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2018年度ノーベル文学賞はポーランド人作家のオルガ・トカルチュク氏が受賞しました。 | |||
2019年度ノーベル文学賞はオーストリア人作家・劇作家のペーター・ハントケ氏が受賞しました。 |
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京都外国語大学付属図書館
京都外国語短期大学付属図書館 | |||
ノーベル賞は1901年に初めての賞が授与されて、2001年で100周年を迎えています。中でも文学賞は、戦争などで受賞者がなかった年、さらには複数で選ばれた年もありますが、受賞辞退者を含めて受賞決定者は2003年で丁度100人を数えました。 この文学賞では、受賞者に関わる国や地域に住む人たちの社会や文化を反映した作品を評価されることが多く、世界の人々の理解と平和希求に大きく貢献してきたものであります。 こうしたことから、本学図書館のこの所蔵データベースを通じて、多くの方々に「国と言葉の境界を越えて人々を結びつける世界文学」と言われるノーベル文学賞の受賞者作品を読んでいただければ幸いと存じます。 スウェーデンが誇るアルフレッド・ノーベル氏の偉業と栄えあるノーベル賞の伝統に敬意を表しながら。 |
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日本人ノーベル賞受賞者と関係図書 | |||
(2003年12月) | |||
このデータベースが紹介された新聞記事(「報道にみる本学図書館」)へ 平成17(2005)年10月26日(水)の記事 平成15(2003)年12月10日(水)の記事 |
受賞者インデックス | ノーベル賞関連の図書検索 | 収録と記述について |
1901年度受賞 | ||||||
シュリ・プリュドム | Prudhomme, Sully | (フランス、1839-1907) | ||||
パリの商人の子に生まれ、詩作の道に入る。高踏派の立場から『詩賦集』(1865)を発表して認められたが、道徳や思想、さらには表現性の面で 高踏派を超えた詩のあり方を追求し、叙情詩『幸福』(1888)などで良心や自己犠牲など精神性の高い詩を残した。 | ||||||
1902年度受賞 | ||||||
テオドール・モムゼン | Mommsen, Christian Matthias Theodor | (ドイツ、1817-1903) | ||||
歴史学者で文学賞を受けたのは、この人物だけである。ライプチヒ大学教授や下院議員を務め、ドイツ統一でビスマルクと対立。多くの名著があり、 『ローマ史』(1854-1885)は4巻を未刊として5巻が出た異例のものであるが評価は高く、当時のローマ研究の第一人者とされる。 | ||||||
1903年度受賞 | ||||||
ビョルンスチアーネ・ビョルンソン | Bjørnson, Bjørnstjerne Martinus | (ノルウェー、1832-1910) | ||||
19世紀のノルウェーを代表する詩人で、祖国を称えた国歌を作詞するなど、国民詩人と呼ばれている。スウェーデンとの同君連合からの独立運動 や少数民族の解放に尽力。『日向丘の少女』(1857)や戯曲『破産』(1875)などを発表して大好評を博した。 | ||||||
1904年度受賞 | ||||||
フレデリック・ミストラル | Mistral, Frédéric | (フランス、1830-1914) | ||||
南フランス・プロバンス地方の詩人。出身地の言語と文化を保護するために活動し、プロバンス語で悲恋を扱った叙事詩『ミレイユ』(1859)を発表し て好評となり、後にオペラ化された。さらに、言語・風俗事典『フェリブリージュ宝典』(1864)があり、南フランスが大きく注目されるようになった。 | ||||||
ホセ | ホセ・エチュガライ・イ・エイサギレ | Echegaray y Eizaguirre, José | (スペイン、1832-1916) | |||
劇作家。数学、物理学、経済学に精通し政治家としても活躍する。劇作家としては『割符帳』(1874)の他、多くの作品を発表し、演劇部門のロマン派 最後の代表者とされる。『恐ろしいなかだち』(1881)は、筋立ても上手く彼の代表作といわれている。 | ||||||
1905年度受賞 | ||||||
ヘンリク・シェンキェヴィチ | Sienkiewicz, Henryk | (ポーランド、1846-1916) | ||||
小説家。ロシア占領下のポドリア地方に生まれ、ワルシャワ大学卒業後、新聞社に入り、アメリカ特派員を務めた。17世紀のコサックやスウェーデン に対する母国の闘争の歴史を描いた『火と剣とをもって』全4巻(1885)など3部作は広く国民に愛読された。 | ||||||
1906年度受賞 | ||||||
ジョズエ・カルドゥッチ | Carducci, Giosuè | (イタリア、1835-1907) | ||||
詩人、古典文学者。学識を請われボローニャ大学教授となる。『青春の季』(1850-1860)や『魔王賛歌』で反カトリックの姿勢をとっていたが、『新韻 集』(1861-1886)や『擬古詩集』(1877-1889)が高い評価を受け、ノーベル文学賞を受賞した。元老院議員も務めた。 | ||||||
1907年度受賞 | ||||||
ラドヤード・キップリング | Kipling, Rudyard | (イギリス、1865-1936) | ||||
イギリス領インドのボンベイで生まれた小説家。イギリス本国で教育を受けたのちインドへ渡り、この地を舞台にした作品が人気を博した。『ジャング ル・ブック』(1894)は特に有名。『兵営の歌』(1892)でバイロンやテニソンの名声を上回り、桂冠詩人に推された。 | ||||||
1908年度受賞 | ||||||
ルドルフ・オイケン | Eucken, Rudolf Christoph | (ドイツ、1846-1926) | ||||
哲学者。バーゼル大学とイエナ大学の教授を務めた。西ヨーロッパの資本主義が帝国主義に変化する中で、ブルジョア思想の代表的存在とされる。 『意識における精神生活の統一と人間性の行為』(1888)、『生の意味と価値』(1908)など生の哲学を述べた。 | ||||||
1909年度受賞 | ||||||
セルマ・ラーゲルレーヴ | Lagerlöf, Selma Ottilia Lovisa | (スウェーデン、1858-1940) | ||||
小説家。教師を務めながら『イエスタ・ベルリング物語』(1891)を書いた。この成功に続き『地主屋敷の物語』(1899)や『エルサレム』(1901-1902)な ど、創造性のある説話や童話を発表してスウェーデンを代表する作家となり、女性で初のノーベル賞受賞者となった。 | ||||||
1910年度受賞 | ||||||
パウル・ハイゼ | Heyse, Paul Johann Ludwig | (ドイツ、1830-1914) | ||||
小説家、劇作家、詩人。ギリシャ語、ラテン語などが堪能で、ロマン主義に立脚した優雅で華やかな筆致で優れた短編小説『ララビアータ』(1855) や戯曲『コルベルク』(1868)を発表した。特に、短編小説には定評がある。 | ||||||
1911年度受賞 | ||||||
モーリス・メーテルリンク | Maeterlinck, Count Maurice (Mooris) Polidore Marie Bernhard | (ベルギー、1862-1949) | ||||
詩人、劇作家。法律を学び弁護士も務めた。戯曲『マレーヌ王女』(1889)がシェイクスピアを超える表現力として好評を得、その後『モンナ・バンナ』 (1902)など多くの秀作を発表した。中でも、童話劇『青い鳥』(1908)は子供たちに大きな夢を与え、現在でも世界で多く読まれている。 | ||||||
1912年度受賞 | ||||||
ゲルハルト・ハウプトマン | Hauptmann, Gerhart Johann Robert | (ドイツ、1862-1946) | ||||
劇作家、小説家。イエナ大学で歴史と哲学を専攻する。戯曲『日の出前』(1889)が近代自然主義演劇として認められた。その後『ハンネレの昇天』 (1895)や『カルル大帝の人質』(1908)など多くの作品を書く中で、ロマン主義から古典主義的な傾向に移ったといわれている。 | ||||||
