1979年、調査が終わりに近づいた頃、墓から出土した遺物を村から出さないにはどうしたらよいか村人たちと何度も話し合った。
 『...墓から出土した遺物を村から持ち出させないためには、そのための施設、博物館が必要であろう。計画はそこから始まった・・・・・・計画の骨子は、遺跡の保存と遺跡周辺にタラスコ高地の伝統的風景の復元をすること、伝統的生活様式と伝統産業の保存をはかり・・・土地は隣接する中学校の一部を譲り受けることが内定していた。けれども資金だけがなかった・・・その土地にタラスコ高地の伝統的木造家屋を買い集め・・・それら周辺には、この地方特有の植物を植え・・・木造家屋の内外で伝統工芸-仮面彫刻、車輪作り、刺繍など-の実演を行う。博物館には・・・タラスコ風の木造家屋を新築し、展示に必要な空間を得る。そして、この博物館区域と遺跡を、何本かの小道で結び、その小道にも何か工夫する。なかなか魅力的で楽しい計画だった』
(大井邦明『ピラミッド神殿発掘記』朝日選書より)。
 計画はずっと生き続け、今度の遺跡博物館建設はそれに更なる一頁を加えることになるであろう。