京都外国語大学付属図書館  
       京都外国語短期大学図書館
 

       主題別書誌データベース

                      明治150(2018)年を前にして

                      明治の国際人とその書物

 
   このページは本学図書館の所蔵資料で、明治時代に留学経験など海外と接点が
  ある日本人に関係した和洋図書の書誌データベースです。
   ここには、江戸時代に生まれ海外で生活し、明治時代に帰国した人も含まれます。
   また、明治時代に生まれた人物で、著作の刊行が大正時代以降に及ぶものも掲載
  します。
   各カテゴリーの人名は五十音順に記述しています。

   掲載画像は本学図書館の「対外交渉を描いた浮世絵画像データベース」を使用し
  ています。


             主題別書誌DB「明治日本の国際派女性たち」へ

                      (2015年7月21日公開)

            現在の国際人は 309人 です。


        検索 1  主な活動領域  (「主な活動領域」には関連する職業も含まれます)
     
政治家・官僚(官吏) 外交官 実業家 思想家・宗教家 教育者・学者 出版家・ジャーナリスト
技術者 建築家 芸術家 芸能家 音楽家 料理人
評論家 作家 スポーツ関係 その他
 
検索 2  人名インデックス (検索ページへジャンプできます)
 
○職業
 
○五十音順



 

     


 
政治家・官僚(官吏)     現在、 45人 です。


 
  池田謙蔵  (IKEDA Kenzo, 1855 - 安政2年~1923 - 大正12年)
     官吏。伊予(現・愛媛県)に生まれ、1875(明治8)年、内務省に入省するが、それより以前に欧米へ留学していた。1876(明治9)年、フィラデルフィア万博に
   派遣され、綿作調査、養蜂、桃缶詰技術の導入などを行った。1879(明治12)年には三田育種場初代場長に就任した。

   
 
  板垣退助  (ITAGAKI Taisuke, 1837 - 天保8年~1919 - 大正8年)
     政治家。旧姓は乾。土佐(現・高知県)に生まれ、1871(明治4)年、明治政府の参議に就任。1873(明治6)年、征韓論を巡って下野。その後、立志社を創設
   したことが自由民権運動の先駆けとなった。立憲政治視察のため1882(明治15)年頃、渡欧したことがある。1891(明治24)には総理大臣も経験した。

   
 
  市川清流  (ICHIKAWA Seiryu, 1824 - 文政7年~没年不明)
     政治家。伊勢(現・三重県)に生まれ、1861(文久元)年、松平康直の従者として遣欧使節の一員になる。1863(文久3)年帰国後に、その時の体験をまとめ
   た『尾蠅欧行漫録』を著す。1869(明治2)年頃、文部省に入省した。訳語「博物館」の発明や日本における図書館建設などの功績でも知られている。

   
 
  伊藤博文  (ITO Hirobumi, 1841 - 天保12年~1909 - 明治42年)
     政治家。周防(現・山口県)に生まれ、1863(文久3)年、イギリスへ密航。1864(元治元)年帰国。下関戦争における和平交渉の通訳として活躍した。後に
   初代の総理大臣となった。

   
 
  伊東巳代治  (ITO Miyoji, 1857 - 安政4年~1934 - 昭和9年)
     官僚、政治家。肥後(現・長崎県)に生まれ、1882(明治15)年、欧米の憲法調査のため伊藤博文に随行し渡欧。翌年に帰国。憲法や諸法典の起草・制定に
   参画し、第2・第3次伊藤内閣の下では書記官長や農商務省を務めたほか、第1次桂内閣の成立にも貢献した。

   
 
  井上馨  (INOUE Kaoru, 1835 - 天保6年~1915 - 大正4年)
     政治家。周防(現・山口県)に生まれ、1863(文久3)年、伊藤博文らと共にイギリスへ密航。1864(元治元)年帰国。下関戦争の和平交渉に尽力した。大蔵
   省入省後、汚職事件により1873(明治6)年下野。2年後、政界復帰。外務卿として条約改正に尽力した。

   
 
  井上毅  (INOUE Kowashi, 1844 - 天保14年~1895 - 明治28年)
     官僚、政治家。本姓は飯田。肥後(現・熊本県)に生まれ、1871(明治4)年、司法省に入省し、翌年には西欧視察と司法制度を学ぶ目的で1年間渡欧。岩倉
   具視や伊藤博文に登用され、大日本帝国憲法や皇室典範、教育勅語など重要法案の起草に携わった。

   
 
  石丸安世  (ISHIMARU Yasuyo, 1839 - 天保10年~1902 - 明治35年)
     官吏、政治家。佐賀に生まれ、1865(慶応元)年、親交があったスコットランド商人グラバーの手引きでイギリスへ密航。造船や電信など当時最先端の技術
   を学ぶ。2年後のパリ万国博覧会に参加の後、帰国。工部省の初代電信頭として情報インフラの整備に尽力。前島密らと並び「逓信四天王」の一人ともされる。

   
 
  井上勝  (INOUE Masaru, 1843 - 天保14年~1910 - 明治43年)
     官僚。長州(現・山口県)に生まれ、1863(文久3)年、伊藤博文らとイギリスへ密航。ロンドン大学で鉱山と鉄道技術について学び、1867(明治元)年帰国。工
   部省鉄道頭に就任し、1872(明治5)年に新橋-横浜間、1889(明治22)年に東京-神戸間を全通させた。鉄道庁長官や記者製造会社の初代社長も歴任した。

   
 
  榎本武揚  (ENOMOTO Takeaki, 1836 - 天保7年~1908 - 明治41年)
     幕臣、政治家。江戸(現・東京)に生まれ、1862(文久2)年オランダ留学。1867(慶応3)年帰国。国際法や軍事知識、造船や船舶についての知識は豊富で
   1868(明治元)年の五稜郭の戦いで旧幕府軍を率いるも敗れて投降。明治政府では北海道開拓使や外務大臣などを歴任。東京農業大学の創立者でもある。

   
 
  岡部次郎  (OKABE Jiro, 1864 - 元治元年~1925 - 大正14年)
     政治家。信濃(現・長野県)に生まれ、1885(明治18)年髙橋是清に随行し渡米。オベリン大学のほか、パリ大学などヨーロッパの大学にも遊学し、1900(明治
   33)年帰国。「北海タイムス」の主筆や日露戦争での従軍記者を経て、1912(明治45)年、衆議院議員に当選を果たした。国際平和協会専務理事も務めた。

   
 
  小倉久  (OGURA Hisashi, 1852 - 嘉永5年~1906 - 明治39年)
     官僚。上野(現・群馬県)に生まれ、司法省法学校を卒業。1876(明治9)年、フランスへ留学し法律得業士の学位を取得する。1878(明治11)年帰国。司法
   省大書記官、元老院権書記官、大阪控訴院検事などを歴任。退官後は和歌山、富山、岐阜などの知事も歴任した。関西大学創立者の一人でもある。

      
 
  小野梓  (ONO Azusa, 1852 - 嘉永5年~1886 - 明治19年)
     政治学者、政治家。土佐(現・高知県)に生まれ、1871(明治4)年から1874(明治7)年にかけて、アメリカとイギリスに留学。1882(明治15)年、大隈重信らと
   立憲改進党結成。同年、東京専門学校(現・早稲田大学)の設立に参加した。

   
 
  勝海舟  (KATSU Kaishu, 1823 - 文政6年~1899 - 明治32年)
     幕臣、政治家。江戸(現・東京)に生まれ、1860(万延元)年、遣米使節として咸臨丸で渡米。帰国後は神戸海軍操練所を開設し、坂本龍馬らを育成。
   1868(慶応4)年には江戸城無血開城のため尽力。明治維新以後は旧幕臣として海軍卿兼参議などを歴任。後に伯爵となる。

   
 
  桂太郎  (KATSURA Taro, 1847 - 弘化4年~1913 - 大正2年)
     政治家、陸軍大将。周防(現・山口県)に生まれ、1870(明治3)年ドイツへ留学、1873(明治6)年に帰国。1875(明治8)年ドイツ公使館付武官として渡欧。
   日英同盟締結、日露戦争などでも活躍した。1900(明治33)年、台湾協会学校(現・拓殖大学)を創立。翌年には総理大臣。

   
 
  金子堅太郎 (KANEKO Kentaro, 1853 - 嘉永6年~1942 - 昭和17年)
     政治家。福岡に生まれ、1871(明治4)年、岩倉使節団に同行し、アメリカに留学。ハーバード大学法学部で法学士の学位取得。帰国後は英語教師に。
   大日本帝国憲法の起草に携わった他、日露戦争講和のため、アメリカで広報外交を展開した。司法大臣・農商務大臣などを歴任。

   
 
  河津祐之  (KAWADU Sukeyuki, 1849 - 嘉永2年~1894 - 明治27年)
     官僚。旧姓は黒沢。三河(現・愛知県)に生まれ、1872(明治5)年、教育制度調査のためフランスへ留学。元老院書記官を経て『仏国革命史』『仏国
   学制』の翻訳。民権思想を広めた。その後も大阪控訴裁判所検事長、逓信次官などを歴任した。

