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ブラジルポルトガル語学科ブログ RSS

ブラジルのニュース

2016/12/18 00:30:00 京都でラテンアメリカについて研究会開催

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  • Posted by住田 育法
 日本ラテンアメリカ学会西日本部会と共催でラテン・アメリカ政経学会の関西部会研究会が開催されました。
 1.日時:2016年12月17日(土) 13:30-17:00
 2.場所:同志社大学烏丸キャンパス志高館(京都市上京区烏丸通上立売上ル相国寺門前町647-20)

SK214教室
13:30-14:20 「暴力と感情の文化的力(ちから)の考察-中米移民女性の経験から」
浅倉寛子(CIESAS)
14:20-14:40 討論

14:50-15:15 「植民地時代前半期におけるポトシの社会と銀鉱業運営の実態」
真鍋周三(兵庫県立大学名誉教授)
15:15-15:30 討論

SK203教室 2010年代半ばのラテンアメリカ政治
13:30-13:35 趣旨説明

第一部 ブラジル(13:35-14:55)
13:35-14:05 「ブラジルの民主主義とテメル新政権の動向」
住田育法(京都外国語大学)  
14:05-14:35「2016年ブラジル統一地方選挙-全体評価と政治経済の現状・展望-」
舛方周一郎(神田外語大学)
14:35-14:55 討論

第二部 アンデス諸国(15:10-17:00)
15:10-15:40 「ボリビア・モラレス政権の11年-何が政権を支えてきたのか-」
岡田勇(名古屋大学)
15:40-16:10 「コロンビア-和平プロセスの現状と見通し-」
千代勇一(上智大学)
16:10-16:40 「ペルーの大統領選挙とクチンスキー政権の現状」
村上勇介(京都大学)
16:40-17:00 討論

 私は、ブラジルの現状について、以下の報告をしました。
 ルーラ元大統領のカリスマ性とコミュニケーション能力に頼り第二期政権を乗り切るかと思われた中道左派労働者党ルセフ大統領は弾劾裁判で罷免され失職した。中道ブラジル民主運動党のテメル副大統領が2018年末まで大統領を務める。テメル新政権は外相に中道右派のブラジル社会民主党のセラ氏を起用するなど、外資を受入れ、経済再建を優先する姿勢を打ち出している。新政権の民主主義と社会正義に対する姿勢を考察する。

  • テメル大統領と近い立場にあるカルドーゾ元大統領に2011年に面談
  • 2016年12月のテメル大統領の近影
  • ルーラ元大統領の2006年の選挙運動 奥田氏撮影

2016/12/09 01:00:00 フルミネンセ連邦大学シルヴァ名誉教授「ジョアン・リベイロ」メダル受賞

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  • Posted by住田 育法
 私のブラジル留学中の恩師マクシミアーノ・カルヴァーリョ・イ・シルヴァ先生が本年、2016年7月に、ブラジル文学アカデミーより栄えある「ジョアン・リベイロ」メダルを受賞(写真は先生と奥様)されました。11月にこの写真を添えて、先生の友人や教え子たちへの挨拶のメールが届きました。先生は90歳の今も、出版のための執筆活動を続けています。

 思い起こせば、シルヴァ先生の指導により「ブラジル語法」の面からポルトガル語の弱勢人称代名詞の位置の問題について研究し、言語に表われたブラジルのナショナリズムを裏付けたのが、ちょうど42年まえでした。

 政治的独立から100年を経た1920年代のブラジルは、近代主義の潮流に同調する文化的ナショナリズムが強まっていました。戦間期という特別な国際環境の中で、1930年以降は、独裁によって国家の統一を推しすすめるブラジル的民族中心主義が高まったのです。1860年生まれの文献学者のジョアン・リベイロは、「ブラジル語法」擁護などを主張した文化人でした。42年まえの私の修士論文もリベイロの文献を参考にしています。そして今、恩師がその名を冠する賞を受けたことに、特別の喜びを覚えています。

