2がこの時代から現在に至るまで研究センター・研究所の一貫した活動の方向性です。一九九一年―一九九四年には故大井邦明教授の下でグアテマラのカミナルフユ遺跡の発掘調査が行われ、その報告書は一九九五年に大井邦明監修『カミナルフユ』(たばこと塩の博物館)として日本語とスペイン語対訳で出版されました。さらに一九九五年-二〇〇〇年までエルサルバドルのチャルチュアパ遺跡の発掘調査に携わり、その成果は大井邦明監修『チャルチュアパ―エル・サルバドル総合学術調査報告書―』(京都外国語大学)として二〇〇〇年に日本語とスペイン語の両方の言語で出版されています。一九八六年にラテン・アメリカ政経学会が、一九八九年と二〇〇〇年に日本ラテンアメリカ学会が京都外国語大学で開催されました。一方、前述の「原住民問題研究会」の後継の研究会である「ラス・アメリカス研究会」が一九八六年にメキシコ研究センターを拠点として発足し、また考古学や人類学の若い研究者を中心とする「メソアメリカ研究会」が一九八八年に発足しました。「ラス・アメリカス研究会」の成果は『南欧文化』(一五号、一九九一年一月)に掲載されています。なお、所報として『メキシコ研究センター通信』(年二回)が三四号まで発行され、各研究員の研究内容や研究成果の学生、市民向けの解説、ラテンアメリカ事情の紹介、人的交流の報告などが記事となりました。この時期以降、講演会、絵画展、写真展、映画会等の開催は現在まで続いており、森田嘉一所長(一九八〇-二〇〇一年)の下で研究所活動の確固とした基礎がつくられた時期です。2 京都ラテンアメリカ研究所の時代(二〇〇一年-二〇一六年)メキシコ研究センター設立から二十年を経て、メキシコからラテンアメリカへ、センターから研究所へと名称が変わり、新たに京都ラテンアメリカ研究所が発足しました。しかし単なる名称変更ではなく、実体に合わせた名実ともの再編で、二〇〇一年に研究所規程が制定されて研究所としての体制が整備され、『研究所紀要』の発行が開始されました。また研究所報として『メキシコ研究センター通信』に代わり『いえらっく』(年二回)がその機能を引き継ぎ、現在に至っています。さらに学生・市民向けの「教養講座」と研究員、客員研究員、ゲスト講演者による学術的な「研究講座」とが春秋交互に二〇〇一年から開催されています。二〇〇一年と二〇一一年にはラテン・アメリカ政経学会が京都外国語大学で開催されました。二〇一二年六月二九日には学園創立六五周年を記念して研究所主催の「ラテンアメリカ地域統合への挑戦」と題する国際シンポジウムが開催されました。この企画は基調講演者としてニカラグアのアルトゥーロ・クルス博士、開会の辞・進行・パネリストとしてラテンアメリカ七ヵ国(メキシコ、キューバ、ニカラグア、ベネズエラ、コロンビア、チリ、ブラジル)の駐日大使と日本人研究者五名、および外務省から山田彰中南米局長を招いての国際シンポジウムで、折からのラテンアメリカのみならず世界中で進行している地域統合が果たす地域経済、地域政治への影響や問題点、今後の方向性がラテンアメリカ各国について報告され、学生、市民、研究者に広く公開されました。日本語とスペイン語対訳の報告書が同年末に発行されました。研究所の設立理念である研究・教育・交流の三つの要素が一つとなった研究所の主旨がもっとも生かされた行事になりました。国際的共同研究の重要性と日本でのラテンアメリカ理解の普及という二〇一二年の国際シンポジウム「ラテンアメリカ地域統合への挑戦」の経験を研究所の活動に生かす方向として、研究所員とニカラグアの研究者が参加するプロジェクト「ニカラグアの考古学及び文献資料評価と発展への応用―アメリカ地中海文化圏研究へのアプローチ―」という共同研究が二〇一四年から始まりました。このニカラグア・プロジェクトは日本私立学校振興・共済事業団の研究助成を受け、三年間継続しました。調査地ニカラグアでは、京都外国語大学の協定校であるニカラグア・カトリック大学とニカラグア国立自治大学の協力の下に考古学調査と社会調査を並行して行い、その成果は報告書、『紀要』、『いえらっく』、「研究・教養講座」などで発表されました。このプロジェクトは研究所所員であり、また研究所とはきわめて関係が深い京都外国語大学国際文化資料館の館長である南博史教授が中心となって進められ、名称を変え
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