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ブラジルポルトガル語学科ブログ RSS

イベント

2018/02/19 02:30:00 学科創設50周年記念誌発行のための編集同窓会終わる

  • Categoryイベント
  • Posted by記念誌発行編集主幹
 日本の各地で春を呼ぶ早春の風物詩がおこなわれる2月18日の日曜日、京都では第7回京都マラソンの走者が四条通りの外大前を走りました。
 京都新聞によると「ペア駅伝と車いす競技を含めて約1万6千人が早春の古都を駆けた。スタートの午前9時に西京極陸上競技場 (右京区) の気温が6.7度と前年を4.3度下回る寒さの中、参加者は仁和寺や京都御苑などの歴史豊かな名所沿いや鴨川河川敷などを走り、懸命にゴールの平安神宮前 (左京区) を目指した。完走者は1万5,3431人。沿道には約53万人が詰めかけ、ランナーに熱い声援を送っていた」。
 この「マラソン」の熱気の残る右京区の母校に約90名のブラジルポルトガル語学科の卒業生が集いました。
                
 1967年度入学1970年度卒業の第1期生2名、2期生2名、3期生3名、6期生1名、7期生5名、8期生6名、9期生2名、10期生3名、11期生3名、12期生6名、13期生2名、14期生1名、15期生3名、16期生4名、18期生4名、19期生1名、20期生3名、22期生1名、24期生1名、25期生1名、26期生2名、28期生1名、31期生5名、32期生6名、33期生2名、34期生1名、35期生4名、38期生1名、42期生1名、43期生5名、45期生1名、46期生2名、2016年度卒業の第47期生1名の合計86名でした。

 12時開始の編集会議と12時30分開始の懇親会の会場は新しい4号館です。
 建物1階の南側もしくは西側の入口から入って、エレベータ、あるいは階段で移動しました。

 第Ⅰ部・編集会議:
 4号館3階432教室 12時~12時25分まで 
 編集についてスライドショーを使用。
 教室入口で校友会会員皆さんにネームプレートを渡します。
   
 第Ⅱ部・懇親同窓会
 ※ 校友会会員以外は大学教職員のみが参加。 
 4号館6階スカイラウンジ南 12時30分~14時30分ごろまで
 飲食付き BGM = ボサノヴァのCD

 第1期生の住田育法教授の司会により横山卓哉総長補佐 (写真)が挨拶を始め、欠席の理事長・総長森田先生の祝辞を読みました。
 ブラジルポルトガル語学科創設50周年記念同窓会を祝して
 ブラジルポルトガル語学科創設50周年、誠におめでとうございます。
まずは、皆さま 
 ‘わが母校に、おかえりなさい’。 
 創設以来、半世紀を経て、卒業生の皆様が日本各地からご参集いただいていると伺い、皆様方のいつまでも変わらない友情・絆を頼もしく感じております。
 本来ならば、拝顔の上、ご挨拶をさせていただきたいところでありますが、出張のため、ご無礼いたします。
 本学園も昨年、70周年という節目に、新4号館完成、新学部“国際貢献学部”設置という大きな飛躍の年を迎えることができました。これもひとえに卒業生の皆様の変わらぬご支援・ご協力のお陰と、心より感謝申し上げます。
 これからも、京都外国語大学の伝統を重んじつつ、またそこから革新を生み出し、挑戦し続ける大学として、一歩一歩、歩みを進めてまいりたいと思います。
 どうか、皆様におかれましても、それぞれの人生を健やかに、不撓不屈の精神でご活躍いただきますようお祈り申し上げます。
あらためまして、ブラジルポルトガル語学科創設50周年、心からお慶び申し上げます。
                         学校法人京都外国語大学理事長・総長 森田嘉一
  
 続いて島谷直見校友会会長から暖かいブラジルポルトガル語学科同窓会応援のメッッセージを頂戴しました (写真)。
 彌永史郎学科長の挨拶に続いて京都の自宅が「外大ピール」を製造している校友の堀野恭史さんから懇親会に60本の差し入れを賜り、乾杯の音頭もとっていただきました(写真)。                                                「会うのは、40年ぶりかも」と言った会話も聞かれる中、遠くに白き峯の北山連峰(きたやまれんぽう)や雲にかすむ愛宕山をながめながら、リブレの食事で舌鼓を打ち「外大ビール」でのどを潤しつつ、ボサノバのリズムと懐かしいおしゃべりを楽しみました。
 2時間を超える素敵な想い出のコミュニケーションを終えて、皆で「再会」を誓いました。
  • 開会の挨拶を述べ、続いて、理事長・総長森田嘉一先生の祝辞を読む横山卓哉総長補佐。
  • 「集い」に対して暖かい祝辞を述べる島谷直見校友会会長。
  • 乾杯の挨拶と「発声」をする第13期の堀野恭史さん (中央)。