      
 
  木戸孝允  (KIDO Takayoshi, 1833 - 天保4年~1877 - 明治10年)
     政治家。幕末期は吉田松陰に師事。後に西郷隆盛と薩長同盟を結び倒幕を図る。明治維新以降は「五箇条の御誓文」起草、版籍奉還、廃藩置県を主導
   するなど新政府に大きく貢献。1871(明治4)年には不平等条約撤廃のため、岩倉使節団に随行し欧米の視察も行った。

      
 
  九鬼隆一  (KUKI Ryuichi, 1852 - 嘉永5年~1931 - 昭和6年)
     美術行政家、官僚。九鬼周造の父。摂津(現・兵庫県)に生まれ、文部省入省後の1878(明治11)年、パリ万国博覧会に出張して各国の美術事情を視察。
   1879(明治12)年帰国。退官後の1889(明治22)年には帝国博物館を創設し初代館長に就任した。

      
 
  黒田清隆  (KURODA Kiyotaka, 1840 - 天保11年~1900 - 明治33年)
     政治家。薩摩(現・鹿児島県)に生まれ、1870(明治3)年、対露関係調整のため樺太専任の開拓次官に就任。翌年には5ヶ月間、アメリカとヨーロッパを
   外遊。樺太・千島交換条約の交渉と締結、日朝修好条規締結でも活躍したが、薩長同盟の立役者の一人でもある。

      
 
  郷純造  (Go Junzo, 1825 - 文政8年~1910 - 明治43年)
     政治家、幕臣。幼名は嘉助。美濃(現・岐阜県)に生まれ、幕臣時代はジョン万次郎の帰国やオランダ使節来訪などの外交問題に当たっていた。1868(明
   治元)年、大蔵省に入省。主税局長や大蔵次官などを歴任した。実業家・郷誠之助の父としても知られる。

      
 
  近衛篤麿  (KONOE Atsumaro, 1863 - 文久3年~1904 - 明治37年)
     政治家。京都に生まれ、1885(明治18)年、ドイツのライプツィヒ大学とフランスのボン大学へ留学。1890(明治23)年帰国。貴族院議員になる。日清戦争
   以降、中国大陸の政策に積極的に関わり、藩閥政府に批判的な立場を取った政治家だが、華族の子弟の教育に力を注ぐなど教育面でも活躍した。

      
 
  西園寺公望  (SAIONJI Kinmochi, 1849 - 嘉永2年~1940 - 昭和15年)
     政治家。京都に生まれ、1871(明治3)年、大村益次郎の推薦でフランスへ留学。クレマンソーら同国の政治家と親交を深めたことが、後のパリ講和会議
   で役立つことになった。帰国後の1881(明治14)年に明治法律学校(現・明治大学)を設立。首相時代の伊藤博文や桂太郎を補佐し、自らも首相を歴任した。

      
 
  西郷菊次郎  (SAIGO Kikujiro, 1861 - 天保4年~1928 - 昭和3年)
     政治家、京都市長。西郷隆盛の子。大隅(現・鹿児島県)に生まれ、1873(明治6)年、アメリカへ留学。1875(明治8)年帰国。1884(明治17)年外務省に
   入省。アメリカや台湾での勤務を経て、1904(明治37)年には京都市長に就任し、公共事業を推進した。

      
 
  斎藤修一郎  (SAITO Shuichiro, 1855 - 明治20年~1910 - 明治43年)
     官僚。越前(現・福井県)に生まれ、1875(明治8)年、第1回官費留学生としてアメリカのボストン大学へ留学。1880(明治13)年帰国。1883(明治16)年
   以降は、外務卿井上馨の秘書官や農商務省次官など官職のほか、中外商業新報社社長や東京米穀取引所理事長も歴任した。

      
 
  佐々木高行  (SASAKI Takayuki, 1830 - 文政13年~1910 - 明治43年)
     官僚、武士。土佐(現・高知県)に生まれ、幕末期は坂本龍馬らと大政奉還の建白のため尽力。1871(明治4)年、岩倉使節団の一員として、司法制度調
   査のため欧米各地を巡り、1873(明治6)年帰国。工部卿や枢密顧問官などを歴任した。代表的な著書に『保古飛呂佐々木高行日記』がある。

      
 
  末松謙澄  (SUEMATSU Kencho, 1855 - 安政2年~1920 - 大正9年)
     政治家、ジャーナリスト。福岡に生まれ、東京日日新聞の記者として社説執筆に携わる。1878(明治11)年、岳父伊藤博文の勧めで外交官としてロン
   ドンに赴任、ケンブリッジ大学に留学。この間、『源氏物語』の英訳本を刊行。帰国後は内務大臣などを歴任した。

   
 
  周布公平  (SUFU Kohei, 1851 - 嘉永3年~1921 - 大正10年)
     政治家。長門(現・山口県)に生まれ、維新後の1867年頃、フランスに留学。帰国後の1876(明治9)年、司法権少丞に就任。1889(明治22)年には第1
   次山県内閣の書記官長を務めたほか、貴族院議員や兵庫県、神奈川県の知事も歴任した。

   
 
  関直彦  (SEKI Naohiko, 1857 - 安政4年~1934 - 昭和9年)
     政治家。江戸(現・東京)に生まれ、東京日日新聞に就職。後に社長である福地桜痴の後を継ぐ。1890(明治23)年以降は衆議院議員や衆議院副議長、
   貴族院議員のほか、東京弁護士会会長も歴任。アレクサンドル・デュマ 『モンテクリスト伯 』の訳者でもある。

   
 
  添田寿一  (SOEDA Juichi, 1864 - 元治元年~1929 - 昭和4年)
     官僚、銀行家。筑前(現・福岡県)に生まれ、1884(明治17)年、イギリスのケンブリッジ大学に留学し政治経済学を学ぶ。ドイツのハイデルベルク大学
   を経て1887(明治20)年帰国。大蔵省入省時代に銀行制度の確立に尽力したほか、日本法律学校(現・日本大学)の創立にも携わった。

      
 
  高橋是清  (TAKAHASHI Korekiyo, 1854 - 安政元年~1936 - 昭和11年)
     官僚、政治家。江戸(現・東京)に生まれ、1867(慶応3)年、行き違いから奴隷生活を強いられるも、翌年帰国。英語教師をこなし、日露戦争における
   イギリスからの戦費調達にも貢献した。大蔵大臣の他、立憲政友会総裁、総理大臣を歴任した。

   
 
  寺島宗則  (TERASHIMA Munenori, 1832 - 天保3年~1893 - 明治26年)
     外交官。旧姓は長野。薩摩(現・鹿児島県)に生まれ、1862(文久2)年、第1回幕府遣欧使節に随行しロンドンへ渡る。翌年帰国。明治維新後、遣
   欧使節時代の経験を生かし外交官を志す。1873(明治6)には参議兼外務卿に就任、不平等条約の改正交渉に携わった。

   
 
  名村泰蔵  (NAMURA Taizo, 1840 - 天保11年~1907 - 明治40年)
     司法官。本姓は北村。肥後(現・長崎県)に生まれ、1867(慶応2)年、パリ万国博覧会に参加。明治維新後の1869(明治2)年には仏学局助教に任命さ
   れた。1872(明治5)年、司法省に入省。ギュスターヴ・エミール・ボアソナードと共に刑法、治罪法などの導入に尽力。東京築地活版製造所社長も務めた。

   
 
  西村捨三  (NISHIMURA Sutezo, 1843 - 天保14年~1908 - 明治41年)
     官僚。近江(現・滋賀県)に生まれ、1872(慶応2)年、欧米の行政制度を視察。1874(明治7)年帰国後は内務省議事官を務めたほか、沖縄県令や大阪
   府知事も歴任したが、その中でも大阪府知事時代の淀川治水対策や大阪湾の築港工事が有名である。

   
 
  原敬  (HARA Takashi, 1856 - 安政3年~1921 - 大正10年)
     政治家、外交官。陸奥(現・岩手県)に生まれ、1882(明治15)年、外務省入省。天津領事やパリ公使館などの幾たびかの海外勤務を経て外務次官と
   なる。さらに1918(大正7)年には米騒動で辞職した寺内の後を継いで総理大臣に。生涯爵位を辞退し続けたことから「平民宰相」の異名で知られる。

   
 
  星亨  (HOSHI Toru, 1850 - 嘉永3年~1901 - 明治34年)
     政治家。江戸(現・東京)に生まれ、英学を学び、1874(明治7)年、横浜税関長を経てイギリスに留学。同地で日本人初の法廷弁護士資格を取得。帰
   国後、司法省の代言人(現在の弁護士)になった。衆議院議長・逓信省などを務めた。

   
 
  牧野伸顕  (MAKINO Nobuaki, 1861 - 文久元年~1949 - 昭和24年)
     政治家。薩摩(現・鹿児島)に生まれ、1871(明治4)年、父や兄と岩倉使節団に随行して渡米。フィラデルフィアの中学校を経て1874(明治7)年帰国。茨
   城県知事を務め、西園寺内閣の文部大臣など要職を歴任したが、留学時代に見聞したベースボール(野球)を日本にもたらしたことでも知られる。

