IELAK_Publication_Series1_tate
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3461. ca tacob [que] viniesen.62. ti c alahe Nosotros dijimos,63. ca tacob [que] viniesen64. uay chumuc cah Mani lae aquí en el centro de este pueblo de Maní65. ca utzac u ch’aicob Y será bueno [que] ellos traigan66. cacatul u chun u thanob tu pachob cada uno dos principales detrás67. ca utzac yilicob y será bueno que ellos vean68. u xotol la tumba69. u chi kaax del borde del monte,70. u chi luum lae del borde de esta tierra.(Mani Land Treaty / Crónica de Maní 1557-1813:1r)前節で引用した「マニ地方土地権原証書(Ⅰ)」の部分と比較すればわかるように、この「マニ地方土地権原証書(Ⅱ)」では、ti c alahe(私たちは言った)という表現が二回挿入され、次の行のca tacob(彼らが来るように)とともにそれぞれ並行表現(60-61と62-63)を形成してその内容を強調している。三人称で書かれている(Ⅰ)の文書は客観性・中立性を帯びるという特徴を持っており、したがってその「音読」される内容と聞いている人々との間には、必然的にある44「距離44」が存在する。この文書が権威性を持っているのは、まさにそのためである。これに対し、(Ⅱ)を(Ⅰ)から筆写した書記は、一人称複数形を挿入することで、直接引用の会話が持つ特徴、すなわち発話のニュアンスやスタイルをより生き生きと伝え、これを聞くものは、まず発話を元々のコンテクストの中で最初に理解しようとするから、当然一五五七年のモンテーホ・シウによる境界線策定の時空へと自らの意識を移行させていくことになる(Hanks 2000:148)。さらに、その「音読」は直接引用の会話の発話状況をよりヴィヴィッドに再現することによって聞き手を取り込み、その結果読み手との距離はぐっと縮まることになる。三人称表現が続く文中に挿入された、この一人称の並行表現は、極めてインパクトの強いものだ。このことは、第二節の最後に引用した、カルキニ村の土地権原証書の一部にも見て取ることができる。アフ・ツァブ・エウアンとナ・チャン・カヌルとの会話は直接引用になっているが、その場に居合わせた書記の「聞き書き」という形式をとっている。三人称での語り口を主とし、しかしそれぞれが一人称や二人称も織り交ぜて話しているから、会話の様子は「公式・権威性」を帯びていると同時に、修辞的要素が少なく用いられていることから、より自然な形でその情景を彷彿とさせる工夫がなされていると言えるだろう。さて、直接引用された会話を音読することは、このような表面的な効果を生み出すだけではない。論理的に考えれば、聞き手の想念の上では、同時に一五五七年八月十五日という、モンテーホ・シウが植民地時代世界の中で境界線の策定という行為を通じて創生した時間と空間、および読み手・聞き手の「現在(植民地時代)」という時間と空間が邂逅し、溶け合うことを意味するのだ。いま時間を線的なものと仮定すると、現在を生きる聞き手は、読み手が音読する直接引用の会話を通して始原の時へ遡行するのであり、しかし他方では読み手が今4に始原の時を現出させるのだとも言えるはずだ。発話をめぐる(12)

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