41スペイン帝国下における印刷技術の伝達4 スペイン帝国下における印刷技術の伝達立 岩 礼 子本稿では、十六世紀におけるスペイン帝国拡大のもと、その植民地においてヨーロッパからもたらされたであろう技術がどのようなプロセスを経て導入されたのかを解明するべく、印刷技術を事例として考察を行う。当時は現代とは異なり、当初から技術移転を目的に特定の技術が導入されたとは考えにくい。人やモノの移動に伴って貿易ルートを介し、伝達されたと考えるのが妥当であろう。ヨーロッパ技術の受容をヌエバ・エスパーニャとフィリピン諸島に限った場合、技術はセビーリャから大西洋航路を渡ってハバナ経由でベラクルスからヌエバ・エスパーニャ全土へ、さらにアカプルコとマニラを結ぶガレオン貿易路を経てフィリピン諸島へと渡ったはずである。つまり、スペインの植民地支配体制が進む中で、植民地に導入された様々なシステムに付随して、必然的に伝えられたものであるという仮設が成り立つであろう。ここで言うシステムの具体例を挙げてみよう。例えば、農業である。トウモロコシ栽培の経験しか持たなかった先住民に対して、スペイン人が主食とするパンを製造するために、小麦粉を生産する環境を整え、小麦栽培の技術を伝えた。造船も然りである。カヌーやジャンク船を利用していた先住民には、キャラベル船、キャラック船、ガレオン船などを修理する場を整備し、造船技術を教えた。当然、建築技術も伝えられた。階段型のピラミッドしか知らないメキシコの先住民にドームを有する大聖堂の建設を命じ、ヤシの葉を編んでしか家屋を建てたことのないフィリピン諸島の先住民に石造りの要塞を建設させる必要があった。こうした例は、法律、納税、宗教、言語、芸術など多方面にわたって見つけることができる。つまり、植民地のスペイン化(Hispanización)には、何らかの事業を興こすために必要な技術の伝達が不可欠であったということになる。技術の移転は、支配の一つの形であると考えられよう。では、被支配側は、その技術をどのように受容したのだろうか。そのまま受容したのか、拒否して自分たちの伝統的な技術にこだわったのか、あるいは土着の技術を組み合わせたのか、スペインの技術を改良したのか、改良のポイントは何だったのか。そして、それには誰が関わったのかという問いについても可能な限り答えたい。そこで、本考察では、様々な技術の伝達のなかでも印刷技術とそれに付随する製紙やインク製造の技術をとりあげ、スペインから植民地への流れを中心に検討する。印刷技術がスペイン帝国の拡がりとともに各地に伝達されたと考えれば、モノの売買と人の往来を支えた大西洋貿易の発展をもって、技術の発展自体を自明の理と考えることができる。例えば、印刷機のような機械は、誰がいつ、どうやって紹介し、導入し、いかなる過程を経てその使用が定着し、新たに改良が施されたのか、どのような需要があったのかといったことが本稿の軸となる。そこで、第一章ではスペインにおける印刷技術の導入、第二章では印刷工房、第三章では印刷技術の伝達の担い手について着目する。いずれの章においても、十六世紀を中心として考察する。考察に入る前に、ヨーロッパやアジアにおける印刷に関する歴史研究について確認しておく。本稿の疑問に明確に答えた研究は多くないが、一定の蓄積は認められる。ヨーロッパに限られるものの、この分野に先をつけたのはアナ―ル学派のL・フェーブルとH・マルタンによる L’apparition du livre(1958『書物の出現』)であろう。文化史の枠組みの中で書物の歴史が注目され、印刷の歴史もとりあげられている。スペイン帝国を地理的な最大の拡がりで捉えれば、文化圏として現在のオランダ、ベルギー、ポルトガル及びポルトガルの植民地までも含むが、ひとまずは本国スペインを出発点としたい。スペイン(1)
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