1913年度受賞 | ||||||
ラビンドラナート・タゴール | Tagore, Rabindranath | (インド、1861-1941) | ||||
有名なベンガル語詩人で文学者、思想家の子としてカルカッタ(現コルカタ)で生まれた。イギリスで教育を受け、帰国して村人たちと交流を持ちな がら『ギーターンジャリ』(1910)を刊行して英訳し、ノーベル賞を受賞した。宗主国イギリスからナイトの称号を贈られたが、アムリッツァル大虐殺に 抗議して返還した。 | ||||||
1914年度 | ||||||
受賞者無し | ||||||
1915年度受賞 | ||||||
ロマン・ロラン | Rolland, Romain | (フランス、1866-1944) | ||||
小説家、劇作家、評論家。ブルゴーニュ地方で生まれ、エコール・ノルマルで歴史学を学ぶ。『ジャン・クリストフ』(1912)の発表で評価され、スイスで 平和運動に従事しながら刊行した『戦いを超えて』(1915)が認められノーベル文学賞の受賞に繋がった。理想主義的立場から反ファシズムを貫き、 ノーベル賞の賞金は赤十字社などに寄付された。 | ||||||
1916年度受賞 | ||||||
ヴェルネル・フォン・ハイデンスタム | Heidenstam, Carl Gustaf Verner von | (スウェーデン、1859-1940) | ||||
詩人。小説家。画家として出発するが、家業の農場経営に携わりながら詩作の道に入った。東洋旅行の経験を詩集『巡礼と放浪の歳月』(1888)とし て発表の後、『詩集』(1895)や『カール王の軍兵』(1897-1898)などで国民的詩人と目された。第二国歌『スウェーデン』は彼の作詞である。 | ||||||
1917年度受賞 | ||||||
カール・ギェレルプ | Gjellerup, Karl Adolph | (デンマーク、1857-1919) | ||||
小説家。牧師の子に生まれ神学を修めたが、後にキリスト教から離れ無神論的ヒューマニストとなる。『一理想主義者』(1878)でその考えを明らかに し、ヨーロッパの数々の文学者の精神や東洋の仏教仏教思想も研究するなど、幅広い思考を多くの作品に表した。 | ||||||
ポント | ヘンリク・ポントビダン | Pontoppidan, Henrik | (デンマーク、1857-1943) | |||
小説家。牧師の子として生まれたが、聖職に就かずに土木工学を専攻した。教師を経て文学の道に入り、自然主義の立場から『約束の土地』全3巻 (1891-1895)や『死者の国』全2巻(1912-1916)を発表し、社会矛盾を明らかにすることで弱者から支持された。 | ||||||
1918年度 | ||||||
受賞者無し | ||||||
1919年度受賞 | ||||||
カール・シュピッテラー | Spitteler, Carl Friedrich Georg | (スイス、1845-1924) | ||||
詩人。小説家。バーゼル大学で法律と神学を修めた。ロシアやフィンランド滞在を経て、英雄悲劇的世界観とされる叙事詩『プロメテウスとエピメテ ウス』(1881)を世に出した。また、自伝的小説『イマーゴ』(1906)は後にフロイトやユングの精神分析学の対象ともなった。 | ||||||
1920年度受賞 | ||||||
クヌート・ハムスン | Hamsun, Knut Pedersen | (ノルウェー、1859-1952) | ||||
劇作家、詩人。幼い時から苦労を重ね、アメリカに渡り多くの職業に就き、帰国後、物質文明を批判している。『飢え』(1890)を発表後、一大叙事詩と される『土の恵み』(1917)で世界的に有名になった。ノーベル賞受賞後ナチスに協力し戦後、戦犯として財産を没収、失意のうちに逝去した。 | ||||||
1921年度受賞 | ||||||
アナトール・フランス | France, Anatole | (フランス、1844-1924) | ||||
作家、批評家。パリの古書籍商の子。高踏派詩人の影響を受けた『黄金詩集』(1873)を経て、『シルベストル・ボナール』(1881)を発表して認められ るようになった。また、新聞で連載された批評は『文芸生活』全4巻(1888-1892)として、印象批判の立場を貫き好評を博した。広い学識に基づく洗練 された筆致が特徴である。 | ||||||
1922年度受賞 | ||||||
ハシント・ベナベンテ | Benavente, Jacinto | (スペイン、1866-1954) | ||||
劇作家。マドリードで医者の子として生まれた。マドリード大学中退後、芸人一座を組織してヨーロッパを興行。三角関係をテーマにした『他人の巣』 (1894)で評価され、上流社会を風刺する『土曜の夜』(1903)や田舎の封建性を描いた『奥様』(1908)などで、スペイン演劇界の発展に貢献した。 | ||||||
1923年度受賞 | ||||||
ウィリアム・バトラー・イェイツ | Yeats, William Butler | (アイルランド、1865-1939) | ||||
詩人、劇作家。ダブリン郊外で生まれ、ロンドンへ移住する。画家である父の影響から絵を学んだが、ロマン派詩人として『アシーンの放浪とその他 の詩』(1889)が認められた。アイルランド文芸復興運動を進め、上院議員も務めた。詩集『塔』(1928)は現代詩の源流と評価が高い。 | ||||||
1924年度受賞 | ||||||
ヴワディスワフ・レーモント | Reymont, Wladyslaw Stanislaw | (ポーランド、1867-1925) | ||||
小説家。コベレベルケの農村に生まれ、旅役者として演劇の道を進んだが、ルポルタージュ『ヤスナ・ゴーラへの巡礼』(1895)で評価された。自然 主義的リアリズムに立脚した『喜劇女優』(1896)や『約束の地』(1899)を経て書いた『農民』全4巻(1902-1909)は、彼の名を世界へ知らしめた。 | ||||||
1925年度受賞 | ||||||
ジョージ・バーナード・ショー | Shaw, George Bernard | (イギリス、1856-1950) | ||||
劇作家。ダブリンに生まれ、ロンドンに移った。戯曲『男やもめの家』(1891)が好評をえて、その後、『悪魔の弟子』(1897)など50編の戯曲を残した。 注目を浴びることを好み、辛辣な風刺と皮肉が持ち味とされ、軽妙な表現をとることから説得力に欠ける文章もあると言われている。 | ||||||
1926年度受賞 | ||||||
グラツィア・デレッダ | Deledda, Grazia | (イタリア、1871-1936) | ||||
女流小説家。サルデニーア島で生まれ、独学で才能を開かせた。『サルデニーアの花』(1892)など、故郷の農民を扱う作品をヒューマニズムと郷土 色を交えて表現し、ベリズモ(イタリア・リアリズム)文学を代表する一人とされている。『エリアス・ポルトル』(1903)が代表作。 | ||||||
1927年度受賞 | ||||||
アンリ・ベルグソン | Bergson, Henri | (フランス、1859-1941) | ||||
思想家、哲学者。ユダヤ系ポーランド人としてパリで生まれた。エコール・ノルマルで学び、『意識の直接与件に関する試論』(1889)を発表して、コレ ージュ・ド・フランスの教授となり、唯心論を唱える。国際連盟の知的協力国際委員会委員や政府特使も務め、第一次世界大戦へのアメリカの参戦を 促した。 | ||||||
1928年度受賞 | ||||||
シグリ・ウンセット | Undset, Sigrid | (ノルウェー、1882-1949) | ||||
女流作家。デンマークのカルンボア生まれ。オスロで苦労した生活を送り、その間『マルタ・ウーリー夫人』(1907)を書いた。その後の『イェンニィ』 (1911)によって、北欧の新リアリズム文学の誕生として国外でも認められた。宗教を扱った歴史小説『オラーブ・アウドゥンスソン』(1925-1927)が有名。 | ||||||
1929年度受賞 | ||||||
トーマス・マン | Mann, Thomas | (ドイツ、1875-1955) | ||||
