京都外国語大学付属図書館では、ノーベル文学賞受賞者の作品を和書・洋書問わず積極的に収集しています。 ノーベル文学賞受賞者の作品について、OPACを利用して調べてみましょう。 | ||||||||
ノーベル文学賞とは? | ||||||||
ノーベル文学賞は、ダイナマイトを発明したスウェーデンのアルフレッド・ノーベル氏の遺言によって1901年から始まったノーベル賞の6つの分野(物理学、化学、生理学・医学、文学、平和および経済学)の一つで、優れた文学作品を創作した人に贈られる賞です。日本の「芥川賞」や「直木賞」といった作品単位の表彰ではなく、文学者自身に対して贈られる賞です。
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歴代受賞者 | ||||
2022年度 |
アニー・エルノー | ERNAUX, Annie | (1940-, フランス) | |
フランス、ノルマンディー地方出身。1974年に自伝小説『空っぽの箪笥』で作家としてデビューを果たしました。彼女は1983年発表の『場所』や、日本でも映画の題材となった1991年発表の『シンプルな情熱』など自らの体験を基にした自伝小説を数多く発表しています。 受賞理由は「勇気と客観的な鋭さで階級や屈辱、嫉妬、あるいは自分が何者かを見ることができないといった苦悩を明らかにし、将来にわたって称賛に値する功績を成し遂げた」と評価されたことです。 | ||||
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2021年度 |
アブドゥルラザク・グルナ | GURNAH, Abdulrazak | (1948-, タンザニア) | |
タンザニアのザンジバル出身。1968年のザンジバル革命の混乱を避けて、イギリスに渡りました。1970年代後半から執筆活動を開始し、1987年に初の長編小説『別離の記憶』を発表しました。その後も『楽園』(1994年)や『海辺で』(2001年)などを発表し、ポストコロニアル文学の第一人者として知られています。 受賞理由は「植民地化がもたらした影響と、文化のはざま、大陸のはざまの深淵で難民たちがたどった運命への、妥協のない、共感にあふれた追究に対して」と評価されたことです。 | ||||
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2020年度 |
ルイーズ・グリュック | GLÜCK, Louise Elisabeth | (1943-, アメリカ) | |
アメリカ、ニューヨーク出身。幼少期から文学に高い関心を持っていた彼女は、1968年に初の詩集『第一子』を発表し、以降と次々と詩集を発表しました。1992年発表の『ワイルド・アイリス』ではピュリツァー賞など数多くの賞を受賞し、現代アメリカ詩人として高い評価を受けています。 受賞理由は「厳粛な美を伴う、まぎれもなく詩的な声で、個の存在を普遍的なものにした」と評価されたことです。 | ||||
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2019年度 |
ペーター・ハントケ | HANDKE, Peter | (1942-, オーストリア) | |
オーストリアのケルンテン州グリッフェン出身。1966年に小説『雀蜂』で作家としてデビューを果たしました。他にも戯曲や映画、フランス文学の翻訳など幅
広い分野を手掛け、戯曲では1966年の「観客罵倒」、映画では1987年の「ベルリン・天使の詩」などが代表作として知られています。 受賞理由は「言語表現を工夫しながら人類による経験の特殊性などを探求した」と評価されたことです。 | ||||
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2018年度 |
オルガ・トカルチュク | TOKARCZUK, Olga | (1942-, オーストリア) | |
ポーランドのスレフフ出身。文学専門の出版社「ruta」を設立。2003年以降は執筆に専念し、2007年に代表作である『逃亡派』を刊行しました。高い評価を受け、翌年、ポーランド文学最高峰のニケ賞を受賞しています。また、10年後の2018年には英文学賞のブッカー国際賞にも選ばれました。 受賞理由は「自然と文化、理性と狂気といった対立するものの緊張感に物語を持たせた」「人類がさまざまな境界を乗り越えていさまを描いた」と評価されたことです。 | ||||
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2017年度 |
カズオ・イシグロ | ISHIGURO, Kazuo | (1945-, イギリス) | |
長崎県出身。漢字表記は「石黒一雄」。5歳でイギリスに移住し、1982年に帰化しました。それと前後して、1950年頃の長崎を舞台にした長編小説「遠い山なみの光」で作家としてデビューを果たします。1989年には「日の名残り」で英ブッカー賞を受賞、2005年の「わたしを離さないで」は世界的ベストセラーとなり、日本でもドラマ化されました。 受賞理由は「偉大な感性を持った小説によって、世界とつながる幻想的な感覚の下にある深淵を明らかにした」ことです。 | ||||
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2016年度 |
ボブ・ディラン | DYLAN, Bob | (1941-, アメリカ) | |
アメリカのミネソタ州ダルース出身。1963年作の「風に吹かれて」、1964年作の「時代は変わる」など反体制的なプロテストソングを数多く生み出し、反骨のミュージシャンとして知られています。史上初のノーベル文学賞を受賞したミュージシャンであり、文学界でも様々な賛否が飛び交っていました。 受賞理由は「大いなるアメリカの歌の伝統の中で、新たな詩的表現を生み出してきたことに対して」と評価されたことです。 | ||||
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2015年度 |
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ | ALEKSIEVICH, Svetlana | (1948-, ベラルーシ) | |
ウクライナ出身。両親とベラルーシに移住し、ベラルーシ大学でジャーナリズムを専攻。卒業後、ジャーナリストとして活動する傍ら、インタビューを元に作品を仕上げる手法を確立しました。代表作に1983年作の『戦争は女の顔をしていない』、1997年作の『チェルノブイリの祈り』などがあります。 受賞理由は「戦争や原発などの問題を膨大なインタビューで描き出す作風が、現代の苦難と勇気の記念碑であり、多様な人々の声を表現している」と評価されたことです。 | ||||
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2014年度 |
パトリック・モディアノ | MODIANO, Patrick | (1945-, フランス) | |
フランスのパリ近郊オー=ド=セーヌ県出身。1968年に『エトワール広場』La Place de l'Étoileで文壇デビューし、1972年には『パリ環状通り』Les Boulevards de ceintureでフランスのアカデミー・フランセーズ大賞、1978年には『暗いブティック通り』Rue des Boutiques obscures でゴンクール賞と次々に受賞しました。映画の脚本や原作も手がけ、フランスを代表する人気作家です。 受賞理由は、ドイツ占領下や60年代初頭を舞台にした作品で「把握し難い人間の運命を再現し、占領下の生活を描いた記憶の芸術」を創造した点であることが評価されたことです。 | ||||
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2013年度 |
アリス・マンロー | MUNRO, Alice | (1931-, カナダ) | |
カナダのオンタリオ州ウィンガム出身。大学では英文学を専攻し、執筆活動を開始して最初の短編集 Dance of the happy shades はカナダの総督文学賞を受賞するなどカナダ人作家としての地位を確立させ、国外にその名を知らしめる契機となりました。その後もカナダの小さな町を舞台に描いた作品を次々と発表し、国際ブッカー賞など多くの賞を受賞しています。 受賞理由は、「現代短編小説の名手」であることが評価されたことです。 | ||||
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2012年度 |
莫言 | MO Yan | (1955-, 中国) | |
中国山東省の高密県出身。本名は管謨業(かん・ぼぎょう)。1985年に文壇にデビューし、マジックリアリズム手法を用いて20世紀中国の矛盾に鋭く切り込んだ作品を次々と発表しました。代表作は映画化された「紅い高梁」、中国文学賞の最高権威である茅盾文学賞を受賞した「蛙鳴」など、現代中国を代表する作家であり、中国国籍の作家としては初の文学賞受賞作家となりました。 受賞理由は、「幻想的なリアリズムをもって、民話と歴史、現代をつむぎ合わせた」ことが評価されたことです。 | ||||
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2011年度 |
トーマス・トランストロンメル | TRANSTROMER, Tomas | (1931-2015, スウェーデン) | |
スウェーデンのストックホルム出身。13歳より詩の創作を始め、ストックホルム大学では文学や心理学を学び、23歳の時に初の詩集を刊行しました。戦後のスウェーデンを代表する詩人で、また心理学者としての顔も持ち合わせています。 心理学者的視点と、彼の世界各地への旅行や経験を反映させた文体は独自の神秘的な世界観を生み、「隠喩の巨匠」とも呼ばれています。 受賞理由は、「凝縮された透明感のある描写を通して、現実に対する新たな道程を示してくれた」ことが評価されたことです。 | ||||