2018/02/15 09:20:00 続 ブラジルポルトガル語学科誕生の1967年のころ

  • Categoryイベント
  • Posted by住田 育法
 ブラジルポルトガル語学科、この学科の名前の2つの国、ブラジルとポルトガル。大西洋を挟んで1967年には、ブラジルが親米の軍部の独裁、ポルトガルが植民地支配の伝統的独裁の国でした。
 ブラジルが軍政になった1964年は、アジアはベトナム戦争突入前夜、南北アメリカではキューバ危機から1年半後の東西冷戦の真っ只中のときでした。一方ポルトガルは、1960年に「アフリカ」の旧イギリス領・旧フランス領植民地が相次いで独立する中、自らの植民地は「海外州」と呼び換え、その解放を認めなかったのです。

 当時の動きを年表で確認しましょう。それは、「キューバ革命」から「リスボンの春」に至る、世界の人民が、豊かさと自由、そして民主主義を求める、流血をともなう革命と戦争に満ちた、苦難の15年間だったのです。当時を想い今「勝利を我等に」をちょっと歌ってみましょう。これもいかがでしょうか

1959年
ブラジル 世界北東部開発庁創設決定。
ポルトガル サラザール (写真) 独裁が第2次経済振興計画。
世界 キューバ革命
1960年
ブラジル 世界左派のクアドロス大統領に当選。ブラジリア遷都。
ポルトガル EFTA (欧州自由貿易連合) に加盟。
世界 「アフリカの年」。
1961年
ブラジル クアドロス大統領に就任。辞任により議院内閣制に移行ひ、タンクレード・ネヴェス首相に就任、ゴラールが大統領に就任。
ポルトガル アンゴラで植民地戦争開始。ポルトガル領インドを喪失。
世界 米州「進歩のための同盟」発足。
1962年
ブラジル タンクレード・ネヴェス首相辞任。
ポルトガル 大学紛争激化。アレンテージョで農民暴動。
世界 キューバ・ミサイル危機。
1963年
ブラジル 経済社会3ヵ年計画、いわゆる「フルタード計画」発表。国民投票により大統領制に復帰。
ポルトガル PAIGC (ギネ・ビサウ=カボ・ヴェルデ独立アフリカ人党) 、ギネ・ビサウ反乱開始。
世界 ケネディー暗殺。
1964年
ブラジル クーデターにより軍政開始。
ポルトガル FRELIMO (モザンビーク解放戦線)、モザンビークで解放戦争開始。
世界 米国で公民権法成立。ソ連でブレジネフ体制、成立。
1965年
政党をARENAとMDBに再編。
ポルトガル 野党、総選挙をボイコット。
世界 カリブ海のドミニカ共和国内戦に米国が軍事介入。ブラジル軍派遣。
1966年
ブラジル 多くの連邦議会議員の議員資格剥奪。
ポルトガル 「サラザール橋 (4月25日橋)」開通。
世界 中国で文化大革命激化。
1967年
ブラジル コスタ・イ・シルヴァ大統領就任。
ポルトガル LUAR (統一連盟・革命行動)ポルトガルで最初の活動。
世界 米国、ニクソン政権成立。ゲバラ、ボリビアで戦死。
1968年
ブラジル 軍政令第5号。
ポルトガル サラザール首相、引退。カエタノ首相、就任。
世界 メキシコ、オリンピック。
1969年
ブラジル コスタ・イ・シルヴァ急病。新大統領にメディシ(写真)。
ポルトガル サラザール死去。
世界 日本、東大紛争安田講堂の攻防。
1970年
ブラジル アマゾン横断道路など大規模開発を進める。反軍政ゲリラ活動が活発になる。
ポルトガル 国勢調査、人口8,663,252人。国外の移民急増、1970年に最高17万3,267人。
世界 南米チリでアジェンデ社会主義政権成立。
1971年
ブラジル ゲリラ活動の鎮圧。
ポルトガル アルマンド・マルティンス・ジャネイラ駐日ポルトガル大使離任。
世界 米国ニクソン大統領の経済政策によりドル=ショック起こる。
1972年
ブラジル アマゾン横断道路開通。
ポルトガル 国連、FRELIMOとPAIGCを承認。
世界 田中首相訪中、日中国交正常化の共同声明。
1973年
ブラジル パラグアイ、イタイプーのダム建設に合意。
ポルトガル 大尉運動の結成。
世界 南米チリでピノチェの軍事クーデター。
1974年
ブラジル ドイツ移民の子孫ガイゼル大統領 (写真) に就任。
ポルトガル 「リスボンの春」もしくは「カーネーション革命」として知られる4月革命。
世界 南米アルゼンチンのペロン死去。
  • ポルトガル独裁者サラザール António de Oliveira Salazar (Vimieiro, Santa Comba Dão, 28 de abril de 1889 — Lisboa, 27 de julho de 1970)
  • メディシ大統領 Emílio Garrastazu Médici (Bagé, 4 de dezembro de 1905 — Rio de Janeiro, 9 de outubro de 1985)
  • ガイゼル大統領 Ernesto Beckmann Geisel (Bento Gonçalves, 3 de agosto de 1907 — Rio de Janeiro, 12 de setembro d