   
 
  目賀田種太郎  (MEGATA Tanetaro, 1853 - 嘉永6年~1926 - 大正15年)
     政治家、官僚。江戸に生まれ、1870(明治3)年、法律学と農学を学ぶため、アメリカのハーバード大学へ留学。1874(明治7)年帰国。その後、文部省に
   入省。韓国財政顧問や国際連盟総会第一回会議の代表者を務めるなど外交面でも活躍。専修学校(現・専修大学)の創立者でもある。

      
 
  村橋久成  (MURAHASHI Hisanari, 1840 - 天保11年~1892 - 明治25年)
     官吏。薩摩(現・鹿児島県)に生まれ、藩の命令で1865(元治2)年にイギリスのロンドン大学へ留学。海軍学と陸軍学を学び1年後に帰国。1871(明治4)
   には明治政府より北海道の開拓使に任ぜられる。10年後に辞職するが、その間にサッポロビールの前身に当たる麦酒醸造所を設立した。

      
 
  山県有朋  (YAMAGATA Aritomo, 1838 - 天保9年~1892 - 明治25年)
     政治家、軍人。松下村塾の塾生。長門(現・山口県)に生まれ、1869(明治2)に軍事制度の視察のため渡欧。翌年に帰国。陸軍卿、参謀本部長、内務
   卿などを歴任し、徴兵制や軍制の確立、地方制度の整備などに貢献。元帥や元老として陸軍と政界に山県閥を築き、絶大な発言力を発揮した。

      
 
  山田顕義  (YAMAGATA Aritomo, 1838 - 天保9年~1892 - 明治25年)
     政治家、軍人。松下村塾の塾生。長門(現・山口県)に生まれ、1871(明治4)に軍事制度の視察のため渡欧。1873(明治6)年に帰国。工部卿、司法省
   などを歴任。日本法律学校と國學院大學の創設者だが、佐賀の乱や西南戦争を鎮圧した有能な指揮官でもあった。

      
 
  山本権兵衛  (YAMAMOTO Gonbe, 1852 - 嘉永5年~1933 - 昭和8年)
     政治家、軍人。薩摩(現・鹿児島県)に生まれ、幕末期は薩英戦争と戊辰戦争に従軍。維新後、勝海舟に師事し海軍軍人としての知識を学ぶ。1877(
   明治10)年にはドイツ軍艦での遠洋航海を経験し、同年には海軍少尉に。秋山真之ら多くの青年士官に海外留学を奨励するなど海軍の改革に努めた。

      
 
  山本達雄  (YAMAMOTO Tatsuo, 1856 - 安政3年~1947 - 昭和22年)
     政治家、銀行家。豊後(現・大分県)に生まれ、1890(明治23)年、日本銀行に就職。1896(明治29)年、金本位制実施の準備のため、ロンドンに派遣さ
   れる。1898(明治31)年帰国。日本銀行理事や総裁を歴任し、1911(明治44)年には西園寺内閣に大蔵大臣就任を乞われ、農商務省なども歴任した。

      
 
  横井左平太  (YOKOI Saheita, 1845 - 弘化2年~1875 - 明治8年)
     元老院権少書記官、肥後(現・熊本県)藩士。父の早世より弟・太平と共に叔父の養子となる。1866(慶応2)年、弟と渡米。しかし兄弟共に結核を発症
   し3年後に帰国。1875(明治8)年、元老院権少書記官に就任するも、病状の悪化によってその年の内に亡くなった。

   
 
  渡辺洪基  (WATANABE Koki, 1848 - 弘化4年~1901 - 明治34年)
     官僚、政治家。越前(現・福井県)に生まれ、1871(明治4)年、岩倉使節団に随行。帰国後、外務省に入省。駐オーストラリア公使を務め、元老院議官、
   元老院議副議長、東京府知事なども歴任した。帝国大学(現・東京大学)初代総長としても名高い。

   

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          外交官     現在、 9人 です。


 
 
  青木周蔵  (AOKI Shuzo, 1844 - 弘化元年~1914 - 大正3年)
     外交官。周防(現・山口県)に生まれ、1868(明治元)年にドイツ留学。滞在中の1873(明治6)年外務省入省。翌年、ドイツ特命全権公使に就任。
   1879(明治12)年帰国後も外交官として不平等条約改正交渉にも熱心に取り組んだ。

   
 
  加藤高明  (KATO Takaaki, 1860 - 安政7年~1926 - 大正15年)
     外交官、政治家。尾張(現・愛知県)に生まれ、1881(明治14)年頃、三菱に入社。イギリスに渡り、帰国後の1886(明治19)年、岩﨑弥太郎の娘婿
   となる。1887(明治20)年頃、官界に転じ、第4次伊藤内閣外相や第2次大隈内閣外相などを歴任。1924(大正13)年には自身も首相となる。

   
 
  小村寿太郎  (KOMURA Jutaro, 1855 - 安政2年~1911 - 明治44年)
     外交官。日向(現・宮崎県)に生まれ、1870(明治3)年にハーバード大学へ留学。帰国後、司法省に入省し、1884(明治17)年外務省に所属。日露
   戦争後のポーツマス条約、不平等条約の改正の他、義和団の乱での講和会議や日英同盟締結などでも活躍した。

   
 
  鮫島尚信  (SAMEJIMA Naonobu, 1845 - 弘化2年~1880 - 明治13年)
     外交官。薩摩(現・鹿児島県)に生まれ、1865(慶応元)年にロンドン大学へ留学し法学を学ぶ。1867(慶応3)年には渡米しトマス・レイク・ハリスの
   結社「新生社」で活動。1868(明治元)年帰国。外国官権判事や東京府判事などを歴任し、1874(明治7)年には外務大輔に就任した。

   
 
  町田久成  (MACHIDA Hisanari, 1838 - 天保9年~1897 - 明治30年)
     薩摩(現・鹿児島)藩士。1865(慶応元)年、藩命によりイギリスに留学。パリ万国博覧会にも参加した。1867(慶応3)年に帰国。外交官判事などを
   経て、1882(明治15)年、東京帝室博物館(現・東京国立博物館)初代館長に就任。

   
 
  松岡洋右  (MATSUOKA Yosuke, 1880 - 明治13年~1946 - 昭和21年)
     外交官、政治家。山口県に生まれ、1893(明治26)年、留学のため渡米。メソジスト監督教会やオレゴン大学での苦学を経て1902(明治35)年帰国。
   外務省に入省し、シベリア出兵やパリ講和会議などの外交問題に携わった。満州国否認の採択に抗議する形での国際連盟脱退でも知られている。

   
 
  陸奥宗光  (MUTSU Munemitsu, 1844 - 弘化元年~1897 - 明治30年)
     外交官。紀伊(現・和歌山県)に生まれる。1877(明治10)年、土佐立志社事件に荷担したとされ禁固5年の刑に服す。出所後、伊藤博文の薦めで
   ロンドンとドイツに留学。西洋近代社会の仕組みを学び、1886(明治19)年帰国。第2次伊藤内閣の外務大臣として条約改正を成し遂げた。

   
 
  森有礼  (MORI Arinori, 1847 - 弘化4年~1889 - 明治22年)
     外交官、政治家。薩摩(現・鹿児島県)に生まれ、1865(慶長元)年、イギリスへ留学。ロシア、アメリカを経て1867(明治元)年頃に帰国。福沢諭吉
   らと明六社を結成。1875(明治8)年には私塾・商法講習所(現・一橋大学)を開設した。第1次伊藤内閣で初代文部大臣を務めた。

   
 
  吉田清成  (YOSHIDA Kiyonari, 1845 - 弘化2年~1891 - 明治24年)
     外交官。薩摩(現・鹿児島県)に生まれ、1865(慶応元)年、薩摩藩の留学生としてイギリス・アメリカに渡る。1870(明治3)年に帰国、大蔵省に入省。
   1872(明治5)年、アメリカ駐在公使に就任。1878(明治11)年には関税自主権を求めた吉田・エバーツ条約締結に貢献する。

   
 
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                実業家     現在、 34人 です。


 
  朝吹常吉  (ASABUKI Tsunekichi, 1878 - 明治11年~1955 - 昭和30年)
     実業家。東京に生まれ、イギリス留学後の1901(明治34)年、日本銀行に勤務。三井物産、鐘紡を経て、1913(大正2)年、三越呉服店常務取締役
   に就任。その後も多くの重役に就いた。テニスの名手でもあり、1878(明治11)年に日本庭球協会を創立した。

   
 
  雨宮敬次郎  (AMEMIYA Keijiro, 1846 - 弘化3年~1911 - 明治44年)
     実業家。甲州財閥の一人。甲斐(現・山梨県)に生まれ、1876(明治9)年から翌年にかけてアメリカとヨーロッパを外遊。その中で社会基盤への投
   資の必要性に目を付ける。1879(明治12)年には東京に製粉工場を設立し事業を成功。甲州鉄道、東京市街鉄道の経営などにも携わった。

      
 