 42年まえの1974年4月25日に、ポルトガルで「カーネーション革命」または「リスボンの春」と呼ばれるサラザール独裁体制終焉の歴史的クーデターが勃発したのです。カモンイス研究で知られるシルヴァ先生のポルトガルへの研究旅行が中止となったのです。先生は私に、「住田、ポルトガルへ行かなくなったので、ブラジルで日本人のきみを指導する」とおしゃってくださいました。遙か日本の裏側で起こった大西洋を挟んだ突然の出来事が、日本から留学した私にとっては、通常の授業に加えて、本格的な論文指導を受ける絶好の機会となったのです。

 シルヴァ先生は1984年10月に本学で集中講義を行うため来日されました。その後、私がリオを訪問する際に出会いを重ね、1998年にフルミネンセ連邦大学文学部名誉教授になられた今も、交流が続いています。ポルトガル語でSUMIDAは「いなくなった人」という意味があります。3年まえにお会いしたとき、先生は私に、「今まで多くの日本の若者を指導してきたが、皆SUMIDAとなっている。SUMIDAではないのは、住田だけだ」とおっしゃってくださいました。
  • 「ジョアン・リベイロ」メダル受賞のシルヴァ先生と奥様
  • 2015年8月、シルヴァ先生のご自宅の書斎を訪問
  • 2016年8月、ニテロイのキャンパスの本屋で先生と再会!

2013/08/25 13:50:00 2013年6月の歴史的大衆運動・街頭デモの素顔!(その7)

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  • Posted by住田 育法
ニテロイ市の大学に留学するためにリオの地を踏んで、39年8か月が経ちました。そして今、再びリオを訪問しています。冬とはいえ亜熱帯特有の強い太陽光線が水面にきらきらと照りかえる、麗しの古都リオは、いつも私を暖かく迎えてくれます。

きょう8月24日(土)は、貧者の父と慕われたジェトゥリオ・ヴァルガスの命日です。私が留学していたときが、没後20年目、W杯の来年が60周年となります。第二次大戦中は国威発揚のため、スポーツや音楽を支援した独裁者でもありました。カトリックの国では珍しく、行政の責任をとって拳銃で自殺した、現在でも多くの国民に慕われている人物です。首都リオを舞台に、黒人や労働者の地位向上と「ブラジル人のためのブラジル」の成長を目指したと理解されています。

さて、現在の政治ですが、大衆動員の街頭デモはほとんど収まりました。急落していたディルマ・ルセフ政府の人気も、きのう発表されたブラジル世論統計院(Ibope)の数字で、7月12日(金)の「とても良い/良い」31%からついに38%に回復、「とても悪い/悪い」が31%から24%に落ちました。反論があるものの、キューバなどから大量の医師を招聘するなど、国民の健康に配慮した政策が評価されているといえます。

リオの友人とおしゃべりしながら、着実に改善されつつある基礎的インフラの改善や行政の合理化を実感しています。デモの印象は以下のとおりです。

1. ヴァンダリズムは除き、ほとんどの友人が街頭デモを支持しています。デモでは政府への批判が濃厚ですが、ディルマ政権の評価は、ルラ元大統領の労働者党が貧者保護に力をいれたことに繋がっています。

2. 批判のトップは政治家の腐敗。エリート出身者が少ない労働者党そのものに、汚職を生む土壌が存在する、と論じる人もいます。

3. ブラジルの大学の友人は、入学特別枠によって、着実に黒人や貧困家庭の学生が増えていることを称えています。同時に、貧者への支援は、その消費を拡大させることで生産者にも良い影響を与える、と労働者党政権を評価しています。

4. 政党を越えたデモとはいえ、貧者は労働者党を支持し、富裕層はこれを批判します。世論調査の動向は、ディルマ支持に動いていますので、2014年大統領選挙では彼女が最有力候補となってきています。


