HOME > 展示目録 > II. 日仏修好通商条約の締結後に刊行されたフランス人による書物(1900年まで)


ロチの主な日本関係著作
 ピエール・ロチ(1850-1923)はフランス西南部ブルターニュ地方のシャラント・マリチム県ロシュフォールで生まれた。ロチは後に名乗ったペンネームであって、本名はルイ・マリ・ジュリアン・ヴィオー(Louis Marie Julien Viaud)という。十七歳で海軍兵学校へ入学し卒業後、海軍へ入り大佐にまで昇進している。この間、遠洋航海に出て見聞を広げると共に、立ち寄った先々で多くの恋愛も体験して多くの小説を著した。日本へは1885(明治十八)年にトリファント号の艦長として寄港。約一ヶ月にわたって長崎郊外に滞在して一人の日本女性と過ごした日々を『お菊さん』として発表した。また、再び来日して京都や東京、日光を旅して『秋の日本』を記し、フランスやヨーロッパで我が国の風俗や文化を紹介した。しかし、『お菊さん』の随所に見られる日本を蔑視したとも思われる表現については、当時のフランス国内の知日派であったフェリックス・レガメーが、『お菊さんのバラ色のノート』を発表してロチに対して強い反感を示した。ところが、フランス国内では彼の印象的な表現とエキゾチックな雰囲気が好まれた。『お菊さん』から十五年後に来日して書き上げた『お梅さんの三度目の春』を含め、その生涯に四十篇もの作品を残した。こうしたことから、フランス文学者としての最高の栄誉であるアカデミー・フランセーズ会員の地位が与えられ、逝去した際には国葬が営まれたといわれる。

LOTI, Pierre
Japoneries d'automne
Paris, 1893.


『秋の日本』

 1885(明治十八)年の秋にロチが長崎を離れ、軍務で訪れていた中国から戻った時期に書いた紀行文である。京都や東京、日光で見たことを1886年からフランスの雑誌に掲載し、それを纏めて刊行したもの。東京で参加した鹿鳴館の舞踏会を日本と十八世紀フランスの混合したものと捉えるなど、文明開化の時代を批判的に見ている。初版は1889年である。
 本書は1893年に刊行された三十版であり、そののち更に多くの版が重ねられている。


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