は少しずつオープンしてきましたね。
国際文化資料館はと言いますと、感染症対策をしっかり練って開館に向けて準備中ですので、もうしばらくお待ちくださいませね。
今回は勝手ながら宮武辰夫コレクションの中での東上の推し展示品をご紹介したいと思います。
台湾より
パイワン族の「木製加彩女神像」「木製加彩男神像」です。
どうでしょう。この表象。どうですか。
“この男神像はパイワン族の寝室に飾られていた祖霊神で、頭から直ちに手足が表現されている様子は、幼児画の発生途上の頭から手足が生えるとの同様”(『幼児の繪は生活している』宮武辰夫著)
『世界原始民藝図集』や宮武の著書を読む度に出てくる、”芸術の健康さ”とはこのことか、と私はこれを見たとき、そのフレーズが胸にストンと落ちた気がしました。
宮武はくりかえし書いています。
原始社会には藝術と呼ぶ分科もないし、藝術家という特殊な存在もない。
原始社会には譲渡という事が殆どない。
原始人はものを美しくつくろうという意識をもたない。
原始社会にはお互いがつくったものを誉めあったり批評したりする事をしない。
宮武が蒐集品を通して伝えたかったこととは、生活への必然性が発揮するものの力なのではないでしょうか。
“末梢的な技巧美を追って遂に行き詰った現代文化人の藝術が、遠い過去に置き忘れたものを原始人が持っている。”
宮武のコレクションとともに「もの」と「想い」を今後も伝えていきたいと思いました。
開館の暁には、じっくりゆっくり眺めて見てください。
宮武の蒐集品を直接見たいと自宅を訪れた柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司、外村吉之助たちも時間を忘れて見入ったようです。(『世界原始民藝図集』第4巻 編輯後記より)
展覧会場では当時の宮武邸の写真を壁面に貼っています。雰囲気が少しでもつたわりますように。
お楽しみに!
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台湾パイワン族 左:「木製加彩女神像」 右:「木製加彩男神像」
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台湾パイワン族「木製加彩男神像」
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台湾パイワン族「木製加彩女神像」
2020/04/17 16:00:00 宮武辰夫コレクション展 ~紹介その7~
展覧会
西村
桜も終盤ですね。ところどころ鮮やかな緑がまぶしくなってきました。
季節の移り変わりを感じている西村です。
新型コロナウイルス感染症は依然拡大傾向、Stay Home が合言葉となっています。
むずむずするので刺繍でも始めようかと思っている西村です(やったことありませんが…)。
残念ながら、資料館も3月9日から休館となりました。再開の時期のめどもたたぬまま、4月も半ばとなり、緊急事態宣言が出されました。今後もいっそうの自粛が求められることになりそうです。
資料館としては、なんとかこの感染症が終息し、外出自粛が解かれるようになれば本展覧会を継続予定です。
それまで、展覧会の紹介は続けていこうと思います。
それでは、その6に引き続き、その7を発信します。
ここではトライヤ族にもう少しだけ触れてみたいと思います。
宮武がどうしてもトライヤとしか聞き取れなかったトライヤ族は、現在トラジャ族と呼ばれるのが一般的です。水牛や鶏を信仰の対象とし、葬送儀礼にたいへん特徴のあるこの種族は、インドネシア、スラウエシ島に住んでいます。
建物が特徴的で、人が住まう住居や穀物を保存する穀倉には、階級によっても制限がありますが、図案化された水牛や、鶏、太陽などが文様として施されています。
米を主食とする彼らにとって、米は一粒で多くの実りを与えることから子孫繁栄の意味を持ちます。穀倉は、米の精霊が眠る寝所であり、神聖で重要な場所です。そのため、破風には彼らがあがめる水牛や鶏などが図案化されて彫刻され、赤・白・黒で彩色されています。渦巻き状の模様や、階段状の幾何学文様などで、すきまなく充填され、建物ともどもたいへん特徴的で見る人を惹きつけます。
宮武も写真に収めており、『世界原始民藝図集』付録の「世界に原始芸術を探る」の中で挿図とともにこのように記しています。
破風の彫刻
