IELAK_Publication_Series1_tate
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ivていくための枠組みと見通しを示して稿を結んでいる。大越翼研究員は「文書を『読む』こと―ユカタン総督府領における土地権原証書の使用に関する一考察―」と題する論文の中で、植民地時代に作成されたユカタン・マヤ語で書かれたいくつかの土地権原証書に用いられているピリオッドやハイフン記号に注目し、これは証書を声に出して読んでいたことばかりでなく、後の時代に「どう声に出して読むべきか」を示していると論じる。村の土地権原証書は、単にそれぞれの村の境界を示すものであったのみならず、抑揚やリズムなどを豊かに付されたその朗読を通して、それを聞く人々に村の領域が設定された初源の時を再生させ、追体験させるという、儀式的要素を強く持った、現在(今)と過去(いにしえ)という時間を接触させて人々の帰属意識を追認させる機能を持ったものだった結んでいる。「スペイン帝国下における印刷技術の伝達に関する予備的考察」と題する立岩礼子研究員の論考は、十六世紀から十七世紀にかけてのスペイン帝国拡大のもとで、スペインからメキシコ、さらにはフィリピンに印刷技術がどのように伝わったのかを検討している。具体的には、木版印刷機の導入と印刷工房の設置、それに伴う紙やインクの調達、さらには職人の養成について、先行研究の整理と歴史的経緯を述べている。しかし、メキシコでは先住民たちが植物から紙やインクを製造していたし、フィリピンではむしろ華人によって中国の技術がすでに導入されていたであろうと推測され、さらにはポルトガルのゴア経由でヨーロッパの印刷技術が伝わった形跡もあり、したがって、いずれの地域においても、少なくともスペインから一方的に植え付けられた技術であるとみるべきではないのではないか。緩やかなイスパノ化(Hispanization)の中で、すでに存在していた諸文化に印刷技術の文化が適応していったと考えるのが正しいのではないかと結んでいる。牛島万研究員の論考は、「プエルトリコにおける文化的ヒスパニック性とブラックネス―ペドレイラの『島嶼主義』からパレス・マトスのアンティル主義へ―」と題する。プエルトリコ人に米国市民権が付与されることになった一九一七年のジョンズ法が、米国本土の市民が享受している権利と同じものではなく、むしろ徴兵制へ反発を引き起こし、プエルトリコで反米運動が高まる要因となったと述べる。加えて、一九二九年の世界恐慌に端を発する世界的不況の中、米国向けの主要産品であるプエルトリコのコーヒーやタバコ産業、一部の砂糖産業が衰退し、関連会社の倒産や従業員の解雇、あるいは大幅な給料削減などが見られた。世界中がそうであったように、プエルトリコでも労働争議や反政府運動が急速に高まり、とりわけ反米主義や米国からの独立を主張する動きが起こった。他方、このような経済不況下で、プエルトリコの作家や知識人を中心にして高揚した、民族自決の要となる、その「民族性」の探究をめぐっての論争の契機となったのである。牛島研究員は、その代表的な論客であるペドレイラとパレス・マトスを中心に、彼らの提唱する、ヒスパニック性やアフロ性文化との関連での議論を踏まえ、論究している。伊藤秋仁研究員は、「サンパウロ州への国内移住者の導入―一九三〇年代の労働政策の転換―」と題する論考のなかで、まずブラジル国内移民の包摂と排除について、その端緒である一九三〇年代のブラジル連邦政府の国内移民政策とサンパウロ州政府の労働政策の呼応の歴史を辿る。ヨーロッパ系移民が途絶する中で、サンパウロ州ではその労働力を国内の移民労働者に依存するようになった。しかしそのイニシアチブはサンパウロ州から連邦政府に移行し、その後、州と連邦の協調体制が取られていった。その結果、北東部出身者を中心とする多くの国内移民が南東部に押し寄せた。国内移民の受け入れ態勢や社会統合の試みは決して十分とは言えず、アフリカ系の混血を中心とした国内移民の多くは、安価な都市労働者として雇用の調整弁の役割を果たしながらも、社会には包摂されず、ガラス天井に苦しんでいたと指摘する。ブラジル都市域で頻発した暴力について、単に同時期にブラジルを襲った不況のみに起因させるのでなく、国内移民に対する軽視や排除がその背景にあったのではないかとの問題提起もしている。「大西洋システムにおけるブラジル開発の空間概念に関する歴史的考察」と題する論考のなかで、住田育法研究員は、大航海時代以降、ポルトガル人が世

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