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2010年度 |
マリオ・バルガス=リョサ | VARGAS LLOSA, Mario | (1936-, ペルー) | |
ペルー南部のアキレパ出身。出生前に両親が離婚していたため、満1歳の時に母と共にボリビアに移住しました。その後両親の復縁、軍人養成学校への入学など、様々な経験を重ねた彼は大学入学後から新聞や雑誌に寄稿をしはじめ、1963年にスペインで初の長編小説『都会と犬っころ』を発表しました。彼はこの作品でスペイン批評家賞を受賞し注目を浴びることとなりました。その後も『緑の家』、『アンデスのリトゥーマ』など数々の作品を発表し、現代ラテンアメリカ文学を代表する作家の地位を確立しています。また、ガルシア=マルケスやフロベールに関する研究書も発表するなど、評論家としても高い評価を受けています。 受賞理由は、権力の構造と個人の抵抗や反抗、敗北を痛烈に表現したことが評価されたことです。 | ||||
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2009年度 |
ヘルタ・ミュラー | MÜLLER, Herta | (1953-, ルーマニア) | |
ルーマニア西部のニツキドルフでドイツ系少数民族の家庭に生まれました。ティミショアラ大学で文学を専攻し、その後は工場で技術翻訳に携わりますが、ルーマニア秘密警察への協力を拒んだ為に職を失いました。この頃よりチェウシェスク体制下で弾圧された人々を小説に描き、政権を批判しています。1982年には厳しい検閲の中、『澱み』を発表し、出版活動を禁じられました。1987年には夫と共に西ドイツへ移住し、大学講師をしながら作家活動を続け、「ヨーロッパ文学賞」など多数の賞を受賞しています。代表作に『狙われたキツネ』や『吐息のブランコ』などがあります。 受賞理由は、疎外された人々の心象風景を詩的な凝縮と散文的な率直さで描いた点が評価されたことです。 | ||||
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2008年度 |
ジャン=マリー・G・ル・クレジオ | LE CLÉZIO, Jean Marie Gustave | (1953-, フランス) | |
ルーマニア西部のニツキドルフでドイツ系少数民族の家庭に生まれました。ティミショアラ大学で文学を専攻し、その後は工場で技術翻訳に携わりますが、ルーマニア秘密警察への協力を拒んだ為に職を失いました。この頃よりチェウシェスク体制下で弾圧された人々を小説に描き、政権を批判しています。1982年には厳しい検閲の中、『澱み』を発表し、出版活動を禁じられました。1987年には夫と共に西ドイツへ移住し、大学講師をしながら作家活動を続け、「ヨーロッパ文学賞」など多数の賞を受賞しています。代表作に『狙われたキツネ』や『吐息のブランコ』などがあります。 受賞理由は、疎外された人々の心象風景を詩的な凝縮と散文的な率直さで描いた点が評価されたことです。 | ||||
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2007年度 |
ドリス・レッシング | LESSING, Doris | (1919-2013, イギリス) | |
イラン出身。英国に渡った翌年1950年に初作品『草は歌っている』を出版して著名な作家となりました。その後、南アフリカのアパルトヘイト(人種差別)を非難したことや反核運動でも有名になっています。作品も現代社会に対する批判を込めたものが多数あります。今回の受賞にあたり、スウェーデン・アカデミーはレッシング氏を「懐疑的視点と情熱、深い洞察力をもって分断された文明を厳しく見つめた」と評価しています。 | ||||
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2006年度 |
オルハン・パムク | PAMUK, Orhan | (1952-, トルコ) | |
イスタンブール出身。22歳で本格的に小説を書き始め、1982年にデビュー作でトルコで最も権威ある文学賞「オルハン・ケマル賞」を受賞し、注目されました。その後トルコの文化と伝統を題材にした作品を次々と発表しました。近年は西洋と非西洋の文化の違いやイスラム原理主義と世俗主義の対立を題材にした作品を発表し、9.11アメリカ同時多発テロ事件の背景を示唆したことでも話題になりました。これらの作品によって異文化間の衝突と混合の新たな象徴を見いだしたとしてノーベル賞を授賞しています。 | ||||
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2005年度 |
ハロルド・ピンター | PINTER, Harold | (1930-2008, イギリス) | |
ロンドンでユダヤ系の洋服仕立屋の息子として生まれました。第2次世界大戦中に疎開し、その後成長した彼はロンドンに戻り、創作活動に入りました。従来のリアリズム劇に疑問を投げかけ、現実のとらえがたさを直接描いた不条理演劇の方法で高い評価を受けています。多くの映画、ラジオの脚本も手がけており、“20世紀後半英国の最も偉大な劇作家”と呼ばれています。また、人権活動家としても知られ、イラク戦争では英米を激しく批判しました。劇中で怒りや悲しみなど日常生活に潜む危機と抑圧を描き出したとしてノーベル賞を受賞しました。 | ||||
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2004年度 |
エルフリーデ・イェリネク | JELINEK, Elfriede | (1946-, オーストリア) | |
オーストリアでユダヤ系チェコ人を父として生まれました。ウィーン大学で演劇学と美術史を専攻するも、大学紛争に係わって中退し、小説や戯曲などの創作活動に入りました。ドイツでは早くから評価が高く、最も価値の高い文学賞ビューヒナー賞に輝いています。言語的情熱といわれる音楽的な言葉の流れと社会の不条理を巧みに描き挙げたことでノーベル賞を受賞しました。 | ||||
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2003年度 |
ジョン・マックスウェル・クッツエー | COETZEE, John Maxwell | (1940-, 南アフリカ) | |
ケープタウンでオランダ系南アフリカ人の父とドイツ系の母の間に生まれた小説家。ニューヨーク州立大学や母校ケープタウン大学の教員を務めながら創作活動に励みました。『ダスクランド』(1974)など一連の作品は、現実を直接表現せず様々な物語の手法を使うことから「小説のメタフィジックを小説にしているポスト・モダン作家」と呼ばれています。 | ||||
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2002年度 |
ケルテース・イムレ | KERTESZ, Imure | (1920-2016, ハンガリー) | |
小説家。ブダペストでユダヤ人の子として生まれました。第二次世界大戦中にアウシュビッツ収容所に送られ、戦後開放されました。兵役を経て創作活動に入り、『運命がない人の物語』(1975)や『生まれなかった子供へのカディッシュ』(1990)などを発表しました。強制収容所での体験が全ての作品の原点となっています。 | ||||
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2001年度 |
V. S. ナイポール | NAIPAUL, Vidiadhar Surajprasad | (1932-2018, イギリス) | |
小説家。トリニダードにインド系の子として生まれ、オックスフォード大学を卒業しました。その後作家の道を歩み、『自由の国にて』(1971)がブッカー賞を得て有名作家になり、『暗い河』(1979)などを発表しました。また、紀行文学には『インド―闇の領域』(1964)や『イスラム紀行』(1981)などがあり、世界的に高く評価を受けています。 | ||||
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2000年度 |
高行健(カオ・シンジェン) | GAO, Xingjian | (1940-, フランス) | |
小説家、劇作家。江西章で生まれ、北京外国語学院フランス語学科を卒業しました。文革時代は紅衛兵運動に参加して共産党員となっています。モダニズムの観点から作品を発表し、戯曲『非常信号』(1982)や『バス停』(1983)などを発表しました。その後、パリに移り天安門事件の時代に『逃亡』(1990)を執筆しました。 | ||||
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1999年度 |
ギュンター・グラス | GRASS, Günter | (1927-2015, ドイツ) | |
作家、劇作家。ダンツィヒ(現在のポーランド、グダニスク)でドイツ人の父とカシュバイ人(スラブ系少数民族)の母の子に生まれました。国防軍に従軍して敗戦を迎え、戦後は彫刻家や石工を経て文筆活動をはじめ、幼児の捉えた庶民生活を『ブリキの太鼓』(1959)に著し有名になりました。現実と非現実を巧みに表現しています。 | ||||
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1998年度 |
ジョゼ・サラマーゴ | SARAMAGO, José | (1922-2010, ポルトガル) | |
独学で詩や評論を学び、ジャーナリストとしても活動した詩人。宗教性の高い『修道院の記念碑』(1982)でポルトガル・ペンクラブ賞を受賞しました。その後『イエス・キリストによる福音書』(1991)でもキリストの生涯を表現し、宗教の伝統性を想像や寓話を盛り込みながら追及しています。 | ||||
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1997年度 |