  新井領一郎  (ARAI Ryoichiro, 1855 - 安政2年~1939 - 昭和14年)
     実業家。上野国(現・群馬県)に生まれ、1876(明治9)年、生糸の市場開拓と日本からの直輸入の実現という目的で米国商法実習生として渡米。
   現地業者との契約に成功し実現する。群馬県令から渡米前に託された吉田松陰形見の短刀をカリフォルニア在住の新井の子孫が所有している。

   
 
  池田成彬  (IKEDA Shigeaki, 1867 - 慶応3年~1950 - 昭和25年)
     財界人、政治家。米沢(現・山形県)に生まれ、1890(明治23)年、アメリカのハーバード大学に5年間留学。帰国後は三井銀行営業部長、三井合
   名理事など実業界で活躍するも、1937(昭和12)年以降は日本銀行総裁や内閣参議なども歴任した。

      
 
  井上角五郎  (INOUE Kakugoro, 1860 - 万延元年~1938 - 昭和13年)
     実業家、政治家。備後(現・広島県)に生まれ、福沢諭吉のすすめで1882(明治15)年、朝鮮政府顧問に就任する。翌年には「漢城旬報」の創刊に
   協力。さらに翌年には甲申事変に関与。帰国後の1890(明治23)年には政友会に所属。北海道炭鉱鉄道専務や日本製鋼所会長なども歴任した。

      
 
  岩崎弥之助  (IWASAKI Yanosuke, 1851 - 嘉永4年~1908 - 明治41年)
     実業家。三菱創業者・岩崎弥太郎の弟。土佐(現・高知県)に生まれ、1872(明治5)年、アメリカに留学するも、家庭の事情から翌年に帰国。1885
   (明治18)年、亡くなった兄・弥太郎の後を継ぎ三菱社長に就任。1893(明治26)年に三菱合資を創立。3年後には日銀総裁に就任した。

   
 
  岩橋謹次郎  (IWAHASHI Kinjiro, 1862 - 文久2年~1912 - 明治45年)
     実業家。紀州(現・和歌山県)に生まれ、1886(明治19)年、村井保固らとイーストマン・カレッジに留学。卒業後、モリムラ・ブラザーズに4年勤務。
   1894(明治27)年、リボン国産化を目指して日本初となる岩橋リボン製織所を設立。その後、鴻池家との婚姻関係から白木屋理事に就任する。

   
 
  桂二郎  (KATSURA Jiro, 1856 - 安政3年~没年不明)
     実業家。桂太郎の弟。周防(現・山口県)に生まれ、1875(明治8)年、ドイツへ留学し、葡萄栽培と葡萄酒の醸造法を学ぶ。1878(明治11)年帰国。
   5年後、開拓史が残した札幌葡萄酒醸造所の管理を任される。これが後のサッポロビールの前身となった。

      
 
  川崎芳太郎  (KAWASAKI Yoshitaro, 1869 - 明治2年~1920 - 大正9年)
     実業家。旧姓は鬼塚。鹿児島県に生まれ、1886(明治19)年、アメリカのイーストマン商業学校に留学。1892(明治25)年の帰国と同時に川崎家の
   養子となる。川崎造船所副社長など実業界で活躍しつつ、川崎商船学校(現・神戸商船学校)の設立など教育界にも携わった。

      
 
  菊池恭三  (KIKUCHI Kyozo, 1859 - 安政6年~1942 - 昭和17年)
     経営者。伊予(現・愛媛県)に生まれ、1889(明治22)年頃、紡績を学ぶためイギリスに留学。マンチェスターやミッドルトンなどで技術を習得し、翌年
   帰国。1918(大正7)年、尼崎紡績と摂津紡績を合併し大日本紡績(現・ユニチカ)とし社長に就任。日本の紡績業をリードした人物の一人。

      
 
  小泉信吉  (KOIZUMI Nobukichi, 1849 - 嘉永2年~1894 - 明治27年)
     銀行家。紀伊(現・和歌山県)に生まれ、福沢諭吉の口添えで1876(明治9)年、イギリスに留学。1878(明治11)年帰国。横浜正金銀行の創立に携
   わり副頭取に就任。さらに大蔵省主税官、慶應義塾塾長、横浜正金銀行支配人を歴任した。

      
 
  郷誠之助  (GO Seinosuke, 1865 - 元治2年~1942 - 昭和17年)
     実業家。美濃(現・岐阜県)に生まれ、1884(明治17)年にドイツのハイデルベルク大学へ留学。1891(明治24)年に帰国。1895(明治28)年、日本運
   輸社長に就任し、会社の再建を果たす。日本メリヤスや王子製紙など他企業の再建にも協力したことから、財界のリーダー役として知られている。

      
 
  五代友厚  (GODAI Tomoatsu, 1835 - 天保6年~1885 - 明治18年)
     実業家。薩摩(現・鹿児島県)に生まれ、1862(文久2)年、上海に渡航。1863(文久3)年に帰国して薩摩藩の遣英使節団としてイギリスに渡航。
   長崎製鉄所の設立を経て1878(明治11)年には大阪商法(商工)会議所を設立、初代会頭に就任した。

   
 
  佐藤百太郎  (SATO Momotaro, 1853 - 嘉永6年~1910 - 明治43年)
     実業家、日米貿易の先駆者。下総国(現・千葉県)に生まれ、1867(慶応3)年、サンフランシスコへ渡航。1871(明治4)年にボストンのボリテクニ
   ック工芸学校で経済学を学ぶ。1875(明治8)年一時帰国し、翌年、米国商法実習生として渡米。日本における百貨店の創始者と言われている。

   
 
  渋沢栄一  (SHIBUSAWA Eiichi, 1840 - 天保11年~1931 - 昭和6年)
     幕臣、実業家。武蔵国(現・埼玉県)に生まれ、1867(慶応3)年、徳川慶喜の弟・昭武に随行してパリ万博を見学。1868(明治元)年帰国。静岡に
   商法会所を設立。大蔵省にも入省するが、退職。その後は第一国立銀行の頭取や東京瓦斯、王子製紙を設立するなど実業界に身を置く。

   
 
  清水卯三郎  (SHIMIZU Usaburo, 1829 - 文政12年~1910 - 明治43年)
     実業家。武蔵国(現・埼玉県)に生まれ、箕作阮甫に師事。1867(慶応3)年、パリ万博に日本の美術品を紹介。万博後、欧州の学問や工芸を学び、
   陶器、絵の具、石版印刷機械を持ち帰る。帰国後は東京に瑞穂屋を開き洋書や歯科医療道具などの輸入販売を行った。

   
 
  鈴木東一郎  (SUZUKI Toichiro, 1855 - 安政2年~1877? - 明治10年)
     丸善店員。尾張(現・愛知県)に生まれ、1876(明治9)年、丸善によって米国商法実習生として米国に派遣される。直輸入業務への参入が
   目的と言われている。翌年に帰国。丸善初の洋行社員とも言われる。

   
 
  竹鶴政孝  (TAKETSURU Masataka, 1894 - 明治27年~1979 - 昭和54年)
     実業家。広島に生まれ、1916(大正5)年、大阪の摂津酒造に入社。2年後、会社の命令で単身スコットランドのグラスゴー大学に留学。有機化学と
   応用化学を学び、現地のウィスキー蒸留場を見学。1920(大正9)年帰国。1940(昭和15)年には大日本果汁(現・ニッカウヰスキー)の創立者となる。

   
 
  高野正誠  (TAKANO Masanari, 1852 - 嘉永5年~1923 - 大正12年)
     ワイン醸造家。甲斐(現・山梨県)に生まれ、1877(明治10)年に土屋助次郎(龍憲)と共にワイン醸造技術を習得するためフランスへ留学。1879(明
   治12)年帰国。大日本山梨葡萄酒でワイン醸造に従事。後に勝沼ワインの基礎を築いたと言われる。

   
 
  高橋義雄  (TAKAHASHI Yoshio, 1861 - 文久元年~1937 - 昭和12年)
     実業家。水戸(現・茨城県)に生まれ、1881(明治14)年に慶應義塾大学に入学。翌年、時事新報に就職。1887(明治20)年、アメリカの商習慣調査
   のため、イーストマン・カレッジに留学。卒業後は欧米の商業についても視察を行い、日本にまだ無かったデパートメントのシステムを研究した。

   
 
  伊達忠七  (DATE Tadashichi, 1850? - 嘉永3年~没年不明)
     実業家。旧姓は早川。尾張(現・愛知県)に生まれ、1873(明治6)年、ウィーン万国博覧会使節団の一員として渡仏。1875(明治8)年帰国。持ち帰
   った織物技術で西陣の技術革新に貢献する。翌年には米国商法実習生の一員として渡米。三井物産就職後も欧米に度々渡った。

   
 
  土屋龍憲  (TSUCHIYA Tatsunori, 1859 - 安政6年~1940 - 昭和15年)
     ワイン製造業者。幼名は助次郎。甲斐(現・山梨県)に生まれ、1877(明治10)年、高野正誠らと葡萄酒醸造の伝習生としてフランスへ留学。1879
   (明治12)年帰国。ワイン醸造に従事するが、その際に建造した地下式のワインセラーが後に「龍憲セラー」の名で呼ばれるようになった。