「トライヤの住居や穀倉には、ほとんど隙間なく水牛の図案化されたものが彫り込まれてあるが、同時に家屋の突出した破風や棟木うけなどにもさまざまな形態で鶏を彫りつけたり、別に大きな鶏の首を彫ったものを付けたりしてある。又中には鶏が太陽を咥へたり太陽の上に乗ったりして居る彫刻も見られるが、トライヤ以外にも東印度諸島にはこれに類した鶏の図案が相当みられる。」
*宮武辰夫 世界原始民藝図集別冊「世界に原始藝術を探る」第4巻 昭和15年(1942)より抜粋
トライヤの人々と交流し、関係を深めていく中で、展示している「羽目板」を持ち帰ることになりました。この板は、穀倉の破風の一部で、本来神聖なものですので、簡単に持ち帰ることはできません。この板の入手に関して、宮武は下記のように記しています。
トライヤ族の穀倉の羽目板
穀倉は、米の精霊の寝所とされて居る。トライヤ族は、穀倉も人の住居と同じに精巧につくられて居る。その羽目板もまた本圖(ほんず)の様にその一枚一枚に克明な彫刻を施してあるが、その模様も彼等の守り神として畏敬(いけい)して居る水牛を巧に圖案化したものである。色彩は朱、白、黒の三彩であるが、この三色は蘭印から廣くセレベス、紅頭嶼(こうとうしょ)にまで及ぶ共通色であって、白は貝類を石灰化したもの、黒は煤(すす)から、朱色はこの地方に産する朱色粘土から擇(と)り集めたものである。この板はケースの王様から特に私に送られた珍品であって、恐らく信仰的な穀倉の羽目板を手に入れた者はこれが初めてゞあらう。
(宮武辰夫著 「世界原始民芸図集」第八輯 別冊「世界に原始藝術を探る」第八巻より抜粋)
羽目板の下の方に水牛がデザイン化されて彫り込まれています。
ひし形の目、頭部の特徴的な角。独特ですが、西村はこの目に吸い込まれそうです。
細かく一つ一つの文様を分析しても面白そうなので、少し調べてみようと思います。
新たな発見があれば、またご報告しますね。
不安な日々が続きますが、少しでも気分転換になれば幸いです。
次回をお楽しみに。
季節の移り変わりを感じている西村です。
新型コロナウイルス感染症は依然拡大傾向、Stay Home が合言葉となっています。
むずむずするので刺繍でも始めようかと思っている西村です(やったことありませんが…)。
残念ながら、資料館も3月9日から休館となりました。再開の時期のめどもたたぬまま、4月も半ばとなり、緊急事態宣言が出されました。今後もいっそうの自粛が求められることになりそうです。
資料館としては、なんとかこの感染症が終息し、外出自粛が解かれるようになれば本展覧会を継続予定です。
それまで、展覧会の紹介は続けていこうと思います。
それでは、その6に引き続き、その7を発信します。
ここではトライヤ族にもう少しだけ触れてみたいと思います。
宮武がどうしてもトライヤとしか聞き取れなかったトライヤ族は、現在トラジャ族と呼ばれるのが一般的です。水牛や鶏を信仰の対象とし、葬送儀礼にたいへん特徴のあるこの種族は、インドネシア、スラウエシ島に住んでいます。
建物が特徴的で、人が住まう住居や穀物を保存する穀倉には、階級によっても制限がありますが、図案化された水牛や、鶏、太陽などが文様として施されています。
米を主食とする彼らにとって、米は一粒で多くの実りを与えることから子孫繁栄の意味を持ちます。穀倉は、米の精霊が眠る寝所であり、神聖で重要な場所です。そのため、破風には彼らがあがめる水牛や鶏などが図案化されて彫刻され、赤・白・黒で彩色されています。渦巻き状の模様や、階段状の幾何学文様などで、すきまなく充填され、建物ともどもたいへん特徴的で見る人を惹きつけます。
宮武も写真に収めており、『世界原始民藝図集』付録の「世界に原始芸術を探る」の中で挿図とともにこのように記しています。
破風の彫刻
「トライヤの住居や穀倉には、ほとんど隙間なく水牛の図案化されたものが彫り込まれてあるが、同時に家屋の突出した破風や棟木うけなどにもさまざまな形態で鶏を彫りつけたり、別に大きな鶏の首を彫ったものを付けたりしてある。又中には鶏が太陽を咥へたり太陽の上に乗ったりして居る彫刻も見られるが、トライヤ以外にも東印度諸島にはこれに類した鶏の図案が相当みられる。」
*宮武辰夫 世界原始民藝図集別冊「世界に原始藝術を探る」第4巻 昭和15年(1942)より抜粋
トライヤの人々と交流し、関係を深めていく中で、展示している「羽目板」を持ち帰ることになりました。この板は、穀倉の破風の一部で、本来神聖なものですので、簡単に持ち帰ることはできません。この板の入手に関して、宮武は下記のように記しています。
