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2020/03/30 10:00:00 宮武辰夫コレクション展 ~紹介その5~

  • Category展覧会
  • Posted by諸伏
おはようございます。
通勤途中の桜が満開の中、毎日自転車で資料館まで通っているのですが、目ん玉洗いたい(花粉症)諸伏です。
さて、今回は休館中の展覧会紹介その5になります。


「宮武辰夫コレクション展 〜『世界原始藝術図集』から〜」

今回取り上げるのはフィリピンの原住民モロ族についてです。
えぇ、そうです。私がMOROだからこそMORO族の紹介は私がしなくてはならないという個人的な使命感からのご紹介になります。

さて、モロ族は現在もフィリピン、ミンダナオ島を中心に250万人ほどいると言われています。また、モロ族とはフィリピンのイスラム教徒の総称であり16世紀スペインが植民地化する際につけた名称です。そのためモロ族は、タオスグ族やサマール族、マラナオ族等異なった文化や産業を生業とする民族に分ける事ができ、宮武は大まかに海モロ、山モロと『原始藝術図集』では分けています。 (ブリタニカ国際大百科事典より一部引用)

宮武がフィリピンの調査を行ったのは1938年(昭和13年)になります。この時のフィリピンは1592年のサラゴサ条約でスペイン領有となっていましたが、モロ族が本拠地としていたミンダナオ島を含む南西諸国は最後までスペインの侵略を拒み、その後1898年のパリ条約によりフィリピンの統治権がスペインからアメリカ合衆国に譲渡され、ミンダナオ島が州に編入されたのが1924年と言うのを考えるとどれだけモロ族がどれほど強い抵抗をしていたかがわかります。
この時のモロ族の事を宮武は『フィリンピン原住民土俗と藝術』で「当時のスペインは世界でも屈指の強国ではあったが、このモロ族のみは如何にもての下しようもない難物であった。(略)フィリピン人はモロ来ると聞けば家財を纏めて山中深く逃れ隠れた物であった。」としるしています。
とにかく、モロ族は何か欲しかったら持ち主を殺して取っていく、野蛮で凶暴な民族と言われていたようです。
しかし、その一方でミンダナオ島へ向かう船内でモロ族を未だに裸体の野蛮人と言う案内人に対して「モロを蛮人と蔑すむこの男、何歩もモロより進んでゐる事か。むしろ原始人モロ族の方が藝術的にも精神的にも大きい進歩と民族意識を持ってゐる。(略)この種の人は、アメリカを皮相化したに過ぎない空虚な民族でしかない。」とも書いています。
モロ族の事を調べると凶暴性を語る言が多く、同じモロとしてちょっとショックを受けていたのですが、第二次世界大戦がはじまろうとしている中、現地への調査とその中でも芸術の素晴らしさを見つけだす宮武の視線に少し救われました。


モロ族の腰当
"ミンダナオ島の西南海上に浮かぶバシラン島にはヤカーン族の一大部落が点在して居るがが、ボヘルボンの海岸には少数のモロ族が、海上遥か沖合まで棒杭を組んで小屋をつくり、文字通り水上生活をやって居る。二本の竹を立杭に結びつけたものが家から家への道であるが、その綱渡りの危ない芸当をして家々を覗き廻っているうちに、とある家から筬音が聞こえてきた。覗くと眸の美しい娘が渋い棒縞の布を織って居たが、その布の糸の端を背中にまわして引き張り、股上で筬を運んで居る。その背には図のような克明な透し彫りをした板をあてて、端糸の背に喰ひ入るのを防いで居たが、これをいよいよ手に入れるまでには、この危ない竹の道を三日間渡り通ったのであった。"

モロ族とバゴボ族の石灰入
"共に檳榔(ビンロウ)の実の切り目に入れて噛む石灰入れである。(略)モロ族にしてもバゴボ族にしても、共にフィリピンの南端に住む原始人ではあるが、こうした鋳造や象嵌には特殊な技巧と優秀なデザインをもって居る。彼らの間には必ずかうした石灰入れを一人一個の割に所持して居るが、只一つでも同じものが存在しない。彼らの間ではそうした器物の製作者と云う分業がない。彼ら全体が製作者であって、自分の物は自分で製作をして居るのである。"

(世界原始民藝図集より抜粋)
  • モロ族の腰当て
  • フィリピン モロ族 撮影:宮武辰夫
  • 石灰入れ(モロ族・バゴボ族)

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