フランス人ミシェル・ルヴォン(1867-1947)はスイスのジュネーブにフランス人の父とスイス人の母の間に生まれた。父親はジュネーブからフランス国境を越えたサボア県の町アヌシー(Annecy)にある博物館の館長を務めていた。ルヴォンはこのアヌシーとはさほど遠くない距離にあるグルノーブル大学を卒業して法学博士の学位を得ている。その後、ジュネーブ大学で教鞭をとるなど、スイスとの国境を挟んで活動していた。また、パリに出て検事局に勤め、法律家としての経験を重ねていた。このような折に、グルノーブル大学で教えた経験を持つお雇い外国人のギュスターヴ・エミール・ボアソナードが、自分の後任にルヴォンを推挙したことから、ルヴォンは1893(明治二十六)年に東京帝国大学法科大学の教員として来日し、司法省の法律顧問も兼務することになった。彼は本務の傍ら、和仏法律学校(法政大学の前身)で法律学を教えながら、自ら日本の文化にも関心を示して滞在中から幾つかの研究書を著した。1896(明治二十九)年に一旦帰国して、パリ大学に「北斎研究」と「日本の華道」の二つの研究論文を提出して文学博士号を得ている。その後、再来日して契約期間が終了するまで職務を果たした。任期の満了した1899(明治三十二)年に帰国してパリ大学(ソルボンヌ)で日本文学の教鞭をとり、後に教授となった。日本が第二次世界大戦で敗れて二年後の1947(昭和二十二)年にパリ郊外で死去した。
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