47スペイン帝国下における印刷技術の伝達メキシコ、メキシコからマニラへと持ち込まれたことは判明しているが、現地で生産されていたかは確認しなければならない。さらに、マニラのビノンドで稼働していた印刷機が中国の印刷機であったのか、その際にグーテンベルグ印刷機の存在は認識されていたのか、などの点も今後明らかにする必要がある。2・2 工房印刷にあたっては、世の東西を問わず、作業場が整備された。工房である。中国の場合は、清朝の時代に武ぶえいでん英殿という宮廷図書館があり、そこで書物の活字を組んで印刷し、希望者に頒布していたという(藤枝 一九七二、二七〇頁)。そこでは、多くの者たちが、複数の印刷の工程に分かれて、作業していた(図2及び図3)。従って、広い敷地の作業場が必要となっていた。一方、ヨーロッパの平均的な作業場には一、二台の印刷機が設置されていた(図4)。印刷機の台数に応じて、作業できるスペースが確保されたということであろう。セビーリャ随一のクロムベルガー印刷所では、印刷機が四台稼働していた。一五四〇年作成の初代クロムベルガーの財産目録から、印刷所には少なくとも三人の黒人がインク担当(batidor)として働き、ほかに黒人一人とアラブ系と思われる白人一人の合計二人で刷り(tirador)を担当していたことがわかっている(Martínez 2003)。さらに、ラテン語やスペイン語を解す文字の組版担当(componedor)がいたはずである。工房では職能に応じたヒエラルキーが存在した。工房の所有者で印刷責任者を発行人(impresor)と呼び、印刷業務の取引、印刷、編集、試し刷りチェックを担当した。発行人はフリーランスの印刷工を雇い(Griffin 1988: 130)、印刷工程の専門作業を担当させた。オリジナルの文書から活字を拾うのが文字工(cajistaまたは componedor)であり、ラテン語とロマンス諸語を理解していなければならなかった。十六世紀後半になると、文字工は独立した職業となり、各工房で雇われるようになった(Moll 2003:6 )。刷りを担当する職人は二人いた。一人はバレン(bala)を使っ図2 『武英殿聚珍版叢書』第1冊34頁出典:国立国会図書館デジタルコレクション 図3 『武英殿聚珍版叢書』第1冊36頁出典:国立国会図書館デジタルコレクション
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