マヌエル・デ・ファリア・イ・ソーザ(Manuel de Faria y Sousa, 1590-1649)は、ポルトガルの歴史家であり詩人でもあるが、作品の大半はスペイン語で書いている。14歳の頃から親戚であるポルトガル北部のオポルト司教の書記を務めながら勉学に励み、ローマ教皇庁大使となったカステロ・ロドリゴ(Castelo-Rodrigo )侯爵のもとで4年間をローマで過ごした。そこで詩人としての業績が認められ、ローマ教皇ウルバーヌス8世(Urbanus VIII, 1568-1644, 在位1623-1644)から表彰を受けている。なお、彼は1634年にマドリードへ戻り、没するまで同地で過ごした。彼の著作には、本書の他に“Europa Portuguesa” 、“Africa Portuguesa” などの歴史書、詩集としては“Fuente de Aganipe” などがある。また、ポルトガルの偉大な詩人カモンイス(Luís Vaz de Camões, 1524頃-1580)についての評論も出版している。
本書は著者の没後、息子ペドロ(Pedro)によって編集・出版されたもので、アジアにおけるポルトガルの進出について記述され、植民地の設立やアジア諸国の現状が述べられている。第2巻の第1部第11章に1543(天文12)年、3人のポルトガル人水夫が種子島に漂着したことに関する記載がある。それによると、水夫のうちの1人は旅行家として有名であったメンデス・ピント(Fernãm Mendez Pinto, 1510?-1583)であることが書かれており、おそらくファリア・イ・ソーザは、1614年に刊行されていたピントの“Peregrinaçam ”(『遍歴記』)を参考にしたものと考えられる。また、第3巻の第3部第22章には、日本におけるキリスト教の布教活動が記されている。 |