小説家。リユーベックの生まれ。自然主義に影響を受けた短編『転落』(1894)が認められ、長編『ブッデンブローク家の人々』(1901)が人気を呼ん だ。さらに、『ベニスに死す』(1913)や『魔の山』(1924)では極めて高い評価を得た。ナチス政権の時代は、反ファシズムの立場をとりアメリカへ亡命 した。 | ||||||
1930年度受賞 | ||||||
シンクレア・ルイス | Lewis, Sinclair | (アメリカ、1885-1951) | ||||
小説家。エール大学を卒業後、『本町通り』(1920)でアメリカ中西部の保守的因習を風刺した。その後、中産階級をテーマにした『バビット』(1922)で 作家としての地位を不動のものとしている。また、『エルマー・ガントリー』(1927)は宗教界の矛盾を描いたもので、写実主義的作風を得意とする彼の 代表作となった。 | ||||||
1931年度受賞 | ||||||
エリク・アクセル・カールフェルト | Karlfeldt, Erik Axel | (スウェーデン、1864-1931) | ||||
詩人。ダーラナ地方で生まれ、ウプサラ大学を卒業。新ロマン派の立場から、生地ダーラナを題材にした叙事詩『フリードリンの歌』(1898)や代表作 となった『フリードリンの楽園』を発表し、国民に愛された。選ぶ立場にあったことから固辞し続けていたノーベル賞を死後、受賞した。 | ||||||
1932年度受賞 | ||||||
ジョン・ゴールズワージイ | Galsworthy, John | (イギリス、1867-1933) | ||||
劇作家、小説家。オックスフォード大学で法律を学び弁護士となるが、やがて文筆活動をはじめ、小説『資産家』(1906)が認められた。戯曲では『銀 の箱』(1906)が上演されて劇作家としての道を開いた。『フォーサイト家の記録』といわれる一連の作品は、歴史的な記録として重視されている。 | ||||||
1933年度受賞 | ||||||
イワン・アレクセーヴィチ・ブーニン | Bunin, Ivan Alekseyevich | (旧ソ連、1870-1953) | ||||
詩人、小説家。ロシアの貴族の子に生まれたが、没落してモスクワ大学中退。伝統的な古典派詩人として『落葉』(1901)を発表してプーシキン賞を 受ける。その後、ロシア・リアリズムの立場から『村』(1909-1910)や『サンフランシスコから来た紳士』(1915)などを発表し、フランスに亡命した。 | ||||||
1934年度受賞 | ||||||
ルイジ・ピランデッロ | Pirandello, Luigi | (イタリア、1867-1936) | ||||
劇作家、小説家。シチリア島に生まれ、ローマ大学やボン大学で学んだ。初期は『楽しい悪』(1889)や『愛なき愛』(1894)などベリズモ(イタリア・リア リズム)文学の立場から作品を書いたが、やがて現実的な作風に代わり戯曲『作者をさがす六人の登場人物』(1920)における「劇中劇」の手法で有 名になった。 | ||||||
1935年度 | ||||||
受賞者無し | ||||||
1936年度受賞 | ||||||
ユージン・オニール | O'Neill, Eugene Gladstone | (アメリカ、1888-1953) | ||||
劇作家。アイルランド系移民の子としてニューヨークで生まれた。プリンストン大学を中退して文筆活動をはじめ、『カーディフさして東へ』(1916)や 『地平線の彼方』(1920)が人気を博し、その後ピュリッツァー賞も受賞している。アメリカ演劇界に近代性をもたらした人物として注目された。 | ||||||
1937年度受賞 | ||||||
ロジェ・マルタン=デュ=ガール | Martin du Gard, Roger | (フランス、1881-1958) | ||||
小説家。パリ郊外で生まれた。エドール・デ・シャルト(国立古文書学院)を卒業。『ジャン・バロワ』(1913)で認められたが、第一次世界大戦に召集さ れた。戦後、20年を要した大河小説『チボー家の人々』(1936)を発表して高く評価され、人気を揺るぎないものとした。 | ||||||
1938年度受賞 | ||||||
パール・バック | Buck, Pearl | (アメリカ、1892-1973) | ||||
女流小説家。ウェストバージニアで生まれ、宣教師の両親と共に中国に渡り、同地に長く滞在した。『東の風、西の風』(1930)で東西文明の融和を 願い、さらに代表作となった『大地』(1931)でピュリッツァー賞を受賞した。 | ||||||
1939年度受賞 | ||||||
フランス・エーミル・シランペー | Sillanpää, Frans Eemil | (フィンランド、1888-1964) | ||||
小説家。ハメーンキュロに生まれ、大学で生物学と植物学を学んだ。『人生と太陽』(1916)で高い芸術性が評価され、続く『聖惨』(1919)では内戦に 巻き込まれた農民を描き、代表作となった。彼の作品の幅は広く、心理小説『ヒルトゥとラグナル』(1923)や神秘的な内容を持つ『若く逝きし者』(1931) などがある。 | ||||||
1940年度 | ||||||
受賞者無し | ||||||
1941年度 | ||||||
受賞者無し | ||||||
1942年度 | ||||||
受賞者無し | ||||||
1943年度 | ||||||
受賞者無し | ||||||
1944年度受賞 | ||||||
ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン | Jensen, Johannes Vilhelm | (デンマーク、1873-1950) | ||||
小説家。ヒンメルラン地方で生まれ、コペンハーゲン大学で薬学を学んだ。『ヒンメルラン短編集』全3巻(1898-1910)で故郷を描いて人気を博した。 また、『長い旅』全6巻は文化史小説といわれ、彼の名は国外でも有名になった。郷土文学の指導者として文学改革を提唱している。 | ||||||
1945年度受賞 | ||||||
ガブリエラ・ミストラル | Mistral, Gabriela | (チリ、1889-1957) | ||||
女流詩人で外交官。最初は教職につき、詩集『悲嘆』(1922)によって才能が認められた。その後、『破壊』(1938)や『ぶどう桶』(1954)など、人間の 愛と苦悩を表現した作品を発表した。教育家として、メキシコに招かれ教育改革にもあたった。ノーベル賞の受賞はラテンアメリカで初めてである。 | ||||||
1946年度受賞 | ||||||
ヘルマン・ヘッセ | Hesse, Hermann | (スイス、1877-1962) | ||||
詩人、小説家。カルフで牧師の子に生まれた。神学校を退学して詩人となり、詩集『ロマン的な歌』(1899)や詩文集『ヘルマン・ラウシャー』(1901)を 経て、『ペーター・カーメンチント』(1904)で名を高めた。二つの世界大戦には一貫して反戦の立場を貫き、平和を唱えた。 | ||||||
1947年度受賞 | ||||||
アンドレ・ジード | Gide, André | (フランス、1869-1951) | ||||
小説家。パリ大学の教授の子に生まれた。恋愛小説『アンドレ・ワルテルの手記』(1891)を自費で出版。また、アフリカ旅行で得た経験を『地の糧』 (1897)に著した。『狭き門』(1909)は好評を博し、彼の代表作と見なされるようになった。その後、共産主義に転向したが、ソ連の現実に落胆してこの 見地からも離れた。 | ||||||
1948年度受賞 | ||||||
トーマス・スターンズ・エリオット | Eliot, Thomas Stearns | (イギリス、1888-1965) | ||||
詩人、評論家。アメリカで生まれた。ハーバード大学、パリ大学、オックスフォード大学や大学院で、文学、哲学、心理学などを身に付け、イギリスに 帰化した。詩『荒地』(1922)を文芸誌に発表して有名になり、詩劇『大聖堂の殺人』(1935)などで用いた新手法で「現代詩劇の先駆者」といわれた。 評論集に『聖なる森』がある。 | ||||||
1949年度受賞 | ||||||
ウィリアム・フォークナー | Faulkner, William | (アメリカ、1897-1962) | ||||
小説家。ミシシッピ州に生まれ、詩集『大理石の牧神』(1924)で文壇に上がり、小説『兵士の報酬』(1926)を発表。架空の町を舞台にした連作『響き と怒り』(1929)や『アブサロム、アブサロム!』(1936)などで名を高め、ノーベル賞を受賞。また、『寓話』(1952)ではピュリッツァー賞も受賞している。 | ||||||
