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ブラジルのニュース

2018/07/08 20:30:00 サッカーW杯で築くグローバルな友情 (3)

  • Categoryブラジルのニュース
  • Posted by住田 育法
 サッカー2018年W杯ロシア大会は7月7日の試合の結果、準決勝に向けヨーロッパのみ 4 チームが残りました。
 それも、王を戴く 2つの王国のイギリスベルギー、そして地中海に面した輝ける文化の 2 つの共和国、クロアチアフランスのチームです。

 7月10日にサンクトペテルブルク競技場で行われた準決勝戦のベルギー、フランス戦の結果は、フランスの勝利でした。そして7月15日の決勝戦に2018年ロシア大会の優勝のトロフィーを頭上高く掲げたのもフランスでした。

 ふりかえってみましょう。

 サッカーW杯は平和の祭典ですが、ポルトガルとブラジルの歴史を学ぶ者にとっては、18世紀に当時の大国フランスイギリスが争うはざまで、海で繋がるイギリスに付いて王国を守った歴史上の「戦い」のことが映画の場面に重なって、頭に浮かびます。脳細胞が熱を帯びます。サッカーでは、21世紀のいま、まずフランスが勝利し、強豪イングランドは、7月11日のルジニキ競技場での戦いでまさかの敗北を喫しました。

 200年ほど前の歴史をもう少しながめてみましょう。

 19世紀の1807年に、ポルトガルの王室は、フランスのナポレオン軍が攻めてくることに恐怖を抱き、イギリス海軍に護衛されて植民地ブラジルに逃れます。映画に描かれた状況は事実とは若干異なるノンフィクションですが、21世紀のいま起こっているサッカーの試合と重なって、なにかわくわくするような気分になってきました。つまり、優勝は「ナポレオン」のフランスか。あるいは、イタリアの東の国クロアチアか、と。

 ここで準決勝戦で敗れたイングランドが属する欧州サッカー連盟(UEFA: Union of European Football Associations)の全チーム名を確認してみましょう。イギリスの正式名称は、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国 (United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland) ですね。イギリスに属するチーム名に朱を入れました。

アイスランド/アイルランド/アゼルバイジャン/アルバニア/アルメニア/アンドラ/イスラエル/イタリア/イングランドウェールズ/ウクライナ/エストニア/オーストリア/オランダ/カザフスタン/北アイルランド/キプロス/ギリシャ/ジョージア/クロアチア/コソボ/サンマリノ/ジブラルタル/スイス/スウェーデン/スコットランド/スペイン/スロバキア/スロベニア/セルビア/チェコ/デンマーク/ドイツ/トルコ/ノルウェー/ハンガリー/フィンランド/フェロー諸島/フランス/ブルガリア/ベラルーシ/ベルギー/ポーランド/ボスニア・ヘルツェゴビナ/ポルトガル/マケドニア/マルタ/モルドバ/モンテネグロ/ラトビア/リトアニア/リヒテンシュタイン/ルーマニア/ルクセンブルク/ロシア 以上55チーム。

 筆者の応援してきたチームがすべて敗退したいま、まったくの高みの見物の気分で、決勝の戦いを楽しむことにしました。

 7月11日の結果は、イングランド敗退、クロアチア決勝進出。領土面積も人口も、ちょうどポルトガルの二分の一ほどの小さなクロアチアが勝ったのです。ポルトガルと同じように、ケルト人の地がローマの支配を受け、その後今日までさまざまな民族移動の舞台となったスラブ人の国がサッカー2018年W杯で「決勝戦」という頂点に昇りつめました。しかし栄えある優勝のトロフィーは、7月15日の決勝戦で大きなフランスが、小さなクロアチアを 2 対 4 で破って手にしたのです。

 いつもブラジルを応援する筆者は、ブラジルのチームと同じくサムエル・ウムティティやポール・ポグバ、エンゴロ・カンテ、ブレズ・マトゥイディ、キリアン・ムバッペ、ウスマン・デンベレたち親しみを感じるカラフルな選手たちのチームの優勝を祝福します。

 二つの目優勝杯を手にしたのはフランスです。しかし、次に六つ目の優勝杯を手にするのはきっと私の好きなカラフルな選手たちのブラジルでしょう。私とブラジル人たちの実現可能な夢です。
 
 日本敗退を慰めてくれたブラジル・リオの友人が、パリのエッフェル塔が大統領の指導で準優勝のクロアチアの白と赤のモザイク模様のライトアップをした風景の写真をSNSに送ってきました。まさに、国境を越えたグローバルな友情の姿です。
  • 中央の国章に民族自立の魂を載せたクロアチアの国旗。
  • フランスの国旗。
  • 国際サッカー連盟(仏: Fédération Internationale de Football Association)が統括する世界の6団体の地図

