| HOME > 展示目録 > II. 日仏修好通商条約の締結後に刊行されたフランス人による書物(1900年まで) |
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| 著者タルニケは表紙と標題紙に記されているように、名誉司教座聖堂参事会員でギヨーム・クールテの出身の地であるセリニャンの司祭であるが、生没年など詳しいことはわからない。この伝記で紹介されているクールテは、江戸時代の初期に初めて来日したとされるフランス人で、日本で殉教した唯一人のフランス人宣教師である。 クールテは1590年頃にモンペリエー近くのラングドック・ルシヨン県にあるセリグナンで生まれた。少年時代をドミニコ会のコレージュで過ごし、トゥールーズの大学で学び十七歳頃にアヴィニョンのドミニコ会修道会に入った。司祭に叙階されたのちは、幅広い教養を生かして王立修道院で神学を教え、アヴィニョン修道院の院長として院内の改革を進めた。この時の力量がフランスの政界で認められ、同国とヨーロッパの宗教界との調整役なども務めている。また、この頃より東洋布教に関心を高め、トマス・デ・サント・ドミンゴと名前を改めてマドリッドに赴き、フランス大使の聴罪司祭としてイザベル王妃の知遇を得ている。やがて東洋へ向かう機が熟し、1634年にセビーリャを出発し、メキシコを経て翌1635年にマニラへ到着した。この地の聖トーマス大学で約一年間にわたっての神学を講じたが、日本から相次いでもたらされるキリスト教徒の殉教の報に接して自らも日本に渡ることを決意し、1637(寛永十四)年に琉球に上陸した。しかし、間もなく捕らえられて長崎へ送られ、厳しい拷問を受けて殉教した。長崎十六聖人の一人に数えられる。 本書は、初めて来日したフランス人ギヨーム・クールテを紹介した数少ない伝記で、日本国内での所蔵も少ない。 |
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