トライヤ族の穀倉の羽目板
穀倉は、米の精霊の寝所とされて居る。トライヤ族は、穀倉も人の住居と同じに精巧につくられて居る。その羽目板もまた本圖(ほんず)の様にその一枚一枚に克明な彫刻を施してあるが、その模様も彼等の守り神として畏敬(いけい)して居る水牛を巧に圖案化したものである。色彩は朱、白、黒の三彩であるが、この三色は蘭印から廣くセレベス、紅頭嶼(こうとうしょ)にまで及ぶ共通色であって、白は貝類を石灰化したもの、黒は煤(すす)から、朱色はこの地方に産する朱色粘土から擇(と)り集めたものである。この板はケースの王様から特に私に送られた珍品であって、恐らく信仰的な穀倉の羽目板を手に入れた者はこれが初めてゞあらう。
(宮武辰夫著 「世界原始民芸図集」第八輯 別冊「世界に原始藝術を探る」第八巻より抜粋)
羽目板の下の方に水牛がデザイン化されて彫り込まれています。
ひし形の目、頭部の特徴的な角。独特ですが、西村はこの目に吸い込まれそうです。
細かく一つ一つの文様を分析しても面白そうなので、少し調べてみようと思います。
新たな発見があれば、またご報告しますね。
不安な日々が続きますが、少しでも気分転換になれば幸いです。
次回をお楽しみに。
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破風の彫刻 「世界に原始藝術を探る」第4巻 挿図
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トライヤ族の穀倉の羽目板
2020/04/09 14:10:00 宮武辰夫コレクション展 ~紹介その6~
展覧会
東上
こんにちは!
いたるところに春見つけ隊!の東上です。
道端に鼓草がたくさん咲き始めていますね。鼓草(つづみ草)は、タンポポのことです。漢字で書くと、"蒲公英"らしいです。絶対読めそうにないですね。私も今知りしました。
ニホンタンポポとセイヨウタンポポがあるのをご存知ですか?
春だけに花が咲くのはニホンタンポポらしいです。今が貴重ですよ!
あっという間に4月も半ばに差しかかろうとしていますね。
あっという間にコロナも収束してほしいです。
展覧会は予定していた会期を終えてしまいましたが、ご紹介を続けていきたいと思います。
展覧会紹介〜その6〜をお届けします。
「宮武辰夫コレクション展 〜『世界原始藝術図集』から〜」
宮武辰夫の著書『東印度諸島の怪奇と藝術』によると、1936年(昭和11)初秋、日本を出て途中台湾に立ち寄り、シンガポールに渡りマレー半島の風物に接し、東印度諸島へ向かう準備を整えジャヴァへ上陸、その後もセレベス(トライヤ族)、ニューギニア近くのアロー島(カヤカヤ族、パプア族)、レッサースンダ諸島、バリ島などに接した後、1937年(昭和12)7月12日に日本へ帰国した、とあります。この舟旅は2万数千キロにもおよび、10ヶ月余りの赤道行脚は心身を削り取られ、痩せ細って帰ってきた、とあります。またこの旅で、千枚近くの写真を撮り、2千点に余る藝術蒐集を果たしたと言います。
ジャヴァ古代 假面(かめん)
“直線と面で巧に表情を説明づけたうま味は、ジャヴァ古代のものによく見られるが、特にこの假面にはそうした鋭さが盛られてある。両側から押しせばめられたようなこの種の假面は、影絵ワーヤンからの轉化を物語るものであって、そこには写実を越えた興味が存在するのである。…。”
ワーヤン
“影の意であるワーヤンは、勿論信仰的な発足を持ったものであって、この影絵芝居が悪魔妖魔除けとか、祈願成功の謝禮とか、祖先の祭事の場合とかに使用されて居ることによっても明らかであろう。”
ワーヤン・グヌンガン
“常夏の楽土ジャヴァの夜空のもとで、ブレンチョンと呼ぶ燈明を妖しい樹枝から吊して、白い大布に怪奇な影人形を映し踊らせて居る異様な風景―ガメランの楽を縫って語り出す傀儡師だらんの古典怪談に恍惚として一夜を明かす土人達の群―そこは絵巻さながらの情景でもある。…水牛の皮を克明に切り抜いて彩色した怪奇人形が百四十種類、それに小物などを添えると二百に餘るものが一組としてこの古典ワーヤン芝居が成り立つのである。…表現された動物や樹木の類は皆彼等が呪信の對照として居るものばかりであって、勿論この影絵そのものの持つ意義にも多分に信仰を織り込んで居る事がわかる。”
提桶(さげおけ)
