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93大西洋システムにおけるブラジル開発の空間概念に関する歴史的考察が、これは、奥地探検隊および奥地住人の苦闘を再び続けることであった。(ロドリゲス一九八二、九九―一〇〇頁)この地政学的・政治経済学的方針は雄大な計画を表している。つまり、一九六〇年に内陸部の原野を切り開いた新首都が誕生したのである。一九三〇年から四十五年までのヴァルガス時代は、独裁政治特有の弾圧と専横の暗い側面がみられた。しかし反面、国家の統制のもと、職場における労働者や女性の地位向上が図られた。大土地所有者階級に反対する都市の民衆や中産階級がヴァルガスを支持し、地方ボスの勢力を弱め、戦後のポピュリズムへの道を開いたのである。特に、民衆に対して、国民共通の意識としてのブラジリダーデ、すなわち「ブラジル的な民族主義」をとった。このヴァルガスの独裁体制期一九三〇年代に、カーニバルのサンバは国民音楽として手厚く保護され、ブラジルの国民文化の代表と見なされることになった。これによって、リオの大衆音楽のサンバは、ブラジル全土における地位を確かなものにした。音楽文化の都リオでは、シキーニャのように、オペラやクラシックのコンサートを楽しむ同じ人たちが、激しい打楽器のサンバを理解したのである。結びにかえて―「面」の開発と行政区分変遷図十五世紀の大航海時代以来、ポルトガルが世界に出ていく中で、唯一ブラジルの開発がアジアで試みたような「点と線」ではなく「面(espaço bidimensional)」で展開したことに注目した。さて今日、世界のポルトガル語圏諸国共同体の加盟国はアンゴラ、ブラジル、カーボヴェルデ、ギニアビサウ、モザンビーク、ポルトガル、サントメ・プリンシペ、東ティモール,赤道ギニアの九か国である。二十一世紀における世界のポルトガル語の話者数は、約二億三千万人であり、ブラジル、アンゴラ、モザンビーク、東ティモールなどの目覚ましい経済成長と資源に対する関心の高まりとともに、国際社会での存在感が高まっている。そして、この九か国の展開を考える際、なぜ、アフリカのポルトガル語圏では果たせなかった「面」の開発を、南米のブラジルにおいては実現できたのか、という問いかけが鮮明になってくる。本稿の目的は歴史的考察によってその答えの方向性を示すことである。最後に既述の歴史家J.H.ロドリゲスの説明と二十世紀におけるブラジルの行政区分の変遷図を示し、小論を終えたい。ロドリゲスによればブラジルの歴史には、政治力と経済力の結合による種々の地域的優位の例が見られる。カピストラノ・デ・アブレウは次のように書いている。「もしブラジルの歴史の各時代をおおよその形容詞句によって示したいのであれば、十六世紀はペルナンブーコの時代、十七世紀はバイーアとサンパウロの時代、十八世紀はミナスジェライスの時代、まもなく終わるこの十九世紀の時代はリオデジャネイロの時代といった具合に表現できよう」。しかし、幸運なことに地域的ヘゲモニーはそのように単純ではなかった。一般に、ミナスジェライスが注目を集めた金採掘ブームの短期間を除いて、植民地時代は北東部地方による支配が優勢であった。十八世紀にサンパウロは破局的な社会変動を被り、それが十九世紀中頃まで同地域の発展を束縛したといえる。十九世紀初頭、リオデジャネイロとバイーア、ペルナンブーコ、マラニャンが依然としてもっとも栄えたカピタニアであり、帝政時代においてもそれらの地域から国家的に大いに価値のある指導者が供給され、国庫に対する最大の税収入が得られた。サンパウロは徐々にコーヒー栽培の発達―それは帝政下に首都リオデジャネイロに力を与えた―や外国人移住者の導入、鉄道の建設によって有力な役割を演じ始めていた。共和政時代に入って、サンパウロ、ミナ(11)

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