HOME > ごあいさつ

ごあいさつ
 
 今年は日本とポルトガルが外交閲係を樹立して150周年の記念すべき年にあたります。この関係は、徳川幕府が鎖国体制を解いた後の1860(万延元)年に結ばれた修好通商条約の締結を起点にしたものですが、実際に確認される両国の交流は同年から317年を遡る1543(天文12)年のポルトガル人の種子島への漂着から始まっていました。それからの交流の様子はポルトガル人によって、折々に書物にして刊行され、ヨーロッパの人々が東洋の国日本を認識するようになりました。
 種子島で日本人は初めて鉄砲を目にしました。その状況について、ポルトガル商人で1510年の生まれと言われ、偶々、今年が生誕500年となるフェルナン・メンデス・ピントは、自らの著作『遍歴記』で自分自身が種子島に上陸した三人の内の一人であることを述べています。但し、この書物に記述されたことについては、長い歴史の中でその信懲性が議論されてきたものであります。
 また、種子島漂着から6年後のユ549〔天文18)年にスペイン人フランシスコ・ザビエルによってキリスト教が伝えられると、ポルトガルの人たちが頻繁に来日するようになりました。彼らは主に、貿易を目的とした商人とキリスト教の布教を目指した宣教師でした。特にキリスト教の宣教師たちは、布教報告として日本の風俗と習慣、あるいは社会状況や統治体制を記載した各種の文書を所属布教団体やローマ法王庁などに宛てて書き送り、「書簡集」や「年報」として刊行されました。また、宣教師であるルイス・フロイスの代表的な著書『日本史』は、日本人によって書き残された記録が少ないこの時代の空白部分を実証するために使われてきた代表的なものです。この時代、日本からは天正年間に九州の大名が派遣した四人からなる少年使節がポルトガルやローマなどを訪問し、大歓迎を受けた記録も残されています。
 江戸時代になると強固な封建体制のもとに鎖国体制が布かれ、1640(寛永17)年頃からはポルトガルの人たちは日本の土を踏むことが出来なくなりました。この状態は両国の人々にとって文化の交流ができない苦しい時代であったのです。この状況は、修好通商条約が結ばれる1860(万延元)年まで、約220年間にわたって続いたのです。
 明治時代に入ると両国の人々の往来は自由になり、ポルトガルからは多くの人たちが日本を訪れるようになりました。この中に、神戸・大阪総領事を務めたヴェンセスラウ・デ・モラエスがいました。彼は、公職を退いて四国の徳島の地で日本を舞台にした文筆活動を行い、故国ポルトガルなどで誠に多くの書物を出版しました。彼は海軍の軍人でもありましたが、この時期にポルトガルから来日していた最大の文化人とされています。
 このように、長い交流の歴史の中でポルトガルの人たちが著してきた書物は、現在では大変に入手し難い史料となっております。しかし、1968(昭和43)年から12年間にわたって図書館長を務めました森田嘉一現理事長・総長のリーダーシップのもと、ポルトガル関係資料を含む「キリシタン関係資料」と「日本関係資料」が体系付けて収集されました。これらの資料は研究資料としてだけではなく、テレビや出版物の典拠資料としても使われて参りました。
 本学図書館は、今年が日本ポルトガル修好通商条約150周年の輝かしい節目の年にあたることを記念して、稀観書展示会「鎖国期をはさんだポルトガル人の日本研究」を開催し、これらの資料を広くご紹介して参ります。
 末筆になりましたが、この展示会の開催に際し、ジョアォン・ペドロ・ザナッティ駐日ポルトガル共和国大使閣下よりご丁重なるメッセージを賜りましたことにつきまして、深甚なる謝意を表します。なお、展示におきましては、行き届かぬところが多々あるものかと思われますが、日本とポルトガルとの友好関係の益々の発展にささやかなりともお役にたつことができれば幸いと存じます。

 2010(平成二十二)年11月

 
京都外国語大学付属図書館
京都外国語短期大学付属図書館
 館長 下 村 秀 則