1950年度受賞 | ||||||
バートランド・ラッセル | Russell, Earl Bertrand Arthur William | (イギリス、1872-1970) | ||||
哲学者、思想家、数学者。子爵の子に生まれ、ケンブリッジ大学を卒業。母の死からピューリタンである叔母の影響を受けて育ち、生涯に渡り道義 的な思想を貫いた。若き頃には、マルクス主義に理解を示しながら、第一次世界大戦下で平和運動を進めた。多くの著作を持つが、自由恋愛の理論 を『結婚と道徳』(1929)で示している。 | ||||||
1951年度受賞 | ||||||
ペール・ラーゲルクヴィスト | Lagerkvist, Pär Fabian | (スウェーデン、1891-1974) | ||||
詩人、劇作家、小説家。ベックシェーに生まれ、ウプサラ大学を卒業。『人間』(1912)などを経て発表した詩集『不安』(1916)は、表現派としての才能 を強く印象付けたもので、多くの人に認められた。代表作とされる『バラバ』(1950)など、宗教的な内容を持つものの評価が高い。 | ||||||
1952年度受賞 | ||||||
フランソワ・モーリヤック | Mauriac, François | (フランス、1885-1970) | ||||
小説家。ボルドー大学卒業。詩集『合掌』で才能を示したが、小説の世界へと移り『愛の砂漠』(1925)や『テレーズ・デスケイルー』(1927)で小説家と して認められるようになった。心理主義的リアリズムの表現手法を特徴としており、戯曲『愛されぬ人々』(1945)や評論『内面の記録』(1959)もある。 | ||||||
1953年度受賞 | ||||||
ウィンストン・チャーチル | Churchill, Winston Leonard Spencer | (イギリス、1874-1965) | ||||
軍人。政治家。第一次世界大戦では海軍相となり、第二次世界大戦ではチェンバレンの後を継いで首相に就任してドイツと戦った。また、戦後も首 相を務めた。著作に『マラカンド野戦軍記』(1898)や『世界の危機』全4巻(1923-1931)、さらには有名な『第二次世界大戦回顧録』全6巻(1984-1954) などがある。 | ||||||
1954年度受賞 | ||||||
アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ | Hemingway, Ernest Miller | (アメリカ、1899-1961) | ||||
小説家。シカゴ郊外で生まれる。新聞記者を経て第一次世界大戦に従軍。戦後、再び新聞社に勤めフランスに駐在。『日はまた昇る』(1926)や『武 器よさらば』(1929)で作家として不動の地位を確立した。また、『誰がために鐘は鳴る』(1940)や『老人の海』(1952)などで、叙事性や芸術性を示して いる。 | ||||||
1955年度受賞 | ||||||
ハルドール・キリヤン・ラックスネス | Laxness, Halldór Kiljan | (アイスランド、1902-1998) | ||||
小説家。レイキャビックで生まれ、後に移り住んだラクスネスの地をペンネームとした。17歳で『自然の子』(1919)を発表して才能を示したが、すぐに 海外に渡り多くの職業を経験した。帰国して『サルカ・バルカ』全2巻(1931-1932)で作家として認められた。『アイスランドの鐘』全3巻(1943-1946)は国 民的小説である。 | ||||||
1956年度受賞 | ||||||
ホアン・ラモン・ヒメネス | Jiménez, Juan Ramón | (スペイン、1881-1958) | ||||
詩人。アンダルシア地方のモゲールで生まれ、内戦を避けてキューバやアメリカ、プエルトリコに移った。『すみれの心』(1900)など初期の詩は、華 やかな芸術感覚を取り入れたものであったが、代表作『プラテーロと私』などでは純粋詩を目指し、スペインやラテンアメリカの詩の世界に大きな影響 を与えた。 | ||||||
1957年度受賞 | ||||||
アルベール・カミュ | Camus, Albert | (フランス、1913-1960) | ||||
小説家、劇作家。旧フランス領のアルジェリアで生まれ、アルジェ大学で哲学を修めて新聞記者となった。第二次世界大戦ではレジスタンスにも加 わっている。有名な『異邦人』(1942)の発表後、人間の不条理さを示した評論の『シーシュポスの神話』(1942)や『反抗的人間』(1951)はサルトルとの 論争を呼んでいる。 | ||||||
1958年度受賞(辞退) | ||||||
ボリス・レオニドビッチ・パステルナーク | Pasternak, Boris Leonidovich | (旧ソ連、1890-1960) | ||||
詩人、小説家。モスクワ大学哲学科卒業。詩集『雲の中の双生児』(1914)でデビューし、『わが妹―人生』(1922)や『スペクトルスキー』(1932)などの 文学活動を行ったが、革命後の一時期、芸術的良心を守るとして創作活動を中止。長編小説『ドクトル・ジバゴ』(1957)はソ連国内では発表できず、 イタリアで刊行したもの。1958年ノーベル賞辞退。 | ||||||
1959年度受賞 | ||||||
サルヴァトーレ・クァジーモド | Quasimodo, Salvatore | (イタリア、1901-1968) | ||||
詩人。シチリア島モディカ生まれ。ローマ大学工学部を中退して建設省の技師となる。『水と土』(1930)などの初期の作品は、故郷を舞台にしたもの が多い。『そしてもうすぐ日暮れがくる』(1942)など、第二次世界大戦中に作られた作品は反ファシズム抵抗運動の「抵抗詩」としての要素を持っている。 | ||||||
1960年度受賞 | ||||||
サン=ジョン・ペルス | Perse, Saint-John | (フランス、1887-1975) | ||||
詩人。西インド諸島で生まれ、ボルドー大学を卒業。外交官を務めながら詩集『讃歌』(1911)や『遠征』(1924)を発表した。ドイツ軍のパリ占領と共に アメリカに亡命し、後に帰国して『年代記』(1959)を出した。雄大で幻想的な詩風を特徴としている。 | ||||||
1961年度受賞 | ||||||
イヴォ・アンドリッチ | Andric, Ivo | (旧ユーゴスラビア、1892-1975) | ||||
詩人。ボスニアで生まれ、グラーツ大学を卒業。同大学で博士号を取得し、外務省に勤務する。ドイツ軍のベオグラード占領で、引退して詩作に専 念する。『ドリナの橋』(1945)や『ボスニア物語』(1945)、『呪われた中庭』(1954)などの叙事詩を発表している。 | ||||||
1962年度受賞 | ||||||
ジョン・スタインベック | Steinbeck, John | (アメリカ、1902-1968) | ||||
小説家。カリフォルニアに生まれた。スタンフォード大学を中退して幾つかの職業についたが、『トーティーヤ平』(1935)で作家として認められた。『怒 りの葡萄』(1939)は「アメリカ20世紀文学の大叙事詩」といわれ、その後の『エデンの東』(1952)は世界的に大好評を博した。 | ||||||
1963年度受賞 | ||||||
イオルゴス・セフェリス | Seferis, Giorgos | (ギリシア、1900-1971) | ||||
詩人。アテネ大学とパリ大学で学ぶ。外務省に入り外交官を務める傍ら詩を作り、『分岐点』(1931)を発表した。さらに、『ミシストリマ』(1935)や『練 習帳』(1940)、さらには『つぐみ』(1947)などで、ギリシャ神話を題材にした思索的な作品を特徴としている。 | ||||||
1964年度受賞(辞退) | ||||||
ジャン=ポール・サルトル | Sartre, Jean-Paul | (フランス、1905-1980) | ||||
小説家、劇作家、哲学者。エコール・ノルマル・シュペリュールを卒業。小説『嘔吐』(1938)で認められ、第二次世界大戦では囚われて脱走。レジス タンスに加わる。その後『存在と無』(1943)によって、哲学者としても認められた。また、戯曲には『汚れた手』(1948)などがある。作品は幅広い分野に 及び、実存主義的思想家として活躍した。1964年ノーベル賞辞退。 | ||||||