“強い豊かなアウト・ライン、そして素朴な手と胴の構成、さびた朱一色―正にそれは大陸の縮図である。流れに近く、布を打つ音がやむ。…静かにこの提桶を眺めて居ると、いつとはなしに背景が浮び女が動く。こんなにも豊かさを持つ民族が、地球のどこかに住んで居る事は、なつかしさの極みである。胴は桶の如く、縦木を並べ、その上から…、仕事には健康さが溢れて居る。勿論當事は農民階級の下手ものの粗雑な部類に属したものであろうが、そこには些の企らみも無くて、庶民の生活に素直に適って生まれたものである。”
(世界原始民藝図集より抜粋)
ジャヴァ(現在のジャワ島)の影絵は、一人で200役をこなすことにも驚きですが、影絵だけれど美しい彩色に繊細な透かし彫りが施していることにも驚きすぎました。
インドネシア セレベス島(現在のスラウェシ)の中央山岳地帯に住む「トライヤ族」(当時トラジャとか、トロジャ族と書く人もいたようですが、宮武の耳にはどうしてもトライヤとしか響かなかったそうです。)は、首刈りをしていたと言われています。米を常食とし、尖った大きな屋根を備えた家屋をもち、結婚や出産などの儀礼は行わないが、独特の葬儀を行うことで知られています。
展示品の中のトライヤ族の石灰入れ(竹製刻線帯文蓋付容器)は、大小様々なサイズがあるが、写真の大きい方のものは、長さ12.8センチ、径3.5センチのものです。これらは、シリィという植物の葉に、檳榔(びんろう)と石灰を混ぜたものを包んで噛む習俗に使うものです。この緻密な文様彫刻は、宮武も“数多い原始人の竹細工中、トライヤの竹筒の彫刻に優るものは未だ嘗て見た事がない”と言うほどです。
オランダ政府が統治時代の東印度諸島の旅は、世界各国の沿岸航行を禁止されていた中、宮武の乗る”虎丸”だけは許可してもらったそうです。宮武辰夫は一体どんな人物だったのか、謎が深まるばかりです。
--------------
写真①左上・右上:ジャヴァの影絵、左下:展示の様子、右下2つ:加彩貴人面
写真②上:木製金彩鳥龍彫文灯皿掛、木製双頭鳥彫文灯皿掛、下:セレベス島 トライヤ族 竹製刻線帯文蓋付容器(石灰入れ)
写真③上2つ:朱漆塗金彩提桶、朱漆塗変形片口型手桶、下2つ:木製獣神草花彫文脱穀具
いたるところに春見つけ隊!の東上です。
道端に鼓草がたくさん咲き始めていますね。鼓草(つづみ草)は、タンポポのことです。漢字で書くと、"蒲公英"らしいです。絶対読めそうにないですね。私も今知りしました。
ニホンタンポポとセイヨウタンポポがあるのをご存知ですか?
春だけに花が咲くのはニホンタンポポらしいです。今が貴重ですよ!
あっという間に4月も半ばに差しかかろうとしていますね。
あっという間にコロナも収束してほしいです。
展覧会は予定していた会期を終えてしまいましたが、ご紹介を続けていきたいと思います。
展覧会紹介〜その6〜をお届けします。
「宮武辰夫コレクション展 〜『世界原始藝術図集』から〜」
宮武辰夫の著書『東印度諸島の怪奇と藝術』によると、1936年(昭和11)初秋、日本を出て途中台湾に立ち寄り、シンガポールに渡りマレー半島の風物に接し、東印度諸島へ向かう準備を整えジャヴァへ上陸、その後もセレベス(トライヤ族)、ニューギニア近くのアロー島(カヤカヤ族、パプア族)、レッサースンダ諸島、バリ島などに接した後、1937年(昭和12)7月12日に日本へ帰国した、とあります。この舟旅は2万数千キロにもおよび、10ヶ月余りの赤道行脚は心身を削り取られ、痩せ細って帰ってきた、とあります。またこの旅で、千枚近くの写真を撮り、2千点に余る藝術蒐集を果たしたと言います。
ジャヴァ古代 假面(かめん)
“直線と面で巧に表情を説明づけたうま味は、ジャヴァ古代のものによく見られるが、特にこの假面にはそうした鋭さが盛られてある。両側から押しせばめられたようなこの種の假面は、影絵ワーヤンからの轉化を物語るものであって、そこには写実を越えた興味が存在するのである。…。”
ワーヤン
“影の意であるワーヤンは、勿論信仰的な発足を持ったものであって、この影絵芝居が悪魔妖魔除けとか、祈願成功の謝禮とか、祖先の祭事の場合とかに使用されて居ることによっても明らかであろう。”
ワーヤン・グヌンガン
