| HOME > 展示目録 > 第1部. 日本論としてのキリスト教布教報告書類 > 2.ポルトガル人が著してポルトガル国外で刊行された書物 |
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| この書簡を日本から送ったルイス・フロイス(Luis Frois, 1532-1597)はポルトガルのリスボンに生まれた。16歳の頃イエズス会員となってインドに向かい、ゴアでフランシスコ・ザビエルや鹿児島出身のアンジロウに出会った。彼らの影響を受けて1563(永禄6)年に来日し、まもなく京都や畿内で布教を始めた。日本での布教活動中、織田信長からは特に好意的な待遇を受けていた。1577(天正5)年からは九州に移ったが、1583(天正11)年にイエズス会総長から日本の布教史を執筆することを命じられ、"Historia de Japam"(「日本史」)と題してザビエルから豊臣秀吉の晩年までの編年史の執筆に専念した。日本には30年以上も滞在し、長崎において65歳で没している。 彼には秀でた文才があり、書き送った書簡や報告書はヨーロッパの国々で翻訳されて多くの人々に読まれた。本書はイエズス会総長に宛てられた1588年の年報(1588年2月20日付、有馬発信)のイタリア語版で、1586(天正14)年の九州の戦乱と苦境に陥った豊後の大友宗麟の要請を受けた秀吉の九州出兵や、その当時のキリスト教司祭や信者たちの置かれている状況などが詳細に記されている。また、キリシタン大名高山右近の追放、細川ガラシャの洗礼、天正遣欧使節の家族のことなども含まれている。中でも、1587(天正15)年7月24日(6月19日)に秀吉が博多で司祭たちやポルトガル船の船長たちと会って様々なことを話し合い、彼らからの贈物にも満足したが、その夜になって突然心変わりして「伴天連追放令」を発令するに至ったとする描写は興味深いところである。 なお、標題に掲げられた”Compagnia di Giesv"の最初の"G”は”C”の誤植である。 |
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