

| このホームページでとりあげられている作品は、本学図書館のNIPPONALIA Collection(西洋言語で書かれた日本研究書コレクション)に収集されているものです。 |
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| (西暦) | (暦) | 作品名 | 著者 |
| 910年以前に成立? | 貞観年間 | 『竹取物語 』 | 不詳 |
| "今は昔、竹取の翁といふもの有りけり。野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづの事につかひけり。名をば讃岐の造麻呂(みやっこまろ)となむいひける。" | |||
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| 905年 | 延喜5年 | 『古今和歌集 』 | 撰者 紀友則 紀貫之 凡河内躬恒他 |
| "やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける。(中略)花になくうぐひす、みづにすむかはづのこえをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬ鬼神をも、あはれとおもはせ、おとこ女のなかをもやわらげ、たけきもののふのこころをも、なぐさむるは哥(うた)なり。" (仮名序より) | |||
| "きみがため春の野にいでて わかなつむ 我衣手に雪はふりつつ" | |||
| 935年頃 | 承平5年 | 『土佐日記 』 | 紀貫之 |
| "男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。" | |||
| 1000年頃 | 長保2年 | 『落窪物語 』 | |
| "今は昔、中納言なる人の、女あまた持たまへるおはしき。大君、中の君には婿どりして、西の対、東の対に、はなばなとして住ませたてまつりたまふに、(中略)また、一間なる落窪なる所の、二間なるになむ住ませたまひける。(中略)名をつけむとすれば、さすがにおとどの思す心あるべしとつつみたまひて、「落窪の君と言へ」とのたまへば、人々もさ言ふ。" | |||
| 995〜1002年頃 | 長徳〜長保 | 『枕草子』 | 清少納言 |
| "春は曙。やうやうしろくなり行くやまぎは、すこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。" | |||
| 1008年頃 | 寛弘5年 | 『源氏物語』 | 紫式部 データベース「世界で読まれる源氏物語」 |
| "いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。" | |||
| 1009年頃 | 寛弘6年 | 『和泉式部日記』 | 和泉式部 |
| "夢よりもはかなき世の中を、歎きわびつつ 明かし暮らすほどに、四月十余日にもなりぬれば、木の下くらがりもてゆく。" (中略) " 女 薫る香によそふるよりはほととぎす 聞かばやおなじ声やしたると" " 宮 おなじ枝に鳴きつつをりしほととぎす 声はかわらぬものとしらずや" |
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| 1010年頃 | 寛弘7年 | 『紫式部日記』 | 紫式部 |
| "秋のけはい入りたつままに、土御門殿のありさま、いはむかたなくをかし。" | |||
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| 1212年 | 建暦2年 | 『方丈記』 | 鴨長明(法名 蓮胤) |
| "ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。(中略)朝に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。" | |||
| 13世紀前半頃 | 『平家物語』 | ||
| "祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。" | |||
| 1331年頃 | 『徒然草』 | 吉田兼好 | |
| "つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。" | |||
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| 1400年頃 | 応永7年 | 『風姿花伝』 | 世阿弥 |
| "しかれば、道を嗜み芸を重んずるところ、私なくば、などかその徳を得ざらん。ことさら、この芸その風を続ぐといへども、自力より出づるふるまひあれば、語にもおよびがたし。その風を得て、心より心に伝はる花なれば、風姿花伝と名附く。" (「第五 奥儀に云ふ」より) |
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| 1683年 | 天和2年 | 『好色一代男』 | 井原西鶴 |
| "情けあつて大気に生まれつき、風俗太夫職にそなはつて、衣裳よくきこなし、道中たいていに替わり、すこしすしに見えて、幅のなき男はおそれてあふ事稀なり。"(巻六) | |||
| 1802年 | 享和2年 | 『東海道中膝栗毛』 | 十返舎一九 |
| "諺に云 旅の恥は書捨てゆく落書の国所は欄干にとどまり・・・・"(道中膝栗毛六編) | |||
| 1808年 | 文化5年 | 『春雨物語』 | 上田秋成 |
| "はるさめけふ幾日、しづかにておもしろ。れいの筆研とう出たれど、思ひめぐらすに、いふべき事もなし。(中略)物いひつづくれば、猶、春さめはふるふる。" | |||
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| 1915年 | 大正4年 | 『羅生門』 | 芥川龍之介 |
| "或日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。広い門の下には、この男の他に誰もいない。" | |||
| 1916年 | 大正5年 | 『高瀬舟』 | 森鴎外 |
| "高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞をすることを許された。" | |||
| 1921年〜1937年 | 大正10年〜昭和12年 | 『暗夜行路』 | 志賀直哉 |
| "二人はよく出歩いた。花園の妙心寺、太秦の広隆寺、秦の河勝を祭った蚕の宮、御室の仁和寺、鷹ヶ峰の光悦寺、それから紫野の大徳寺など、この辺をよく散歩した。そして夜は夜で電車に乗って新京極の賑やかな場所へもよく出掛けた。" | |||
| 1925年 | 大正14年 | 『檸檬』 | 梶井基次郎 |
| "私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。" | |||
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| 1943年 | 昭和18年 | 『細雪』 | 谷崎潤一郎 |
| "当日、貞之介たちは新京阪の桂で乗り替えて嵐山の終点で降り、中之島を徒歩で横切って渡月橋のほとりに出た。毎年の春の花見に馴染の深い場所であったが・・・"(三十五) | |||
| 1948年 | 昭和23年 | 『帰郷』 | 大佛次郎 |
| "格子先から声をかけると、女将らしい中年の女が出て来て、「お越しやす」と柔らかい京言葉で迎えて、「へぇ、守屋さんどしたら、今さき、そこらへんへ、お行きやしたんどすけど」" | |||
| 1956年 | 昭和31年 | 『金閣寺』 | 三島由紀夫 |
| "・・・しかし、さすがに鹿苑寺総門の前に立ったとき、私の胸はときめいた。これからこの世で一等美しいものが見られるのだ。日は傾きかけ、山々は霞に包まれていた。" | |||
| 1961年 | 昭和36年 | 『古都』 | 川端康成 |
| "「清水さんへ行ってみとうなったわ。」 「清水寺?」なんて平凡なという顔を、真一はした。" |
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