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2024/12/12 19:40:00 宇治市源氏物語ミュージアム館長に聞くー『源氏物語と今』ー【全文】vol.2

  • CategoryGAIDAI BIBLIOTHECA
  • Posted by付属図書館
平安時代の女性と学問

榎本:ではもう一つ、書かれたその巻がまず年代順になってないっていうのは何故かっていうところで。年代中に整理されたのはいつからなのか、紫式部本人が編集したのか、というのを知りたいなと。
家塚:それこそね『源氏物語』研究の大きなテーマですよね。
戸田:あ、そうなんですね。
家塚:書かれた順になってないっていうのは、そもそもどこから書いたかっていうのも、大きな問題であって。もう一つ言うと、『源氏物語とその作者たち』っていう本も出ているぐらいなので、『源氏物語』の作者が誰なのかっていうのも、大きな研究テーマなんです。わかりやすく言うと、宇治十帖を誰が書いたかとか。別人説っていうのは、ずっとあるんですね。あと玉鬘(たまかずら)十帖も別人説とか。大きな研究の課題だと思います。
戸田:解明されるのでしょうか。
家塚:いやあ、これは解明されたら面白くないかも知れないですね。
本当に、『源氏物語』の大きな課題というかテーマです。一般的には「帚木(ははきぎ)」くらいから書いて、「若紫」ぐらいまでは、ちょっと身近な話じゃないですか。出てくる人が別に光源氏じゃなくてもよくて、中流貴族の女性が、誰かに出会うみたいな話というのは、身近な話ですよね。それが全部光源氏になって、だんだん宮中の政治の世界になってくると、「女房が見た」。
榎本:(笑)
家塚:「桐壺」はどの時点で書いたのかとかもありますけど。「桐壺」は一条天皇と定子(ていし)の問題に注目されています。昔から「長恨歌(ちょうごんか)」だと言われています。だから「長恨歌」をベースに、一条天皇と定子の話を重ね合わせるというすごいですよね。一見、「長恨歌」風なんですけれど、いやいや時事ネタみたいな。
榎本:一条天皇はあれ読んだときどう思われたのかなと思いながら。
家塚:『紫式部日記』には『日本紀(にほんぎ)』をよく読んでいると一条天皇にほめられたと書いてあるし、漢籍を読んでいることもわかっている。「桐壺」の巻の構成や、和歌と定子の辞世の和歌が似ていることなどに注目され、「桐壺」はこのぐらい時期に書いたのかな、というのがわかってくる。パーツって言ったら変ですけれども、小さいことから全体が見えてくるっていうことでしょうか。
戸田:どっちにしても、「桐壺」は宮中に上がらなかったら書けなかったでしょうね。
家塚:書けなかったでしょうね。ベースとして、「長恨歌」を日本語訳しているところが、またうまいなって思いますね。源氏の中は白居易がすごく多い。ですから、これもやはり読者としてはくすぐられますよね。
榎本:一条天皇も漢詩読まれていますからね。この作者の女性ちょっと只者ではないなっていう。
戸田:あの時代の男性は、知識としては漢詩、漢文がベースですからね。
榎本:これまでの話に少し関連性はあるかと思いますが、千年前の、一条天皇を支えた女性たちのキャリアについて、どう思われますか。
家塚:女房にも、やっぱりいろいろクラスがあったり、働くきっかけっていうのがあるんですよね。これもそれこそ女性史とかジェンダーの研究の中でよく話題になりますけれども、あの時代の女性という自由だったのか不自由だったのかとか。
榎本:そうなんです、すごく気になります。
家塚:気になりますよね。やはり、学問というのは身を助けるというか、評価はされているだろうと思います。だからこれだけ、平安時代の女性の文学が盛んになった。
榎本:そうですね、本当その通りですね。学問は今でも身を助けるんでしょうね。
家塚:百人一首のちょうど真ん中ぐらい、みんな女性!って並んでいるじゃないですか。彼女たちは、受領(ずりょう)階級の育ちですよね。紫式部、清少納言、和泉式部。紫式部は学者の家でもあり、そういう環境にはありました。一方で、『紫式部日記』のあの書きっぷりで女子には学問はいらないとか、漢字読めないふりしているとか。でも、『源氏物語』の中でも、やはり皆さん賢く描いていますから。当時は結婚問題がありますから、親たちも、いかに賢くしようかと、女房たちに勉強をさせて。教育熱心ですよね。だから彰子にも。
榎本:紫式部をつけてっていう。
家塚:本当に。私はその中で言ったら、赤染衛門(あかぞめえもん)先生のサロンに入りたいです。あそこいい感じじゃないですか、いろいろと理解もあり。酸いも甘いもというところも含めて。だから、やはり皆さん賢く学んで、それがもう常識だったでしょうし。
あともう一つ、女性史などで、改めて注目されていますが、紫式部でも生没年がわからないんです。本名もわからない。でも、夫は藤原宣孝、お父さんは為時(ためとき)ということはわかっているんです。紫式部の娘は大弐三位(だいにのさんみ)、名前は賢子(けんし)です。何故わかっているかというと、賢子は後冷泉(ごれいぜい)天皇の乳母(めのと)になってるんですね、皇太子が天皇になったときに従三位(じゅさんみ)という位をもらってるんです。典侍(ないしのすけ)で、彼女は、国家公務員なんですね、歌人としては大弐三位。大弐っていうのは、太宰府の役人の官職なんですが、それは夫の官職で、彼女は従三位。「大弐三位」とは、夫の役職名と、彼女が持っている位のドッキングなんですね。典侍で従三位をもらっているから、記録に残る人なんですね。だから、賢子という名前もわかる。でも母は『源氏物語』を書いても、その公式記録には残らない。
戸田:あの時代の女性で名前が残っているって言ったら、それこそ。
榎本:奇跡みたいな。
戸田:宮中で高い位のお后になったか、あるいは宮中で位人臣を持っている人の奥さんになったとかじゃないと、名前残らないですね。
家塚:もし記録に残ろうと思ったら、やはり自分のキャリアで、国家公務員になると残るということを、紫式部と大弐三位でちょっと考えましたね。
  • 女性たちが囲碁を打つ様子
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