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25 ナポレオン戦争の影響、日本へも及ぶ。この時できた日蘭辞書

『通布字典(Doeff jiten)』

九冊(全十冊)天保四(1833)年

 一般には『ドゥーフ・ハルマ』、または『長崎ハルマ』と呼ばれている。ナポレオン戦争の影響を受けて帰国できなかったオランダの長崎商館長ヘンドリック・ドゥーフ(Hendrik Doeff, 1777-1835)は、徳川幕府のオランダ通詞の協力を得てハルマ(François Halma)の1729年刊の『蘭仏辞書』第2版をもとに日蘭辞書の作成に着手した。文化十三(1816)年には一部を脱稿したが、全部が完成したのは彼の帰国後の天保四(1833)年のことである。草稿は長崎奉行に献上され、幕府は通詞に訂正を加えさせて書写を命じた。活字本がないことから、大坂の適塾の塾生などは争って書写を行っている。しかし、後に桂川甫周が『和蘭字彙』として刊行することになる。
 なお、彼の出島滞在中、フランス統治下のオランダ領ジャワを攻略したイギリスのトーマス・ラッフルズ(Thomas Raffles, 1781-1826)は、かつて平戸で行われていた対日貿易の復活を目指して出島へ船を送るが、ドゥーフの知力によってこの計画が阻止された。この時期、オランダ国旗が翻っていたのは世界中で出島のオランダ商館だけであったといわれている。
 本館所蔵のものは、10巻本のうち第8巻が欠本になっている。
                           (26×19cm×9 vols.)

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