日本やヨーロッパの都会の生活と変わらないおしゃれで便利なニテロイ市イカライ地区に滞在している私は、不便なスラムの住民や内陸部の貧者に対する支援を熱く語る、友人たちの姿に安堵しています。リオは19世紀末から20世紀初頭にかけて、フランスのパリの町並みを庶民の住居にまで取り入れ、ヨーロッパ移民を積極的に受入れます。サッカーやサンバの風景とは異なり、日常のリオの主役は、そうした人たちです。しかし今、若いエリートたちが、社会正義と民主主義を実践し始めているのです。なお、2010年ブラジル地理統計院の資料によれば、もっとも裕福なA階級がニテロイ市では30.65%を占めていて、数字の上ではブラジルで一番お金持ちの多い都市です。2位が27.66%のフロリアノポリス、3位がヴィトリアで26.92%です。大都会のリオは19.23%で14位、サンパウロが17.71%で17位になっています。私が留学していたときリオとニテロイを結ぶ橋が開通したのですが、これによって裕福なリオ住民がニテロイに移り、個人所得が向上したと理解されています。
  • グワナバラ湾の船上からリオを望む パンデアスーカルの外が大西洋
  • 共同研究者ニレウ教授のお宅で
  • フルミネンセ連邦大学の友人たちとネルソン・ペレイラ監督ご夫妻といっしょに

2013/08/18 11:50:00 2013年6月の歴史的大衆運動・街頭デモの素顔!(その6)

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  • Posted by住田 育法
ブラジル理解のキーワードは、「異種族混淆」、「真心」、そして「曖昧さ」です。デモについては「ヴァンダリズム」や「参加型民主主義」でしょうか。ただ海外の影響の強いブラック・ブロックなどのヴァンダリズムには、多くの皆さんが辟易しているようです。

6月15日(土)、ブラジリアで開催されたサッカー・コンフェデレーションズ・カップの日本対ブラジル戦でブラジルが勝利したころから、日曜日を挟んで、17日の月曜日にリオの中心街に10万人規模の民衆が集まり、公共交通運賃値上げ中止を求める主張を始めてから、ちょうど2カ月になります。8月16日(金)に私はサンパウロを発ち、ちょうど今、サッカー・コンフェデレーションズ・カップで日本が敗れたブラジリアに来ています。街はたいへん穏やかですが、庶民の集まる中心街で飲料水を買ったとき、店員が「ブラジルが3対0で日本に勝った」と挨拶をしてくれました。おそらく私に似た日本のファンがたくさんこの店を訪れたのでしょう。来年、ブラジル全土で開催されるワールドカップ開始まで300日を切りましたね。

外務省の建物に激しいデモがなされたブラジリアは、今は静かです。一方、サンパウロやリオの中心街では、未だ政治家の汚職を批判する、やや過激な街頭デモが続いています。しかし、2カ月前に比べて規模は縮小しています。

ブラジルに滞在しながら、今回の街頭デモについて、次の三つのことを考えました。まず、ブラジルの皆さんは、比較的たやすく主張を変更する、ということです。「絶対反対」と叫んでいても、やがて「状況が変われば主張も変わる」と述べ始めます。これは、批判される側にも、批判する側にも見られます。汚職への批判も「制度に問題があったので、それを改革すべきだ」、といった曖昧な表現への変化が今、見られます。第二に、政府の批判をするためには、国際感覚や批判するための教養などの手段が必要です。したがって今回のように、比較的裕福な中流階級の若者が中心となって行動することになります。そしてもし警察に捕まっても、「親の縁故」などで釈放される立場にいるようです。ブラジル映画の舞台となっている、リオのスラム街の麻薬売人たちへの対応とはまったく異なります。三つ目は、友達を大切にするネットワークのあり方です。アミーゴから携帯電話にデモ参加への呼びかけがあれば、皆で参加する、というような雰囲気です。

2カ月前に日本から、フェースブックなどのソーシャルネットワーク上で、暴力行為を私が批判しても、ブラジルの友人の反応はあまりなく、むしろ、政府や警察への批判を熱心に行っていたので、ブラジルに来て、多くが大学教授である友人から聞く街頭デモ支持のコメントに驚きはしません。むしろ、ブラジルの皆さんの特徴について、いろいろなことを考えているところです。ジルベルト・フレイレセルジオ・ブアルケ・デ・オランダスキッドモアらの作品を再度、丁寧に読みたくなりました。

