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44は金貸しも行っており、スマラガはフアン・クロムベルガーに借金があったらしい。そこで、メキシコでのビジネスチャンスをうかがっていたクロムベルガーに、その借金の返済を当て込んで、スマラガがメキシコ進出をもちかけた可能性を指摘する研究者もいる(Martínez 2003)。さらに、ハコボ・クロムベルガーの義父ラサロ・ノリムベルグ(Lázaro Norimberg)が新大陸での貿易に関心が強く、何らかの働きかけをしたとも考えられている(Griffin 1988:77-79)。しかも、クロムベルガーはメキシコに進出する以前、すでにミチョアカンに赴任していた司教キロガから先住民布教のためのDoctrina Cristianaを先住民語とスペイン語と併記での出版の発注を受けた経緯がある。その書物の見本はメキシコ・アウディエンシアにおいて検閲を受けた後、インディアス諮問会議で値段が決定され、インディアスに運ばれるという段取りになっていた(AGI, México, 1088, L. 3, fs. 212v-213v.)。もともと活版印刷がルターの宗教改革の拡がりを支えたように、クロムベルガーも教会の有力者との関係を構築しながら、新大陸に進出したことが伺える。メキシコへ渡ったパブロスは、メキシコ市の公認印刷業者(impresor oficial)に任命された。初代副王メンドーサがクロムベルガーに与えた契約期間は八年で、四年の延長が可能であった。パブロスは刷り職人として契約を結んだヒル・バルベロ(Gil Barbero)を同行させた(Curiel y Gómez Camecho 1987:39 )。インク担当者と刷り担当者は職名の違いこそあれ、実際の作業は交代で行うことが一般的であったため、一人二役であったのだろう。クロムベルガー家はパブロスのために助手をつけただけでなく、もう一人、専門の職人を伴わせることで、メキシコで印刷技術が定着することを司教スマラガや副王メンドーサに確約したとも推察できる。このメキシコのクロムベルガー印刷所から出版された初期の書物は合計五冊で、その内訳はキリスト教布教を目的としたものが三冊、法令集一冊、グアテマラで発生した地震についての記録一冊である(Torre Villar 1991:1:75)。とくに法令集は、副王メンドーサが命じたもので、自身が初めて新大陸の副王として在任中に発した条例をまとめてあり、一五四八年に発行されている。一六八〇年発行のインディアス法令集の前身となったソロルサノ(Juan de Solórzano Pereira)が編んだPolitica indianaが一六四七年発行であることを考えると、ほぼ百年も前にヌエバ・エスパーニャ副王領の法令集が出来上がっていたことになり、画期的なことである。印刷機が植民地に導入された結果、法による統治が強化されたということが言えそうである。このようにパブロスはメキシコ到着後、教会はもちろんのこと副王政府との関係を保ち、一五四二年二月十一日付けでメキシコ市民(vecino)として認められた。つまり、メキシコ市参事会議員の大多数を占める征服者との関係が良好であったということになる。議員の多くは征服事業に従事しており、メキシコから中米にも南下していたからである。そう理解すれば、グアテマラの地震についての記録もパブロスのもとで印刷されたことに合点もいく。スペイン本国で二代目ハコボが一五二八年に死去すると、メキシコの印刷所はパブロスが引き継いだ。第二代副王ルイス・デ・ベラスコ(Luis de Velasco, 在位一五五〇―一五六〇年)は、初代副王メンドーサがパブロスと交わした契約をさらに四年延長することを認めていたからである。つまりパブロスは印刷所の名前にクロムベルガーという一族名を継承し、副王の庇護のもと、独占的に仕事を請け負っていたことになる。そして、契約が終わるころを見計らって、自ら印刷所設置の許可を申請し、一五五八年秋に認可を受けた。その際、刷り工兼プレス工のトメ・リコ(Tome Rico)、製本工としてフアン・ムニョス(Juan Muñoz)、文字工のアントニオ・デ・エスピノーサ(Antonio de Espinosa)、見習いとしてディエゴ・モントヤ(Diego Montoya)を雇った。パブロス印刷所が誕生したのである。しかし、同年九月七日の勅令により、印刷所業の独占が解かれた。副王ベラスコは、自身が連れてきたドイツ人技師エンリコ・マルティネス(Enrico Martínez / Henrich Martin ) を雇ったからである。一方、パブロス印刷所からは、孫にあたるルイス・オチャルテ・フィゲロア(Luis Ocharte Figueroa)が独立した。また、パブロスの共同経営者になっていた文字工エスピノーサの娘婿ディエゴ・ロペス・ダバロス(Diego López Dávalos)も印刷業を営んだ。このロペス・ダ(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)

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