ダリオ・フォー | FO, Dario | (1926-2016, イタリア) | |
劇作家、俳優。ミラノで舞台芸術を学び、劇団を率いながら脚本を執筆し、社会風刺や喜劇の分野で人気を博しています。『神聖喜劇』をはじめ『あるアナーキストの事故死』や『払えない、払わない』などの中世の道化や権威の冷笑、弱者の尊厳を表現した風刺作品は訴訟騒ぎを呼んでいます。 | ||||
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1996年度 |
ビスワバ・シンボルスカ | SZYMBORSKA, Wislawa | (1923-2012, ポーランド) | |
ブニン生まれの女流詩人。雑誌の編集を務めながら詩を作り、『だからわれわれは生きている』(1955)でポーランド国家賞を受賞して注目されました。叙事詩の中で恋愛から哲学までを重厚に表現する詩風に定評があり、『ユートピア』(1989)や『終わりと始まり』(1993)などがあります。 | ||||
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1995年度 |
シェイマス・ヒーニー | HEANEY, Seamus | (1939-2013, アイルランド) | |
詩人。北アイルランドのデリーで生まれ、クイーンズ大学を卒業しました。人々の対立やアイルランド紛争の悲しみを『ナチュラリストの死』(1966)や『冬越え』(1972)、『北』(1975)などに表現し、イェーツ以来の英語圏最大の詩人と評価されています。オックスフォード大学の教授も務めました。 | ||||
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1994年度 |
大江健三郎(おおえ けんざぶろう) | OE, Kenzaburo | (1935-, 日本) | |
小説家。愛媛県に生まれ、東京大学文学部仏文学科に入学してサルトルの全作品を原書で読破し、『奇妙な仕事』(1957)は東京大学新聞の五月祭賞を受賞するなど、卒業するまで活発に創作活動を行いました。その後『飼育』(1958)で芥川賞を受賞し注目され、『個人的な体験』(1964)は新潮社文学賞も受賞しています。評論や随筆も多数執筆しています。 | ||||
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1993年度 |
トニ・モリスン | MORRISON, Toni | (1930-2017, トリニダードトバゴ) | |
女流作家。オハイオ州の黒人労働者の子に生まれ、コーネル大学などで文学や文化人類学を学びました。『ビラヴド、愛されし者』(1978)で南北戦争時の黒人奴隷の姿を描きピュリツァー賞を受賞しました。民間伝承などを盛り込みながら、黒人社会を力強く、逞しく描くことから人気の高い作家です。 | ||||
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1992年度 |
デレク・ウォルコット | WALCOTT, Derek | (1931-2019, アメリカ) | |
詩人。ウィンドウォーズ諸島のセント・ルシアに生まれ、ジャマイカのウエスト・インディーズ大学を卒業しました。18歳で『二十五の詩』(1948)を発表して、外国でも知られるようになりました。作品では人種問題や貧困などを取り上げています。その後ニューヨークで演劇を学び、帰国して西インド諸島の演劇の発展に尽力しました。 | ||||
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1991年度 |
ナディン・ゴーディマ | GORDIMER, Nadine | (1923-2014, 南アフリカ) | |
白人の女流小説家。ヨハネスバーグ近郊の町で生まれました。15歳から短編を発表し、以後40年以上にわたり文学活動を続けてきました。その間、『虚偽の日々』(1953)や『異邦人たちの世界』(1958)などの作品で、アパルトヘイトと白人社会の病理をテーマにした作品を多く発表しました。評論として『黒人の心を伝える者たち』があります。 | ||||
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1990年度 |
オクタビオ・パス | PAZ, Octavio | (1914-1998, メキシコ) | |
詩人、評論家。17歳で本格的に詩の道に入り『野生の月』(1933)で高い評価を得ました。その後、外交官として活躍し、日本に赴任していたこともあります。多くの詩集の他、評論にも力を注ぎメキシコ文化の本質を『孤独の迷宮』(1950)として著しました。ラテンアメリカを代表する現代詩人としてノーベル賞のほか、セルバンテス賞も受賞しています。 | ||||
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1989年度 |
カミロ・ホセ・セラ | CELA, Camilo José | (1916-2002, スペイン) | |
小説家。ガリシアで、スペイン人の父とアイルランド人の母との間に生まれました。マドリード大学を卒業後、スペイン内戦でフランコ軍に従軍しました。代表作『パスクワル・ドゥアルテの家族』(1942)は殺人犯の心理を描いていることから、当時発禁処分とされます。しかしその後は、多くの人たちに読まれる作品となりました。 | ||||
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1988年度 |
ナギブ・マフフーズ | MAHFOUZ, Naguib | (1911-2006, エジプト) | |
カイロの下町で生まれ、エジプト大学(現カイロ大学)の哲学科を卒業しています。修士課程に進みましたが執筆活動を優先し、公務員を務めながら作品を発表しています。『バイナ・カスライン』(1948)などの作品では、イスラム教徒として異教徒との融和の精神を重んじ、下町を舞台に描いた作品を多数執筆しています。アラブ世界で初めてのノーベル賞作家です。 | ||||
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1987年度 |
ヨシフ・ブロツキー | BRODSKY, Joseph | (1940-1996, アメリカ) | |
詩人。旧レニングラードにユダヤ人として生まれました。『クリスマス・バラード』(1962)などで詩人としての才能を認められますが、思想的問題から強制労働を宣告されました。その後、地下出版で詩作の幅を広げるも国外追放となり、アメリカに渡り大学界で歓迎され、執筆活動を続けました。 | ||||
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1986年度 |
ウォーレ・ショインカ | SOYINKA, Wole | (1934-, ナイジェリア) | |
詩人、劇作家。ヨルバ族に生まれ、イバダン大学を卒業後、イギリスのリーズ大学で文学を学びました。帰国後、幾つかの劇団を組織してアフリカ演劇にヨーロッパの風潮を取り入れようとしました。戯曲に『ライオンと宝石』(1963)や詩劇として『森の舞踏』(1963)などがあります。 | ||||
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1985年度 |
クロード・シモン | SIMON, Claude | (1913-2005, フランス) | |
旧フランス領マダガスカルの小説家。その後、フランスに移りパリ大学やイギリスのケンブリッジ大学で学びました。第二次世界大戦の捕虜生活を経て、ピレネー山麓に住まい、『風』(1957)、『草』(1958)、『フランドルへの道』(1960)などを書いています。フランス「新小説」の代表的作家といわれています。 | ||||
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1984年度 |
ヤロスラフ・サイフェルト | SEIFERT, Jaroslav | (1901-1986, チェコスロバキア) | |
プラハ出身の詩人。詩作活動初期の『涙の中の町』(1921)はプロレタリア詩ですが、後に共産党を離党し、「プラハの春」では「2000語宣言」に署名して自由を求めました。親ソ政権の復活後、国内での出版を拒否される状態が続きました。 | ||||
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1983年度 |
ウィリアム・ゴールディング | GOLDING, William | (1911-1993, イギリス) | |
小説家。コーンウォールに生まれ、オックスフォード大学で自然科学と英文学を学びました。第二次世界大戦では海軍に従軍し、戦後は教員を務めながら創作活動を行い、処女作『蝿の王』(1954)で大好評を博しました。『後継者たち』(1955)でも見られるように、倫理性や時間を駆使した独特の構想と手法で小説を展開しています。 | ||||
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1982年度 |
ガブリエル・ガルシア=マルケス | GARCIA MARQUEZ, Gabriel | (1928-2014, コロンビア) | |
小説家。アラカタカに生まれ、ボゴダ大学を中退。ジャーナリストとなり、ヨーロッパ各地で勤務、カストロ政権樹立後のキューバにも滞在しました。『落葉』(1955)や『大佐に手紙は来ない』(1961)で認められ、『百年の孤独』(1967)は世界の三十カ国以上の国語に翻訳されたと言われています。 | ||||
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1981年度 |
エリアス・カネッティ | CANETTI, Elias | (1905-1994, イギリス) | |