2018/07/03 21:40:00 サッカーW杯で築くグローバルな友情 (2)

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  • Posted by住田 育法
 たかがサッカーと思っても、応援しているチームが負けると、ほんとうに悔しいですね。

 いつも筆者は、ラテンアメリカとイベリア半島、そして日本の代表チームを応援しています。
 いくつかの「勝利」と「敗北」のあと、2018年ロシア大会では、7月4日には、私が応援するチームでは、ラテンアメリカのブラジルとウルグアイのみが決勝トーナメントに残っていましたが、7月6日にどちらも消えました。
 2018年の日本の惜敗は、1993年10月28日にカタールの首都ドーハのアルアリ競技場で行われたサッカーの国際試合を思い起させます。試合終了間際のロスタイムにイラク代表の同点ゴールが入り、サッカーW杯初出場に近づいていた日本代表が一転して予選で敗退し、これをドーハの悲劇と呼びました。

 2018年7月3日の日本の対ベルギー戦の敗北は、「ロストフ・アリーナの悲劇」でしょうか。
 
 さて偶然、学生たちと読んでいる講読の授業のテキストのタイトルが「負けはいつも悲しい」です。

 LEITURA: Uma derrota é sempre triste

 Chegou afinal o grande dia. O Santos joga com o Botafogo pela decisão do Torneiro Rio-São Paulo. Como não podia deixar de ser, o Maracanã estava completamente lotado.
 出典:
 Maria Isabel Abreu, Cléa Rameh. Português Combemporâneo 2, Georgetown University USA, 1967, 1971, 1973.

 この教材は、ペレが活躍していた1960年代を取り上げています。リオ=サンパウロ決勝トーナメントで、ペレのサントスがリオのボタフォーゴに勝利する内容です。
 1969年11月19日にペレはマラカナン競技場のCRヴァスコ・ダ・ガマ戦で1,000ゴールを決めています(写真 記念切手)。 

 ところでブラジル代表チームはこのマラカナン競技場で1950年7月16日にサッカーW杯ブラジル大会の決勝リーグでウルグアイと戦いまさかの敗北を喫しています。これはマラカナンの悲劇、またはマラカナッソ (Maracanaço)と呼ばれています。

 2014年のW杯ブラジル大会でドイツに敗れた試合も、競技場の名前をとってミネイラッソ (Mineiraço)、つまり「ミネイラン競技場の惨劇」と名付けています。

 私は1974年7月3日にブラジルのリオのニテロイの大学に留学していたとき、W杯西ドイツ大会でブラジルが2対0でオランダに敗れ、しょんぼりしていた近所のブラジル人のアミーガに「スポーツだから強くなれば次は勝てるよ」とコメントしてしまい、「日本へ帰れ」とののしられました。ブラジルではサッカーの話題は、「政治や宗教よりも重たい」と感じた次第です。

 2018年7月3日、ブラジルやポルトガルの友人たちが、私のSNSに「日本は素晴らしい試合をやった」とか「日本チームの選手はみなすばらしい戦士だ」「最後の瞬間のみが惜しかった」などと書いてくれています。欠点を述べるのではなく、しっかり褒めるのだと、改めて。理解しました。
  • 工事中のマラカナン競技場。2005年8月筆者撮影。
  • ペレ1,000ゴールの記念切手。
  • 1950年マラカナンの悲劇の新聞 (o Globo) 記事。

2018/06/25 02:10:00 サッカーW杯で築くグローバルな友情 (1)

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  • Posted by住田 育法
 4年に1度のサッカーの祭典、W杯が 6月14日 (木) にロシアで始まりました

 前回の2014年ブラジル大会に続く、今回2018年のロシア大会では、ブラジルとアルゼンチンのほかに、応援したいラテンアメリカからは、メキシコ、ペルー、コロンビア、パナマ、コスタリカ、ウルグアイが参加しています(参照:地図)。参加チームはAからHまでのグループで全世界合わせて32です。

 イベリア半島のポルトガルとスペインも、私が応援したい国です。

 そして2018年6月24日 (日) に、ロシアのエカテリンブルクアリーナ競技場で、グループHの日本対セネガルの第2戦が行われ、2対2で引き分けました。日本は決勝トーナメント進出をかけて、28日 (木) の第3戦でヴォルゴグラードアリーナ競技場でポーランドと対戦し 0対1 で破れたものの、他会場のセネガルとコロンビア戦の結果によってグループ内 2位となり、ベスト16に残ります。

