42について論じられた文献として注目すべきは、Norton(1966)の十六世紀初頭についてまとめた先駆的な研究であり、セビーリャの状況を詳述したGriffin(1988)である。十八世紀の印刷業者についての研究などもあるが、この二つの研究抜きには全体を理解することは難しいだろう。1 印刷技術の導入1・1 スペインスペインにおける印刷技術の歴史は、イベリア半島中央部に位置するセゴビアに始まる。ここは、カスティーリャ王国のエンリケ四世の治世下に宮廷が置かれた都市である。セゴビアの司教フアン・アリアス・ダビラ(Juan Arias Dávila, 1426-1497)が大聖堂内に印刷機を設置し、一四七二年にスペイン初の書物を印刷した。この最初に印刷された書物は表紙なしの四十八葉で、教会の公式言語であるラテン語ではなく、スペイン語で印刷されている。この書物は司教が招集した会議の議事録であり、会議のあった町名アギラフエンテ(Aguilafuente)を冠したタイトルSinodal de Aguilafuenteがついており、在家も含めた聖職者の正しい宗教生活について記したものである。二十世紀に入ってから、セゴビア大聖堂に保管されていることが判明した。(Reyes Gómez 2005: 125-126)つまり、十五世紀後半のセゴビアにスペイン初の印刷機が導入されたとは言われていたが、印刷物が発見されて、その事実が確認されたのが五百年余り経った二十世紀なのである。スペインに印刷機を導入したアリアス・ダビラという人物は、エンリケ四世やカトリック両王のもとで教皇秘書(protonotario apostórico)という高位にあった。ドイツのハイデルベルク出身の印刷技師ヨハン・パリ(Johannes Párix, ? -1502)をローマから呼び寄せて、先述の書物のほかに、セゴビア学院(Estudio General de Segovia)の学生のために教皇の勅令集を含め、十冊程度を刊行したようである。このセゴビア司教区に属したブルゴスをはじめ、アリアス・ダビラが司教座聖堂参事会員を務めたサラマンカ、セビーリャ、バルセロナ、バレンシア、サモラ、サラゴサの各地に印刷機が設置されていった(Reyes Gómez 2005:126-127)。印刷機は組み立て式であるため、司教がセゴビアの印刷機を持って回ったということも考えられなくはないが、赴任の先々で新しい印刷機を設置したと考えるほうが妥当であろう。そして、印刷機はスペイン国内で製造されたというよりは、ドイツから持ち込まれたと考えるのが自然であろう。活版印刷機は、一四五五年に、ドイツのマインツで、ヨハン・グーテンベルグが考案し、実用化に成功した。スペインに印刷機が導入され、アリアス・ダビラによって最初の冊子が出版されたのが一四七二年であるから、イベリア半島における導入はほかのヨーロッパ諸国からは十七年遅れたことになる。しかし、だからといってスペイン人が一四七二年以前に印刷技術の存在を知らなかったかというと、そうではない。すでにローマにおいてスペイン人聖職者は出版物を印刷、発行していた。アリアス・ダビラもバチカンで奉職したからこそ、印刷機と印刷技術をスペインに持ち帰ったのだろう。その後、大航海時代が到来し、港を擁す南都セビーリャがスペインの玄関口となった。このセビーリャで印刷業界を牛耳ったのが、クロムベルガー家であった。この一族はドイツの出身である。クロムベルガー家はセビーリャに拠点を構え、パリやベネチアから上質な紙を輸入し、アントワープを結んで、海路による印刷、出版、書籍の販売を展開した。一五二九年から一五四〇年にかけて、この印刷所では、発行場所がセビーリャであることが確定している書物の五五パーセントを出版していた(Griffin 1988:73 )。その販売網は、地元セビーリャ、アンダルシア地方、ポルトガル、サラマンカやトレドなど広範に及んでいた(Griffin 1988:75 )。(2)(3)
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