「ラテン語古辞書の宝庫」
京都外大図書館市民利用制度利用者
原田 裕司私は現在では大学に属さない市井の一学者です が、昨年三月までの19 年間大阪大学で外国語の教 師を務めました。主に一、二年生向けのドイツ語 と文学部のラテン語の授業を担当し、週に一回は ラテン語の非常勤講師として京都府立医科大学の 教壇にも立ちました。大学教員という長年の職務 を辞しましたのは、自然科学者の妻がこの春から ドイツで研究滞在することになり、私も小学生の 息子とともに同行しようと決めたからです。私の この文が掲載される頃には、私は家族とともに旧 東ドイツのハレという町にいることでしょう。
大学を辞めると、大学図書館の利用などの点で 研究に不便になるのではないかとの不安もありま したが、いざ辞めてみると、必ずしもそうではあ りませんでした。一市民となって逆に私に好都合 になった一つの例が、京都外国語大学付属図書館 の市民利用制度です。私は、同図書館のホームペ ージで、「西洋古辞書・古事典」という特別コレ クションの存在を知りました。私は、近世の日本 に輸入されたラテン語辞書類に関する論文を昨年 『日蘭学会会誌』に発表しましたが、それに関連 してラテン語辞書の歴史そのものにも大きな関心 を抱いています。ところが、京都外国語大学付属 図書館のホームページでこの「古辞書・古事典コ レクション」の一覧リストを見て、私は古いラテ ン語辞書を含むその蔵書内容の豊富さに驚きまし た。活版印刷術発明以前の羊皮紙写本に綴られた 『ラテン語・ドイツ語辞典』を初めとして、15 世 紀から19 世紀にヨーロッパで出版された貴重なラ テン語辞書類が目白押しです。19 世紀の香港で出 版された『中国語・ラテン語辞典』もありました。 私は、ためらうことなく同図書館の市民利用制度 に申し込み、司書の皆様の大変温かいご配慮をい ただいて、これらの貴重書を閲覧することができ ました。市民利用者として、図書館に自由に出入 りできる「ライブラリー・ カード」まで作っていただ けることは、他の大学に属 する研究者には不可能なこ とであり、私は市井の一学 者になったことで思わぬ恩 恵に浴しました。このような市民利用制度を創設 された図書館関係者の皆様に感謝するとともに、 そのご見識に心からの敬意を表する次第でありま す。ドイツへの出発の日が迫るまで、私が実際に 図書館を利用させていただいた期間はわずか数ヶ 月でしたが、今回貴重な古辞書類に直に触れて学 んだことは実に多く、必ずやこのことをドイツで 継続する学究生活に生かし、帰国後はその成果を 何らかの形で発表してご恩に報いたく思っており ます。
話は変わりますが、京都という日本の古都は、 意外にもヨーロッパの古典語であるラテン語を街 角で見かける機会が最も多い町です。四条河原町 西の「イノブン」という店の正面壁には、四つの ラテン語の金言が各階に刻されており、錦林車庫 バス停東隣の「金芳堂」には、これまた複数のラ テン語の格言が美しい煉瓦壁に彫られています。 京都府立医科大学附属病院の「こどもの病院」の 玄関ロビーの奥壁には、医師と患者の信頼関係を 説くガレーノスの言葉がラテン語で記されていま す。そして京都外国語大学の正門を入った前の建 物には、「Pax mundi per linguas 」(諸言語を通じ ての世界の平和)というモットーが掲げられてい ます。上記の貴重な西洋古辞書類は、現在の理事 長様がかつて図書館長をされていた頃に蒐集に努 められたと伺っております。東西の伝統を尊ぶ国 際都市京都を代表する外国語の殿堂、京都外国語 大学の建学の精神とその実現に改めて心からの敬 意を表しつつ、市民利用者としての私の感謝の言 葉といたします。はらだ ひろし
(ラテン文献学者)