87大西洋システムにおけるブラジル開発の空間概念に関する歴史的考察いて金ブームが起こったのである。二つ目は、十八世紀における本国ポルトガルの経済的な対英従属である。これによってポルトガルの植民地であるブラジルに対するイギリスの影響が強まった。特に、金ブームでポルトガルが得たブラジルのミナスジェライスの金が大量にイギリスに向かった。つまり、ポルトガルは対英貿易収支の赤字をブラジルの金で賄ったのである。三つ目はポルトガル王室のブラジルへの移転である。この出来事は十八世紀に内陸部のミナスジェライスにおける独立運動とは関係なく、ラテンアメリカで唯一ブラジルを帝国としての独立を果たす背景を与えたのである。これも対立する勢力を広大な空間において皇帝が多様な理念をもつ国民をひとつに束ねる展開に資する結果をもたらしたと言える。2 広大な「面」の開発―アマゾン空間一七五〇年のマドリッド条約によって広大なアマゾン川流域がポルトガル領となった。スペイン領であった広大な地域を十八世紀の地図で確認できる(図2)。ポンバル侯(Marquês de Pombal)は広大なアマゾン空間の開発のため一七五一年にグラン・パラ・マラニャン植民地を創設し、その総督に義父兄弟を任命した。これにより、スペイン、オランダ、英国などの侵入行為を防御しながら、要塞を構築し、その後の領土の保全を続けた。「無人の地」とさえ呼ばれた巨大な空間に、先住民の解放と黒人奴隷の導入を認めた。先住民の解放とイエズス会の追放を行ったが、これは王権重視の絶対主義による理念に基づくポンバル改革によるものであった。アマゾン地方(Amazônia)は、総面積が五百二十一万七千平方キロメートルに及ぶ巨大な空間であり、北部地方に属する十の行政区であるアマゾナス州(百五十五万九千平方キロ)、パラ州(百二十四万五千平方キロ)、アクレ州(十六万四千平方キロ)、アマパ州(十四万二千平方キロ)、ロライマ州(二十二万四千平方キロ)、ロンドニア州(二十三万七千平方キロ)、トカンチンス州(二十七万七千平方キロ)、マトグロッソ州(九十万三平方キロ)、マラニャン州西経四十四度の西方部分を加えた地域から成っている(IBGE 2019:60-61)。ヴィアンナ・モオグによれば、ひとたびアマゾン地方に足を踏み入れた者は誰でも、その巨大空間に対して「宇宙の恐怖」(terror cósmico)に似た畏怖の念を抱くことになるという。植民地時代にアマゾン地方は「無人の地」(terra de ninguém)と呼ばれ、十六世紀には植民地ブラジルの最北端のこの地のドナタリオとなることは追放(ostracismo)を意味していた(Dias 1982:239)。十六世紀末、ポルトガルがスペインに併合(一五八〇―一六四〇年)され、アマゾ河口で(6)(7)図2 18世紀イエズス会アマゾン歴史地図(5)
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