小説家。ブルガリアのルスチュク生まれのスペイン系ユダヤ人で、ウィーン大学を卒業し、科学の博士号を取得しましたが、ナチスの迫害を逃れロンドンに亡命しました。戯曲『結婚式』(1932)や『眩暈』(1935)などが第二次世界大戦後に評価されました。彼の思想の集大成とされる『群集と権力』(1960)があります。 | ||||
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1980年度 |
チェスワフ・ミウォシュ | MILOSZ, Czeslaw | (1911-2004, ポーランド・アメリカ) | |
詩人、随筆家。リトアニアに生まれ、ビリニュス大学で法律を学びました。パリに留学し『冷えきった時代の詩』(1933)を発表しました。第二次世界大戦中はワルシャワで地下出版活動を展開し、戦後は外交官となります。その後、アメリカに渡り大学教授なども務めました。古典的な抒情詩が多く、『まひるの明かり』(1955)などの作品があります。 | ||||
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1979年度 |
オディッセアス・エリティス | ELYTIS, Odysseus | (1911-1996, ギリシア) | |
詩人。クレタ島のイラクリオンに生まれました。アテネ大学を出て詩作の道に入り、『方向』(1939)や『第一の太陽』をシュルレアリスムの立場から発表しました。第二次世界大戦をアルバニアで戦い、その体験を『アルバニアで倒れた少尉に捧げる英雄的哀悼の歌』(1945)に著しました。「エーゲ海の詩人」と呼ばれています。 | ||||
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1978年度 |
アイザック・バシェヴィス・シンガー | SINGER, Isaac Bashevis | (1904-1991, アメリカ) | |
小説家。ポーランドのユダヤ系の家庭に生まれ、アメリカに亡命しました。ヘブライ語系のユダヤ語にスラブ語などが混ざった言語であるイディシュ語新聞を編集しながら、この言語で小説を書いて発表しました。『モスカト家』(1950)や『ゴライの悪魔』(1955)、童話集『短い金曜日』(1964)や自伝『父の法廷にて』(1966)などがあります。 | ||||
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1977年度 |
ビセンテ・アレイクサンドレ | ALEIXANDRE, Vicente | (1898-1984, スペイン) | |
小詩人。セビーリャの生まれ。マドリード大学を卒業して弁護士の資格を取得しましたが、病弱のため詩作に励み『破壊、もしくは愛』(1935)など一連の作品で人間の尊厳と愛を追求しました。スペイン詩にシュルレアリスムを取り入れた大きな功績を残しています。 | ||||
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1976年度 |
ソール・ベロー | BELLOW, Saul | (1915-2005, アメリカ) | |
小説家。カナダのケベックで生まれ、シカゴへ移り、シカゴ大学、ノースウェスタン大学で社会学や文化人類学を専攻しました。大学教員を務めながら小説を書き、『宙ぶらりんの男』(1944)が評価され、『オーギー・マーチの冒険』(1953)では全米図書賞を受賞しています。『フンボルト氏の贈物』(1975)など発表した作品は好評を博しました | ||||
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1975年度 |
エウジェーニオ・モンターレ | MONTALE, Eugenio | (1896-1981, イタリア) | |
詩人、評論家。ジェノバで生まれ、第一次世界大戦に従軍したのち、詩集『烏賊の骨』で詩壇にデビューしました。早くから目指していたオペラ歌手の才能が生かされ、また、芸術性の高い表現が認められた『ディナールの蝶』(1956)や『サトゥラ』(1971)を発表しました。評論集に『信仰証書』(1966)などがあります。 | ||||
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1974年度 |
ハリー・マーティンソン | MARTINSON, Harry | (1904-1978, スウェーデン) | |
小説家、詩人。ブリーキンゲで生まれ、孤児となったことから苦労を重ねて成長し、船員として世界を旅しました。詩集『幽霊船』(1929)など、船舶の乗組員としての体験が以後の多くの作品にも表れています。紀行文『当てのない旅』(1932)や長編詩である『アニアーラ』(1956)などは高い評価を受けています。 | ||||
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エイヴィンド・ユーンソン | JOHNSON, Eyvind | (1900-1976, スウェーデン) | ||
小説家。北極圏近くのノルランドに生まれ、ベルリンやパリで生活しました。『四人の見知らぬ人』(1924)で文壇に登場し、四部作『オーロフ物語』(1934-1937)や三部作『クリロン』(1941-1943)で名声を高めました。前衛的な表現手法が持ち味になっており、「異色作家」と呼ばれています。 | ||||
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1973年度 |
パトリック・ホワイト | WHITE, Patrick | (1912-1990, オーストラリア) | |
ロンドン出身の小説家、短編作家、劇作家。両親はオーストラリア人です。小説『ボス』(1957)が海外でも評価され、ヨーロッパ的心理主義をオーストラリアの写実主義に取り入れた戯曲集の『生体解剖者』(1970)などでオーストラリア人初めてのノーベル文学賞受賞作家となりました。 | ||||
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1972年度 |
ハインリヒ・ベル | BÖLL, Heinrich | (1917-1985, 旧西ドイツ) | |
ロンドン出身の小説家、短編作家、劇作家。両親はオーストラリア人です。小説『ボス』(1957)が海外でも評価され、ヨーロッパ的心理主義をオーストラリアの写実主義に取り入れた戯曲集の『生体解剖者』(1970)などでオーストラリア人初めてのノーベル文学賞受賞作家となりました。 | ||||
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1971年度 |
パブロ・ネルーダ | NERUDA, Pablo | (1904-1973, チリ) | |
パラル出身の詩人。チリ大学の教員養成所時代に、詩集『祭りの歌』(1921)で大学連盟賞を受けました。『熱狂的な投石兵』(1933)を発表後、インド大使となり、東洋に滞在した経験を『地上のすみか』(1933)に著しました。国会議員を務めましたが、弾圧されて亡命を経験しています。その最中で『大いなる歌』(1950)などを意欲的に発表しました。 | ||||
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1970年度 |
アレクサンドル・イーサエヴィチ・ソルジェニーツィン | SOLZHENITSYNS, Aleksandr Isaevich | (1918-2008, 旧ソ連) | |
小説家。ロストフ大学で物理・数学を専攻。第二次世界大戦従軍中にスターリン批判をしたとして8年間服役しましたが、名誉回復後の『イワン・デニーソビッチの一日』(1962)は高い評価を受けました。『胴巻のザハール』(1966)以降、作家同盟を除名され、『ガン病棟』(1968)や『煉獄のなかで』(1968)は国外で発表しました。ノーベル賞受賞後に国外追放となり、ソ連崩壊後にロシア連邦に帰国しました。 | ||||
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1969年度 |
サミュエル・ベケット | BECKETT, Samuel | (1906-1989, アイルランド) | |
小説家、劇作家。ダブリン郊外に生まれ、1937年よりフランスに定住して小説『モロイ』(1951)や戯曲『ゴドーを待ちながら』(1953)などを発表しました。また、ラジオ台本『すべて倒れんとするもの』(1957)をはじめ映画の台本なども手がけ、人々の精神的苦境を見事に描いています。 | ||||
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1968年度 |
川端康成(かわばた やすなり) | KAWABATA, Yasunari | (1899-1972, 日本) | |
小説家。大阪に医者の子として生まれ、東京帝大国文学科を卒業。『招魂祭一景』(1921)で菊池寛に認められ、新感覚派の代表とされました。代表作『伊豆の踊子』(1927)や『雪国』(1935-1937)は、抒情性が高く国内だけでなく海外でも多くの言語に翻訳されて読まれています。 | ||||
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1967年度 |
ミゲル・アンヘル・アストゥリアス | ASTURIAS, Miguel Angel | (1899-1974, グアテマラ) | |
小説家、詩人。大学で法律を学び政治運動に参加しています。その後、パリで『グアテマラ伝説集』(1930)を発表しました。帰国して『大統領閣下』(1946)や『強風』(1950)、『緑の法王』(1954)などを書いて有名作家となりました。作品を通じてインディオが西洋文明に触れ、堕落することを警告しています。 | ||||
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1966年度 |