1965年度受賞 | ||||||
ミハイル・アレサンドロヴィチ・ショーロホフ | Sholokhov, Michail Aleksandrovich | (旧ソ連、1905-1984) | ||||
小説家。ドン川流域の寒村の生まれ。ソビエト政権誕生と共に15歳で革命委員会に入る。モスクワで『ほくろ』(1924)を発表し、『ドン物語』(1926)や 『るり色の曠野』(1926)が認められた。長篇『開かれた処女地』(1932-1960)はレーニン章を受賞し、ソビエト最高の作家となった。 | ||||||
1966年度受賞 | ||||||
シュムエル・ヨセフ・アグノン | Agnon, Shmuel Yosef | (イスラエル、1888-1970) | ||||
小説家。ポーランドのガリシアで生まれた。パレスチナに渡り、移住運動をすすめる傍ら創作活動をはじめた。作品には『嫁入り』(1937)や『夜の客』 (1940)『恐れの日』(1948)などがあり、ユダヤ人の宗教や生活をユーモアや愛情を交えて表現することが多い。現代イスラエルを代表する作家である。 | ||||||
ザックス | ネリー・ザックス | Sachs, Nelly | (スウェーデン、1891-1970) | |||
女流詩人。ベルリンのユダヤ人の子に生まれた。ナチスの迫害から逃れ、ストックホルムに亡命した。『死の棲家にて』(1947)をはじめ、『星の蝕』(1 949)、『逃走と変容』(1959)、『たずねる女』(1966)などの作品で迫害の体験を描いた。 | ||||||
1967年度受賞 | ||||||
ミゲル・アンヘル・アストゥリアス | Asturias, Miguel Angel | (グアテマラ、1899-1974) | ||||
小説家、詩人。大学で法律を学び政治運動に参加。その後、パリで『グアテマラ伝説集』(1930)を発表する。帰国して『大統領閣下』(1946)や『強風』 (1950)、『緑の法王』(1954)などを書いて有名作家となった。作品を通じてインディオが西洋文明に触れ、堕落することを警告している。 | ||||||
1968年度受賞 | ||||||
川端康成(かわばた やすなり) | Kawabata, Yasunari | (日本、1899-1972) | ||||
小説家。大阪に医者の子として生まれ、東京帝大国文学科を卒業。『招魂祭一景』(1921)で菊池寛に認められ、新感覚派の代表とされた。代表作 『伊豆の踊子』(1927)や『雪国』(1935-1937)は、抒情性が高く国内だけでなく海外でも多くの言語に翻訳されて読まれている。 | ||||||
1969年度受賞 | ||||||
サミュエル・ベケット | Beckett, Samuel | (アイルランド、1906-1989) | ||||
小説家、劇作家。ダブリン郊外に生まれる。1937年よりフランスに定住して小説『モロイ』(1951)や戯曲『ゴドーを待ちながら』(1953)などを発表する。 また、ラジオ台本『すべて倒れんとするもの』(1957)をはじめ映画の台本なども手がけ、人々の精神的苦境を見事に描いている。 | ||||||
1970年度受賞 | ||||||
アレクサンドル・I.ソルジェニーツィン | Solzhenitsyn, Aleksandr Isaevich | (旧ソ連、1918-2008) | ||||
小説家。ロストフ大学で物理・数学を学ぶ。第二次世界大戦に召集され、発言がもとで8年間服役。名誉回復後の『イワン・デニーソビッチの一日』(1 962)は高い評価を受けた。『胴巻のザハール』(1966)以降、作家同盟を除名され、『ガン病棟』(1968)や『煉獄のなかで』(1968)は国外で発表した。 ノーベル賞受賞後に国外追放となり、ソ連崩壊後に帰国。 | ||||||
1971年度受賞 | ||||||
パブロ・ネルーダ | Neruda, Pablo | (チリ、1904-1973) | ||||
パラル出身の詩人。チリ大学の教員養成所時代に、詩集『祭りの歌』(1921)で大学連盟賞を受けた。『熱狂的な投石兵』(1933)を発表後、インド大 使となり、東洋に滞在した経験を『地上のすみか』(1933)に現した。国会議員を務めたが、弾圧されて亡命を経験する中で『大いなる歌』(1950)などを 意欲的に発表した。 | ||||||
1972年度受賞 | ||||||
ハインリヒ・ベル | Böll, Heinrich | (旧西ドイツ、1917-1985) | ||||
小説家。ケルンに生まれ第二次世界大戦で捕虜になる。戦後、『汽車は遅れなかった』(1949)が評価され、短編集『旅人よ、スパ・・・に来たりなば』 (1950)はべストセラーになった。中・短編の表現力に定評があり、多くの作品が国民に愛されている。国際ペンクラブの会長も務めた。 | ||||||
1973年度受賞 | ||||||
パトリック・ホワイト | White, Patrick | (オーストラリア、1912-1990) | ||||
小説家、短編作家、劇作家。ロンドン出身であるが両親はオーストラリア人。小説『ボス』(1957)が海外でも評価され、戯曲集の『生体解剖者』(1970) などで、ヨーロッパ的心理主義をオーストラリアの写実主義に取り入れ、オーストラリア人で初めてのノーベル文学賞受賞作家となった。 | ||||||
1974年度受賞 | ||||||
エイヴィンド・ユーンソン | Johnson, Eyvind | (スウェーデン、1900-1976) | ||||
小説家。北極圏近くのノルランドに生まれ、ベルリンやパリで生活した。『四人の見知らぬ人』(1924)で文壇に登場し、四部作『オーロフ物語』(1934- 1937)や三部作『クリロン』(1941-1943)で名前を高めた。前衛的な表現手法が持ち味になっており、「異色作家」とされる。 | ||||||
マーティン | ハリー・マーティンソン | Martinson, Harry | (スウェーデン、1904-1978) | |||
小説家、詩人。ブリーキンゲで生まれ、孤児となったことから苦労を重ねて成長し、船員として世界を旅する。詩集『幽霊船』(1929)など、船舶の乗組 員としての体験が以後の多くの作品にも現れている。紀行文『当てのない旅』(1932)や長編詩である『アニアーラ』(1956)などは評価が高い。 | ||||||
1975年度受賞 | ||||||
エウジェーニオ・モンターレ | Montale, Eugenio | (イタリア、1896-1981) | ||||
詩人、評論家。ジェノバで生まれた。第一次世界大戦に従軍したのち、詩集『烏賊の骨』で詩壇にデビューする。早くから目指していたオペラ歌手の 才能が生かされ、また、芸術性の高い表現が認められる『ディナールの蝶』(1956)や『サトゥラ』(1971)を発表した。評論集に『信仰証書』(1966)など がある。 | ||||||
1976年度受賞 | ||||||
ソール・ベロー | Bellow, Saul | (アメリカ、1915-2005) | ||||
小説家。カナダのケベックで生まれ、シカゴへ移る。シカゴ大学、ノースウェスタン大学で社会学や文化人類学を専攻した。大学の教員を務めながら 小説を書き、『宙ぶらりんの男』(1944)が評価され、『オーギー・マーチの冒険』(1953)では全米図書賞を受賞した。『フンボルト氏の贈物』(1975)など 発表した作品は好評を博した。 | ||||||
1977年度受賞 | ||||||
ヴィセンテ・アレイクサンドレ | Aleixandre, Vicente | (スペイン、1898-1984) | ||||
詩人。セビーリャの生まれ。マドリード大学を卒業して弁護士の資格を取得したが病弱のため、詩作に励み『破壊、もしくは愛』(1935)など一連の作 品で人間の尊厳と愛を追求した。シュルレアリスムをスペイン詩に取り入れた功績は大きい。 | ||||||
1978年度受賞 | ||||||
アイザック・バシェヴィス・シンガー | Singer, Isaac Bashevis | (アメリカ、1904-1991) | ||||
小説家。ポーランドのユダヤ系の家庭に生まれ、アメリカに亡命した。ヘブライ語系のユダヤ語にスラブ語などが混ざった言語であるイディシュ語新 聞を編集しながら、この言語で小説を書いて発表した。『モスカト家』(1950)や『ゴライの悪魔』(1955)、童話集『短い金曜日』(1964)や自伝『父の法廷 にて』(1966)などがある。 | ||||||
