2013/11/23 20:40:00 『はぐれても、はぐれても』 ブラジル映画祭2013京都で上映
- イベント
- 住田 育法
ブラジル映画祭2013
京都上映
日本で公開されたブラジル映画の中からおススメ映画をクリスマスに1本だけ選ぶとすれば、フェルナンダ・モンチネグロ主演の『セントラル・ステーション』でしょう。1998年のベルリン国際映画祭でグランプリの金熊賞 を獲得し、翌1999年にはアカデミー賞の外国映画部門と主演女優賞にノミネートされた名作です。今回、ブラジル映画祭2013で上映される『はぐれても、はぐれても』は、その『セントラル・ステーション』を髣髴とさせます。映画の舞台はブラジル「統一の川」と呼ばれるサンフランシスコ川上流域のミナスジェライス州リオ・ノヴォから下流域ペルナンブコ州のペトロリーナです。強い太陽光線が照りかえる北東部の自然が美しい。
『セントラル・ステーション』ではリオで家族愛から見放されて孤独な生活を送っていた女が、母親として、また、ちょっぴり恋人としての愛情を提供する、というメロドラマの設定になっていますが、『はぐれても、はぐれても』は生まれる前に姿を消した父を捜すドゥダが、やはり父には会えませんが、ミゲルが演じるトラック運転手ジョアンから父親のような愛を受けることでハッピーエンドとなります。監督は『フランシスコの2人の息子』のブレノ・シルヴェイラ。この作品で両親の役を演じたアンジェロ・アントニオとディラ・パエスが、主役のジョアンに絡む重要な役で登場します。
ハッピーエンドの展開は、前の作品『フランシスコの2人の息子』に一致しますが、私は単純に、目頭が熱くなりました。これは『セントラル・ステーション』以来の感動でした。ネルソン・ぺレイラ監督が、「ブラジルでは、人が突然、いなくなる」と私に語ったことがありましたが、そのような不気味な社会の現実を連想させる箇所もあります。つまり、子どもにとって、父親が、消えて、存在しないという内容になっています。これはさらに、ブラジルでは、母親はわかるが、父親がわからない、という植民地時代からの伝統的な背景に繋がる問題も表現されていますし、混血があたりまえなブラジル社会の現実についても、映画を見ながら考えさせられました。
映画の中の北東部の風景が美しく、映画音楽も北東部のものではなく、都会のリオで活躍する歌手ホベルト・カルロスの歌声、というのも面白い設定です。そして都会の風景が、リオではなくて、サンパウロというのも私には新鮮な感じがしました。『セントラル・ステーション』では、ラストシーンの後、サンバ歌手カルトーラの「ぼくを行かせてくれ/行かなくては」という穏やかな歌声が聞こえてきます。今回の映画はホベルト・カルロスの O portão(玄関)が映画の理解を助けています。作品は11月17日(日)18日(月)19日(火)に京都会場の元・立誠小学校の立誠シネマプロジェクトで上映されました。
京都上映
日本で公開されたブラジル映画の中からおススメ映画をクリスマスに1本だけ選ぶとすれば、フェルナンダ・モンチネグロ主演の『セントラル・ステーション』でしょう。1998年のベルリン国際映画祭でグランプリの金熊賞 を獲得し、翌1999年にはアカデミー賞の外国映画部門と主演女優賞にノミネートされた名作です。今回、ブラジル映画祭2013で上映される『はぐれても、はぐれても』は、その『セントラル・ステーション』を髣髴とさせます。映画の舞台はブラジル「統一の川」と呼ばれるサンフランシスコ川上流域のミナスジェライス州リオ・ノヴォから下流域ペルナンブコ州のペトロリーナです。強い太陽光線が照りかえる北東部の自然が美しい。
『セントラル・ステーション』ではリオで家族愛から見放されて孤独な生活を送っていた女が、母親として、また、ちょっぴり恋人としての愛情を提供する、というメロドラマの設定になっていますが、『はぐれても、はぐれても』は生まれる前に姿を消した父を捜すドゥダが、やはり父には会えませんが、ミゲルが演じるトラック運転手ジョアンから父親のような愛を受けることでハッピーエンドとなります。監督は『フランシスコの2人の息子』のブレノ・シルヴェイラ。この作品で両親の役を演じたアンジェロ・アントニオとディラ・パエスが、主役のジョアンに絡む重要な役で登場します。
ハッピーエンドの展開は、前の作品『フランシスコの2人の息子』に一致しますが、私は単純に、目頭が熱くなりました。これは『セントラル・ステーション』以来の感動でした。ネルソン・ぺレイラ監督が、「ブラジルでは、人が突然、いなくなる」と私に語ったことがありましたが、そのような不気味な社会の現実を連想させる箇所もあります。つまり、子どもにとって、父親が、消えて、存在しないという内容になっています。これはさらに、ブラジルでは、母親はわかるが、父親がわからない、という植民地時代からの伝統的な背景に繋がる問題も表現されていますし、混血があたりまえなブラジル社会の現実についても、映画を見ながら考えさせられました。
映画の中の北東部の風景が美しく、映画音楽も北東部のものではなく、都会のリオで活躍する歌手ホベルト・カルロスの歌声、というのも面白い設定です。そして都会の風景が、リオではなくて、サンパウロというのも私には新鮮な感じがしました。『セントラル・ステーション』では、ラストシーンの後、サンバ歌手カルトーラの「ぼくを行かせてくれ/行かなくては」という穏やかな歌声が聞こえてきます。今回の映画はホベルト・カルロスの O portão(玄関)が映画の理解を助けています。作品は11月17日(日)18日(月)19日(火)に京都会場の元・立誠小学校の立誠シネマプロジェクトで上映されました。