 テレビやインターネットで試合を見ながら思う私のメッセージは、応援するチームが勝っても負けても、国の違いを超えて、友人たちと共にW杯を楽しむことができるということです。
 ブラジルが勝つと、私から、SNSに「いいね」を伝えますし、日本が勝つと友人たちが私に対して「いいね」をクリックしてくれます。
 必要なことは、サッカーW杯が存在することです。ブラジルでは、ちょうどリオのカーニバルのように、社会的格差や肌の色、年齢などの違いを超えて、一つになって試合に熱中できるのです。「なぜ、熱心に応援するのか」と問えば、「ブラジル人だからだ」とブラジルの友人は応えます。私は「ブラジル人が好きだから応援する」と応えます。友人は笑顔で私を受入れます。

 ふりかえると、麗しの古都リオの「サッカーの神殿」とも呼ばれるマラカナン競技場で、ちょうど4年前の2014年6月15日(日)に、グループFのアルゼンチン対ボスニアヘルツェゴビナ戦が開始され、ラテンアメリカのアルゼンチンの勝利となりました。
 そして7月13日(日)に、このマラカナンでドイツとアルゼンチンが優勝決定戦を戦い、ドイツが勝利して優勝杯を獲得したのです。

 私が応援するブラジルは、海に面したリオからは内陸部に位置するミナスジェライス州ベロオリゾンテ市の通称ミネイロン競技場で、6月28日(土)に決勝トーナメントでチリと戦い、ブラジルがPK戦を制して勝利、6大会連続のベスト8進出を果たしました。7月4日(金)には北東部マラニャン州のフォルタレザでコロンビアと戦って2対1で勝ちました。
 ところが、7月8日(火)にベロオリゾンテ市のミネイロン競技場でドイツと準決勝を戦い、7対1という記録的な大差でブラジルが敗れました。

 この試合は「ミネイロンの悲劇 (a tragédia do Mineirão)」と呼ばれるそうで、未だにブラジルの友人とはこの出来事はタブーになっています。試合のとき、ラジオやテレビで応援しながらリオの街にあふれていたブラジルの国旗が、試合直後はいっせいに片付けられてしまったそうです。

 2018年の優勝はどのチームになるでしょうか
 ともあれ、応援するチームが勝っても負けても、グローバルにW杯を楽しみたいと思います。 
 私が応援するのはブラジルと日本、そしてポルトガルです。
 
  • 領土に重ねて国旗で描いたラテンアメリカの地図
  • 日本を応援してくれるブラジルのリオの友人
  • ポルトガルを応援するマカオの友人たち

2018/05/29 11:50:00 ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督の思い出(2)

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  • Posted by住田 育法
 2010年5月に来日し、京都や奈良を訪問したネルソン・ペレイラ監督は、20世紀中葉の冷戦期、ハリウッド映画への強烈なアンチテーゼを示した「新しい映画」の旗手でした。とくに同監督最初の長編映画『リオ40度』(1955年)は、国際観光都市リオのファヴェーラで生活する黒人の子どもたちの日常生活を取りあげたことで、1960年代に起こる「新しい映画」誕生に息吹をもたらしたのです。
 ちょうどその時代は、黒澤明監督が登場し、当初、日本では高い評価が得られなかったものの、「世界のクロサワ」として国際的な注目を浴びていました。ともに人間の複雑な心のひだに分け入った、魅力溢れるドラマを提供しています。

 この黒澤明監督とネルソン・ペレイラ監督の代表作を、年にそってを並べてみましょう。

 1950年クロサワ
 羅生門1950年 ヴェネツィア映画祭金獅子賞

 1954年クロサワ
 七人の侍1954年 ヴェネツィア映画祭銀獅子賞

 1955年ネルソン・ペレイラ
 リオ40度 (Rio, 40 Graus) 1955年

 1961年クロサワ
 用心棒 1961年 ヴェネツィア映画祭主演男優賞(三船敏郎)

 1963年ネルソン・ペレイラ
 乾いた人生 (Vidas Secas) 1963年 原作グラシリアーノ・ラモス ※第17回カンヌ国際映画祭 コンペティション部門OCIC賞受賞

 1965年クロサワ
 赤ひげ 1965年 キネマ旬報1位、ヴェネツィア映画祭サン・ジョルジュ賞、ヴェネツィア市賞、国際カトリック映画祭事務局賞、モスクワ映画祭映画労働組合賞

 1980年クロサワ
 影武者 1980年 カンヌ映画祭グランプリ、英国アカデミー賞監督賞・衣装デザイン賞、セザール賞外国語映画賞、ベオグラード映画芸術賞・作品賞・美術賞

