| HOME > 展示目録 > 第1部. 日本論としてのキリスト教布教報告書類 > 2.ポルトガル人が著してポルトガル国外で刊行された書物 |
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| 本書はイエズス会の宣教師が布教をおこなっていた東洋各地から、イエズス会総長やイエズス会関係者に宛てて発信された書簡を纏めたものである。収録されている内容は、当時のポルトガルの拠点で、イエズス会が東洋での活動の中心地としていたインドのゴアをはじめとして、東南アジアから日本へと広がっており、発信年も1553(天文22)年から1577(天正5)年へわたる24年間のものであることから、イエズス会の東洋布教初期の記録と言えよう。日本から発信された書簡は、1579年に東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(Alessandro Valignano, 1539-1606)が、同年より書簡を「年報」形式に改め、布教責任者が取り纏めて報告するという決定がなされる以前のものである。 この中には、医学に精通していたポルトガル人宣教師ルイス・デ・アルメイダ(Luis de Almeida, 1525-1583)が1566(永禄9)年10月に発信したものがあり、自らが持ち込んだ西洋医学が役立ち、五島の領主・宇久純定(うくすみさだ)の病を治癒させた経緯が書かれている。 また、日本布教長であったポルトガル人のフランシスコ・カブラル(Francisco Cabral, 1529?-1609)が1574(天正2)年5月31日にミヤコ(京都)より発信したものは、7年の日本滞在中にキリスト教徒は増え続けたが、まだ充分な布教活動ができていないため、宣教師の増員をインド管区長に要請している。 さらに、文筆家としても知られるポルトガル人のルイス・フロイス(Luis Frois, 1532-1597)は、1577(天正5)年までの出来事として豊後の領主大友義鎮(よししげ、後の宗麟(そうりん))の妻が一門の子息の受洗を嫌ったことから反キリスト教系の武将団とキリスト教系武将団との間に対立が生まれ、義鎮はこれを解決するが、結局義鎮自身が妻を離縁し自らの受洗にも繋がっていくことへの切っ掛けとなった所謂「親虎事件」の顛末を書き綴っている。 なお、標題紙にかかれた出版地Vinegiaはヴェネツィアのことである。 |
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