ネリー・ザックス | SACHS, Nelly | (1891-1970, スウェーデン) | |
女流詩人。ベルリンのユダヤ人の子に生まれました。ナチスの迫害から逃れ、ストックホルムに亡命しました。『死の棲家にて』(1947)をはじめ、『星の蝕』(1949)、『逃走と変容』(1959)、『たずねる女』(1966)などの作品で迫害の体験を描いています。 | ||||
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シュムエル・ヨセフ・アグノン | AGNON, Shmuel Yosef | (1888-1970, イスラエル) | ||
小説家。ポーランドのガリシアで生まれ、パレスチナに渡り、移住運動をすすめる傍ら創作活動をはじめました。作品には『嫁入り』(1937)や『夜の客』(1940)『恐れの日』(1948)などがあり、ユダヤ人の宗教や生活をユーモアや愛情を交えて表現することが多い現代イスラエルを代表する作家です。 | ||||
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1965年度 |
ミハイル・アレサンドロヴィチ・ショーロホフ | SHOLOKHOV, Michail Aleksandrovich | (1905-1984, 旧ソ連) | |
小説家。ドン川流域の寒村に生まれ、ソビエト政権誕生と共に15歳で革命委員会に入りました。モスクワで『ほくろ』(1924)を発表し、『ドン物語』(1926)や『るり色の曠野』(1926)が認められています。長篇『開かれた処女地』(1932-1960)はレーニン章を受賞し、ソビエト最高の作家となりました。 | ||||
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1964年度(辞退) |
ジャン=ポール・サルトル | SARTRE, Jean-Paul | (1905-1980, フランス) | |
エコール・ノルマル・シュペリュールを卒業の小説家、劇作家、哲学者。小説『嘔吐』(1938)で認められるも、第二次世界大戦で捕虜となったのち、レジスタンスに加わりました。その後『存在と無』(1943)によって、哲学者としても認められ、戯曲には『汚れた手』(1948)などがあります。作品は幅広い分野に及び、実存主義的思想家として活躍しました。1964年受賞のノーベル賞を辞退しています。 | ||||
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1963年度 |
イオルゴス・セフェリス | SEFERIS, Giorgos | (1900-1971, ギリシア) | |
詩人。アテネ大学とパリ大学で学び、外務省にて外交官を務めました。その傍ら詩を作り、『分岐点』(1931)を発表しました。さらに、『ミシストリマ』(1935)や『練習帳』(1940)、『つぐみ』(1947)などで、ギリシャ神話を題材にした思索的な作品を特徴としています。 | ||||
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1962年度 |
ジョン・スタインベック | STEINBECKS, John | (1902-1968, アメリカ) | |
小説家。カリフォルニアに生まれ、スタンフォード大学を中退して幾つかの職業についた後に、『トーティーヤ平』(1935)で作家として認められました。『怒りの葡萄』(1939)は「アメリカ20世紀文学の大叙事詩」といわれ、その後の『エデンの東』(1952)は世界的に大好評を博しました。 | ||||
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1961年度 |
イヴォ・アンドリッチ | ANDRIC, Ivo | (1892-1975, 旧ユーゴスラビア) | |
詩人。ボスニアで生まれ、グラーツ大学を卒業して博士号を取得しました。外務省に勤務し、引退後はドイツ軍のベオグラード占領で詩作に専念しました。『ドリナの橋』(1945)や『ボスニア物語』(1945)、『呪われた中庭』(1954)などの叙事詩を発表しています。 | ||||
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1960年度 |
サン=ジョン・ペルス | PERSE, Saint-John | (1887-1975, フランス) | |
詩人。西インド諸島で生まれ、ボルドー大学を卒業しました。外交官を務めながら詩集『讃歌』(1911)や『遠征』(1924)を発表しています。ドイツ軍のパリ占領と共にアメリカに亡命し、後に帰国して『年代記』(1959)を出しました。雄大で幻想的な詩風が特徴です。 | ||||
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1959年度 |
サルヴァトーレ・クァジーモド | QUASIMODO, Salvatore | (1901-1968, イタリア) | |
詩人。シチリア島モディカに生まれ、ローマ大学工学部を中退して建設省の技師となりました。『水と土』(1930)などの初期の作品は、故郷を舞台にしたものが多くあります。『そしてもうすぐ日暮れがくる』(1942)など、第二次世界大戦中に作られた作品は反ファシズム抵抗運動の「抵抗詩」としての要素を持っています。 | ||||
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1958年度(辞退) |
ボリス・レオニドビッチ・パステルナーク | PASTERNAK, Boris Leonidovich | (1890-1960, 旧ソ連) | |
詩人、小説家。モスクワ大学哲学科卒業後、詩集『雲の中の双生児』(1914)でデビューし、『わが妹―人生』(1922)や『スペクトルスキー』(1932)などの文学活動を行いましたが、革命後の一時期、芸術的良心を守るとして創作活動を中止しました。長編小説『ドクトル・ジバゴ』(1957)はソ連国内では発表できず、イタリアで刊行したものです。1958年ノーベル賞を辞退しています。 | ||||
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1957年度 |
アルベール・カミュ | CAMUS, Albert | (1913-1960, フランス) | |
小説家、劇作家。旧フランス領のアルジェリアで生まれ、アルジェ大学で哲学を修めて新聞記者となりました。第二次世界大戦ではレジスタンスにも加わっています。有名な『異邦人』(1942)の発表後、人間の不条理さを示した評論の『シーシュポスの神話』(1942)や『反抗的人間』(1951)はサルトルとの論争を呼んでいます。 | ||||
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1956年度 |
ホアン・ラモン・ヒメネス | JIMENEZ, Juan Ramón | (1881-1958, スペイン) | |
詩人。アンダルシア地方のモゲールで生まれ、内戦を避けてキューバやアメリカ、プエルトリコに移りました。『すみれの心』(1900)など初期の詩は、華やかな芸術感覚を取り入れたものでしたが、代表作『プラテーロと私』などでは純粋詩を目指し、スペインやラテンアメリカの詩の世界に大きな影響を与えました。 | ||||
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1955年度 |
ハルドール・キリヤン・ラックスネス | LAXNESS,Halldór Kiljan | (1902-1998, アイスランド) | |
小説家。レイキャビックで生まれ、後に移り住んだラクスネスの地をペンネームとしました。17歳で『自然の子』(1919)を発表して才能を示すも、すぐに海外に渡り多くの職業を経験しています。帰国後に刊行した『サルカ・バルカ』全2巻(1931-1932)で作家として認められました。『アイスランドの鐘』全3巻(1943-1946)は国民的小説です。 | ||||
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1954年度 |
アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ | HEMINGWAY, Ernest Miller | (1899-1961, アメリカ) | |
小説家。シカゴ郊外で生まれ、新聞記者を経て第一次世界大戦に従軍しました。戦後、再び新聞社に勤めフランスに駐在しています。『日はまた昇る』(1926)や『器よさらば』(1929)で作家として不動の地位を確立しました。また、『誰がために鐘は鳴る』(1940)や『老人の海』(1952)などで、叙事性や芸術性を示しています。 | ||||
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1953年度 |
ウィンストン・チャーチル | CHURCHILL, Winston Leonard Spencer | (1874-1965, イギリス) | |
軍人、政治家。第一次世界大戦では海軍相となり、第二次世界大戦ではチェンバレンの後を継いで首相に就任してドイツと戦いました。また、戦後も首相を務めています。著作に『マラカンド野戦軍記』(1898)や『世界の危機』全4巻(1923-1931)、さらには有名な『第二次世界大戦回顧録』全6巻(1984-1954)などがあります。 | ||||
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1952年度 |
フランソワ・モーリアック | MAURIAC, François | (1885-1970, フランス) | |
ボルドー大学を卒業した小説家。詩集『合掌』で才能を示したが後に、小説の世界へと移り、『愛の砂漠』(1925)や『テレーズ・デスケイルー』(1927)で小説家として認められるようになりました。心理主義的リアリズムの表現手法を特徴としており、戯曲『愛されぬ人々』(1945)や評論『内面の記録』(1959)などがあります。 | ||||
