77サンパウロ州への国内移住者の導入占めるまでになった(Saunders 1971:196)。▼工業化コーヒーがブラジルの工業化に与えた影響は大きかった。コーヒー生産のための鉄道や港湾などのインフラは工業でも利用可能であった。輸出の増大は海外製品の輸入を促し、工業製品に対する国内の需要を生み出した。加えて先進工業国からの機械や設備も容易に輸入することが可能になった。世界恐慌に起因するコーヒーの輸出の不振は、輸入品の減少を伴った。輸出の維持・振興のために政府は為替の操作を行った。国内通貨における価格高騰に対しては、輸入関税を引き上げて、外貨需要の均衡を保った。その結果、「一方において為替率と関税が引き上げられ国内の高生産費によっても自動的に外国製品と競争できることになり、他方輸出部門での雇用と所得が維持されることになったので、結果的に、ブラジルの工業化にとって市場の形成という基礎的な条件が実現された」(富野幹雄 一九七六b、二頁)。一九二九年から一九三七年の間に輸入は二三パーセント減少したが、国内生産は約五〇パーセント上昇した(富野幹雄 一九七六a、二七二頁)。一九三七年、ヴァルガスは、クーデターにより独裁政権「新国家」を樹立した。国際収支の赤字と一次産品の交易に付随する不安定性から脱却するため、基幹産業の確立と輸入代替工業化を通じて、国内市場の成長と統合を目指した。「新国家」体制は、「社会・経済的な観点から見れば、…文民官僚と軍人と産業ブルジョアジーの同盟であり、その共通する直接的な目的は、大きな社会変動なしに工業化を推進することであった。…企業家は、国家の積極的な介入が工業化の刺激策になるという考え方に、ようやく納得した」(ファウスト 二〇〇八、三〇四頁)。かくしてサンパウロは工業化においてもその中心地となった。一九四〇年のブラジルの工業に関する調査結果によれば、サンパウロ州は、一九三九年の全ブラジルの事業所の二九パーセント、総投資の四三・一パーセント、工業に従事する労働者の三四・四パーセント、生産の四三・五パーセントを集めていた(Saunders 1971:170)。3・3 サンパウロ州の国内移民導入政策サンパウロ市およびその近郊における工業化は、サンパウロ州の北東部や中央部などの内陸部から農業に従事していた労働者を引き付けた。一方、農村部では、コーヒーだけでなく、綿花もさかんに栽培されるようになり、変わらず多くの労働力を必要としていた。護憲革命の後、サンパウロ州出身のアルマンド・デ・サレス・オリヴェイラが同州の臨時執政官となり、一九三五年からは州知事となった。サレス・オリヴェイラは、サンパウロ州の有力者であり、同州の土地所有者の利益を優先した。一九三四年憲法により外国人移民の入国が制限されると、州政府は一九三五年七月五日付七二八九州法で移民に対して独自に補助することを決定した。サンパウロ州への国内移住労働者に対する同州の関与は、一九三五年までは、移民収容所における労働者の登録と雇用を希望する農場主との仲介に限られていた。本州法制定以後、予算を得た州農業庁は、国内労働者の誘致を積極的に行うようになった。誘致は、十九世紀末から一九二〇年代まで外国人移民を導入した際に行った方法を踏襲した。すなわち移住者の輸送、宿泊、食事を州が負担し、募集や移動に関する業務は仲介者に委託された。仲介者は州から移動に関する実費を含む手数料を受け取った。一九三五年、サンパウロ州は約五万人の国内労働者の導入を計画し、州農業庁は、下部組織である土地・入植・移民局を通じて民間業者との契約を行った。募集は主として北東部諸州とミナス・ジェライス(13)(14)
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