      
 
  長沢鼎  (NAGASAWA Kanae, 1852 - 嘉永5年~1934 - 昭和9年)
     薩摩(現・鹿児島)藩士、海外農場経営者。1865(慶応元)年にイギリスへ留学。2年後、森有礼らとアメリカへ渡る。カリフォルニアに留まり葡萄園
   の経営に成功する。

   
 
  早矢仕有的  (HAYASHI Yuteki, 1837 - 天保8年~1901 - 明治34年)
     実業家、医師。美濃(現・岐阜県)に生まれ、郷里と東京、横浜で医師として働くが、1869(明治2)年に同地で書店丸屋(丸善の前身)を開業。医
   学書を中心に販売し、事業拡大に伴いアメリカやロシア、ヨーロッパにまで進出した。ハヤシライスの考案者とする説も存在する。

   
 
  星一  (HOSHI Hajime, 1873 - 明治6年~1951 - 昭和26年)
     実業家、政治家。SF作家・星新一の父。福島県に生まれ、1894(明治29)年、アメリカのコロンビア大学へ留学。1901(明治34)年帰国。1911(明治
   44)年、星製薬を設立。モルヒネの国産化に成功し、日本の製薬王と呼ばれた。1922(大正11)年には星製薬商業学校を創設した。

      
 
  細川風谷  (HOSOKAWA Fukoku, 1867 - 慶応3年~1919 - 大正8年)
     実業家、講談師。本名は源太郎。土佐(現・高知県)に生まれ、1885(明治18)年、サンフランシスコの太平洋商業学校へ留学。1890(明治23)年帰
   国。硯友社の尾崎紅葉の下で活動を経て、1896(明治29)年、日本郵船の外国航路事務長に就任。講談新声会の創設にも携わった。

      
 
  益田孝  (MASUDA Takashi, 1848 - 嘉永元年~1938 - 昭和13年)
     実業家。佐渡(現・新潟県)に生まれる。1863(文久3)年、父と共に渡欧。帰国後は幕府陸軍に入隊。明治維新後は大蔵省に入省。1874(明治7)
   年、英語力を買われて井上馨の先収会社の副社長に就任。1876(明治9)年には三井物産の初代社長となった。茶人として「鉄翁」の号を持つ。    

 
  増田林三郎  (MASUDA Rinzaburo, 1858 - 安政5年~没年不明)
     実業家。狭山(現・埼玉県)に生まれ、1876(明治9)年、狭山会社の製茶販売目的のため、実習生として渡米。1878(明治11)年帰国。この事業
   には佐藤百太郎も携わっていた。    

 
  御木本幸吉  (MIKIMOTO Kokichi, 1858 - 安政5年~1954 - 昭和29年)
     実業家。志摩(現・三重県)に生まれ、1890(明治23)年、真珠貝の養殖に成功。銀座や築地などに真珠店を開設する。1903(明治36)年には金細
   工工場の開設に着手。1916(大正5)年以降は中国や欧米など海外にも支店を開設した。真珠王の異名で知られている。    

 
  村井保固  (MURAI Yasukata, 1854 - 嘉永7年~1936 - 昭和11年)
     実業家。伊予(現・愛媛県)に生まれる。1878(明治11)年、慶應義塾大学で福沢諭吉に師事した縁から、卒業後、彼の推薦で貿易商社森村組の
   ニューヨーク支店に勤務することになる。1904(明治37)年、日本陶器(現・ノリタケ)を設立。旧制吉田中学校の開校など教育面にも貢献した。    

 
  森村豊  (MORIMURA Toyo, 1854 - 嘉永7年~1899 - 明治32年)
     実業家。江戸(現・東京)に生まれる。1876(明治9)年、兄・市左衛門らと共に米国商法実習生として渡米。ニューヨークで日之出商会(後の森村
   ブラザーズ)を開業。後に村井保固の進言で経営方針を小売業から卸売業へ転換。日本陶器(現・ノリタケ)設立のきっかけに繋がる。       

 
  矢野恒太  (YANO Tsuneta, 1866 - 慶応元年~1951 - 昭和26年)
     実業家。備前(現・岡山県)に生まれる。1897(明治30)年、ドイツに留学して保険制度を学ぶ。帰国後の1898(明治31)年、農商務省に入省。保険
   業法の制定に尽くす。1902(明治35)年には日本初の相互保険会社である第一生命保険を創設した。『日本国政図会』(初版)の発刊者でもある。       

 
  山城屋和助  (YAMASHIROYA Wasuke, 1837 - 天保8年~1872 - 明治5年)
     商人。本名は野村三千三(のむら みちぞう)。周防(現・山口県)に生まれる。山県有朋、井上馨らが関わった山城屋事件での自殺で知られる。
   幕末期は奇兵隊に所属し、山県の麾下で戊辰戦争にも参戦した。維新後は横浜で貿易業を始め、生糸市場へ参入した折にフランスにも渡った。      

 
  米山梅吉  (YANEYAMA Umekichi, 1868 - 慶応4年~1946 - 昭和21年)
     銀行家。旧姓は和田。江戸(現・東京)に生まれ、1888(明治21)年渡米。ウェスレアン大学などで法学を学び1896(明治29)年に帰国。井上馨の
   紹介で三井銀行に入社。1924(大正13)年には三井信託の初代社長に就任。ロータリークラブや青山学院初等部の創設者としても知られる。      

                                                                              主な活動領域へ戻る


 
               思想家・宗教家     現在、 28人 です。


 
 
  青木文教  (AOKI Bunkyo, 1886 - 明治19~1956 - 昭和31年)
     チベット研究者。滋賀県の浄土真宗本願寺派末寺正福寺に生まれ、1910(明治43)年、チベットへ赴き、ダライ=ラマ13世の弟子となる。1916(大正5)
   年帰国。東京大学のチベット語講師に就任。

   
 
  姉崎正治  (ANESAKI Masaharu, 1873 - 明治6年~1949 - 昭和24年)
     評論家、宗教学者。京都に生まれ、1900(明治33)年、ドイツ、イギリス、インドに留学し、1903(明治36)に帰国。1904(明治37)年、東京帝国大学(現・
   東京大学)教授に就任。翌年、宗教学講座を開設。日本の宗教学研究の発展の基礎を築いたとされる。

   
 
  安部磯雄  (ABE Isoo, 1865 - 元治2年~1949 - 昭和24年)
     社会運動家。筑前(現・福岡県)に生まれ、1891(明治24)年、アメリカのハートフォード進学校とドイツのベルリン大学に留学し、1895(明治28)に帰国。
   早稲田大学教授などを歴任する中で、社会主義運動に携わる。1901(明治34)年には片山潜らと社会民主党を創設した。

   
 
  内村鑑三  (UCHIMURA Kanzo, 1861 - 文久元年~1930 - 昭和5年)
     キリスト教思想家。江戸(現・東京)に生まれ、札幌農学校卒業後の1884(明治17)年に渡米。アマースト大学で伝道者を目指し、理学士の資格を
   得て卒業。1888(明治21)年帰国。足尾銅山鉱毒事件を世に知らしめ、日露戦争時の非戦論や無教会主義で知られる。

   
 
  大谷光瑞  (OTANI Kozui, 1876 - 明治9年~1948 - 昭和23年)
     浄土真宗本願寺派第22世法主。京都に生まれ、1902(明治35)年、教団活動のためインドへ渡航。1904(明治37)年帰国。渡航中から探検隊による
   発掘調査を行い、中国やシルクロードの貴重な仏教資料を日本にもたらした。

   
 
  小谷部全一郎  (OYABE Zenichiro, 1868 - 慶応3年~1941 - 昭和16年)
     牧師、アイヌ救済運動家。秋田に生まれ、1888(明治21)年渡米。苦学しつつバージニア大学やエール大学などで神学を修め、牧師の資格を得る。
   1898(明治31)年帰国後はアイヌ民族救済活動に携わる。「義経=ジンギスカン説」や「日本ユダヤ同祖説」の提唱者としても知られる。

   
 
  小幡篤次郎  (OBATA Tokujiro, 1842 - 天保13年~1905 - 明治38年)
     思想家、教育者。豊前(現・大分県)に生まれ、1864(元治元)年、福沢諭吉の勧めにより慶應義塾で英学を学ぶ。1890(明治23)年には第3代慶應義
   塾塾長に就任。日本初の東京学士会院会員にも選ばれた。1876(明治9)年頃、欧米に渡ったこともあった。

   
 
  賀川豊彦  (KAGAWA Toyohiko, 1888 - 明治21年~1960 - 昭和35年)
     キリスト教社会運動家。兵庫県に生まれ、1914(大正3)年渡米、1917(大正6)年に神戸へ戻りキリスト教伝道と社会事業を始める。1918(大正7)年
   友愛会に加入。神戸地区の労働運動に参加して関西一円の指導者となる。

   
 