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1951年度 |
ペール・ラーゲルクヴィスト | LAGERKVIST, Pär Fabian | (1891-1974, スウェーデン) | |
詩人、劇作家、小説家。ベックシェーに生まれ、ウプサラ大学を卒業しました。『人間』(1912)などを経て発表した詩集『不安』(1916)は、表現派としての才能を強く印象付けたもので、多くの人に認められました。代表作とされる『バラバ』(1950)など、宗教的な内容を持つ著作が高く評価されています。 | ||||
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1950年度 |
バートランド・ラッセル | RUSSELL, Earl Bertrand Arthur William | (1872-1970, イギリス) | |
哲学者、思想家、数学者。子爵の子に生まれ、ケンブリッジ大学を卒業しています。母の死からピューリタンである叔母の影響を受けて育ち、生涯に渡り道義的な思想を貫きました。若き頃には、マルクス主義に理解を示しながら、第一次世界大戦下で平和運動を進めています。多くの著作を持ち、自由恋愛の理論を『結婚と道徳』(1929)で示しています。 | ||||
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1949年度 |
ウィリアム・フォークナー | FAULKNER, Williamr | (1897-1962, アメリカ) | |
小説家。ミシシッピ州に生まれ、詩集『大理石の牧神』(1924)で文壇に上がり、小説『兵士の報酬』(1926)を発表しました。架空の町を舞台にした連作『響きと怒り』(1929)や『アブサロム、アブサロム!』(1936)などで名を高め、ノーベル賞を受賞しています。また、『寓話』(1952)ではピュリッツァー賞も受賞しました。 | ||||
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1948年度 |
トーマス・スターンズ・エリオット | ELIOT, Thomas Stearns | (1888-1965, イギリス) | |
詩人、評論家。アメリカで生まれ、ハーバード大学、パリ大学、オックスフォード大学や大学院で、文学や哲学、心理学などを身に付け、イギリスに帰化しました。詩『荒地』(1922)を文芸誌に発表して有名になり、新手法を用いた詩劇『大聖堂の殺人』(1935)などで「現代詩劇の先駆者」といわれるようになりました。評論集には『聖なる森』があります。 | ||||
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1947年度 |
アンドレ・ジード | GIDE, Andréont | (1869-1951, フランス) | |
小説家。パリ大学の教授の子に生まれました。恋愛小説『アンドレ・ワルテルの手記』(1891)を自費で出版し、アフリカ旅行で得た経験を『地の糧』(1897)に著しています。『狭き門』(1909)は好評を博し、彼の代表作となりました。その後、共産主義に転向しますが、ソ連の現実に落胆してこの見地からも離れました。 | ||||
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1946年度 |
ヘルマン・ヘッセ | HESSE, Hermann | (1877-1962, スイス) | |
小詩人、小説家。カルフで牧師の子に生まれ、神学校を退学して詩人となりました。詩集『ロマン的な歌』(1899)や詩文集『ヘルマン・ラウシャー』(1901)を経て、『ペーター・カーメンチント』(1904)で名を高めました。二つの世界大戦には一貫して反戦の立場を貫き、平和を唱えていました。 | ||||
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1945年度 |
ガブリエラ・ミストラル | MISTRAL, Gabriela | (1889-1957, チリ) | |
女流詩人で外交官。最初は教職につき、詩集『悲嘆』(1922)によって詩人の才能が認められます。その後、『破壊』(1938)や『ぶどう桶』(1954)など、人間の愛と苦悩を表現した作品を発表しました。教育家として、メキシコに招かれ教育改革にもあたっています。ラテンアメリカで初めてノーベル賞を受賞した人物です。 | ||||
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1944年度 |
ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン | JENSEN, Johannes Vilhelm | (1873-1950, デンマーク) | |
小説家。ヒンメルラン地方で生まれ、コペンハーゲン大学で薬学を学びました。『ヒンメルラン短編集』全3巻(1898-1910)で故郷を描き、人気を博しました。また、『長い旅』全6巻は文化史小説といわれ、彼の名は国外でも有名になりました。郷土文学の指導者として文学改革を提唱しています。 | ||||
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1943年度 |
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受賞者なし | ||||
1942年度 |
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受賞者なし | ||||
1941年度 |
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1940年度 |
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1939年度 |
フランス・エーミル・シランペー | SILLANPÄÄ, Frans Eemil | (1888-1964, フィンランド) | |
小説家。ハメーンキュロに生まれ、大学で生物学と植物学を学んでいます。『人生と太陽』(1916)で高い芸術性が評価され、続く『聖惨』(1919)では内戦に巻き込まれた農民を描き、代表作となりました。彼の作品の幅は広く、心理小説『ヒルトゥとラグナル』(1923)や神秘的な内容を持つ『若く逝きし者』(1931)などがあります。 | ||||
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1938年度 |
パール・バック | BUCK, Pearl | (1892-1973, アメリカ) | |
女流小説家。ウェストバージニアで生まれ、宣教師の両親と共に中国に渡り、同地に長く滞在しました。『東の風、西の風』(1930)で東西文明の融和を願い、さらに代表作である『大地』(1931)でピュリッツァー賞を受賞しました。 | ||||
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1937年度 |
ロジェ・マルタン=デュ=ガール | MARTIN DU GARD, Roger | (1881-1958, フランス) | |
小説家。パリ郊外で生まれ、エドール・デ・シャルト(国立古文書学院)を卒業しました。『ジャン・バロワ』(1913)で認められますが、第一次世界大戦に召集されてしまいます。戦後、20年を要した大河小説『チボー家の人々』(1936)を発表して高く評価され、人気を揺るぎないものとしました。 | ||||
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1936年度 |
ユージン・オニール | MO'NEILL, Eugene Gladstone | (1888-1953, アメリカ) | |
劇作家。アイルランド系移民の子としてニューヨークで生まれました。プリンストン大学を中退して文筆活動をはじめ、『カーディフさして東へ』(1916)や『地平線の彼方』(1920)が人気を博し、その後ピュリッツァー賞を受賞しています。アメリカ演劇界に近代性をもたらした人物として注目されました。 | ||||
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1935年度 |
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受賞者なし | ||||
1934年度 |
ルイジ・ピランデッロ | PIRANDELLO, Luigi | (1867-1936, イタリア) | |
劇作家、小説家。シチリア島に生まれ、ローマ大学やボン大学で学んでいます。初期は『楽しい悪』(1889)や『愛なき愛』(1894)などベリズモ(イタリア・リアリズム)文学の立場から作品を書いていました。やがて現実的な作風に代わり、戯曲『作者をさがす六人の登場人物』(1920)における「劇中劇」の手法で有名になりました。 | ||||
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1933年度 |
イワン・アレクセーヴィチ・ブーニン | BUNIN, Ivan Alekseyevich | (1870-1953, 旧ソ連) | |
詩人、小説家。ロシアの貴族の子に生まれ、後に没落してモスクワ大学を中退しています。伝統的な古典派詩人として『落葉』(1901)を発表してプーシキン賞を受賞しました。その後、ロシア・リアリズムの立場から『村』(1909-1910)や『サンフランシスコから来た紳士』(1915)などを発表し、フランスに亡命しました。 | ||||
1932年度 |
ジョン・ゴールズワージイ | GALSWORTHY, John | (1867-1933, イギリス) | |