1979年度受賞 | ||||||
オディッシウス・エリティス | Elytis, Odysseus | (ギリシア、1911-1996) | ||||
詩人。クレタ島のイラクリオンに生まれた。アテネ大学を出て詩作の道に入り、『方向』(1939)や『第一の太陽』をシュルレアリスムの立場から発表し た。第二次世界大戦をアルバニアで戦い、その体験を『アルバニアで倒れた少尉に捧げる英雄的哀悼の歌』(1945)に著した。「エーゲ海の詩人」と呼 ばれる。 | ||||||
1980年度受賞 | ||||||
チェスワフ・ミウォシュ | Milosz, Czeslaw | (ポーランド・アメリカ、1911-2004) | ||||
詩人、随筆家。リトアニアの生まれ。ビリニュス大学で法律を学んだ。パリに留学し『冷えきった時代の詩』(1933)を発表。第二次世界大戦中はワル シャワで地下出版活動を展開し、戦後は外交官となる。その後、アメリカに渡り大学教授なども務めている。古典的な抒情詩が多く、『まひるの明かり』 (1955)などがある。 | ||||||
1981年度受賞 | ||||||
エリアス・カネッティ | Canetti, Elias | (イギリス、1905-1994) | ||||
小説家。ブルガリアのルスチュク生まれのスペイン系ユダヤ人で、ウィーン大学を卒業し、科学の博士号を取得したが、ナチスの迫害を逃れロンドン に亡命した。戯曲『結婚式』(1932)や『眩暈』(1935)などが、第二次世界大戦後に評価された。彼の思想の集大成とされる『群集と権力』(1960)がある。 | ||||||
1982年度受賞 | ||||||
ガブリエル・ガルシア=マルケス | García Márquez, Gabriel | (コロンビア、1928-2014) | ||||
小説家。アラカタカに生まれ、ボゴダ大学を中退。ジャーナリストとなり、ヨーロッパ各地で勤務、カストロ政権樹立後のキューバにも滞在した。『落葉』 (1955)や『大佐に手紙は来ない』(1961)で認められ、『百年の孤独』(1967)は世界の三十カ国以上の国語に翻訳されたと言われている。 | ||||||
1983年度受賞 | ||||||
ウィリアム・ゴールディング | Golding, William | (イギリス、1911-1993) | ||||
小説家。コーンウォールに生まれ、オックスフォード大学で自然科学と英文学を学んだ。第二次世界大戦では海軍に従軍。戦後、教員を務めながら 創作活動を行い、処女作『蝿の王』(1954)で大好評を博した。『後継者たち』(1955)でも見られるように、倫理性や時間を駆使した独特の構想と手法で 小説を展開している。 | ||||||
1984年度受賞 | ||||||
ヤロスラフ・サイフェルト | Seifert, Jaroslav | (チェコスロバキア、1901-1986) | ||||
詩人。プラハの生まれ。詩作活動初期の『涙の中の町』(1921)はプロレタリア詩であるが、後に共産党を離党し、「プラハの春」では「2000語宣言」に 署名して自由を求めた。親ソ政権の復活後、国内での出版を拒否される状態が続いた。 | ||||||
1985年度受賞 | ||||||
クロード・シモン | Simon, Claude | (フランス、1913-2005) | ||||
小説家。旧フランス領マダガスカルで生まれた。その後、フランスに移りパリ大学やイギリスのケンブリッジ大学で学んだ。第二次世界大戦の捕虜生 活を経て、ピレネー山麓に住まい、『風』(1957)、『草』(1958)、『フランドルへの道』(1960)などを書いた。フランス「新小説」の代表的作家とされる。 | ||||||
1986年度受賞 | ||||||
ウォレ・ショインカ | Soyinka, Wole | (ナイジェリア、1934-) | ||||
詩人。劇作家。ヨルバ族に生まれた。イバダン大学卒業後、イギリスのリーズ大学で文学を学んだ。帰国後、幾つかの劇団を組織してアフリカ演劇に ヨーロッパの風潮を取り入れようとした。戯曲に『ライオンと宝石』(1963)や詩劇として『森の舞踏』(1963)などがある。 | ||||||
1987年度受賞 | ||||||
ヨシフ・ブロツキー | Brodsky, Joseph | (アメリカ、1940-1996) | ||||
詩人。旧レニングラードにユダヤ人として生まれた。『クリスマス・バラード』(1962)などで詩人としての才能を認められたが、思想的問題から強制労 働を宣告された。その後、地下出版で詩作の幅を広げていたが国外追放となり、アメリカに渡り大学界で歓迎され、執筆活動を続けた。 | ||||||
1988年度受賞 | ||||||
ナギブ・マフフーズ | Mahfouz, Naguib | (エジプト、1911-2006) | ||||
カイロの下町で生まれ、エジプト大学(現カイロ大学)の哲学科を卒業。後に修士課程に進んだが執筆活動を優先し、公務員を務めながら作品を発 表している。『バイナ・カスライン』(1948)などの作品では、イスラム教徒として異教徒との融和の精神を重んじ、下町を舞台に描いた作品が多い。アラ ブ世界で初めてのノーベル賞作家である。 | ||||||
1989年度受賞 | ||||||
カミロ・ホセ・セラ | Cela, Camilo José | (スペイン、1916-2002) | ||||
小説家。ガリーシアで、スペイン人の父とアイルランド人の母との間に生まれた。マドリード大学を卒業して、スペイン内戦でフランコ軍に従軍した。 代表作『パスクワル・ドゥアルテの家族』(1942)は、殺人犯の心理を描いていることから、当時、発禁処分とされたが、その後多くの人たちに読まれる 作品となった。 | ||||||
1990年度受賞 | ||||||
オクタビオ・パス | Paz, Octavio | (メキシコ、1914-1998) | ||||
詩人、評論家。17歳で本格的に詩の道に入り『野生の月』(1933)で高い評価を得た。その後、外交官として活躍し、日本に赴任していたこともある。 多くの詩集の他、評論にも力を注ぎメキシコ文化の本質を『孤独の迷宮』(1950)として著した。ラテンアメリカを代表する現代詩人としてノーベル賞の ほか、セルバンテス賞も受賞している。 | ||||||
1991年度受賞 | ||||||
ナディン・ゴーディマ | Gordimer, Nadine | (南アフリカ、1923-2014) | ||||
白人の女流小説家。ヨハネスバーグ近郊の町で生まれた。15歳から短編を発表し、以後40年以上にわたり文学活動を続けてきた。その間、『虚偽の 日々』(1953)や『異邦人たちの世界』(1958)などの作品で、アパルトヘイトと白人社会の病理をテーマにした作品を多く発表した。評論として『黒人の 心を伝える者たち』がある。 | ||||||
1992年度受賞 | ||||||
デレク・ウォルコット | Walcott, Derek | (トリニダードトバゴ、1930-2017) | ||||
詩人。ウィンドウォーズ諸島のセント・ルシアに生まれ、ジャマイカのウエスト・インディーズ大学を卒業。18歳で『二十五の詩』(1948)を発表して、外 国でも知られるようになった。作品は、人種問題や貧困などを取り上げている。ニューヨークで演劇を学び、帰国して西インド諸島の演劇の発展に尽 力した。 | ||||||
1993年度受賞 | ||||||
トニ・モリスン | Morrison, Toni | (アメリカ、1931-2019) | ||||
女流作家。オハイオ州の黒人労働者の子に生まれ、コーネル大学などで文学や文化人類学を学んだ。『ビラヴド、愛されし者』(1978)で南北戦争時 の黒人奴隷の姿を描きピュリツァー賞を受賞した。民間伝承などを盛り込みながら、黒人社会を力強く、逞しく描くことから人気の高い作家である。 | ||||||
1994年度受賞 | ||||||
大江健三郎(おおえ けんざぶろう) | Oe, Kenzaburo | (日本、1935-) | ||||
小説家。愛媛県に生まれ、東京大学文学部仏文学科に入学してサルトルの全作品を原書で読破し、『奇妙な仕事』(1957)は東京大学新聞の五月祭 賞を受賞するなど、卒業するまで活発に創作活動を行った。その後『飼育』(1958)で芥川賞を得て注目され、『個人的な体験』(1964)は新潮社文学賞 を受賞している。評論や随筆も多くある。 | ||||||