日曜日のお昼、ブラジリア南地区の古いレストランで北東部の干し肉料理を、北東部のレシーフェ出身の人類学者である友人と楽しみました。遷都直前から建設がなされた、教会、学校、住居、商店などが集まっている地域です。満員の客席で、リオのフラメンゴとサンパウロのSPFCのチームのユニホームを着た人たちが、それぞれ歓声を上げていました。午後4時からマネ・ガリンシャ競技場で試合が始まりました。私の友人はその建設に巨額の資金が使われたことを批判していましたが、サッカーファンにとっては応援するにふさわしい待望の競技場のようです。ホテルの近くに競技場がありますので、赤と黒のフラメンゴのユニホームを着たファンがお昼前からぞろぞろと歩いて、そちらに向かっていました。
  • ブラジリアの瀟洒なカテドラルや国会議事堂
  • サンパウロ中心街のモダンなビル、コパン
  • リオのヴァルガス通りのカンデラリア聖堂

2013/07/01 02:20:00 2013年6月の歴史的大衆運動・街頭デモの素顔!(その5)

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  • Posted by住田 育法
6月15(土)にディルマ・ルセフ大統領が出席して始まったサッカー・コンフェデレーションズ・カップが本日6月30日(日)、ブラジルの優勝で終わりました。日本時間では7月1日(月)の早朝です。サッカーにとってはお祝いでも、来日が延期されるなど、政治家ルセフ大統領にとっては散散な2週間でした。

驚くべきは、ブラジルで高く評価されている世論調査のデータフォーリャが実施した、ルセフ大統領の人気について、6月6日(木)7日(金)の「とても良い/良い」57%からこの6月27日(木)28日(金)に30%に急落、逆に、「とても悪い/悪い」が9%から25%に急伸したのです。民主的な直接選挙によって大統領が選ばれるブラジルで、この人気の急落は手痛い展開です。

一方、ディルマ・ルセフ大統領を誕生させた労働者党のルラ元大統領は、同じ世論調査によると、2014年の大統領選挙で立候補すれば1回目の投票で当選する、との結果が出ています。

もうひとつニュースがあります。サンパウロ大学社会学教授の経歴で大統領に当選したフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ元大統領がブラジル文学アカデミーの会員に推薦され、受理されました。これはブラジル政界にとって明るい知らせです。

政治とスポーツは別物ですが、想像を絶するナショナリズムと、指導者のカリスマ性が政治とスポーツを動かすブラジルの姿は、何度経験しても驚きを禁じ得ません。街頭デモでもブラジル国歌を皆で歌い、ウルグアイとの試合では、試合前の国歌演奏でトラブルで音が出なくなっても、競技場では皆が大きな声で歌い続けていました。街頭でも競技場でも、黄色と緑の国旗がごく当たり前に振られています。

繰りかえしますが、昨年12月に「サッカーシューズの祖国」と題して本学で講演をしたフルミネンセ連邦大学のクレベル教授は、ブラジルのサッカーの歴史は、貧しい黒人の選手から始まった、と解説しました。最初は、先住民と黒人の混血の貧しい家庭の子であり、その貧しさは、子供の時、治療を受けることができずに、背骨が曲がったまま成長したほどだったガリンシャ、続いて貧しい家庭の黒人であるペレー。そして彼らのハングリー精神が、強いサッカー王国を生んだと強調しました。しかしやがてジーコになると、彼は 貧しい中産階級の子だったのですが、黒人ではなく、都会に住む白人であり、スラムの住人ではなかったと、その変化に注目しました。

講演の最後に、クレベル教授は、「ブラジルが豊かになり、スラムでサッカーに夢を描いて育つ子供が減ると、ブラジルのサッカー選手はガリンシャやペレーのように有能な人材を排出できなくなるかもしれない」と締めくくりました。ともあれ今回、ブラジルは優勝しました。異種族混淆のブラジル人を感じさせる選手たちの活躍も印象に残りました。地球の反対側から高見の見物の気分で、楽しめたテレビ観戦。ブラジルの友人たちといっしょに、しばらくブラジルの優勝を喜びましょう!
  • 今も強い人気を持続させているルラ元大統領
  • ルラの後継者として大統領に就任したディルマ・ルセフ
  • 2005年の工事中のとき訪れたマラカナン競技場 サッカー・コンフェデレーションズ・カップ決勝戦の会場

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