Fernando Namora

Apenas uma laranja

フェルナンド・ナモーラ

たったひとつのオレンジ
 彩流社 東京 1987

ポルトガルネオレアリズム文芸の傑作


ネオレアリズム
日本語のタイトルは『たったひとつのオレンジ』となっていますが、オリジナルはポルトガル語ではRetalhos da vida de um medicoで、その意味は『一医師の人生記録』といったところでしょうか。オリジナルは第1部が1949年に、第2部が1963年に出版されました。

ネオレアリズモというと、第二次世界大戦後イタリアにあらわれた、反ファシスト運動、貧困・生活苦などをテーマとする名画の数々を思い浮かべる方も多いことでしょう。ロベルト・ロッセリーニ監督の『無防備都市』(1954)、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『自転車泥棒』(1948)などはいまでもビデオで鑑賞しようと思えばむつかしいことではありません。
ポルトガルのネオレアリズム文芸も、1930年代後半になって、当時のファシスト政権の検閲制度の下で、文学の社会的機能を自覚した作家の発表した数々の作品によって具体的な姿をあらわすようになってきました。

なかでもフェルナンド・ナモーラは地方医療にじっさいに関わりつつ、医師としての体験に根ざした小説を精力的に発表しました。ナモーラは『一医師の人生記録』においてポルトガルの抱えた社会的問題を鋭くえぐり出すとともに、人間の生、死、愛という普遍的なテーマを読者に提示しています。この作品は内外で大きな衝撃をもって迎えられ、多くの言語に翻訳され読まれています。

日本語版のタイトルは『たったひとつのオレンジ』となっていますが、これは上に述べた『一医師の人生記録』第一部に所収された一編からとったもので、日本語版は第一部と第二部のなかから10編を選んだアンソロジーです。

著者との出会い


翻訳を準備しているころ、一度だけ著者に会う機会がありました。解釈に疑問のあるところなど、訳者の疑問に丁寧に答えてくださるばかりでなく、他の言語の翻訳者とのやりとりを踏まえてと思われますが、解釈に疑問の余地のありそうなところは逆にこちらが尋ねられ、口頭試問さながらの緊張を感じたことなど懐かしく思い出されます。とくにフランス語、英語は自由らしく、自著の翻訳にかんして厳しい意見を述べ、翻訳者の弱点をよくよくご存知の方でした。

日本語版のタイトルを『たったひとつのオレンジ』にしたいと提案したところ、著者ナモーラは「タイトルについては、当該言語の翻訳者がいちばんよく理解しているはずだから、お任せする」とただちに賛同してくださったのは嬉しい思い出です。

英語版
日本語版の出版後数年たってから苦労の末手に入れた英語版のタイトルはMountain Doctor(Translated from Portuguese by Dorothy Ball), William Kimber , London, 1956. でした。

英国の古本屋から届いた古びた英語版の表紙のデザインをながめたときは、感慨無量でした。挿し絵の写真も数枚入ってており、モンサントの家、アレンテージョの農民の姿など、想像を絶する事情を視覚的に補おうという意図がよくわかり、なかなか親切で感心させられます。今となっては図版の資料的価値も大したものです。

作品の映像化


ナモーラの作品はいくつも映画化されています。『一医師の人生記録』も1979年から80年にかけて全12話の連載テレビ映画として放映されました。ブラジルの連載テレビ小説がポルトガルテレビ界を席巻しているさなかにもかかわらず、大きく注目されたとのことで、専門家もなかなか高く評価しています。この12話のなかの第6話『北から来た男』では、原作の『たったひとつのオレンジ』とは形を少し変えていますが、原作におけるオレンジの象徴的な意味がうまく映像化されていて、感慨深いものがありました。

フェルナンド・ナモーラ記念館


記念館のロゴ
惜しくも1991年に他界したナモーラを記念するフェルナンド・ナモーラ記念館が1992年に故郷のコンデイシャ・ア・ノーヴァに設立されました。リスボンのアパルトマンにあった書斎をそのまま忠実に再現してあります。コンデイシャ・ア・ノーヴァといえば、ローマ時代の都市遺構コニンブリガで有名です。コニンブリガを見学したら、役場の筋向かいのナモーラ記念館もぜひ訪れてみたいところです。

記念館は確か二階建てだったと思います。ナモーラの生家である、ふつうの民家を改造したものです。入ってすぐの大広間には蔵書、『日曜画家』として描いた油絵の数々、大学生時代の学生証、生前に愛用していた品々など、本人ゆかりのものがいろいろと展示されています。つきあたりの壁面(この写真では右手の壁)には作品の一節が刻まれています。

そこにはこういう意味のことが書かれています。「難しいのは、恨まれるのを怖れたり、見返りを求めたりせずに他の人々を愛することだ」(フェルナンド・ナモーラ 『偽装した男』より)医師としての辛酸をなめつくしたナモーラ先生の本心だろうと心を打たれます。教育者としての迷いが生ずると、私はこのことばをよく思い出します。

記念館二階にはリスボンの自宅書斎を忠実に再現してあります。たった一度お邪魔しただけですが、見たら懐かしくなりました。実は92年に記念館を訪れたとき、拙訳がたしかこの写真でいうと上部の手前の書架に入っているのを見て、素直に心から有り難いと感謝の気持ちでいっぱいになりました。

ナモーラの署名です。


なおこのページで掲載したナモーラ記念館関係の写真は97/98年にコインブラに留学していた大学院生の山下さんの撮影したものです。パンフレットの原本も山下さんからいただきました。ご厚意に感謝します。

日本語版『たったひとつのオレンジ』に対する書評


この本が出版されたときは、ポルトガル現代文学という物珍しさからくる贔屓見抜きで、好意的かつ正鵠を得た書評で取り上げられ、とても嬉しかったのを覚えています。

以下関連書評を挙げておきますので、詳しくは、以下の書評のタイトルをクリックしてお読み下さい。

●たったひとつのオレンジ フェルナンド・ナモーラ著 彌永史郎訳

『へりくだった感謝の念』 毎日新聞 「読書」 第8面 1986年(昭和61年)7月28日(月曜日)(掲載許可 毎日新聞 1998.10.17)

●その他はまた機会をみて載せます。


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