Breve resumen de la vida y martyrio del inclyto mexicano,
y proto-martyr del Japon, el beato Felipe de Jesus
México, 1802

『フェリペ・デ・ヘスースの生涯』

  フェリペ・デ・ヘスース(Felipe de Jesus, 1573-1596)は、本名をフェリペ・デ・ラス・カサス(Felipe de las Casas)といい、メキシコ市で生まれた。のちにフランシスコ会修道士となり、来日して長崎で殉教している。所謂26 殉教聖人の1 人である。1597(慶長2)年におこなわれたこの処刑事件が、ヨーロッパやメキシコなどの旧教国に与えた衝撃は大きく、各地で殉教者のためのミサが営まれ、数多くの報告書や犠牲者の伝記等が出版された。本書もその種の文献であり、著者名は明らかではないが、見出しにはメキシコ市内の教会関係者の手になったことが書かれている。
 フェリペ・デ・ヘスースの両親はスペイン出身の裕福な名望家であり、我が子を聖職者として世に送ることが希望であった。このため彼は両親の意に従って、プエブラ(Puebla)にあるサンタ・バルバラ(Santa Barbara)のフランシスコ会修道院に入ったが、厳しい修練に耐えきれず間もなく脱会した。その後、金細工師などを経て、1591 年頃に商人を志してマニラに渡った。その間深く悔悟するところがあり、フランシスコ会に再入会し修道士として修練に励んだ。さらに宣教師となるため、1596 年7 月、サン・フェリペ号に乗船してメキシコに向かったが、悪天候のため土佐に漂着し、このことが彼の運命を変えることとなった。時の権力者豊臣秀吉は既にキリスト教を邪教として、宣教師の日本在留を公式に禁止しており、この頃から再びキリスト教敵視政策を強化した。サン・フェリペ号に宣教師が乗船していたことから、キリシタン禁令に背いていると見なされ、12 月8 日に秀吉の命令のもとに処刑されたのである。
 この26 人の殉教者はまずフランシスコ会の23 人が1627 年に列福され、残るイエズス会の3 人は1629 年に列福されたが、1862 年には26 人全員がピウス9 世(Pius IX, 1792-1878, 在位1846-1878)によって列聖された。

展示目録 『日本をヨーロッパに紹介した戦国期の宣教師たち』 より

   資料ID: 043399(書誌情報へ接続)


        
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