1995年度受賞 | ||||||
シェイマス・ヒーニー | Heaney, Seamus | (アイルランド、1939-2013) | ||||
詩人。北アイルランドのデリーで生まれ、クイーンズ大学を卒業。人々の対立やアイルランド紛争の悲しみを『ナチュラリストの死』(1966)や『冬越え』 (1972)、『北』(1975)などに表現し、イェーツ以来の英語圏最大の詩人と評価される。オックスフォード大学の教授も務めた。 | ||||||
1996年度受賞 | ||||||
ビスワバ・シンボルスカ | Szymborska, Wislawa | (ポーランド、1923-2012) | ||||
女流詩人。ブニンの生まれ。雑誌の編集を務めながら詩を作り、『だからわれわれは生きている』(1955)でポーランド国家賞を受賞して注目された。 叙事詩の中で恋愛から哲学までを重厚に表現する詩風に定評があり、『ユートピア』(1989)や『終わりと始まり』(1993)などがある。 | ||||||
1997年度受賞 | ||||||
ダリオ・フォー | Fo, Dario | (イタリア、1926-2016) | ||||
劇作家、俳優。ミラノで舞台芸術を学び、劇団を率いながら脚本を執筆し、社会風刺や喜劇の分野で人気を博している。作品には『神聖喜劇』をはじ め『あるアナーキストの事故死』、や『払えない、払わない』などがあり、ノーベル賞の受賞理由にあるように、中世の道化や権威の冷笑、弱者の尊厳 などの風刺作品は訴訟騒ぎを呼んでいる。 | ||||||
1998年度受賞 | ||||||
ジョゼ・サラマーゴ | Saramago, José | (ポルトガル、1922-2010) | ||||
詩人。独学で詩や評論を学び、ジャーナリストの道も歩んだ。宗教性の高い『修道院の記念碑』(1982)でポルトガル・ペンクラブ賞を受賞。その後『イ エス・キリストによる福音書』(1991)でもキリストの生涯を表現し、宗教の伝統性を想像や寓話を盛り込みながら追及している。 | ||||||
1999年度受賞 | ||||||
ギュンター・グラス | Grass, Günter | (ドイツ、1927-2015) | ||||
作家、劇作家。ダンツィヒ(現在のポーランド、グダニスク)でドイツ人の父とカシュバイ人(スラブ系少数民族)の母の子に生まれた。国防軍に従軍し て敗戦を迎え、戦後は彫刻家や石工を経て文筆活動をはじめ、幼児の捉えた庶民生活を『ブリキの太鼓』(1959)に著し有名になった。現実と非現実 を巧みに表現する。 | ||||||
2000年度受賞 | ||||||
高行健(カオ・シンジェン) | Gao Xingjian | (フランス、1940-) | ||||
小説家、劇作家。江西章で生まれ、北京外国語学院フランス語学科を卒業。文革時代は紅衛兵運動に参加して共産党員となる。モダニズムの観点 から作品を発表し、戯曲『非常信号』(1982)や『バス停』(1983)などを発表した。その後、パリに移り天安門事件の時代に『逃亡』(1990)を書いた。 | ||||||
2001年度受賞 | ||||||
V. S. ナイポール | Naipaul, Vidiadhar Surajprasad | (イギリス、1932-2018) | ||||
小説家。トリニダードにインド系の子として生まれ、オックスフォード大学を卒業。その後作家の道を歩み、『自由の国にて』(1971)がブッカー賞を得て 有名作家になり、『暗い河』(1979)などを発表した。また、紀行文学でも『インド―闇の領域』(1964)や『イスラム紀行』(1981)などがあり、世界的に評 価が高い。 | ||||||
2002年度受賞 | ||||||
ケルテース・イムレ | Kertész, Imre | (ハンガリー、1920-2016) | ||||
小説家。ブダペストでユダヤ人の子として生まれた。第二次世界大戦中にアウシュビッツ収容所に送られ、戦後開放された。兵役を経て創作活動に 入り、『運命がない人の物語』(1975)や『生まれなかった子供へのカディッシュ』(1990)などを発表。強制収容所での体験が全ての作品の原点になっ ている。 | ||||||
2003年度受賞 | ||||||
ジョン・マックスウェル・クッツエー | Coetzee, John Maxwell | (南アフリカ、1940-) | ||||
小説家。ケープタウンでオランダ系南アフリカ人の父とドイツ系の母の間に生まれた。ニューヨーク州立大学や母校ケープタウン大学の教員を務め ながら創作活動に励んだ。『ダスクランド』(1974)など一連の作品は、現実を直接表現せず様々な物語の手法を使うことから「小説のメタフィジックを 小説にしているポスト・モダン作家」と呼ばれる。 | ||||||
2004年度受賞 | ||||||
エルフリーデ・イェリネク | Jelinek, Elfriede | (オーストリア、1946-) | ||||
オーストリアでユダヤ系チェコ人を父として生まれた。ウィーン大学で演劇学と美術史を専攻したが大学紛争に係わって中退し、小説や戯曲などの 創作活動に入った。ドイツでは早くから評価が高く、最も価値の高い文学賞ビューヒナー賞に輝いている。言語的情熱といわれる音楽的な言葉の流 れと社会の不条理を巧みに描き挙げたことでノーベル賞を受賞した。 | ||||||
2005年度受賞 | ||||||
ハロルド・ピンター | Pinter, Harold | (イギリス、1930-2008) | ||||
ロンドンでユダヤ系の洋服仕立屋の息子として生まれる。第2次世界大戦中には疎開し、その後成長した彼はロンドンに戻り、創作活動に入った。 従来のリアリズム劇に疑問を投げかけ、現実のとらえがたさを直接描いた不条理演劇の方法で高い評価を受けている。多くの映画、ラジオの脚本も 手がけており、“20世紀後半英国の最も偉大な劇作家”と呼ばれている。また、人権活動家としても知られ、イラク戦争では英米を激しく批判した。劇 中で怒りや悲しみなど日常生活に潜む危機と抑圧を描き出したとしてノーベル賞を受賞した。 | ||||||
2006年度受賞 | ||||||
オルハン・パムク | Pamuk, Orhan | (トルコ、1952-) | ||||
イスタンブールに生まれる。22歳で本格的に小説を書き始め、1982年にデビュー作でトルコで最も権威ある文学賞「オルハン・ケマル賞」を授賞し、 注目される。その後トルコの文化と伝統を題材にした作品を次々と発表した。近年は西洋と非西洋の文化の違いやイスラム原理主義と世俗主義の対 立を題材にした作品を発表し、9.11アメリカ同時多発テロ事件の背景を示唆したことでも話題になった。これらの作品によって異文化間の衝突と混合 の新たな象徴を見いだしたとしてノーベル賞を授賞した。 | ||||||
2007年度受賞 | ||||||
ドリス・レッシング | Lessing, Doris | (イギリス、1919-2013) | ||||
イランに生まれる。英国に渡った翌年1950年に初作品『草は歌っている』を出版して著名な作家となる。その後、南アフリカのアパルトヘイト(人種差 別)を非難したことや反核運動でも有名になっている。作品も現代社会に対する批判を込めたものが多い。今回の受賞にあたり、スウェーデン・アカデ ミーはレッシング氏を「懐疑的視点と情熱、深い洞察力をもって分断された文明を厳しく見つめた」と評価している。 | ||||||
2008年度受賞 | ||||||
ジャン=マリー・G・ル・クレジオ | Le Clézio, Jean Marie Gustave | (フランス、1940-) | ||||
南仏ニースに生まれる。イギリス人の父、フランス人の母を持つためイギリス・フランスの両国籍を取得しており、青年期はイギリスのブリストル、ロ ンドン両大学、フランスのニース大学で勉学に励んだ。1963年、デビュー作で『調書』で「ルノード賞」を授賞し、フランスで最も権威のある文学賞のひと つである「ゴンクール賞」においても決選投票の結果受賞を逃すなど一躍注目を浴びた。その後も精力的に執筆活動を行い次々と小説、エッセイを発 表し日本でも多くの作品が翻訳されている。現代フランスを代表する作家として高い評価を得ている。今回の受賞にあたりスウェーデン・アカデミーは ル・クレジオ氏を「圧倒的な文明化の波が押し寄せる中で、新たな旅立ち、詩的な冒険、官能的な歓喜、人間的な探究を描いた」と評価している。 | ||||||
