69サンパウロ州への国内移住者の導入6 サンパウロ州への国内移住者の導入― 一九三〇年代の労働政策の転換 ―伊 藤 秋 仁はじめに一五〇〇年のブラジル発見から一九三〇年代までの長きに亘り、ブラジル人労働者はおよそ顧慮されない存在であった。一八八八年の奴隷制廃止まではアフリカ人奴隷が、十九世紀末から二十世紀初めまでは外国人移民こそがブラジルのエリートが想定する労働力であり、ブラジル人労働者は、奴隷制期においては奴隷に準じて扱われ、大量移民期においては主要な労働力とみなされることがなかった。一八八〇年代より、サンパウロ州では拡大するコーヒー生産を担う労働力を外国人移民に依存するようになったが、一九二〇年代よりその数は漸減し、その代替労働力として、アフリカ系や先住民の血を引くおもにブラジル北東部出身者がサンパウロ州に移住するようになった。一九三〇年に軍事クーデターにより臨時大統領に就任し、その後、十八年に亘りブラジルを統治したヴァルガスは、このような状況を背景に、外国人移民の統合と国内労働者の包摂をその政策に掲げた。ヨーロッパ人を中心とした外国人移民が順調に社会上昇する一方で、国内移民は予備労働力として、景気の動向に左右される労働力の調整弁の役割を果たした。自然災害や人為的な理由で職を失った北東部出身者の都市部への流入は景気の動向に関係なく継続し、その多くが細民街や都市郊外の貧弱な住宅に居住し、マージナルな存在になっていった。一九八五年の民政移管前後から、不況にあえぐブラジルは、人心の荒廃を背景にした暴力に苦しむことになったが、その加害者の多くが、国内移民やその子孫であり、被害者の多くも同様であった。本稿はブラジル国内移民の包摂と排除について、その端緒である一九三〇年代のブラジル連邦政府の国内移民政策とサンパウロ州政府の労働政策の呼応の歴史を見る。これは、ブラジル都市域で頻発した暴力について、単に同時期にブラジルを襲った不況のみに起因させるのでなく、国内移民に対する軽視や排除がその背景にあったのではないかという「問い」の起点でもある。1 外国人移民の減少1・1 カフェ・コン・レイテ体制の崩壊共和制移行後、一八九四年に初めて行われた直接選挙で大統領に選出されたのは、コーヒー生産者が支持するサンパウロ共和党のプルデンテ・デ・モライスであった。続く第四代、第五代大統領もサンパウロ共和党から選出された。第六代はミナス・ジェライス共和党からの選出であり、まさに共和党の時代となった。一九三〇年までの十一人の大統領のうち、九人までがサンパウロ州かミナス・ジェライス州の出身であり、人口的に優位なサンパウロ州が、ミナス・ジェライス州と結託して大統領を選出するという政治体制を作り出した。サンパウロ州はコーヒー生産の中心地であり、ミナス・ジェライス州の(1)(2)
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