“常夏の楽土ジャヴァの夜空のもとで、ブレンチョンと呼ぶ燈明を妖しい樹枝から吊して、白い大布に怪奇な影人形を映し踊らせて居る異様な風景―ガメランの楽を縫って語り出す傀儡師だらんの古典怪談に恍惚として一夜を明かす土人達の群―そこは絵巻さながらの情景でもある。…水牛の皮を克明に切り抜いて彩色した怪奇人形が百四十種類、それに小物などを添えると二百に餘るものが一組としてこの古典ワーヤン芝居が成り立つのである。…表現された動物や樹木の類は皆彼等が呪信の對照として居るものばかりであって、勿論この影絵そのものの持つ意義にも多分に信仰を織り込んで居る事がわかる。”
提桶(さげおけ)
“強い豊かなアウト・ライン、そして素朴な手と胴の構成、さびた朱一色―正にそれは大陸の縮図である。流れに近く、布を打つ音がやむ。…静かにこの提桶を眺めて居ると、いつとはなしに背景が浮び女が動く。こんなにも豊かさを持つ民族が、地球のどこかに住んで居る事は、なつかしさの極みである。胴は桶の如く、縦木を並べ、その上から…、仕事には健康さが溢れて居る。勿論當事は農民階級の下手ものの粗雑な部類に属したものであろうが、そこには些の企らみも無くて、庶民の生活に素直に適って生まれたものである。”
(世界原始民藝図集より抜粋)
ジャヴァ(現在のジャワ島)の影絵は、一人で200役をこなすことにも驚きですが、影絵だけれど美しい彩色に繊細な透かし彫りが施していることにも驚きすぎました。
インドネシア セレベス島(現在のスラウェシ)の中央山岳地帯に住む「トライヤ族」(当時トラジャとか、トロジャ族と書く人もいたようですが、宮武の耳にはどうしてもトライヤとしか響かなかったそうです。)は、首刈りをしていたと言われています。米を常食とし、尖った大きな屋根を備えた家屋をもち、結婚や出産などの儀礼は行わないが、独特の葬儀を行うことで知られています。
展示品の中のトライヤ族の石灰入れ(竹製刻線帯文蓋付容器)は、大小様々なサイズがあるが、写真の大きい方のものは、長さ12.8センチ、径3.5センチのものです。これらは、シリィという植物の葉に、檳榔(びんろう)と石灰を混ぜたものを包んで噛む習俗に使うものです。この緻密な文様彫刻は、宮武も“数多い原始人の竹細工中、トライヤの竹筒の彫刻に優るものは未だ嘗て見た事がない”と言うほどです。
オランダ政府が統治時代の東印度諸島の旅は、世界各国の沿岸航行を禁止されていた中、宮武の乗る”虎丸”だけは許可してもらったそうです。宮武辰夫は一体どんな人物だったのか、謎が深まるばかりです。
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写真①左上・右上:ジャヴァの影絵、左下:展示の様子、右下2つ:加彩貴人面
写真②上:木製金彩鳥龍彫文灯皿掛、木製双頭鳥彫文灯皿掛、下:セレベス島 トライヤ族 竹製刻線帯文蓋付容器(石灰入れ)
写真③上2つ:朱漆塗金彩提桶、朱漆塗変形片口型手桶、下2つ:木製獣神草花彫文脱穀具
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写真①
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写真②
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写真③
2020/03/30 10:00:00 宮武辰夫コレクション展 ~紹介その5~
展覧会
諸伏
おはようございます。
通勤途中の桜が満開の中、毎日自転車で資料館まで通っているのですが、目ん玉洗いたい(花粉症)諸伏です。
さて、今回は休館中の展覧会紹介その5になります。
「宮武辰夫コレクション展 〜『世界原始藝術図集』から〜」
今回取り上げるのはフィリピンの原住民モロ族についてです。
えぇ、そうです。私がMOROだからこそMORO族の紹介は私がしなくてはならないという個人的な使命感からのご紹介になります。
さて、モロ族は現在もフィリピン、ミンダナオ島を中心に250万人ほどいると言われています。また、モロ族とはフィリピンのイスラム教徒の総称であり16世紀スペインが植民地化する際につけた名称です。そのためモロ族は、タオスグ族やサマール族、マラナオ族等異なった文化や産業を生業とする民族に分ける事ができ、宮武は大まかに海モロ、山モロと『原始藝術図集』では分けています。 (ブリタニカ国際大百科事典より一部引用)
