IELAK_Publication_Series1_tate
62/108

52十七世紀に入ると、印刷技術の歴史は、書物の歴史あるいは黄金世紀の文学史へと視点が移ってしまう傾向があり、印刷技術の改良や進展、工房あるいは職人の世界の様子などを追うことが難しい。ポルトガルや華人、さらには修道会の関与を明らかにすることで、印刷技術が植民地支配に果たした役割を検証することも重要であろう。解明すべきことは多いが、スペイン帝国における印刷技術の拡がりと発展、印刷技術に支えられる布教活動、印刷文化とルネサンス的精神の受容などと結びつけて、今後も議論を深めていきたい。注(1) 本研究は、科研基盤 JSPS科研費JP03010基盤研究B「イスパノアジアとしてのフィリピン諸島:物質資料と文献資料によるメキシコとの比較史」(立岩礼子代表)及び二〇一九年度京都外国語大学学内研究の助成を受けたものである。本研究は、二〇一六年度完了の挑戦的萌芽研究「東西交流史の新たな視角:メキシコ史研究から見る東・東南アジアの文化変容」(宮原曉代表)(研究課題25570006)で得られた仮説を印刷技術の事例から証明しようと試みるものでもある。その仮説とは、「スペインやメキシコ的要素を有すモノ、技術、情報がフィリピンの文化として定着したプロセスには複数の経路やパターンが認められ、そのプロセスは常に支配者側から植民地への一方通行ではなく、むしろ双方向であり、その媒介者は必ずしも植民地経営や布教やガレオン貿易を牽引したスペイン人やメキシコ人に限らない」というものである。(2) クロムベルガー印刷所のほかには、クロムベルガーの半分ほどの規模でバレラ印刷所、残りはバルトロメ・ペレス印刷所、ドメニコ・デ・ロベルティス印刷所などが操業していた。Griffin(1988:73-74)参照。(3) スペインにはヨーロッパ初の製紙工場があったが、教会関係の書物などには輸入紙が使われていた。(4) ワインを作るために葡萄を圧縮する機械がとりつけられていた。(5) 現在、その場所は、メトロポリタン大学所有の印刷博物館となっている。(6) 当時のクロニスタたちが一五三九年以前に出版されたとする書名を挙げて、大司教スマラガも印刷がうまくいかないなどの発言を残していることから、先住民が使っていたリュウゼツラン(maguey)という植物から作った紙での印刷を試みた可能性が指摘されている。しかし、実際に製本された現物が残っていないために立証が困難となっている。Curiel y Gomez Camacho(1987:37-38)参照。(7) パブロスは妻ヘロニマ・グティエレス(Gerónima Gutiérrez)のほかに、黒人奴隷一名を伴ってきた。そして、印刷の作業員としてヒル・バルベロ(Gil Barbero)を同行させた。Curiel y Gómez Camecho, 1987, p. 39.(8) 少なくとも、印刷に関して、王室から副王メンドーサへ、副王メンドーサから副王ベラスコへの申し送りはない(Intrucciones 1991)。(9) Breve y más comprendiosa Doctrina Crisiana en lengua mexicana y castellana (1539), Tripartio del Christianismo y consolatorio doctor Juan Gersón de Doctorina Christiana(1544), Doctrina Cristiana en lengua mexicana(1553).(10) Ordenanzas y compilación de leyes, hechas por el muy ilustre don Antonio de Mendoza, gobernador, virrey desta Nueva España y presidente de la audiencia real que en ella reside, y por los señores oidores de la dicha audiencia para la buena gobernación y estilo de los oficiales della(1548).(11) Relación del espantable terremoto que ahora nuevamente ha acaecido en la ciudad de Guatemala(1541).(12) スペインのハエン出身であった。後に、パブロスの共同経営者となる。(13) 文字工エスピノーサをはじめ、アントニオ・アルバレス(Antonio Álvarez)やセバスティアン・グティエレス(Sebastián Gutiérrez)、フアン・ロドリゲス(Juan Rodríguez)といった人物たちが、印刷業の独占に異を唱えていた。(14) その人物は、現地の中国人(sangley)を一名雇った。この中国人は、アルファベットの文字があれば自分で工房を構えられると考え、メキシコ人の印刷所をすぐに辞めてしまった、という説明を文献で読んだが、その情報の出典が不明であった。

元のページ  ../index.html#62

このブックを見る