2009年度受賞 | ||||||
ヘルタ・ミュラー | Müller, Herta | (ルーマニア 1953-) | ||||
ルーマニア西部のニツキドルフでドイツ系少数民族の家庭に生まれる。ティミショアラ大学で文学を専攻し、その後は工場で技術翻訳に携わるが、 ルーマニア秘密警察への協力を拒んだ為に職を失った。この頃よりチェウシェスク体制下で弾圧された人々を小説に描き、政権を批判している。1982 年には厳しい検閲の中、『澱み』を発表し、出版活動を禁じられた。1987年には夫と共に西ドイツへ移住し、大学講師をしながら作家活動を続け、「ヨー ロッパ文学賞」など多数の賞を受賞している。代表作に『狙われたキツネ』や『吐息のブランコ』などがある。 ノーベル文学賞の受賞理由は、疎外された人々の心象風景を詩的な凝縮と散文的な率直さで描いた点が評価されたことである。 | ||||||
2010年度受賞 | ||||||
マリオ・バルガス=リョサ | Vargas Llosa, Mario | (ペルー 1936-) | ||||
ペルー南部のアキレパ出身。出生前に両親が離婚していたため、満1歳の時に母と共にボリビアに移住した。その後両親の復縁、軍人養成学校へ の入学など、様々な経験を重ねた彼は大学入学後から新聞や雑誌に寄稿をしはじめ、1963年にスペインで初の長編小説『都会と犬っころ』を発表した。 彼はこの作品でスペイン批評家賞を受賞し注目を浴びることとなった。その後も『緑の家』、『アンデスのリトゥーマ』など数々の作品を発表し、現代ラテ ンアメリカ文学を代表する作家の地位を確立している。また、ガルシア=マルケスやフロベールに関する研究書も発表するなど、評論家としても高い 評価を受けている。 ノーベル文学賞の受賞理由は、権力の構造と個人の抵抗や反抗、敗北を痛烈に表現したことが評価されたことである。 | ||||||
2011年度受賞 | ||||||
トーマス・トランストロンメル | Transtromer, Tomas | (スウェーデン 1931-2015) | ||||
スウェーデンのストックホルム出身。13歳より詩の創作を始め、ストックホルム大学では文学や心理学を学び、23歳の時に初の詩集を刊行した。 戦後のスウェーデンを代表する詩人で、また心理学者としての顔も持ち合わせている。 心理学者的視点と、彼の世界各地への旅行や経験を反映させた文体は独自の神秘的な世界観を生み、「隠喩の巨匠」とも呼ばれている。 ノーベル文学賞の受賞理由は、「凝縮された透明感のある描写を通して、現実に対する新たな道程を示してくれた」ことが評価されたことである。 | ||||||
2012年度受賞 | ||||||
莫言 | Mo Yan | (中国 1955-) | ||||
中国山東省の高密県出身。本名は管謨業(かん・ぼぎょう)。1985年に文壇にデビューし、マジックリアリズム手法を用いて20世紀中国の矛盾に鋭 く切り込んだ作品を次々と発表した。代表作は映画化された「紅い高梁」、中国文学賞の最高権威である茅盾文学賞を受賞した「蛙鳴」など。現代中 国を代表する作家であり、中国国籍の作家としては初の文学賞受賞作家となった。 ノーベル文学賞の受賞理由は、「幻想的なリアリズムをもって、民話と歴史、現代をつむぎ合わせた」ことが評価されたことである。 | ||||||
2013年度受賞 | ||||||
アリス・マンロー | Munro, Alice | (カナダ 1931-) | ||||
カナダのオンタリオ州ウィンガム出身。大学では英文学を専攻し、執筆活動を開始して最初の短編集 Dance of the happy shades はカナダの総督文 学賞を受賞するなどカナダ人作家としての地位を確立させ、国外にその名を知らしめる契機となった。その後もカナダの小さな町を舞台に描いた作品 を次々と発表し、国際ブッカー賞など多くの賞を受賞している。 ノーベル文学賞の受賞理由は、「現代短編小説の名手」であることが評価されたことである。 | ||||||
2014年度受賞 | ||||||
パトリック・モディアノ | Modiano, Patrick | (フランス 1945-) | ||||
フランスのパリ近郊オー=ド=セーヌ県出身。1968年に。『エトワール広場』La Place de l'Étoileで文壇デビューし、1972年には『パリ環状通り』Les Boulevards de ceintureでフランスのアカデミー・フランセーズ大賞。1978年には『暗いブティック通り』Rue des Boutiques obscures でゴンクール賞と次々 に受賞した。映画の脚本や原作も手がけ、フランスを代表する人気作家である。 ノーベル文学賞の受賞理由は、ドイツ占領下や60年代初頭を舞台にした作品で「把握し難い人間の運命を再現し、占領下の生活を描いた記憶の 芸術」を創造した点であることが評価されたことである。 | ||||||
2015年度受賞 | ||||||
スベトラーナ・アレクシエービッチ | Aleksievich, Svetlana | (ベラルーシ 1948-) | ||||
ウクライナ出身。両親とベラルーシに移住し、ベラルーシ大学でジャーナリズムを専攻。卒業後、ジャーナリストとして活動する傍ら、インタビューを 元に作品を仕上げる手法を確立した。代表作に1983年作の『戦争は女の顔をしていない』、1997年作の『チェルノブイリの祈り』などがある。 ノーベル文学賞の受賞理由は「戦争や原発などの問題を膨大なインタビューで描き出す作風が、現代の苦難と勇気の記念碑であり、多様な人々の 声を表現している」と評価されたことによる。 | ||||||
2016年度受賞 | ||||||
ボブ・ディラン | Dylan, Bob | (アメリカ 1941-) | ||||
アメリカのミネソタ州ダルース出身。1963年作の「風に吹かれて」、1964年作の「時代は変わる」など反体制的なプロテストソングを数多く生み出し、 反骨のミュージシャンとして知られている。史上初のノーベル文学賞を受賞したミュージシャンであり、文学界でも様々な賛否が飛び交った。 ノーベル文学賞の受賞理由は「大いなるアメリカの歌の伝統の中で、新たな詩的表現を生み出してきたことに対して」と評価されたことによる。 | ||||||
2017年度受賞 | ||||||
カズオ・イシグロ | Ishiguro, Kazuo | (長崎 1954-) | ||||
長崎県出身。漢字表記は「石黒一雄」。5歳でイギリスに移住し、1982年に帰化。それと前後して、1950年頃の長崎を舞台にした長編小説「遠い山 なみの光」で作家としてデビューを果たす。1989年には「日の名残り」で英ブッカー賞を受賞。2005年の「わたしを離さないで」は世界的ベストセラー となり、日本でもドラマ化された。 ノーベル文学賞の受賞理由は「偉大な感性を持った小説によって、世界とつながる幻想的な感覚の下にある深淵を明らかにした」ことによる。 | ||||||
2018年度受賞 | ||||||
オルガ・トカルチュク | Tokarczuk, Olga | (ポーランド 1962-) | ||||
ポーランドのスレフフ出身。文学専門の出版社「ruta」を設立。2003年以降は執筆に専念し、2007年に代表作である『逃亡派』を刊行。高い評価を受 け、翌年、ポーランド文学最高峰のニケ賞を受賞。10年後の2018年には英文学賞のブッカー国際賞にも選ばれた。 ノーベル文学賞の受賞理由は「自然と文化、理性と狂気といった対立するものの緊張感に物語を持たせた」「人類がさまざまな境界を乗り越えていく さまを描いた」と評価されたことによる。 | ||||||
2019年度受賞 | ||||||
ペーター・ハントケ | Handke, Peter | (オーストリア 1942-) | ||||
オーストリアのケルンテン州グリッフェン出身。1966年に小説『雀蜂』で作家としてデビューを果たす。他にも戯曲や映画、フランス文学の翻訳など幅 広い分野を手掛け、戯曲では1966年の「観客罵倒」、映画では1987年の「ベルリン・天使の詩」などが代表作として知られている。 ノーベル文学賞の受賞理由は「言語表現を工夫しながら人類による経験の特殊性などを探求した」と評価されたことによる。 | ||||||
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