宮武がフィリピンの調査を行ったのは1938年(昭和13年)になります。この時のフィリピンは1592年のサラゴサ条約でスペイン領有となっていましたが、モロ族が本拠地としていたミンダナオ島を含む南西諸国は最後までスペインの侵略を拒み、その後1898年のパリ条約によりフィリピンの統治権がスペインからアメリカ合衆国に譲渡され、ミンダナオ島が州に編入されたのが1924年と言うのを考えるとどれだけモロ族がどれほど強い抵抗をしていたかがわかります。
この時のモロ族の事を宮武は『フィリンピン原住民土俗と藝術』で「当時のスペインは世界でも屈指の強国ではあったが、このモロ族のみは如何にもての下しようもない難物であった。(略)フィリピン人はモロ来ると聞けば家財を纏めて山中深く逃れ隠れた物であった。」としるしています。
とにかく、モロ族は何か欲しかったら持ち主を殺して取っていく、野蛮で凶暴な民族と言われていたようです。
しかし、その一方でミンダナオ島へ向かう船内でモロ族を未だに裸体の野蛮人と言う案内人に対して「モロを蛮人と蔑すむこの男、何歩もモロより進んでゐる事か。むしろ原始人モロ族の方が藝術的にも精神的にも大きい進歩と民族意識を持ってゐる。(略)この種の人は、アメリカを皮相化したに過ぎない空虚な民族でしかない。」とも書いています。
モロ族の事を調べると凶暴性を語る言が多く、同じモロとしてちょっとショックを受けていたのですが、第二次世界大戦がはじまろうとしている中、現地への調査とその中でも芸術の素晴らしさを見つけだす宮武の視線に少し救われました。
モロ族の腰当
"ミンダナオ島の西南海上に浮かぶバシラン島にはヤカーン族の一大部落が点在して居るがが、ボヘルボンの海岸には少数のモロ族が、海上遥か沖合まで棒杭を組んで小屋をつくり、文字通り水上生活をやって居る。二本の竹を立杭に結びつけたものが家から家への道であるが、その綱渡りの危ない芸当をして家々を覗き廻っているうちに、とある家から筬音が聞こえてきた。覗くと眸の美しい娘が渋い棒縞の布を織って居たが、その布の糸の端を背中にまわして引き張り、股上で筬を運んで居る。その背には図のような克明な透し彫りをした板をあてて、端糸の背に喰ひ入るのを防いで居たが、これをいよいよ手に入れるまでには、この危ない竹の道を三日間渡り通ったのであった。"
モロ族とバゴボ族の石灰入
"共に檳榔(ビンロウ)の実の切り目に入れて噛む石灰入れである。(略)モロ族にしてもバゴボ族にしても、共にフィリピンの南端に住む原始人ではあるが、こうした鋳造や象嵌には特殊な技巧と優秀なデザインをもって居る。彼らの間には必ずかうした石灰入れを一人一個の割に所持して居るが、只一つでも同じものが存在しない。彼らの間ではそうした器物の製作者と云う分業がない。彼ら全体が製作者であって、自分の物は自分で製作をして居るのである。"
(世界原始民藝図集より抜粋)
通勤途中の桜が満開の中、毎日自転車で資料館まで通っているのですが、目ん玉洗いたい(花粉症)諸伏です。
さて、今回は休館中の展覧会紹介その5になります。
「宮武辰夫コレクション展 〜『世界原始藝術図集』から〜」
今回取り上げるのはフィリピンの原住民モロ族についてです。
えぇ、そうです。私がMOROだからこそMORO族の紹介は私がしなくてはならないという個人的な使命感からのご紹介になります。
さて、モロ族は現在もフィリピン、ミンダナオ島を中心に250万人ほどいると言われています。また、モロ族とはフィリピンのイスラム教徒の総称であり16世紀スペインが植民地化する際につけた名称です。そのためモロ族は、タオスグ族やサマール族、マラナオ族等異なった文化や産業を生業とする民族に分ける事ができ、宮武は大まかに海モロ、山モロと『原始藝術図集』では分けています。 (ブリタニカ国際大百科事典より一部引用)
宮武がフィリピンの調査を行ったのは1938年(昭和13年)になります。この時のフィリピンは1592年のサラゴサ条約でスペイン領有となっていましたが、モロ族が本拠地としていたミンダナオ島を含む南西諸国は最後までスペインの侵略を拒み、その後1898年のパリ条約によりフィリピンの統治権がスペインからアメリカ合衆国に譲渡され、ミンダナオ島が州に編入されたのが1924年と言うのを考えるとどれだけモロ族がどれほど強い抵抗をしていたかがわかります。
この時のモロ族の事を宮武は『フィリンピン原住民土俗と藝術』で「当時のスペインは世界でも屈指の強国ではあったが、このモロ族のみは如何にもての下しようもない難物であった。(略)フィリピン人はモロ来ると聞けば家財を纏めて山中深く逃れ隠れた物であった。」としるしています。
