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ネオレアリズム 日本語のタイトルは『たったひとつのオレンジ』となっていますが、オリジナルはポルトガル語ではRetalhos da vida de um medicoで、その意味は『一医師の人生記録』といったところでしょうか。オリジナルは第1部が1949年に、第2部が1963年に出版されました。 ネオレアリズモというと、第二次世界大戦後イタリアにあらわれた、反ファシスト運動、貧困・生活苦などをテーマとする名画の数々を思い浮かべる方も多いことでしょう。ロベルト・ロッセリーニ監督の『無防備都市』(1954)、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『自転車泥棒』(1948)などはいまでもビデオで鑑賞しようと思えばむつかしいことではありません。 |
ポルトガルのネオレアリズム文芸も、1930年代後半になって、当時のファシスト政権の検閲制度の下で、文学の社会的機能を自覚した作家の発表した数々の作品によって具体的な姿をあらわすようになってきました。 | |
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なかでもフェルナンド・ナモーラは地方医療にじっさいに関わりつつ、医師としての体験に根ざした小説を精力的に発表しました。ナモーラは『一医師の人生記録』においてポルトガルの抱えた社会的問題を鋭くえぐり出すとともに、人間の生、死、愛という普遍的なテーマを読者に提示しています。この作品は内外で大きな衝撃をもって迎えられ、多くの言語に翻訳され読まれています。 |
日本語版のタイトルは『たったひとつのオレンジ』となっていますが、これは上に述べた『一医師の人生記録』第一部に所収された一編からとったもので、日本語版は第一部と第二部のなかから10編を選んだアンソロジーです。 著者との出会い 翻訳を準備しているころ、一度だけ著者に会う機会がありました。解釈に疑問のあるところなど、訳者の疑問に丁寧に答えてくださるばかりでなく、他の言語の翻訳者とのやりとりを踏まえてと思われますが、解釈に疑問の余地のありそうなところは逆にこちらが尋ねられ、口頭試問さながらの緊張を感じたことなど懐かしく思い出されます。とくにフランス語、英語は自由らしく、自著の翻訳にかんして厳しい意見を述べ、翻訳者の弱点をよくよくご存知の方でした。 日本語版のタイトルを『たったひとつのオレンジ』にしたいと提案したところ、著者ナモーラは「タイトルについては、当該言語の翻訳者がいちばんよく理解しているはずだから、お任せする」とただちに賛同してくださったのは嬉しい思い出です。 |
英語版 日本語版の出版後数年たってから苦労の末手に入れた英語版のタイトルはMountain Doctor(Translated from Portuguese by Dorothy Ball), William Kimber , London, 1956. でした。 英国の古本屋から届いた古びた英語版の表紙のデザインをながめたときは、感慨無量でした。挿し絵の写真も数枚入ってており、モンサントの家、アレンテージョの農民の姿など、想像を絶する事情を視覚的に補おうという意図がよくわかり、なかなか親切で感心させられます。今となっては図版の資料的価値も大したものです。 |
作品の映像化 ナモーラの作品はいくつも映画化されています。『一医師の人生記録』も1979年から80年にかけて全12話の連載テレビ映画として放映されました。ブラジルの連載テレビ小説がポルトガルテレビ界を席巻しているさなかにもかかわらず、大きく注目されたとのことで、専門家もなかなか高く評価しています。この12話のなかの第6話『北から来た男』では、原作の『たったひとつのオレンジ』とは形を少し変えていますが、原作におけるオレンジの象徴的な意味がうまく映像化されていて、感慨深いものがありました。 フェルナンド・ナモーラ記念館
日本語版『たったひとつのオレンジ』に対する書評 この本が出版されたときは、ポルトガル現代文学という物珍しさからくる贔屓見抜きで、好意的かつ正鵠を得た書評で取り上げられ、とても嬉しかったのを覚えています。 以下関連書評を挙げておきますので、詳しくは、以下の書評のタイトルをクリックしてお読み下さい。 ●たったひとつのオレンジ フェルナンド・ナモーラ著 彌永史郎訳 『へりくだった感謝の念』 毎日新聞 「読書」 第8面 1986年(昭和61年)7月28日(月曜日)(掲載許可 毎日新聞 1998.10.17) ●その他はまた機会をみて載せます。 |
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