| HOME > 展示目録 > I. ヨーロッパに流布していた日本関係書物のフランス語版と来日経験がなかったフランス人による書物(1857年まで) |
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| この書簡を書いたルイ・テオドル・フューレ(1816-1900)はパリ外国宣教師会の宣教師である。フランス西北部マイエンヌ県のコメールという町で生まれた。1839年に司祭となり、1852年に香港へ到着している。1855(安政二)年にはプリュダンス・ジラールとメルメ・カションの二人の宣教師と共に琉球へ渡ったが、当時の社会状況下で宣教活動ができず、日本語の勉強を始めた。日仏修好通商条約締結後の1863(文久二)年に長崎へ上陸して大浦に司祭館を建て、1865(元治二)年に彼が設計した大浦天主堂が完成した。一旦帰国したが、長崎でキリスト信徒が発見されたことを聞き、再来日した。その後、横須賀に移り、造船所で働くフランス人たちの司祭となり、1869(明治二)年に帰国した。 書簡を受けたレオン・ド・ロニーは、フランスの東洋学者である。はじめは中国に関心を持ち東洋語学校で中国語を学んだが、後に日本語を学びはじめ、日本研究者となった人物で、幕末から明治にかけて渡仏した日本人の多くが彼に面会している。 この書簡が印刷された1857年はフューレが琉球に滞在していた時期であり、この書簡が刊行されるにあたって付けられた書名も日本とせずに「日本列島」となっている。内容も琉球には日本語に近い方言のみが存在していることや、琉球語の母音が変化する音が日本語の古い音であることが多いとする説などをロニーに書き送っていた。 |
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