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71サンパウロ州への国内移住者の導入しかしながら、第一次世界大戦やロシア革命などの世界の変動は、ヨーロッパからブラジルヘの移民の流れに大きく影響するようになった。表1のとおり、「望ましい」とされたイタリア人とポルトガル人とスペイン人は、第一次大戦中、その数を大きく減少させた。その一方で一九二〇年にはドイツ人移民のサンパウロへの流入が増え始め、一九二四年にピークを成し、二万二千五百人を数えた。同時期にはポーランド人、ロシア人、リトアニア人の移民も増加した(Paiva 2008:46-47)。そして世界恐慌を機に外国人移民はその数を大幅に減らすに至った。しかしながら日本人移民は例外で一九二五年以後その数を増やし、一九三〇年から一九三四年までの五年間にサンパウロ州に入った外国人移民の総数の約六〇パーセントを占めた。一九三五年以後も南欧以外の外国人移民が大半を占める傾向は変わらなかった。2 国内移民の増加2・1 一九三〇年革命一九三〇年の大統領選挙では、旧来の政治体制に対する不満がいよいよ高まり、選挙戦は過熱した。結果は従来どおり、サンパウロ共和党のジュリオ・プレステスが勝利した。一九二二年以来、政治の刷新を訴え、積極的な行動を続けてきた青年将校は、軍部において確実にその影響力を強めていた。選挙戦の直後、選挙結果に対する不満を表明したり、選挙の不正を糾弾したりしたものの、政権の転覆に向けて実力行使することはなかった。しかしながら一九三〇年七月、反政府派の副大統領候補ジョアン・ペソアが暗殺されると、政権に対する批判は熱を帯び、革命への機運が急激に高まった。同年十月、反政府勢力のリオ・グランデ・ド・スル州とミナス・ジェライス州、北東部諸州で革命の火が上がった。革命の動きが全国的に展開するのを受けて、リオデジャネイロの軍部は大統領を解任した。反政府勢力のリーダーであったジェトゥリオ・ヴァルガスはリオ・グランデ・ド・スル州から北進し、連邦首都へ向かった。一九三〇年十一月、ヴァルガスがリオデジャネイロに到着すると革命は成就し、ヴァルガスが臨時大統領に就任した。世界恐慌はブラジルのコーヒー輸出に深刻な打撃を与えた。ブラジル経済は停滞し、財政も逼迫した。臨時政府はブラジルの近代化に向けて、抜本的な改革を次々に打ち出した。まず取り組んだのは、中央集権化であった。軍部と連携し、州の自治を制限した。連邦政府の政策の効果的で迅速な実現に向けて、知事制を廃し、連邦政府から派遣される臨時執政官を各州に配置した。経済ではコーヒーの輸出への全面的な依存を打開すべく、産業の多様化を図った。2・2 国民統合政策▼国内労働者の保護政策と社会有機体説サンパウロ州では、第一次世界大戦後、外国人移民が主導する労働争議や抗議運動など様々なあつれきが数多く発生していた。ヨーロッパ人移民の労働力に依存できなくなる中で、外国人の活動を制限することは、政情が不安定で緊張状態が持続していたヨーロッパからの影響を遠ざける意図もあった(Tessari & Costa 2017:6)。他方、ヴァルガスは国家建設ならびに社会秩序の安寧を担う存在としてブラジル人労働者に注目した。ヴァルガスが打ち出した国民統合を目指す民族主義的な政策において、人種的な排除を行わなかったことから、アフリカ系の混血ならびに黒人層の多くはヴァルガスを支持した。ヴァルガスの大統領就任(5)

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