61プエルトリコにおける文化的ヒスパニック性とブラックネス一八六八年九月二十三日の「ラーレスの叫び」(Grito de Lares)によるスペイン本国に対する革命の失敗を経て、一八八七年にはプエルトリコ自治主義派が大きく飛躍し一八九七年の米西戦争の前年にはスペインからつかの間の自治権を獲得するに至る(Pedreira 2004:2)。このように自治権をめぐってスペイン本国に対抗したクリオージョはサンフアンなどの都市部に居住する一方、ヒバロは内陸の高地の農民であるという差異が明確にみられるが、両者に共通する、自治権獲得の精神をわれわれは看取できるはずである(Pedreira 2004:29)。そしてさらに付言すると、ペドレイラは米国の技術革新を完全に遮断することを考えていなかった。米国型の文明は危機的状況にあることですでに述べたが、反面、「進歩」は必要であるとも述べている。換言すれば、全面的にスペイン文化に対する過去や伝統への回帰に固執しているわけではない。文化と文明の和解が大切であり、それは美学と経済、詩作と金銭的な利潤追求といった対比に象徴されるように、プエルトリコ文化に浸透する悪質な米国文化という過度に偏重された見解には異議を唱えていると考えられる(Ayala and Bermabe 2007:120)。2 トマス・ブランコの人種混淆論トマス・ブランコはペドレイラとの関連で、ヒスパニック文化をナショナル・アイデンティティとして重視している論客とみなされる。しかし、ブランコは先に述べたように、プエルトリコの人種に対する関心が高かった。彼は複数の人種の存在を認めたうえで、これらが人種混淆のプエセスを生じさせたと論じた。ただし、この人種混淆はスペイン・カトリックの影響下で平和裏になされたとする。さらに、ブランコは文化混淆(mestizaje cultural)についても提唱した(Ruiza et al. 2004)。その見解に至る発端になったのは、おそらくブランコが次のような困難に直面していたからであると思われる。それは、プエルトリコ文化としてすでに根付いている黒人音楽のプレナ(plena)をどう扱うかであった。プレナはプエルトリコのアフロ・アンティル要素として知られている黒人の音楽で、とくに黒人人口が集中していたとされるポンセを含む南部、東南部、東部の海岸部がその起源とされている。これらの地域は歴史的に奴隷を搾取したプランテーション経営がなされていた地域と重なる。ただし学説では、ポンセの黒人の多いサンアントン地区でブレナは流行していたが、その起源は別の場所ではないかとも言われている。そしてその起源説には十九世紀のドミニカ共和国も可能性として指摘されている。現在ではプレナはプエルトリコ固有の黒人音楽であると一般に理解されている(Fernandez 1998:261)。形式的には、カリプソ(トリニダー)、コリード(メキシコ)、メレンゲ(ドミニカ共和国)、バラードなどのラテンやカリブの音楽と類似している。またソロとコーラスの交互の繰り返しがあるのはまさにアフロ的である。四行詩と六行詩のいずれかを用いて、労働者や庶民のごくありふれた日常生活について歌われる。プレナの演奏に合わせて踊られるが、コンガ、ドラム、タンバリンなどの打楽器が使われる(Fernandez 1998:261)。ところで、ブランコには、文化的ヒスパニック性によるナショナル・アイデンティティの醸成過程において、すでに大衆化していたプレナをヒスパニック文化の中にどのように汲み入れるかについては疑問があった。プレナはヒスパニック文化の担い手であるスペイン系白人上層のダンサ(danza)とは当然区別されなければならなかったが、プレナも文化混淆の過程でヒスパニック化するという結論に至ったのである(Ayala and Bernabe 2007:124)。しかし、ブランコ自身もその解釈に腑に落ちないところがあったものと思われる。その背景に、ブランコは、一九三〇年世代の論客の中では孤立していた、後に取り上げるパレス・マトス(Luis Palés Matos)のアンティル主義(Antillanismo)に興味を抱いていくのであった。彼らは大の親友であった。ブランコによると、人種混淆によって、生物学的、遺伝子学的に混血化が進み、白人と黒人の(1)
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