  片山潜  (KATAYAMA Sen, 1859 - 安政6年~1933 - 昭和8年)
     社会主義者。美作(現・岡山県)に生まれ、1884(明治17)年渡米、英語とキリスト教を学び、1886(明治19)年、洗礼を受ける。西洋古典学を修め、
   1896(明治29)年帰国。1906(明治39)年、日本社会党に参加。1921(大正10)年にはソ連に渡りコミンテルン執行委員会幹部会員となった。

   
 
  河口慧海  (KAWAGUCHI Ekai, 1866 - 慶応2年~1945 - 昭和20年)
     僧侶、探検家。大阪に生まれ、1890(明治23)年、黄檗宗の五百羅漢寺で得度。1892(明治25)年、梵語、チベット語の仏典を求めて、日本人として
   初めてチベットへ渡る。1903(明治36)年帰国。翌年刊行した『西蔵旅行記』など仏教やチベットに関する著作活動に励んだ。

      
 
  岸千年  (KISHI Chitose, 1898 - 明治31年~1989 - 平成元年)
     牧師、神学者。岐阜県に生まれ、1925(大正14)年、アメリカのサウスカロライナ州立大学を卒業。日本福音ルーテル神学大教授、同大学長を歴任。
   日本聖書協会理事長として、共同訳聖書の刊行にも貢献した。

      
 
  岸本能武太  (KISHIMOTO Nobuta, 1866 - 慶応元年~1928 - 昭和3年)
     宗教学者。備前(現・岡山県)に生まれ、新島襄により洗礼を受ける。1890(明治23)年、アメリカのハーバード大学に留学。留学中、シカゴの万国宗
   教会議に出席。1894(明治27)年帰国。1896(明治29)年、姉崎正治と比較宗教研究会を設立。高等師範教授や早稲田大学教授なども歴任した。

      
 
  久布白落実  (KUBUSHIRO Ochimi, 1882 - 明治15年~1972 - 昭和47年)
     女性運動家。旧姓は大久保。熊本県に生まれ、1903(明治36)年にアメリカへ渡る。同地で牧師の久布白直勝と結婚。1913(大正2)年帰国。廃娼運
   動と婦人参政権の獲得運動に参画。戦後の1956(昭和31)年には売春防止法の成立に尽力した。

      
 
  黒崎幸吉  (KUROSAKI Kokichi, 1886 - 明治19年~1970 - 昭和45年)
     キリスト教伝道者。山形県に生まれ、1922(大正11)年、ドイツ、フランス、イギリスに留学。この経験が学生寮「登戸学寮」構想のきっかけになった。
   1925(大正14)年帰国。それ以後も欧米諸国で伝道を行い、『註解新約聖書』『新約聖書語句索引』なども著した。

      
 
  西海枝静  (SAIKAI Shizuka, 1868 - 明治元年~1939 - 昭和14年)
     神学者。陸奥(現・岩手県)に生まれ、1890(明治23)年、ロシアのキエフ神学大学へ留学。1894(明治27)年帰国。聖教神学校で教師として働く
   かたわら、ハリストス正教会本会の機関誌「正教時報」の主筆を務めた。

      
 
  島地黙雷  (SHIMAJI Mokurai, 1838 - 天保9年~1911 - 明治44年)
     浄土真宗本願寺派の僧。周防(現・山口県)に生まれ、1872(明治5)年、西本願寺の依頼でヨーロッパを視察。エルサレムやインドも訪れ、旅行中の
   記録を『航西日策』を著した。政府に信教の自由と政教分離を提言したほか、女子文芸学舎(現・千代田女学園中・高等学校)の創立にも携わった。

      
 
  釈宗演  (SHAKU Soen, 1860 - 安政6年~1919 - 大正8年)
     臨済宗の僧。若狭(現・福井県)に生まれ、慶應義塾で福沢諭吉に師事し英語と洋学を学ぶ。卒業後の1887(明治20)年、セイロン(スリランカ)へ留学。
   帰国し神奈川県宝林寺住持に就任した後の1893(明治26)年、シカゴに渡り禅を紹介。日本で初めて禅を欧米に紹介した僧としても有名になった。

      
 
  杉浦重剛  (SUGIURA Jugo, 1855 - 安政2年~1924 - 大正13年)
     思想家、教育者。近江(現・滋賀県)に生まれ、1876(明治9)年、第2回文部省派遣留学生に選抜され渡欧。ロンドン大学、サウスケンジントン化学校
   で農業や化学を学び、1880(明治13)年帰国。1885(明治18)年、日本学園中学校を設立。1888(明治21)年には政教社を結成し国粋主義をとなえた。

      
 
  鈴木大拙  (SUZUKI Daisetsu, 1870 - 明治3年~1966 - 昭和41年)
     仏教学者。石川県に生まれ、1897(明治30)年にアメリカへ渡り、仏教書の英訳本を著し、仏教文化を海外に広めた。1909(明治42)年に帰国。日本
   の禅文化を海外に知らしめた人物として有名。

   
 
  関信三  (SEKI Shinzo, 1843 - 天保14年~1880 - 明治13年)
     浄土真宗僧侶、教育者。三河(現・愛知県)に生まれ、1872(明治5)年、東本願寺によってイギリスへ派遣。1874(明治7)年帰国後、東京女子師範(現・
   お茶の水女子大学)英語教師に就任。1876(明治9)年には同校付属幼稚園初代監事として、日本初の幼稚園経営に従事した。

   
 
  瀬沼恪三郎  (SENUMA Kakusaburo, 1868 - 慶応4年~1945 - 昭和20年)
     神学者。旧姓は河本。武蔵八王子(現・東京)に生まれ、1890(明治23)年、ロシアのキエフ大学へ留学。帰国後は正教神学校教授や校長を歴任。トル
   ストイと文通し、尾崎紅葉と『アンナ・カレーニナ』を翻訳、日本初の訳出紹介となった。雑誌「心海」や機関誌「正教会報」にも多数の論文を発表した。

   
 
  高楠順次郎  (TAKAKUSU Junjiro, 1866 - 慶応2年~1945 - 昭和20年)
     仏教学者。旧姓は沢井。備後(現・広島県)に生まれ、1890(明治23)年、ヨーロッパに留学しインド学と梵語学を学ぶ。帰国後の1897(明治30)年頃、
   東京帝国大学(現・東京大学)で梵語学の講師を担当。1897(明治30)年には梵語学講座を創設。武蔵野女子学院の創設者でもある。

   
 
  中江兆民  (NAKAE Chomin, 1847 - 弘化4年~1901 - 明治34年)
     自由民権思想家。土佐(現・高知県)に生まれ、1871(明治4)年、岩倉使節団に随行してフランスへ渡る。西園寺公望と知り合った。1874(明治7)
   年帰国。東京に仏蘭西学舎(のちに仏学塾)を創設。ルソーの『社会契約論』の漢語訳にも携わった。

   
 
  中田重治  (NAKADA Juji, 1870 - 明治3年~1939 - 昭和14年)
     牧師。陸奥(現・青森県)に生まれ、1891(明治24)年、北海道でメソジスト伝道師として活躍。1896(明治29)年渡米し、シカゴのムーディ聖書学校へ
   留学。1898(明治31)年帰国。1917(大正6)年、東洋宣教会日本ホーリネス教会を設立し、初代監督となる。

   
 
  中村正直  (NAKAMURA Masanao, 1832 - 天保3年~1891 - 明治24年)
     啓蒙思想家。江戸(現・東京)に生まれ、1866(慶応2)年、幕府の遣英留学生監督としてイギリスへ渡る。翌年に帰国。静岡学問所教授を経て1872
   (明治5)年、大蔵省へ入省。S・スマイルズの『西国立志編』や J ・S ・ミルの『自由之理』などを翻訳し、新思想を紹介したことで知られている。

   
 
  南条文雄  (NANJO Bunyu, 1849 - 嘉永2年~1927 - 昭和2年)
     僧、仏教学者。美濃(現・岐阜県)に生まれ、1876(明治9)年、サンスクリット語研究のためイギリスのオックスフォード大学へ留学。留学中の1883
   (明治16)年に発表した『大明三蔵聖教目録』が同国で注目された。1884(明治17)年帰国後は近代的な仏教研究とその教育機関の創設に尽力した。

   
 
  西周  (NISHI Amane, 1829 - 文政12年~1897 - 明治30年)
     啓蒙思想家。石見(現・島根県)に生まれ、1862(文久2)年、幕府の命令でオランダに留学。1865(慶応元)年に帰国。1873(明治6)年には森有礼
   らと明六社を結成。啓蒙思想家としても活動した。獨協大学初代校長でもある。

   
 
  馬場辰猪  (BABA Tatsui, 1850 - 嘉永3年~1888 - 明治21年)
     土佐(現・高知)藩士、思想家、政論家。1870(明治3)年イギリスに留学。海軍、法学などを修め、1874(明治7)年に帰国。その後もイギリスに渡り、
   帰国後は中江兆民らと自由民権活動の紹介を行った。

      
 
  山鹿旗之進  (YAMAGA Hatanoshin, 1860 - 安政7年~1954 - 昭和29年)
     牧師。兵法家山鹿素行の直系。江戸(現・東京)に生まれ、弘前の東奥義塾生時代にJ.イングより受洗。1890(明治23)年、アメリカのドル―進学校
   に留学。1893(明治26)年帰国。名古屋第一教会の基礎を築いたほか、横浜や鎌倉などでも伝道に当たった。

