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66性に基づくナショナル・アイデンティティの構築は米国本土との差別化および米国からの自律性を獲得するうえで欠かせないものであったといえよう。ところが、トマス・ブランコやパレス・マトスのようにアンティル主義を提唱した者も同世代の論客から生まれた。ヒスパニック性がホワイトネスを信奉する限り、必然的にブラックネスの文化的要素、あるいは、パレス・マトスが認めたムラート(混血)という考え方を認めるわけにはいかなかった。そこで対立する意見の折衝を求めて、二十世紀後半以降、政府主導で人種から文化への転換が図られた。彼らの提唱するヒスパニック性はあくまでも文化の視点であった。人種のそれではなかった。人種的にはメスティサヘの論理による人種の融合と調和という考えに立ち、あえてその先に白人化がどこまで実現可能か、あるいはアフロ性がどの程度含まれているか、などの人種混淆論の究極的な探究を避け、発想を人種から文化に完全に転換したのである。ヒスパニック文化のホワイトネスという論理に基づく制度的なナショナル・アイデンティティ形成に関しても、パレス・マトスのようなネグロイド詩に対する人々の関心が高まり、もはや文化においてもヒスパニック文化への集約は不可能となり、アフロ的要素(ブラックネス)を完全に排除できない状況が生まれてきた。さらに、一九七〇年代以降、国際的に先住民固有の文化を法的に擁護する動きが高揚し、それに先立つ六十年代には米国本土では公民権運動が高まり、黒人やヒスパニック系など非白人の権利擁護の法制化が進められた。公民権運動の最中に生まれた反戦・民族自決などの政治色の強い米国本土のヤングロード(Young Lord)や先住民タイノの復権運動など、プエルトリコ島へ逆に影響を与えた米本土に居住する同郷人の存在は看過できない。これにより、パレス・マトスのアンティル主義に対する批判も起こり、人種と文化の両面において黒人および黒人文化をナショナル・アイデンティティ形成の重要な要素として、もはや排除ないし消去ができなくなってきている。同時に、先住民のタイノ族と黒人の混淆など、その他の複雑な要因が最近の研究で指摘されてきているが、稿を改めて論じたいと思う。注(1) bombaとplenaは、プエルトリコの民族音楽の基盤とされている。bambaは完全にアフロ系の音楽であり、奴隷としてプエルトリコにもたらされたものとされる。他方、plenaは、パンデロというアフリカ起源のタンバリン以外に、スペイン人がもたらしたギターから生まれたクアトロと、先住民のタイノ族が使用していたとされるグイロという打楽器の全てが用いられており、音楽における人種混淆の象徴するものである。(2) calabóもbanbú(竹)と並んでアフリカに生息する木の一種であるが、ここでは韻を踏むために-óと-úを接尾に持つ語を並列させた詩作の意義が読み取れる。(3) マリ共和国内のニジェール川の中流域にあった砂漠の民トゥアレグ族の都市。(4) ポルトガル人航海者で一四七二年に現在の赤道ギニアを発見した。赤道ギニアは大西洋上の二つの島を含めて領域を有するが、そのうちのビオコ島(la isla de Bioko)はスペイン領赤道ギニアの時代にはフェルナンド・ポー島と呼ばれていた。現在の赤道ギニアの首都マラボはビオコ島にあり、旧称サンタ・マリア・デ・フェルナンド・ポーと呼ばれた。(5) ドゥンドゥンはアフリカのベース太鼓。(6) 中国や東南アジアが発祥のゴングのことと思われる。(7) マリアンダーはプエルトリコのアフロ・ダンスの一つ。(8) フェルナンド・ポーの黒人酋長たち。(9) パピアメント語とは、西インド諸島のなかの小アンティル諸島のアルバ島、ボネール島、キュラソー島で話される、オランダ語と英語とスペイン語によるクレオール言語である。(10) パトワ語とは、西インド諸島のなかの小アンティル諸島におけるクレオール語の総称である。

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