IELAK_Publication_Series1_tate
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3031. ca tun u katah - Entonces preguntó32. Ah Tzaab Euan - Ah Tzab Euán,33. u batab - el batab34. ah mopila - de los de Mopilá35. uatab yan u dzail kax "¿Por dónde está el monte dado36. te ti xaman lae en el norte37. uaix tab yan - y, por dónde queda38. u xul u kax el alcance del monte39. ah becalob xane de los de Bécal también?"(Okoshi Harada 2009:63)一五六五年には九村が、一五八二年にはそれから一村が減ったものの(Quezada 1993:90, 96 )、集住させられた村とその人口の多さは、総督府の中では群を抜いていた。カルキニ村の首長(バタブ)ナ・チャン・カヌルは、その人々の生活を保障しなければならない。彼らにどう耕地を分配するかは、喫緊の課題であった。このテキストが述べているのはその具体的な叙述であり、ナ・チャン・カヌルは、自分の村に移動させられたモピラ村の首長、アフ・ツァブ・エウアンに、集住が終了したらモピラ村の人々は南のプウク丘陵の辺りで耕作してほしいと依頼し、一方アフ・ツァブ・エウアンは今指定された場所の北端はどこにあり、ベカル村の人々が耕作する所はどの辺りまで来ているのかを尋ねている。「マニ地方土地権原証書(Ⅰ)」において、参加首長らの会話が間接引用されているのに対し、こちらは直接引用となっている。すなわち、この二人の首長の言葉が、一人称や二人称を織り交ぜた発話された時点でのスタイルで記録されているのであり、しかし同時にそれは居合わせた書記による聞き書きという間接性も持ち合わせている、興味深いものだ。したがって発話自身が生き生きとした描写になっていると同時に、三人称で書かれている発話者に権威を付与し、言説を公的なものにしているのである。さらに興味深いことに、修辞的なスタイルがこの直接引用では他の文とは異なり、頭韻や脚韻が使われる度合いが少ないという特徴がある(Hanks 2000:148-149)。これらは、本文中の他の場所に使用されている脚韻や頭韻、平行表現などを通してその「再現」、すなわち声に出して読む行為に、分かりやすさと権威的要素を添えるものとなっている(Hanks 2000:149)。この文書もまた十八世紀および十九世紀に筆写されており、マニ地方の文書とは異なった意味で、すなわちここに描かれている「過去」を生き生きと再現するものとしてカルキニ村で保管され続けたのである。ただし、『カルキニ文書』はローカルな場面で用いられていたのが現実であり、「権威がありかつ信の置ける、そして広範な地域を包含する記録として普遍性を持った文書」としては、やはり「マニ地方土地権原証書(Ⅰ)」にその地位を譲らざるを得なかったことには注目しておく必要がある。実際一八二一年十一月二十日にカルキニ村の代表たちはマニ村の古文書館を訪れ、「ドン・フランシスコ・デ・モンテーホ・シウが作成した村々の地図(および文書)を参照し」、地図の写しをもらってきており(Okoshi Harada 2009:92-93)、「マニ地方土地権原証書(Ⅰ)」が他の権原証書に対して占めていた絶対的な信頼性・(6)

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