      
 
  湯浅吉郎  (YUASA Yoshio, 1860 - 安政7年~1954 - 昭和29年)
     聖書学者、図書館学者、詩人。上野(現・群馬県)に生まれ、新島襄に感化されキリスト教の洗礼を受ける。同志社神学科卒業後の1885(明治18)
   年にアメリカ留学。旧約聖書と古典ヘブライ語を学び1891(明治24)年帰国。同志社大学教授、京都平安教会牧師、京都府立図書館長を歴任した。

      
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             教育者・学者

               人文科学系     現在、 25人 です。


 
 
  朝河貫一  (ASAKAWA Kanichi, 1873 - 明治6年~1948 - 昭和23年)
     歴史学者。福島県に生まれ、1895(明治28)年にアメリカのダートマス大学に編入学。1906(明治39)年と1917(大正6)年に日本関係の資料収集の
   目的から一時帰国するが、亡くなるまでアメリカに留まった。太平洋戦争に反対し「平和の提唱者」といわれる。

   
 
  浅田榮次  (ASADA Eiji, 1865 - 慶応元年~1914 - 大正3年)
     英語学者。周防(現・山口県)に生まれ、1888(明治21)年神学と言語学を学ぶ目的で渡米。1893(明治26)年帰国。英語教育に尽力。1899(明治32)
   年には、東京外国語大学の教務主任を務めた。

   
 
  飯田旗軒  (IIDA Kiken, 1866 - 慶応2年~1938 - 昭和13年)
     フランス文学者。本名は飯田旗郎。江戸(現・東京)に生まれ、ベルギーに留学。帰国後は日本銀行や硯友社など実業界で勤務する傍ら、ピエール・
   ロチやエミール・ゾラなどフランス文学の翻訳と紹介を手掛けた。

      
 
  磯田良  (ISODA Ryo, 1867 - 慶応3年~1924 - 大正13年)
     西洋史学者。江戸(現・東京)に生まれ、1892(明治25)年に母校帝国大学(現・東京大学)講師に就任。1894(明治27)年、ドイツとオーストリアに留学。
   帰国後は東京高等師範学校教授に就任した。

      
 
  井上十吉  (INOUE Jukichi, 1862 - 文久2年~1929 - 昭和4年)
     英学者。阿波(現・徳島県)に生まれ、1873(明治6)年、イギリス留学。ロンドン大学で冶金学を学び、1883(明治16)年帰国。東京大学予備門や早稲
   田大学などで英語教師を勤め、1894(明治27)年に外務省の翻訳官に。「井上英和大辞典」など十数種に及ぶ辞典を編集にも携わった。

   
 
  井上哲次郎  (INOUE Tetsujiro, 1855 - 安政2年~1944 - 昭和19年)
     哲学者。福岡に生まれ、1884(明治17)年、ドイツ留学。1890(明治23)年帰国。日本人初と言われる東京大学文学部哲学科教授に就任。ドイツ観念
   論哲学を講じた。

   
 
  上田万年  (UEDA Kazutoshi, 1867 - 慶応3年~1937 - 昭和12年)
     国語学者。江戸に生まれ、帝国大学(現・東京)在学中はバジル・ホール・チェンバレンに師事していた。1890(明治23)年からはドイツやフランスに
   留学し東洋語学を学ぶ。1894(明治27)年帰国後、帝国大学教授に就任。比較言語学や音声学など新しい分野を講じ近代国語学の基礎を築いた。

      
 
  岡倉由三郎  (OKAKURA yoshisaburo, 1868 - 慶応14年~1936 - 昭和11年)
     英語学者。岡倉天心の弟。相模(現・神奈川県)に生まれ、1891(明治24)年、漢城(現・ソウル)の日本語教師に任ぜられる。1925(大正14)年、日本
   初のラジオによる英語講座を担当したことや『新英和大辞典』の編者、『英文学叢書』の監修者としても知られている。

      
 
  神田乃武  (KANDA Naibu, 1857 - 安政4年~1923 - 大正12年)
     英語学者。江戸(現・東京)に生まれ、1871(明治4)年、森有礼とアメリカへ留学。1879(明治12)年帰国。東京高等師範学校や東京高等商業学校(現・
   一橋大学)の教授、東京外国語学校(現・東京外国語大学)初代校長などを歴任した。

      
 
  木村重治  (KIMURA Shigeharu, 1874 - 明治7年~1967 - 昭和42年)
     西洋史学者。奈良県に生まれ、1897(明治30)年にアメリカ留学。ホバード、ハーバード大学などで学ぶ。立大経済学部教授・学部長・学長を経て、戦
   後は極東軍事裁判弁護人、グルー基金常務理事などを務めた。

      
 
  九鬼周造  (KUKI Shuzo, 1888 - 明治21年~1941 - 昭和16年)
     哲学者。東京に生まれ、東京帝国大学(現・東京大学)卒業後、8年間ヨーロッパ諸国を留学。ドイツでハイデッガーに現象学を学ぶ。帰国後は京都
   帝国大学(現・京都大学)教授に就任。現象学やデカルトをはじめとするフランス哲学、近世哲学史を担当した。

   
 
  久保良英  (KUBO Yoshihide, 1883 - 明治16年~1942 - 昭和17年)
     心理学者。佐賀県に生まれ、1913(大正2)年にアメリカのクラーク大学へ留学。1929(昭和4)年、広島文理大学(現・広島大学)教授に就任。早くから
   精神分析やゲシュタルト心理学を紹介したことやビネー式知能検査の標準化に貢献したことで知られている。

      
 
  久米邦武  (KUME Kunitake, 1839 - 天保10年~1931 - 昭和6年)
     日本史学者。肥前(現・佐賀県)に生まれ、1871(明治4)年、岩倉使節団の欧米視察に随行。各地を調査し1873(明治6)年帰国後『米欧回覧地実記』
   を編集、1878(明治11)年刊行した。

      
 
  桑田秀延  (KUWATA Hidenobu, 1895 - 明治28年~1975 - 昭和50年)
     神学者。香川県に生まれ、1918(大正7)年にアメリカのハーバード大学へ留学。1922(大正11)年帰国。母校の明治学院神学部教授やフェリス女学
   院院長などを歴任。プロテスタント神学の教育に指導的役割を果たしたと言われている。

      
 
  桑田芳蔵  (KUWATA Yoshizo, 1882 - 明治15年~1967 - 昭和42年)
     心理学者。鳥取県に生まれる。ドイツへ留学し、心理学者のヴィルヘルム・ヴントに師事。帰国後は東京帝国大学(現・東京大学)や大阪大学の教
   授を歴任した。日本心理学会会長も務めた。民族心理学研究の先駆者として知られる。

      
 
  古賀行義  (KOGA Yukiyoshi, 1891 - 明治24年~1979 - 昭和54年)
     心理学者。熊本県に生まれ、1921(大正10)年、名古屋高等商科学校教授に就任。広島文理科大学(現・広島大学)教授も歴任した。イギリスにも
   留学し、カール=ピアソンから因子分析法を学んだこともある。

      
 
  古沢平作  (KOZAWA Heisaku, 1897 - 明治30年~1968 - 昭和43年)
     精神分析学者。神奈川県に生まれ、1932(昭和7)年、ドイツのウィーン精神分析研究所に留学し、フロイトに師事。帰国後の1934(昭和9)年、精神
   分析クリニックを開業。1955(昭和30)年には日本精神分析学会を創設。早期母子関係に注目した阿闍世コンプレックスの提唱者としても知られる。

      
 
  小島泰次郎  (KOJIMA Taijiro, 1861 - 文久元年~1905 - 明治38年)
     ロシア語学者。江戸に生まれ、東京外国語学校(現・東京外国語大学)卒業後、陸軍省に入省。1896(明治29)年、山県有朋特命全権大使の通訳
   としてロシアに渡り、陸軍大臣クロパトキンの接待に当たった。

      
 
  小西増太郎  (KONISHI Masutaro, 1862 - 文久2年~1940 - 昭和15年)
     神学者、ロシア研究家。備前(現・岡山県)に生まれ、1886(明治19)年、ロシアのキエフ神学大学へ留学。モスクワでトルストイと共同で『老子』のロ
   シア語訳も行った。1893(明治26)年に帰国。京都帝国大学(現・京都大学)や同志社大学などで教授を歴任し、ロシア語の講師を務めた。

      
 
  斎藤阿具  (SAITO Agu, 1868 - 慶応4年~1942 - 昭和17年)
     歴史学者。武蔵(現・埼玉県)に生まれ、1903(明治36)年、ドイツとオランダへ留学。1906(明治39)年帰国。その後、第一高等学校教授に就任。芥川
   龍之介や山本有三ら著名人も彼に師事した。夏目漱石に家を貸したこともあり、後に「夏目漱石旧宅跡」として指定されている。

      
 
