IELAK_Publication_Series1_tate
60/108

503 技術の伝達3・1 十六世紀中の伝達プロセスこれまで考察してきた結果、十六世紀のスペイン帝国における印刷技術の伝達の流れは、スペインからメキシコへ、メキシコからフィリピン諸島へと、本国から植民地へ、植民地の中でも中心地から周縁部へ向かっている。一方で、常に大西洋航路や太平洋航路を介した貿易ルートに乗じたものではなく、イベリア半島における十五世紀までのイスラーム文化圏の名残、十六世紀のポルトガルとの同君主制による文化圏の共有、同時代のアジアにおける中華文化圏による影響が重層的に作用し、複数の経路を成立させていたことも明らかである。スペインに定着した印刷技術は、まずスペインからメキシコにその重要性が伝えられた。メキシコの場合は、確かに教会や副王の積極的な働きかけがあって印刷機が導入された。技術の伝達について、スペインを起点として考察するにせよ、そもそもスペイン人以外のヨーロッパ人の介在を前提にすることも重要である。セビーリャのクロムベルガー印刷所のようなドイツ出身者が特異な例であったとは思えない。スペイン帝国として考える場合、当然、支配下にあったオランダ、ベルギーといったフランドル地方の印刷業に従事する職人たちの動きにも注目する必要がある。製糸業についてはイタリアやフランスとの貿易品目を調査する必要があり、とりわけスペインの地中海側のアラゴン王国との貿易にも目を向けるべきであろう。こうした職人の動きや商品が、スペインを介して、メキシコさらにはフィリピン諸島へと運ばれたということになる。フィリピン諸島においては、まず、メキシコから渡った印刷職人と機械についての具体的な情報を収集する必要があるが、それがヌエバ・エスパーニャ副王政府であれ、教会であれ、試みはされたと見ていいだろう。華人系キリスト教徒が唐の時代からの活版印刷をビノンドで稼働したのは、当時、印刷の需要があったことを示しているのだろう。スペインやメキシコからその受容を満たす手立てが機能しなかったとも推測できる。やがて、ゴアのドミニコ会士がグーテンベルグ印刷機を運び、初めてフィリピン諸島に印刷技術を伝えた。ポルトガル植民地を経由している点においてスペイン化とは言い難いが、スペインとポルトガルが同君連合であった時代(一五八一―一六四〇)を見過ごしてはならないし、アジアにおけるスペインとポルトガルのせめぎ合いが、技術移転のプロセスに影響していることを気づかせてくれる。3・2 受容の諸相スペイン帝国内で印刷技術が求められた背景には、領土拡大と布教対象地域の拡大が大きく関係している。布教のための教本、地理書、法令集といったものは、帝国の支配基盤を整備するために必要なものであった。印刷技術は、支配システムの構築に貢献すべく必然的に植民地に導入された。しかし、ここで注意しなければならないことは、この印刷技術は現地住民に伝えられたものではなかった。この場合の技術移転は支配層に限って行われ、先住民が使うことを目的として直接的に還元されるものではなかった。メキシコにおける導入はパブロスという技術者、つまり技術を教授する者を伴っている。その後、技術は継承されていった。つまり、受容のプロセスは緩やかで長期に亘り、十七世紀に入って印刷所が増えていく。フィリピン諸島の場合は、そもそもメキシコからの受容がなかった、あるいは拒否された可能性が高い。もともと使っていた中国式の活版が優先されたからである。ただ、アルファベットの文字を中国式の活版に取り入れたことや横書きに配列を変更したであろう点において、アジア的環境がスペイン化されたと考えることができそうである。(22)

元のページ  ../index.html#60

このブックを見る