とにかく、モロ族は何か欲しかったら持ち主を殺して取っていく、野蛮で凶暴な民族と言われていたようです。
しかし、その一方でミンダナオ島へ向かう船内でモロ族を未だに裸体の野蛮人と言う案内人に対して「モロを蛮人と蔑すむこの男、何歩もモロより進んでゐる事か。むしろ原始人モロ族の方が藝術的にも精神的にも大きい進歩と民族意識を持ってゐる。(略)この種の人は、アメリカを皮相化したに過ぎない空虚な民族でしかない。」とも書いています。
モロ族の事を調べると凶暴性を語る言が多く、同じモロとしてちょっとショックを受けていたのですが、第二次世界大戦がはじまろうとしている中、現地への調査とその中でも芸術の素晴らしさを見つけだす宮武の視線に少し救われました。
モロ族の腰当
"ミンダナオ島の西南海上に浮かぶバシラン島にはヤカーン族の一大部落が点在して居るがが、ボヘルボンの海岸には少数のモロ族が、海上遥か沖合まで棒杭を組んで小屋をつくり、文字通り水上生活をやって居る。二本の竹を立杭に結びつけたものが家から家への道であるが、その綱渡りの危ない芸当をして家々を覗き廻っているうちに、とある家から筬音が聞こえてきた。覗くと眸の美しい娘が渋い棒縞の布を織って居たが、その布の糸の端を背中にまわして引き張り、股上で筬を運んで居る。その背には図のような克明な透し彫りをした板をあてて、端糸の背に喰ひ入るのを防いで居たが、これをいよいよ手に入れるまでには、この危ない竹の道を三日間渡り通ったのであった。"
モロ族とバゴボ族の石灰入
"共に檳榔(ビンロウ)の実の切り目に入れて噛む石灰入れである。(略)モロ族にしてもバゴボ族にしても、共にフィリピンの南端に住む原始人ではあるが、こうした鋳造や象嵌には特殊な技巧と優秀なデザインをもって居る。彼らの間には必ずかうした石灰入れを一人一個の割に所持して居るが、只一つでも同じものが存在しない。彼らの間ではそうした器物の製作者と云う分業がない。彼ら全体が製作者であって、自分の物は自分で製作をして居るのである。"
(世界原始民藝図集より抜粋)
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モロ族の腰当て
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フィリピン モロ族 撮影:宮武辰夫
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石灰入れ(モロ族・バゴボ族)
2020/03/25 11:10:00 宮武辰夫コレクション展 ~紹介その4~
展覧会
西村
日差しが「春」になってきました。
日焼けが、少しだけ気になるお年頃の西村です。
さて、展覧会紹介〜その4〜をお届けします。
「宮武辰夫コレクション展 〜『世界原始藝術図集』から〜」
その3より引き続きまして、台湾に住む原住民族「ヤミ族」についてもう少し紹介したいと思います。
ヤミ族は、紅頭嶼(現在の蘭嶼)という台湾本島の南東に浮かぶ小さな島に住む原住民です。
彼らは、首狩りの習俗を持たず、タロイモなどの栽培やトビウオ漁などの漁業に従事して生活をしていました。。
ヤミ族の模様
彼らが使うさまざまな器物には、精霊文や太陽眼文などが模様としてあしらわれています。彼らは祖先が亡くなると悪霊「アニト」になると信じており、アニトから身を守るためにこのような模様を施しているそうです。また、アニトと戦うための甲は、アニトには顔を見られてはいけないので、目の部分だけがあいた不思議な形をしています。
ヤミ族の舟
会場では2点、小さな舟の模型を展示していますが、じつは「タタラ」と呼ばれる一人乗りの小型舟も寄贈資料に含まれていました。何人もが乗れる大型の舟は、「チヌリクラン」といいます。これらの舟は赤、黒、白の三色で、上記の太陽や、精霊などの文様が施されています。
ここで使われている三色は、オーストロネシア語圏と呼ばれるマダガスカル、インドネシア、フィリピン、台湾、パプア・ニューギニア、そしてニュージーランドを含む地域に共通してみられる色です。
赤は土から、黒は炭、白は貝殻から生成します。
舟の前後にはモロンと呼ばれる羽飾りがつけられます。船体に施された文様とともに海での安全を祈るものです。
宮武のヤミ族の舟に関する記述を以下、抜粋して載せておきます。
