![]() |
|
京都外国語大学付属図書館 京都外国語短期大学図書館 |
主題別書誌データベース | ||
対外交渉史の中の漂流記 |
このデータベースは海外に漂流して帰国した、あるいは帰国しなかった人物に関する書物を検索出来ます。 | ||
なお、人名項目は漂流事件が勃発した年代順に並べて表記しています。 |
(2017年2月21日公開) |
知りたい項目の検索アイコンをクリックしてください。 |
ロシア | |||||
ゴンザ Gonza, 1717 (享保2) 年~1739 (元文4) 年 |
|||||
薩摩 (現・鹿児島県) 出身の船乗り。享保14 (1729) 年、当時12歳前後の少年船乗りとして薩摩を出港。時化のためロシアのカムチャッカ半島に漂着。ロシアの 東進政策で重用され、ペテルブルクで露日辞典の編纂に携わった。完成した日露辞書は一万数千語を収録していたが、実質的には「露薩辞書」であったと言 われている。なお、彼は22歳で他界し、二度と母国に戻らなかった。 | |||||
大黒屋光太夫 DAIKOKUYA Kodayu, 1751 (宝暦元) 年~1828 (文政11) 年 |
|||||
伊勢 (現・三重県) の神昌丸船頭。天明2 (1782) 年、神昌丸が漂流しアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。シベリアから帝都サンクトペテルブルクへ入り、 女帝エカチェリーナ2世に謁見。寛政4 (1792) 年、通商使節ラックスマンに伴われ帰国した。 | |||||
津太夫 Tsudayu, 1744 (延享元) 年?~没年不明 |
|||||
仙台藩の水夫。寛政5 (1793) 年、若宮丸にて陸奥石巻 (現・宮城県) から江戸へ向かう途上、嵐に遭い遭難漂流。ロシア船に救助され、四人の仲間と共にナホ トカ、ヤクーツクからイルクーツクを経てペテルベルクに送られた。文化元 (1804) 年、バルト海、大西洋、大平洋を航行して来日した遣日大使レザノフの使節に送 還された。これらの経歴から、日本で最初に世界一周を果たした人物とされている。 | |||||
出奔者 | |||||
橘耕斎 TACHIBANA Kosai, 1820 (文政3) 年~1885 (明治18) 年 |
|||||
遠江 (現・静岡県) の洋学者。安政2 (1855) 年、ロシア使節プチャーチンの通訳官ゴシケヴィッチ(後に初代駐日公使に就任)の帰国に同行する形でロシアへ 渡る。ペテルブルグ大学の日本語教師やロシア外務省通訳官などを務める傍ら、ゴシケビッチと世界初の和露対訳辞書『和魯通言比考』を刊行。明治7 (1874) 年、帰国した。 | |||||
* 漂流ではなく、ロシア使節に同行して出奔 | |||||
アメリカ | |||||
小栗重吉 OGURI Jukichi, 1785 (天保5) 年~1853 (嘉永6) 年 |
|||||
督乗丸の船頭。文化10 (1813) 年、江戸から尾張 (現・愛知県) へ戻る途中、遠州灘で遭難。アメリカのカリフォルニアでイギリス船に救出される。メキシコ、ア ラスカ、カムチャッカを経て、文化14 (1817) 年に帰国。後に彼の体験談である「船長日記」が池田寛親によって記された。 | |||||
ジョン万次郎 (中浜万次郎) JON / NAKAHAMA Manjiro, 1827 (文政10) 年~1898 (明治31) 年 |
|||||
土佐 (現・高知県) の漁師、漂流民。天保12 (1841) 年、宇佐浦の伝蔵の持船に同乗の際、無人島の鳥島に漂流しアメリカのジョン・ハウンド号に救助される。 同年12月ホノルルに寄港、天保14 (1843) 年にマサチューセッツ州に渡る。7年に及ぶ滞在の後に帰国。 | |||||
仙太郎 SENTARO, 1831 (天保2) 年~1874 (明治7) 年 |
|||||
播磨 (現・兵庫県) の栄力丸乗組員、漂流民。嘉永3 (1851) 年、栄力丸で航行中、遭難。志摩 (現・三重県) の大王﨑沖に漂着し、アメリカ船オークラウンド号に 救助される。翌年サンフランシスコに入港。宣教師ゴーブルとともに、万延元 (1860) 年帰国した。 | |||||
浜田彦蔵 HAMADA Hikozo, 1837 (天保8) 年~1897 (明治30) 年 |
|||||
播磨 (現・兵庫県) の漂流民、通訳。嘉永4 (1851) 年頃、仙太郎らと栄力丸で航行中に遭難。南鳥島付近でアメリカ商船オークランド号に救助され、サンフラン シスコに入港。安政5 (1858) 年に帰化し、日本人のアメリカ市民権第1号となった。翌年、アメリカ領事館通訳として帰国に成功。 | |||||
イギリス | |||||
音吉(乙吉) OTOKICHI, 生没年不明 |
|||||
尾張 (現・愛知県) 廻船宝順丸乗組員。天保3 (1832) 年、宝順丸で航行中、遠州沖で遭難。太平洋を漂流しアメリカ太平洋岸フラッタリー岬に漂着。イギリス 人に人身売買されるも、その後マカオで保護された。天保6 (1835) 年、モリソン号で日本まで送られるが幕府の異国船打払令により帰国は叶わなかった。 | |||||
メキシコ (ノエバ・エスパーニャ) | |||||
初太郎 (阿波初太郎) ANAMI Hatsutaro, 生没年不明 |
|||||
阿波 (現・徳島県) の農民。天保12 (1841) 年、永住 (栄寿) 丸で航行中に下総犬吠埼(現・千葉県)で遭難。翌年、イスパニア船エンサヨー号に救助されるも、 メキシコ北西部南端のサンルカスに置き去りにされる。しかし、同年11月頃、イスパニア船に拾われマカオに到着。天保14 (1843) 年に帰国。 | |||||
亥之助・太吉・弥市 INOSUKE / TAKICHI / YAICHI, 生没年不明 |
|||||
播磨 (現・兵庫県) の栄力丸乗組員、漂流民。前述の初太郎らと共にメキシコへ漂流。マカオを経て弘化2 (1845) 年に帰国した。 | |||||
善助 (井上善助 / 久五郎) INOUE Zensuke / Hisagoro, 生没年不明 |
|||||
播磨 (現・兵庫県) の栄力丸乗組員、漂流民。前述の初太郎らと共にメキシコへ漂流。マカオを経て天保14 (1843) 年に帰国した。 | |||||
書物 | |||||
〇漂流記 書写地・書写者・書写年不明 |
|||||
〇漂流記として有名な書物 | |||||
『北槎聞略』 書写地不明 桂川甫周著 寛政6 (1794) 年 |
|||||
『魯西亜誌』 書写地不明 桂川甫周著 寛政5 (1793) 年 |
|||||
『漂民御覧記』 書写地不明 桂川甫周著 寛政6 (1794) 年 |
|||||
『漂巽紀畧』 書写地不明 川田維鶴 (河田小龍) 撰 嘉永5 (1852) 年 |
|||||
『環海異聞』 書写地不明 大槻玄沢著 文化4 (1807) 年 |
![]() |