2018/02/13 17:30:00 学科創設50周年記念誌発行のための編集同窓会

  • Categoryイベント
  • Posted by記念誌発行編集主幹
 1967年度入学1970年度卒業の第1期生から2016年度卒業の第47期生までのブラジルポルトガル語学科卒業の校友80名あまりが想い出のキャンパスに集います。
 学科創設50周年記念誌発行編集のための第2回目の同窓会です。
 数年ぶり、数十年ぶりという再会の魅力は、互いが持つ共通の記憶の共有でしょう。特にそれは、音楽や映画において鮮烈によみがえってきます。
 第1期生の場合、ボブ・ディラン市川雷蔵でしょうか。あるいは高倉 健かも。『ドクトルジバゴ』のオマル・シャリーフも加えましょう。そしてララのテーマのジュリー・クリスティも。それから、ちょっと不良っぽくアニマルズも。

 2月18日は京都マラソンの走者が四条通りの外大前を走ります。しかし、本学の前は、8時20分ごろから9時55分ごろまでの交通規制となります。したがって、交通に問題ありません。
 
 12時開始の編集会議と12時30分開始の懇親会は、どちらも会場は新4号館です。
 入るのは建物1階の南側と西側の入口からです。

 第Ⅰ部・編集会議:
 4号館3階432教室で行います。 
 時間:12時~12時25分 
 内容:編集の説明と過去を振り返るスライドショーなど。
 会場の入口で校友会会員のネームプレートを渡します。

 2階から6階への移動は、建物北側の階段とエレベーターを使います。

 第Ⅱ部・懇親同窓会
 ※ 校友会会員以外は大学教職員のみの参加を認めます。一般の方は入れません。 
 4号館6階のスカイラウンジ南側で開催します。
 時間:12時30分~14時30分 飲食付き 
 BGM = ボサノヴァ Baden Powell CDを使います。

 変わるブラジルへの想い:
「世界の経済地図がふたたび塗り替わりつつある。世界経済を牽引してきた米国が財政赤字と莫大な債務にあえぎ、平和共存の理想を追求したEU (欧州連合) はギリシャに端を発した信用不安の連鎖で身動きが取れなくなりつつある。(略) 塗り替えの役割を託されているのが「振興国」やBRICsといった用語で表象される、二〇世紀末から成長のペースを上げてきた発展途上国である。」(堀坂浩太郎著『ブラジル―跳躍の軌跡―』岩波新書より) 
 弾けるポルトガルへの想い:
「もしも」という仮定が許されるならば、中世王国という「ジグソー・パズルのピース」の組み合わせ次第で、ポルトガルがカスティーリャと一緒になってひとつの国家を形成していたかもしれないと考えることもできるし、ポルトガルとカスティリャとカタルーニャという三つの国家の鼎立 (ていりつ) も可能だったかもしれない。あるいはまた、イベリア半島統一国家という状況も生まれていたかもしれない。」(金七紀男著『ポルトガル史』彩流社より)

 さて、やく100名の校友が集う18日の日曜日、いかなる想い出が噴出するでしょうか。
 
  • 素敵な新4号館からの眺めも素敵!
  • ボサノヴァを聴きます。
  • ブラジル、ロシア、中国、インド、南アフリカが21世紀の世界経済を牽引します。

2018/01/29 00:40:00 ブラジルポルトガル語学科誕生の1967年のころ

  • Categoryイベント
  • Posted by住田 育法
 西暦の1967年は、昭和42年でした。そしてもし、明治の年号が続いていれば、1868年が明治元年で1907年が明治40年だったので、架空ですが1967年が明治100年でした。また神武天皇即位から数える皇紀だと、2627年となります。真珠湾攻撃から26年目でした。

 それから50年経って、過去の卒業生が集って、2017年10月7日 (土) に、学園創立70周年とともに、学科創設50周年を京都外国語大学のキャンパスで祝いました。さらに2018年2月18日 (日)に、新四号館で50周年記念誌編集のための懇親会を開催する予定です。

 1967年は東西冷戦の真っ只中でした。ブラジルは1964年にクーデターで始まった軍政が続いていました。1967年3月に国名が「ブラジル合衆国 (República dos Estados Unidos do Brasi)」から現在と同じ「ブラジル連邦共和国 (República Federativa do Brasil)」になります。