"…前略… 矢羽根板が飛ぶように漆黒の長尾を持つ黒三光鳥が、スイスイと斜陽に影して森に入るころからの部落は、一日の灼熱からほっと救われたように、男たちがもちかへる海の幸を待つ女たちの群で一頻り海辺は艶しく賑ふてゆく。
…中略…
元来原始人の舟はその殆どが大木を刳って造ったカヌーであるが、このヤミ族の舟は立派に龍骨を基礎として約八つの部分を組み合わせて居ることにその特徴がある。"
(宮武辰夫著「世界原始民芸図集」第1輯 別冊第1巻 より抜粋)
"この白、黒、朱の三彩の分布は興味深いものであって、ここ紅頭嶼では、白はシャコ貝を砕いて石灰としたもの、黒色は煤や木炭から、朱は山の年度のうちから製して居る。ニユウギネアのパプアやカヤカヤ族、セレベス島のトライヤ族など、主として東印度諸島には色彩に決定的な共通点があるが遠くフィリピンの来たルソンからバタン列島を飛び石伝いに、この紅頭嶼に至るまで、完全に共通色彩の流れを見ることができる。…後略"
(宮武辰夫著「世界原始民芸図集」第1輯 別冊第1巻 より抜粋)
このほか、舟につけるモロンが文様としてあしらわれた釣り具箱や、芋ほり棒、守り刀などを合わせて展示しています。
日焼けが、少しだけ気になるお年頃の西村です。
さて、展覧会紹介〜その4〜をお届けします。
「宮武辰夫コレクション展 〜『世界原始藝術図集』から〜」
その3より引き続きまして、台湾に住む原住民族「ヤミ族」についてもう少し紹介したいと思います。
ヤミ族は、紅頭嶼(現在の蘭嶼)という台湾本島の南東に浮かぶ小さな島に住む原住民です。
彼らは、首狩りの習俗を持たず、タロイモなどの栽培やトビウオ漁などの漁業に従事して生活をしていました。。
ヤミ族の模様
彼らが使うさまざまな器物には、精霊文や太陽眼文などが模様としてあしらわれています。彼らは祖先が亡くなると悪霊「アニト」になると信じており、アニトから身を守るためにこのような模様を施しているそうです。また、アニトと戦うための甲は、アニトには顔を見られてはいけないので、目の部分だけがあいた不思議な形をしています。
ヤミ族の舟
会場では2点、小さな舟の模型を展示していますが、じつは「タタラ」と呼ばれる一人乗りの小型舟も寄贈資料に含まれていました。何人もが乗れる大型の舟は、「チヌリクラン」といいます。これらの舟は赤、黒、白の三色で、上記の太陽や、精霊などの文様が施されています。
ここで使われている三色は、オーストロネシア語圏と呼ばれるマダガスカル、インドネシア、フィリピン、台湾、パプア・ニューギニア、そしてニュージーランドを含む地域に共通してみられる色です。
赤は土から、黒は炭、白は貝殻から生成します。
舟の前後にはモロンと呼ばれる羽飾りがつけられます。船体に施された文様とともに海での安全を祈るものです。
宮武のヤミ族の舟に関する記述を以下、抜粋して載せておきます。
"…前略… 矢羽根板が飛ぶように漆黒の長尾を持つ黒三光鳥が、スイスイと斜陽に影して森に入るころからの部落は、一日の灼熱からほっと救われたように、男たちがもちかへる海の幸を待つ女たちの群で一頻り海辺は艶しく賑ふてゆく。
…中略…
元来原始人の舟はその殆どが大木を刳って造ったカヌーであるが、このヤミ族の舟は立派に龍骨を基礎として約八つの部分を組み合わせて居ることにその特徴がある。"
(宮武辰夫著「世界原始民芸図集」第1輯 別冊第1巻 より抜粋)
"この白、黒、朱の三彩の分布は興味深いものであって、ここ紅頭嶼では、白はシャコ貝を砕いて石灰としたもの、黒色は煤や木炭から、朱は山の年度のうちから製して居る。ニユウギネアのパプアやカヤカヤ族、セレベス島のトライヤ族など、主として東印度諸島には色彩に決定的な共通点があるが遠くフィリピンの来たルソンからバタン列島を飛び石伝いに、この紅頭嶼に至るまで、完全に共通色彩の流れを見ることができる。…後略"
(宮武辰夫著「世界原始民芸図集」第1輯 別冊第1巻 より抜粋)
このほか、舟につけるモロンが文様としてあしらわれた釣り具箱や、芋ほり棒、守り刀などを合わせて展示しています。
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舟の模型(中央部分) 長いのは芋ほり棒
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舟の手入れ(撮影 宮武辰夫)
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ヤミ族の舟(撮影 宮武辰夫)






