HOME > 展示目録 > 第1部. 日本論としてのキリスト教布教報告書類 > 1.ポルトガル人が著してポルトガル国内で刊行された書物



PINTO, Fernãm Mendez

Peregrinaçam
Lisboa, 1678.


ピント『遍歴記』

 フェルナン・メンデス・ピント(Fernâo Mendes Pinto, 1510-1583)は、ポルトガルのモンテモール・オ・ヴェリュで生まれた旅行家である。彼は本書で1537年頃に東インドへ渡航してマラッカで貿易商人となり、中国やアジア諸国を遍歴して日本にも数回来航したという。
 本書の内容のうち、我が国に関する部分はピントらによる所謂「日本発見」の部分と、豊後王国(大分県・大友領のこと)に関する部分、さらに琉球に関する部分である。「日本発見」について、ピントは中国のランパカウ(浪白奥)から彼を含む3人のポルトガル人が中国の海賊船に乗って航行中、暴風雨に遭遇して20日余の漂流ののちタニシュマ(種子島)に着き、領主ナウタキン(種子島時尭)に歓迎され、また3人の中のディオゴ・ゼイモトが鉄砲を贈ってその製法と使用法を領主に教えた、と本書に記述し、これがヨーロッパ人による初めての日本渡航であると主張している。このことに関しては、ポルトガル人の種子島漂着の年次を含めて多くの人々によって考察されてきたが未だ実証されておらず、現在ではピントが事実をねじ曲げたものと解されている。また、ピントは自分がアンジロウをザビエルに紹介したとしているが、こちらも事実ではない。しかし、ピントが本書で1544(天文13)年、1546(天文15)年、1551(天文20)年、1556(弘治2)年の計4回日本に渡航したとしていることは確実と見られており、この間の1551年にはフランシスコ・ザビエルにも面会し、彼とマラッカまで同船している。本書の後半部分ではザビエルについての記述が多く見られ、ピント自身がザビエルの葬儀を見てイエズス会に加入したとも述べられている。実際に彼は同会の修道士として1556(弘治2)年に来日したが、間もなく脱会し離日している。
 本書はピントが晩年に書いたもので、若き日の東洋放浪が記憶をたどって纏められ、初版は1614年に刊行された。細かな部分については誤りも多く、前述のようにピント自身の曲筆もあって史料としての限界はあるとされるが、ポルトガル人の東洋植民史や日葡交渉史を研究する上で意義のある書物と言えよう。
 なお、今年はピントが生まれて500年となる記念すべき年である。


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