劇作家、小説家。オックスフォード大学で法律を学び弁護士となるも、やがて文筆活動をはじめ、小説『資産家』(1906)が認められました。戯曲では『銀の箱』(1906)が上演されて劇作家としての道を開いきました。『フォーサイト家の記録』といわれる一連の作品は歴史的な記録として重視されています。 | ||||
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1931年度 |
エリク・アクセル・カールフェルト | KARLFELDT, Erik Axel | (1864-1931, スウェーデン) | |
詩人。ダーラナ地方で生まれ、ウプサラ大学を卒業しています。新ロマン派の立場から、生地ダーラナを題材にした叙事詩『フリードリンの歌』(1898)や代表作となった『フリードリンの楽園』を発表し、国民に愛されました。選ぶ立場にあったことから固辞し続けていたノーベル賞を死後に受賞しています。 | ||||
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1930年度 |
シンクレア・ルイス | LEWIS, Sinclair | (1885-1951, アメリカ) | |
小説家。エール大学を卒業後、『本町通り』(1920)でアメリカ中西部の保守的因習を風刺しました。その後、中産階級をテーマにした『バビット』(1922)で作家としての地位を不動のものとしています。また、『エルマー・ガントリー』(1927)は宗教界の矛盾を描いたもので、写実主義的作風を得意とする彼の代表作となりました。 | ||||
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1929年度 |
トーマス・マン | MANN, Thomas | (1875-1955, ドイツ) | |
リユーベック出身の小説家。自然主義に影響を受けた短編『転落』(1894)が認められ、長編『ブッデンブローク家の人々』(1901)が人気を呼びました。さらに、『ベニスに死す』(1913)や『魔の山』(1924)では極めて高い評価を得ています。ナチス政権の時代は、反ファシズムの立場をとりアメリカへ亡命しました。 | ||||
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1928年度 |
シグリ・ウンセット | UNDEST, Sigrid | (1882-1949, ノルウェー) | |
女流作家。デンマークのカルンボアに生まれ、オスロで苦労した生活を送ります。その間『マルタ・ウーリー夫人』(1907)を執筆し、その後の『イェンニィ』(1911)によって、北欧の新リアリズム文学の誕生として国外でも認められました。宗教を扱った歴史小説『オラーブ・アウドゥンスソン』(1925-1927)が有名です。 | ||||
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1927年度 |
アンリ・ベルグソン | BERGSON, Henri | (1859-1941, フランス) | |
ユダヤ系ポーランド人としてパリで生まれた思想家、哲学者。エコール・ノルマルで学び、『意識の直接与件に関する試論』(1889)を発表後、コレージュ・ド・フランスの教授に就任して、唯心論を唱えました。国際連盟の知的協力国際委員会委員や政府特使も務め、第一次世界大戦へのアメリカの参戦を促しました。 | ||||
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1926年度 |
グラツィア・デレッダ | DELEDDA, Grazia | (1871-1936, イタリア) | |
女流小説家。サルデニーア島で生まれ、独学で才能を開かせました。『サルデニーアの花』(1892)など、故郷の農民を扱う作品をヒューマニズムと郷土色を交えて表現し、ベリズモ(イタリア・リアリズム)文学を代表する一人とされています。『エリアス・ポルトル』(1903)が代表作です。 | ||||
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1925年度 |
ジョージ・バーナード・ショー | SHAW George Bernard | (1856-1950, イギリス) | |
劇作家。ダブリンに生まれ、ロンドンに移りました。戯曲『男やもめの家』(1891)が好評をえて、その後、『悪魔の弟子』(1897)など50編の戯曲を残しました。注目を浴びることを好み、辛辣な風刺と皮肉が持ち味とされ、軽妙な表現をとることから説得力に欠ける文章もあるといわれています。 | ||||
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1924年度 |
ヴワディスワフ・レーモント | REYMONT, Wladyslaw Stanislaw | (1867-1925, ポーランド) | |
小説家。コベレベルケの農村に生まれ、旅役者として演劇の道を進みますが、ルポルタージュ『ヤスナ・ゴーラへの巡礼』(1895)で小説家として評価されました。自然主義的リアリズムに立脚した『喜劇女優』(1896)や『約束の地』(1899)を経て書いた『農民』全4巻(1902-1909)は、彼の名を世界へ知らしめました。 | ||||
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1923年度 |
ウィリアム・バトラー・イェイツ | YEATS, William Butler | (1865-1939, アイルランド) | |
詩人、劇作家。ダブリン郊外で生まれ、ロンドンへ移住しました。父の影響から画家を志すも、その後ロマン派詩人として活動し、『アシーンの放浪とその他の詩』(1889)が注目を集めました。アイルランド文芸復興運動を進め、上院議員も務めています。詩集『塔』(1928)は現代詩の源流と高く評価されています。 | ||||
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1922年度 |
ハシント・ベナベンテ | BENAVENTE, Jacinto | (1866-1954, スペイン) | |
劇作家。マドリードで医者の子として生まれました。マドリード大学中退後、芸人一座を組織してヨーロッパを興行しています。三角関係をテーマにした『他人の巣』(1894)で評価され、上流社会を風刺する『土曜の夜』(1903)や田舎の封建性を描いた『奥様』(1908)などで、スペイン演劇界の発展に貢献しました。 | ||||
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1921年度 |
アナトール・フランス | FRANCE, Anatole | (1844-1924, フランス) | |
パリの古書籍商の子として生まれた作家、批評家。高踏派詩人の影響を受けた『黄金詩集』(1873)を経て、『シルベストル・ボナール』(1881)を発表して認められるようになりました。また、新聞で連載された批評は『文芸生活』全4巻(1888-1892)として、印象批判の立場を貫き好評を博しました。広い学識に基づく洗練された筆致が特徴です。 | ||||
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1920年度 |
クヌート・ハムスン | HAMUSUN, Knut Pedersen | (1859-1952, ノルウェー) | |
劇作家、詩人。幼い時から苦労を重ね、アメリカに渡り多くの職業に就き、帰国後は物質文明を批判しています。『飢え』(1890)を発表後、一大叙事詩とされる『土の恵み』(1917)で世界的に有名になりました。ノーベル賞受賞後はナチスに協力し戦後、戦犯として財産を没収、失意のうちに逝去しました。 | ||||
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1919年度 |
カール・シュピッテラー | SPITTELER, Carl Friedrich Georg | (1845-1924, スイス) | |
詩人、小説家。バーゼル大学で法律と神学を修めました。ロシアやフィンランド滞在を経て、英雄悲劇的世界観とされる叙事詩『プロメテウスとエピメテウス』(1881)を世に出しました。また、自伝的小説『イマーゴ』(1906)は後にフロイトやユングの精神分析学の対象にもなっています。 | ||||
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1918年度 |
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受賞者なし | ||||
1917年度 |
カール・ギェレルプ | GJELLERUPG, Karl Adolph | (1857-1919, デンマーク) | |
小説家。牧師の子に生まれ神学を修めるも、後にキリスト教から離れ無神論的ヒューマニストとなりました。『一理想主義者』(1878)でその考えを明らかにし、ヨーロッパの数々の文学者の精神や東洋の仏教思想も研究するなど、幅広い思考を多くの作品に表しています。 | ||||
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ヘンリク・ポントビダン | PONTOPPIDAN,Henrik | (1857-1943, デンマーク) | ||
小説家。牧師の子として生まれるも聖職には就かず、土木工学を専攻しました。教師を経て文学の道に入り、自然主義の立場から『約束の土地』全3巻 (1891-1895)や『死者の国』全2巻(1912-1916)を発表し、社会矛盾を明らかにすることで弱者から支持されました。 | ||||
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1916年度 |
