| HOME > 展示目録 > II. 日仏修好通商条約の締結後に刊行されたフランス人による書物(1900年まで) |
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| ベルナール・プティジャン(1829-1884)はパリ外国宣教師会司祭である。ブランジーという村に生まれ、オータン神学校を卒業して司祭になった。1859年にパリ外国宣教師会に入り、1860(万延元)年に那覇に着いた。1862(文久二)年に横浜に上陸し、翌年長崎に移った。同地ではルイ・フューレ神父が進めていた大浦天主堂の建築を助け、1865(元治二)年からは長崎奉行所でフランス語を教えていたが、この年に隠れキリシタンが発見され、復帰に尽力した。1866(慶応二)年には日本教皇代理に任ぜられ、翌年、日本での布教上の難問を報告するためローマに渡り、その後日本に戻ったが、1869(明治二)年にはヴァチカン公会議に出席するため再びローマに赴いている。 本書はプティジャンが日本とローマの往復時に、約二百七十年前の1595(文禄四)年にイエズス会宣教師と日本人信徒が協力して天草で印刷した『羅葡日辞典』をマニラで入手し、その辞書からポルトガル語を削除して日本語部分に訂正を加え、1870(明治三)年にローマで刊行したのが本書である。 その後のプティジャンは、1876(明治九)年に日本教区の分割要請のため三度目のローマ訪問を果たした。やがて教区が南緯・北緯の二教区に分離されたことにより、南緯代牧として大阪で活動していたが、長崎に移ってこの地で逝去し大浦天主堂に埋葬された。また、彼は日本で明治時代の初めから教書や理論書を彼の名のもとに発行することを許可しており、これらは「プティジャン版」と呼ばれ、その数は約六十種にのぼると言われている。 |
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