2018/05/06 00:30:00 南蛮人の欲望と真心 (Ⅰ)
ポルトガルのニュース
住田 育法
南蛮人と呼ばれた大航海時代におけるポルトガル人の活動を振りかえるとき、16-17世紀当時の商品と航路図 (地図) が示すように、カトリックの布教が進められた空間において、商品を安く入手して、時間と空間を変えてこれを高く売って利益を得る、という宣教師たちの経済的欲望が日本を巻き込んで展開していたことを確認できます。「戦争」よりも「平和」に近い行動ですが、「商売」への欲望が宣教師たちの「信仰」を支えていたのでした。
日本の銀。
中国の絹、金、漆、陶磁器。
インドの綿花、香辛料。
アフリカの奴隷、金、トウガラシ、象牙、黒檀。
ブラジルの砂糖、木材、染料。
しかし、私が注目したいのは、「信仰」に寄せた南蛮人たちの真心です。
今年2018年はフランシスコ・ザビエルが日本の鹿児島に到着してから469年目になります。それは1549年でした。この469年目の4月28日に、私は鹿児島市のザビエル渡来記念の建造物 (ザビエル滞鹿記念碑)を訪れました (写真)。これは明治年間に建てられ第二次世界大戦で大半を焼失した記念堂の一部です。1949年の鹿児島市長の言葉が刻まれています。
平和の使徒聖フランシスコ・ザビエルは日本人に大きな希望と愛情を胸にいだいて1549年8月15日わが鹿児島に上陸しました。ザビエル聖師は日本に初めてキリスト教を伝えたばかりでなく更になお欧州の文化をもたらし日本文化に大きな影響をあたえました。まさに聖師の鹿児島上陸400年の年を迎えるにあたり記念公園を設けその崇高偉大なる精神を永久にたたえるものであります。
昭和24年8月15日
鹿児島市長勝目清
そのあとザビエルは鹿児島を出て、1550年に京都に向います。やがて京都を去り、マラッカへの帰航の途中に1552年、中国で亡くなります。
1559年には京都におけるキリスト教の布教が本格化します。しかし1587年には秀吉が宣教師追放令をしき、キリシタン弾圧が始まります。
さらに1612年、徳川幕府はキリシタンの大弾圧を開始します。1613年、2代将軍・徳川秀忠が二度目の「キリシタン禁令」布告。1618年に秀忠はすべての信者の処刑を命じ、翌1619年の元和五年には、京都の大殉教で 52名が処刑されました。
そして2018年5月4日のいま、そうした江戸時代のキリスト教弾圧の中で信仰を続けた潜伏キリシタンの歴史を伝える「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本)が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録される見通しとなるという朗報を得ることになりました。東西文化の出会いを謳って世界文化遺産に登録されているマカオ (写真 聖ポール天主堂跡) を評価する同じ気持ちから、これを喜びたいと思います。
日本の銀。
中国の絹、金、漆、陶磁器。
インドの綿花、香辛料。
アフリカの奴隷、金、トウガラシ、象牙、黒檀。
ブラジルの砂糖、木材、染料。
しかし、私が注目したいのは、「信仰」に寄せた南蛮人たちの真心です。
今年2018年はフランシスコ・ザビエルが日本の鹿児島に到着してから469年目になります。それは1549年でした。この469年目の4月28日に、私は鹿児島市のザビエル渡来記念の建造物 (ザビエル滞鹿記念碑)を訪れました (写真)。これは明治年間に建てられ第二次世界大戦で大半を焼失した記念堂の一部です。1949年の鹿児島市長の言葉が刻まれています。
平和の使徒聖フランシスコ・ザビエルは日本人に大きな希望と愛情を胸にいだいて1549年8月15日わが鹿児島に上陸しました。ザビエル聖師は日本に初めてキリスト教を伝えたばかりでなく更になお欧州の文化をもたらし日本文化に大きな影響をあたえました。まさに聖師の鹿児島上陸400年の年を迎えるにあたり記念公園を設けその崇高偉大なる精神を永久にたたえるものであります。
昭和24年8月15日
鹿児島市長勝目清
そのあとザビエルは鹿児島を出て、1550年に京都に向います。やがて京都を去り、マラッカへの帰航の途中に1552年、中国で亡くなります。
1559年には京都におけるキリスト教の布教が本格化します。しかし1587年には秀吉が宣教師追放令をしき、キリシタン弾圧が始まります。
さらに1612年、徳川幕府はキリシタンの大弾圧を開始します。1613年、2代将軍・徳川秀忠が二度目の「キリシタン禁令」布告。1618年に秀忠はすべての信者の処刑を命じ、翌1619年の元和五年には、京都の大殉教で 52名が処刑されました。
そして2018年5月4日のいま、そうした江戸時代のキリスト教弾圧の中で信仰を続けた潜伏キリシタンの歴史を伝える「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本)が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録される見通しとなるという朗報を得ることになりました。東西文化の出会いを謳って世界文化遺産に登録されているマカオ (写真 聖ポール天主堂跡) を評価する同じ気持ちから、これを喜びたいと思います。
-
大航海時代におけるポルトガル人の経済活動図 Fonte: António Hespanha, Faculdade de Direito da UNL.
-
鹿児島のザビエル滞鹿記念碑 鹿児島市にて、筆者撮影。
-
マカオの世界遺産、聖ポール天主堂跡 マカオにて、筆者撮影。