ヴェルネル・フォン・ハイデンスタム | HEIDENSTAM, Carl Gustaf Verner von | (1859-1940, スウェーデン) | |
詩人、小説家。画家を志していましたが、家業の農場経営に携わりながら詩作の道へと進みました。東洋旅行の経験を詩集『巡礼と放浪の歳月』(1888)として発表の後、『詩集』(1895)や『カール王の軍兵』(1897-1898)などで国民的詩人と目されました。第二国歌『スウェーデン』は彼の作詞です。 | ||||
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1915年度 |
ロマン・ロラン | ROLLAND, Romain | (1866-1944, フランス) | |
小説家、劇作家、評論家。ブルゴーニュ地方で生まれ、エコール・ノルマルで歴史学を学びました。『ジャン・クリストフ』(1912)の発表で評価され、スイスで平和運動に従事しながら刊行した『戦いを超えて』(1915)は、ノーベル文学賞の受賞に繋がる作品となりました。理想主義的立場から反ファシズムを貫き、ノーベル賞の賞金は赤十字社などに寄付をしています。 | ||||
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1914年度 |
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受賞者なし | ||||
1913年度 |
ラビンドラナート・タゴール | TAGORE, Rabindranath | (1861-1941, インド) | |
有名なベンガル語詩人で文学者、思想家の子としてカルカッタ(現コルカタ)で出身です。イギリスで教育を受け、帰国後は村人たちと交流を持ちながら『ギーターンジャリ』(1910)を刊行して英訳し、ノーベル賞を受賞しました。宗主国イギリスからナイトの称号を贈られますが、アムリッツァル大虐殺に抗議して返還しました。 | ||||
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1912年度 |
ゲルハルト・ハウプトマン | HAUPTMANN, Gerhart Johann Robert | (1862-1946, ドイツ) | |
劇作家、小説家。イエナ大学で歴史と哲学を専攻しており、戯曲『日の出前』(1889)が近代自然主義演劇として認められました。その後『ハンネレの昇天』(1895)や『カルル大帝の人質』(1908)など多くの作品を書く中で、ロマン主義から古典主義的な傾向に移ったといわれています。 | ||||
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1911年度 |
モーリス・メーテルリンク | MAETERLINCK, Maurice | (1862-1949, ベルギー) | |
詩人、劇作家。正式な名はメーテルリンク伯爵モーリス・ポリドール・マリ・ベルナール (Maurice Polydore Marie Bernard, comte de Maeterlinck)。法律を学び弁護士も務めました。戯曲『マレーヌ王女』(1889)がシェイクスピアを超える表現力として好評を得、その後『モンナ・バンナ』(1902)など多くの秀作を発表しました。中でも、童話劇『青い鳥』(1908)は子供たちに大きな夢を与え、現在も世界で多く読まれています。 | ||||
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1910年度 |
パウル・ハイゼ | HEYSE, Paul Johann Ludwig | (1830-1914, ドイツ) | |
小説家、劇作家、詩人。ギリシャ語、ラテン語などが堪能で、ロマン主義に立脚した優雅で華やかな筆致で優れた短編小説『ララビアータ』(1855)や戯曲『コルベルク』(1868)を発表しました。特に、短編小説には定評があります。 | ||||
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1909年度 |
セルマ・ラーゲルレーヴ | LAGRLǑF, Selma Ottilia Lovisa | (1858-1940, スウェーデン) | |
小説家。教師を務めながら『イエスタ・ベルリング物語』(1891)を書きました。この成功に続き『地主屋敷の物語』(1899)や『エルサレム』(1901-1902)など、創造性のある説話や童話を発表してスウェーデンを代表する作家となり、女性で初のノーベル賞受賞者となりました。 | ||||
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1908年度 |
ルドルフ・オイケン | EUCKEN, Rudolf Christoph | (1846-1926, ドイツ) | |
哲学者。バーゼル大学とイエナ大学の教授を務めました。西ヨーロッパの資本主義が帝国主義に変化する中で、ブルジョア思想の代表的存在とされていました。『意識における精神生活の統一と人間性の行為』(1888)、『生の意味と価値』(1908)など生の哲学について述べています。 | ||||
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1907年度 |
ラドヤード・キップリング | KIPLING, Rudyard | (1865-1936, イギリス) | |
イギリス領インドのボンベイで生まれた小説家。イギリス本国で教育を受けたのちインドへ渡り、この地を舞台にした作品が人気を博しました。『ジャングル・ブック』(1894)は特に有名です。『兵営の歌』(1892)でバイロンやテニソンの名声を上回り、桂冠詩人に推されました。 | ||||
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1906年度 |
ジョズエ・カルドゥッチ | CARDUCCI, Giosuè | (1835-1907, イタリア) | |
イギリス領インドのボンベイで生まれた小説家。イギリス本国で教育を受けたのちインドへ渡り、この地を舞台にした作品が人気を博しました。『ジャングル・ブック』(1894)は特に有名です。『兵営の歌』(1892)でバイロンやテニソンの名声を上回り、桂冠詩人に推されました。 | ||||
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1905年度 |
ヘンリク・シェンキェヴィチ | SIENKIEWICZ, Henryk | (1846-1916, ポーランド) | |
小説家。ロシア占領下のポドリア地方に生まれ、ワルシャワ大学卒業後、新聞社に入り、アメリカ特派員を務めました。17世紀のコサックやスウェーデンに対する母国の闘争の歴史を描いた『火と剣とをもって』全4巻(1885)など3部作は広く国民に愛読されました。 | ||||
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1904年度 |
ホセ・エチュガライ・イ・エイサギレ | ECHEGARAY Y EIZAGUIRRE, José | (1832-1916, スペイン) | |
劇作家。数学、物理学、経済学に精通し政治家としても活躍をしました。劇作家としては『割符帳』(1874)の他、多くの作品を発表し、演劇部門のロマン派最後の代表者とされています。『恐ろしいなかだち』(1881)は、筋立ても上手く彼の代表作といわれています。 | ||||
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フレデリック・ミストラル | MISTRAL, Frédéric | (1830-1914, フランス) | ||
小説家。ロシア占領下のポドリア地方に生まれ、ワルシャワ大学卒業後、新聞社に入り、アメリカ特派員を務めました。17世紀のコサックやスウェーデンに対する母国の闘争の歴史を描いた『火と剣とをもって』全4巻(1885)など3部作は広く国民に愛読されました。 | ||||
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1903年度 |
ビョルンスチアーネ・ビョルンソン | BJORNSON, Bjørnstjerne Martinus | (1832-1910, ノルウェー) | |
19世紀のノルウェーを代表する詩人で、祖国を称えた国歌を作詞するなど、国民詩人と呼ばれています。スウェーデンとの同君連合からの独立運動や少数民族の解放に尽力しました。また、『日向丘の少女』(1857)や戯曲『破産』(1875)などを発表して大好評を博しました。 | ||||
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1902年度 |
テオドール・モムゼン | MOMMSEN, Theodor | (1817-1903, ドイツ) | |
歴史学者で文学賞を受けたのは、この人物だけです。ライプチヒ大学教授や下院議員を務め、ドイツ統一でビスマルクと対立します。多くの名著があり、『ローマ史』(1854-1885)は4巻を未刊として5巻が出るという異例のものでしたが高い評価を受け、当時のローマ研究の第一人者とされています。 | ||||
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1901年度 |
シュリ・プリュドム | PRUDHOMME, Sully | (1839-1907, フランス) | |
パリの商人の子に生まれ、詩作の道に入りました。高踏派の立場から『詩賦集』(1865)を発表して認められましたが、道徳や思想、さらには表現性の面で高踏派を超えた詩のあり方を追求し、叙情詩『幸福』(1888)などで良心や自己犠牲など精神性の高い詩を残しました。 | ||||
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