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SOCIETAS-JESU

[Materials concerning Japan] 2 titles


「日本関係イエズス会文書」2点

 第1文書から第4文書までで構成されるこの古文書は、イエズス会士によって16、7世紀に書かれた日本に関する原文書で、ポルトガル南部で発見されていたものを1975(昭和50)年の4月から本学図書館が収蔵している。この内、ポルトガル人宣教師が強く係わる二つの文書を紹介する。
 第1文書は、日本におけるイエズス会の危機である「伴天連追放令」発令を受けて、ポルトガル人宣教師のルイス・フロイス(Luis Frois, 1532-1597)によって書かれたものである。布教報告としては異例の長文であるが、1587年度第2日本年報の原文で「1587年8月5日付、平戸発信、イエズス会総長宛、ルイス・フロイス書簡」と呼んでいる。その内容は豊臣秀吉が九州征伐の先陣として、仙石秀久、長宗我部元親、小寺官兵衛(黒田孝高)らを派遣したこと、薩摩勢が豊後へ進入し大友勢が敗退したこと、臼杵の華麗な教会やその施設が荒廃し、33名のイエズス会員は海路山口を目指して避難し、さらに関白の弟で総大将の美濃殿(豊臣秀長)が府内(大分)に到着したことなどが書かれている。当時、こうした文書は目的地への必着を期すために同じ文書を複数作り、それぞれ別の船舶で送られることが常であり、この文書もフロイスの同僚によって書写されたもので、文末にはフロイスの自筆署名が見られる。
 第3文書は、「1622年9月6日付、マカオ発信、イエズス会日本・シナ巡察師ガブリエル・デ・マトス宛、イナシオ・ダ・クルスの請願書」で、1622年マカオにイエズス会巡察師として着任したポルトガル人宣教師ガブリエル・デ・マトス(Gabriel de Matos, 1572頃-1634)師に対し、イエズス会代表者が日本における布教事業に関して八力条の請願を列挙したものである。封書に書かれた記述から、この文書は日本から発信されたものと考えられるが、署名人であるイナシオ・ダ・クルス(Jnacio da C[r]us)なる人物を確認することはできない。しかし、使われている用紙が和紙でないことや当時の日本管区長がポルトガル人宣教師のフランシスコ・パシェコ(Francisco Pacheco, 1565?-1626)であったことから、この文書は原文ではなく書写されたものであり、おそらくパシェコのもとで発信された文書をマカオにおいてイナシオ・ダ・クルスが筆写したものと考えられる。そこには、宣教師の日本語の習得と質の向上をさせて欲しいこと、宣教師を他管区へ異動させないように取り計らって欲しいこと、日本布教のための財源をシナ(中国)での布教へ流用しないで欲しいこと、巡察師の費用は日本布教と中国布教の財源を分けて欲しいこと、日本布教の財源を増やして欲しいこと、費用の節減について、ザビエルの遺産を日本管区で保管したいこと日本管区であるコーチンシナ(ベトナム)布教の人員と経費増についての嘆願などが書かれている。
 これらの文書は、中国紙が使われたと考えられる第3文書を除き、他の全てが鳥の子和紙の上に墨汁を使ってペンで書かれているが、長い年月を経てきたため虫害も多く見られる。しかし、本学教授であった松田毅一氏(後に名誉教授、故人)、同じく教授川崎桃太氏(後に名誉教授)らによって解題と翻刻、翻訳がなされ、1987(昭和62)年に『日本関係イエズス会原文書』(学校法人京都外国語大学創立四十周年記念)として刊行された。


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