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95大西洋システムにおけるブラジル開発の空間概念に関する歴史的考察部(NORTE)に属し、北東部(NORDESTE)はペルナンブーコ、パライーバ、セアラなどに限られていた。一方、当時の首都リオデジャネイロと経済の中心地サンパウロは南部(SUL)に加えられ、リオグランデドスルとともに南部の「面」の重要性が増していく。さらにヴァルガス独裁終焉の一九四五年(図7)には内陸部の北部にリオブランコ、アマパなどが誕生した。中部(CENTRO)は中西部(CENTRO-OESTE)と呼ばれるようになり、ミナスジェライスがリオデジャネイロとエスピリトサントと合わせて南東部(LESTE MERIDIONAL)を形成する。第二次ヴァルガス政権下(図8)から新首都ブラジリア誕生の一九六〇年(図9)までは、バイーア、ミナスジェライス、リオデジャネイロなどが東部(LESTE)として一つの地域をなした。軍政下の一九七〇年(図10)と一九八〇年(図11)にかけて、リオデジャネイロ、サンパウロ、ミナスジェライス、エスピリトサントの四州が南東部(SUDESTE)を形成し、この区分が二十一世紀の今日まで継続している。アマゾン開発を重視した軍部は、ゴイアス州内の北部にトカンチンス州を創り、これを中西部から北部に移動させた。さらに中西部のマトグロッソをマトグロッソとマトグロッソドスルの二つの州に分割した。内陸部開発を重んじる政策の表れである。二〇世紀から二十一世紀への展開において、今日の地域区分(図12)である南東部のサンパウロ、ミナスジェライス、リオデジャネイロ、エスピリトサントと南部のパラナ、サンタカタリーナ、リオグランデドスルの広大な「面」としての開発を注目できる。それは南米南部共同市場(ポルトガル語 MERCOSUL、スペイン語 MERCOSUR)に繋がる空間である。図11 軍政下の1980年(17)図10 軍政下の1970年(地域区分が現在と同一)(16)図12 民主政権下の1990年(18)

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