 アジアではベトナム戦争が激しくなり、ラテンアメリカではキューバ革命が進行して、これに協力したチェ・ゲバラが南米のボリビアで1967年10月に殺害されます。世界中の若者が平和を求めて愛する心を歌いました

 ブラジル軍政の就任直前の大統領コスタ・イ・シルヴァ閣下が来日し、京都外国語大学を訪問しています。軍政はアマゾン開発に力を入れ、1967年に国立先住民保護財団 (Fundação Nacional do Índio) のFUNAIが創設されます。やがてアマゾン開発を目的として、「土地なき民を、民なき土地へ」の標語のもと、積極的なアマゾン開発に乗り出します。米国の企業が密かにブラジルのアマゾン川流域で貴金属の発掘をおこなっていた行為を軍政は国家の危機とみなし、国土防衛の観点から、国の北部地域の開発を急ぎました。軍隊の支援で、緑の熱帯雨林に大規模な横断道路 (Transamazônica) が建設されます。

 中近東では、この1967年に第三次中東戦争が勃発しイスラエルが圧勝しました。二年後の1969年9月4日 (木) から7日 (日) までの4日間(クアトロ・ディアス)を描いた、実話に基づく原作『 O que é isso, companheiro 』の映画作品があります。監督はブルノ・バヘット(Bruno Barreto)。1969年の 7月には米国人が歴史上初めて月面に降り立っています。このように世界で米国の存在が強大であったころの出来事を映画は描いています。互いを同志と呼び合っている若者の部屋の壁にはチェ・ゲバラの写真や映画『太陽の地の神と悪魔 (Deus e o Diabo na Terra do Sol)』のポスターが貼ってあり、サンパウロから来た練達の同志の機関銃の入ったバッグには、経済学者セルソ・フルタード著『ブラジル経済の形成と発展』が入っていました。チェ・ゲバラやセスソ・フルタード、グラウベル・ロッシャの考えが信奉されていたようです。

 2018年1月28日の雪の日曜日、DVDで映画『クアトロ・ディアス』をゆっくり鑑賞しました。日本でも1967年の当時、誰もが口ずさんだ「朝日のあたる家 (House of the Rising Sun)」のメロディーが映画の中で2度流れています。「安保の60年代」と言われる20世紀60年代の学生運動の記憶が蘇ってきます。

 「校友」たちの再会の準備をしながら、当時の歌声を懐かしんでいます。
  • 本学を訪問したコスタ・イ・シルヴァ大統領の公式写真。
  • 先住民保護財団の公式ロゴマーク。
  • キューバのハバナ市革命広場のチェ・ゲバラ像。

2013/12/02 00:10:00 ブラジルポルトガル語学科公開講座―ブラジル、多様性の中の統一

  • Categoryイベント
  • Posted by住田 育法
本学の国際交流協定校フルミネンセ連邦大学(UFF)よりロベルト・ソウザ・サレス学長とリヴィア・レイス交流部長が来日しました。この機会を利用して、南米熱帯の広大な資源大国ブラジルの多様性と統一をテーマに、特別講座として講演をお二人の教授に行っていただきます。

日時 2013年12月2日(月)午後1時30分から2時40分
場所 171教室
受講者数 150人(予定) 
対象 本学学生、本学教職員、一般市民の皆さん
言語 ポルトガル語(日本語への通訳付き)
通訳 安養寺シルヴィア・ルリ Silvia Ruri Anyoji
入場 無料(事前申込不要)

わたしが留学のためにブラジルのリオデジャネイロに降り立って、39年と11か月が経ちます。このリオで、来年はサッカーのW杯、3年後には夏季オリンピックが開催されます。

二つの世界大戦に挟まれた1933年に『大邸宅と奴隷小屋』を著したジルベルト・フレイレは、ブラジル人は先住民、アフリカ人、ポルトガル人の三つの人種の混淆によって生まれたと説きました。その認識は、1つのブラジルとしての統一性であり、同時に、歴史を踏まえた文化生態学的な各地の多様性の存在でありました。リオに住んだ、歴史家のセルジオ・ブアルケ・デ・オランダは、1936年に名著『ブラジルの根』において、ポルトガル系アメリカたるブラジルをスペイン系アメリカ諸国と比較し、「真心」と呼べる農村的、家父長的な環境の中で育まれた寛大な心が、ブラジル人の国民性であると指摘しています。

こうしたまなざしから、ブラジル人のお二人が熱帯ブラジルを熱く語ります。ふるってご参加ください。

  • 講演会案内のポスター
  • 瀟洒なウルカ地区からパンデアスーカルを望む
  • UFFの学長執務室のある本部棟

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