 1983年ネルソン・ペレイラ
 監獄の記憶 (Memórias do Cárcere) 1983年 ※第37回カンヌ国際映画祭FIPRESCI賞受賞

 1985年クロサワ
  1985年 アカデミー賞衣装デザイン賞、ニューヨーク批評家賞作品賞、全米批評家賞作賞・撮影賞、英国アカデミー賞外国語賞

 1993年ネルソン・ペレイラ
 第三の岸辺 (A Terceira Margem do Rio) 1993年第44回ベルリン国際映画祭コンペティション部門

 『監獄の記憶』は1984年8月にリオのニテロイの映画館で鑑賞しました。ブラジル史のヴァルガス革命に関心を持つ筆者には映像で楽しめる大変興味深い作品でした。

 八年前にネルソン・ペレイラ監督といっしょに、私もカメラを片手に京都や奈良を歩きまわり、そのとき監督が、「撮影は太陽の出ているときでなければ駄目だ。ちょうど、農夫が雨の日は仕事をしないのと同じ」と語った言葉が懐かしく思い出されます。筆者は映像ではなく、もっぱら動かない写真ですが、晴天と太陽光線の具合を確認しながら、都市や農村の風景をカメラにおさめています。
  • 2010年5月に奈良の東大寺で奥様を撮影するペレイラ監督
  • 太秦映画村で黒沢明監督の写真をみつめるペレイラ監督
  • 1983年の作品『監獄の記憶』のポスター

2018/05/21 00:00:00 ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督の思い出(1)

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  • Posted by住田 育法
 いまから八年まえの2010年5月15日の葵祭の土曜日、世界のペレイラ監督が奥様と入洛されました (写真)。そして、それから八年目のいま、悲しいニュースがブラジルから届きました。ブラジル時間の4月21日土曜日の夕刻 5時、リオの病院で肝臓癌で亡くなられたのです。時差12時間の日本で私が知ったのは、22日の日曜日の朝でした。
 ブラジルを代表する世界的に知られた監督ですが、本学が1974年以来交流協定を締結しているフルミネンセ連邦大学に映画コースを創設し、映画人として多くの若者を指導してきましたので、私の世代の教授たちのグループと、特にこの八年間は、仲間として親しくさせていただきました。グラシリアーノ・ラモスの文学作品の『乾いた人生』(1963年)や『監獄の記憶』(1984年)などの映画化を行っていた関係から、文学部の教授たちと深い繫がりを持っていました。ペレイラ監督と親しい、私にとっても留学時代からの友人であったブラジル文学アカデミー元会長の言語学者ドミーシオ・プロエンサ教授といっしょに親交を深めていました (写真)。

 訃報は、ドミーシオ・プロエンサ先生からメールで届きました。
 ペレイラ監督夫人にお悔やみ言葉をメールで送りました。

 Foi com profunda tristeza que recebemos a notícia do falecimento do nosso amigo e o grande cineasta Professor Nelson Pereira dos Santos. Eu, Sumida, em nome da minha família, venho por meio desta mensagem expor todo o nosso sentimento pela nossa perda recente.

 ところで、八年前のペレイラ監督の公開講座としての講演と映画上映のための来日にあたっては、複数の幸運な支援を受けることができました (ポスター)。
 その一つは、当時のブラジル政府が映画をはじめとするブラジル文化のグローバルな普及に積極的であったことです。監督夫妻の移動と宿泊について、ブラジル文学アカデミーとブラジル政府からの助成がありました。
 二つ目は、アテネ・フランセ文化センターの支援を頂戴できたことです。ペレイラ監督の作品は2000年に大島監督の推薦によって、東京で紹介されていました。京都での2010年の上映は、東京のアテネ・フランセ文化センターが保管しているそのときの35mmフィルムを無料で利用できたのです。
 第三には、京都文化博物館の貴重な援助でした。作品には若干のフィルムの劣化も見られ、これを修正して上映する技術は、幸いにも京都文化博物館にあり、これを無償で引き受けていただけたのです。博物館が会場となって行った映画上映は、監督の講演に命を吹き込む貴重な恵みとなりました。
 そして、これがもっとも重要なことですが、ブラジルリオのフルミネンセ連邦大学と本学が交流協定を締結していることによって、学術交流のレベルで招へいできたことです。
  • 2010年5月15日に葵祭の行列を観覧するペレイラ監督ご夫妻
  • 2017年8月14日にペレイラ監督夫妻 (左から二人目と三人目)、ドミーシオ教授夫妻とリオでいっしょに
  • 八年まえの講演会と映画上演のポスター

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