57プエルトリコにおける文化的ヒスパニック性とブラックネス5 プエルトリコにおける文化的ヒスパニック性とブラックネス― ペドレイラの「島嶼主義」からパレス・マトスのアンティル主義へ ―牛 島 万はじめに人種をめぐる問題や紛争が、長い歴史において完全には解決されずに今日に至っている。かつてオータナティブな解決策としてプエルトリコで支持されてきたのが、文化によるナショナリズム形成理論(cultural nationalism)であった。従来、プエルトリコのナショナル・アイデンティティは、ヒスパニック性であると規定されてきた。では、いかにしてプエルトリコではスペイン文化を基盤とする文化的ナショナリズムを推進してきたのか、またその問題点について考察しなければならない。文化的ヒスパニック性は一九三〇年世代のプエルトリコ人論客の間から生まれ、現在まで継承されているプエルトリコのナショナル・アイデンティティの基盤を成すものである。ただし、すでに当時の一九三〇年世代の論客の間でもその見解において対立している部分があった。とりわけ、それは黒人やアフロ的要素(ブラックネス)をどう位置付けるのかという点にあった。以下、その代表的な論客の見解について検討し、ヒスパニック文化からブラックネスがなぜ導き出されたかについて明らかにしたい。1 文化的ヒスパニック性とペドレイラの「島嶼主義」1・1 反米主義概してほぼ全ての一九三〇年世代の論客の根底にあるのが、反米主義である。しかし、一言で反米主義といっても、キューバのような社会主義革命を達成し米国に対抗してきた歴史的歩みとは異なる。少なくともプエルトリコにおいて、反米主義とは政治経済面の従属(半従属)そのものへの批判というより、加速化される米国文化の浸透やそれによる文化変容および文化的アイデンティティの変容に対する反発を意味している。換言すれば、分離独立を要求するのではなく(アルビス・カンポスのように米国からの分離独立運動を同時代に推進しようとする者がいた)、いかに自治権、自律権を拡充し、自己のナショナル・アイデンティティを形成していくのか、についての苦悩がそこには見られる。米国植民地として統治下にあるプエルトリコでは、一八九八年の米西戦争以降、米国に支配、統治され、一九〇〇年のフォーレイカー法(Foraker Act)によって米国自治領となり、その治世下で、スペイン語の使用が禁止されていた時代があった。一九一七年のジョンズ法(Johns Act)により米国市民権が付与され、スペイン語の公用語化が復活した。しかし、米国市民権を有しながらも、決して米国本土の市民とは同一の権利が与えられているわけではなかった。現在に至るまで依然それは変わっていない。プエルトリコには、討議権はあるが、表決権を持たない米国下院議員を一名送り出すことが認められてい
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