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MOREION, Pedro
Relacion de la persecvcion qve vvo en la yglesia de Iapon
Mexico, 1616
ペドロ・モレホン(Pedro Morejon, 1562-1639)は、スペインのメディナ・デル・カンポ(Medina del Campo)に生まれた。1578 年、イエズス会に入会し、1586 年に天正遣欧使節の帰路に同行してリスボンを出発。翌年ゴアで叙階され、1590 年7 月21 日に少年使節と共に長崎へ上陸した。1597(慶長2)年の日本26 聖人殉教の際には、本人の意志とは別に危ういところで難を逃れ、大坂や京都で布教を続けた。1614(慶長19)年の宣教師追放によってフィリピンへ渡り、マニラで日本の情報収集に努めた。ベルナルディーノ・デ・アビラ・ヒロン(Bernardino de Avila Giron, 生没年不詳)の“Relación del Reino de Nippon a que llaman corruptamente Jappon”(『日本王国記』)に細かく注を付け、この注により盗賊石川五右衛門が1594(文禄3)年に釜茹での刑に処されたことや、1596(慶長元)年9 月に別府湾を襲った大地震があり、「沖の浜」が壊滅したことが実証された。1617 年にヨーロッパへ戻ったが、1622 年には再び東洋へ向かい、晩年はマカオで司祭や学院長を務めている。 本書は、標題が示しているように、1614(慶長19)年から翌1615(元和元)年の幕府と諸藩による信者弾圧の様子を、イエズス会士の要請を受けて執筆したものである。構成は2 部に分かれており、17章からなる第1 部では、1614(慶長19)年の迫害が有馬地方から始められたこと、次いで京都、大坂、豊後、博多、秋月、志岐などでの信者の摘発、逮捕、処刑の様子などについて記述しているが、10 月6 日から7 日における宣教師や主だった信者に対する国外追放(所謂「大追放」)の経過は特に詳細を極めている。また、キリシタン大名高山右近の徳行に満ちた生活や、彼の国外追放とマニラでの生活が記述されている。第2 部は大追放令以後の弾圧についての記述であり、長崎周辺の有馬、口之津、島原、有家地方での迫害と45 人の信者の殉教について述べられ、殉教者に関しては、それぞれ小伝が付されている。 展示目録 『日本をヨーロッパに紹介した戦国期の宣教師たち』 より |
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