  佐伯好郎  (SAEKI Yoshiro, 1871 - 明治4年~1965 - 昭和40年)
     歴史学者。広島県に生まれ、1893(明治26)年にアメリカへ渡り、カナダのトロント大学へ留学。英語と古典語の習得に努め1896(明治29)年帰国。母
   校の東京専門学校(現・早稲田大学)、東京高師、明治大学で留学時代の経験を活かして教鞭をふるう。第二次大戦後は郷里の町長を務めた。

      
 
  坂崎侃  (SAKAZAKI Kan, 1894 - 明治27年~1965 - 昭和40年)
     哲学者。高知県に生まれ、1937(昭和12)年、文部省在外研究員としてドイツへ留学し、科学史などを研究。帰国後、東京文理大学で日本初の科学
   哲学の講義を行った。科学哲学研究の先駆者とも言われている。

      
 
  尺振八  (SEKI Shinpachi, 1894 - 明治27年~1965 - 昭和40年)
     英学者。本姓は鈴木。江戸(現・東京)に生まれ、中濱万次郎、西吉十郎らに英語を学ぶ。1861(文久元)年、幕府の命で遣欧使節に随行。帰国後の
   1870(明治3)年、東京に共立学舎を設立。1872(明治5)年には大蔵省翻訳局長を歴任した。

      
 
  中島力造  (NAKAJIMA Rekizo, 1858 - 安政5年~1918 - 大正7年)
     倫理学者。丹波福知山(現・京都)に生まれ、1880(明治13)年、エール大学に留学。進学し講師を務めた後もイギリスとドイツに留学した。1890(明治
   23)年帰国。1892(明治25)年、帝国大学(現・東京大学)教授に就任。日本に初めてイギリスの哲学者 T. H. グリーンの新理想主義倫理学を紹介した。

      
 
  長瀬鳳輔  (NAGASE Hosuke, 1865 - 慶応元年~1926 - 大正15年)
     洋学者、教育者。備前(現・岡山県)に生まれ、1885(明治18)年、アメリカのジョン・ホプキンス大学に留学し、歴史と経済学を修める。ドイツのハルレ
   哲学博士の称号を取得。1894(明治27)年帰国後は山口高等学校教授のほか、参謀本部編修官などを歴任した。外交史の権威としても知られている。

      
 
  松本亦太郎  (MATSUMOTO Matataro, 1865 - 慶応元年~1943 - 昭和18年)
     心理学者。旧姓は飯野。上野(現・群馬県)に生まれ、1896(明治29)年、エール大学へ留学。翌年にはライプツィヒ大学でヴィルヘルム・ヴントに師事。
   1900(明治33)年帰国後、東京高等師範学校と東京帝国大学(現・東京大学)に心理学実験室を創設。同志社女子大学設立にも携わった。

      
 
  八杉貞利  (YASUGI Sadatoshi, 1876 - 明治9年~1966 - 昭和41年)
     ロシア語学者。東京に生まれる。ロシアに留学し比較言語学とスラブ比較文法を学ぶ。留学中の1903(明治36)年、東京外国語学校(現・東京外国語
   大学)教授に就任。翌年に帰国。後に、日本におけるロシア語教授法を確立した。

      
                                                                              主な活動領域へ戻る
               社会科学系     現在、 23人 です。


 
 
  有賀長雄  (ARIGA Nagao, 1860 - 万延元年~1921 - 大正10年)
     法学者。大坂(現・大阪府)に生まれ、1886(明治19)年、ドイツのベルリン大学やオーストリアのウィーン大学へ留学し国法学を学ぶ。1888(明治
   21)年帰国。枢密院書記官や早稲田大学講師など、政治と教育の両分野で幅広く活躍。ハーグ平和会議にも日本代表として出席した。

      
 
  岡田朝太郎  (OKADA Asataro, 1868 - 慶応4年~1936 - 昭和11年)
     刑法学者。美濃(現・岐阜県)に生まれ、1897(明治30)年、ヨーロッパに留学。1900(明治33)年帰国後、東京帝国大学(現・東京大学)教授に就任。
   1906(明治39)年には清国(中国)政府に招かれ法典起草に携わった。早稲田大学や明治大学でも教授を務めた。川柳研究家としても知られる。

      
 
  木下広次  (KINOSHITA Hiroji, 1851 - 嘉永4年~1910 - 明治43年)
     法学者、教育家。熊本県に生まれ、1875(明治8)年、フランスのパリ大学へ留学。1882(明治15)年帰国。東京大学教授、文部省専門学務局長な
   どを歴任し京都帝国大学(現・京都大学)初代総長に就任。「自由の学風」の基礎を作ったと言われている。

      
 
  上坂酉三  (KOSAKA Torizo, 1888 - 明治21年~1976 - 昭和51年)
     商学者。宮城県に生まれ、1926(大正15)年にイギリスとドイツへ留学。帰国後の1929(昭和4)年、早稲田大学教授に。駒澤大学経済学部長や
   日本商品学会会長など早稲田以外の要職も数多く歴任。日本における貿易、商業学、商品学の第一人者とも言われている。

      
 
  桑田熊蔵  (KUWATA Kumazo, 1868 - 明治元年~1932 - 昭和7年)
     社会政策学者。伯耆(現・鳥取県)に生まれ、東大卒業後、社会問題研究のためヨーロッパへ留学。帰国後、東大講師に就任。1896(明治29)年
   社会政策学会を創設し、社会改良主義を唱える。1908(明治41)年に中央大学教授、1912(明治45)年には友愛会を創設し顧問となった。

      
 
  小林澄兄  (KOBAYASHI Sumie, 1886 - 明治19年~1971 - 昭和46年)
     教育学者。長野県に生まれ、1914(大正3)年、教育学研究のためヨーロッパへ留学。1917(大正6)年帰国。1920(大正9)年、慶應義塾大学教授に
   就任。戦後も国際新教育協会を設立し、教育会で活躍。身体的・精神的活動によって自立を目指す「労作教育」を教育の基本に置いていた。

      
 
  近藤真琴  (KONDO Makoto, 1831 - 天保2年~1886 - 明治19年)
     教育者、洋学者。江戸(現・東京)生まれの伊勢(現・三重県)鳥羽藩士。蘭学や航海術を学んだ経験から維新後の1869(明治2)年には私塾の攻
   玉塾(後の攻玉社)を創設した。1873(明治6)年、ウィーン万国博覧会日本館事務官として外遊、帰国後、この時の記録を『澳行日記』として著した。

      
 
  下田歌子  (SHIMODA Utako, 1854 - 嘉永7年~1936 - 昭和11年)
     教育者。美濃(現・岐阜県)に生まれ、1893(明治26)年、皇室の意向による教育視察のため欧米へ渡る。1895(明治28)年帰国。1899(明治32)年
   には実践女学校(現・実践女子大学)を創立するが、華族女学校や帝国婦人協会も設立しており、女性の地位向上と生活改善のために尽力した。

      
 
  高嶺秀夫  (TAKAMINE Hideo, 1854 - 嘉永7年~1910 - 明治43年)
     教育者。陸奥(現・福島県)に生まれ、1875(明治8)年、アメリカのオスウェゴー師範学校に留学しペスタロッチ教育法を研究する。1877(明治10)年
   頃帰国。東京師範校長、東京美術学校長などを歴任。ペスタロッチ教育法を日本に普及させた人物としても知られている。

      
 
  津田梅子  (TSUDA Umeko, 1864 - 元治元年~1929 - 昭和4年)
     教育者。江戸(現・東京)に生まれ、1871(明治4)年渡米。1882(明治15)年に帰国し、1889(明治22)年に再度渡米。1892(明治25)年に帰国し、
   1900(明治33)年に留学経験を元に女子英学塾(のちの津田塾大学)を創設した。

   
 
  新島襄  (NIIJIMA Jo, 1843 - 天保14年~1890 - 明治23年)
     教育者、宗教家。江戸(現・東京)に生まれ、1864(元治元)年、箱館港から米船ベルリン号でアメリカへ密航。神学を修めて1875(明治8)年帰国。
   1875(明治8)年には同志社大学の前身である同志社英学校を創設した。

   
 
  新渡戸稲造  (NITOBE Inazo, 1862 - 文久2年~1933 - 昭和8年)
     教育者、国際連盟事務局次長。陸奥(現・岩手県)に生まれ、札幌農学校入学。卒業後、ドイツやアメリカへ留学。1891(明治24)年に帰国し、札
   幌農学校教授に就任。体調不良からカリフォルニア州に転地休養。『武士道』はこの時に著した。

   
 
  能勢栄  (NOSE Sakae, 1852 - 嘉永5年~1895 - 明治28年)
     教育学者。江戸(現・東京)に生まれ、アメリカのパシフィック大学へ留学。帰国後は長野師範学校や福島師範学校などの校長を歴任。1886(明治
   19)年には文部書記官に就任。

   
 
  鳩山春子  (HATOYAMA Haruko, 1861 - 文久3年~1938 - 昭和13年)
     教育者。旧姓は多賀。信濃(現・長野県)に生まれ、1878(明治11)年、東京女子師範学校に入学。翌年、米国留学の許可が下りるも、政府の都合
  により頓挫。1886(明治19)年には共立女子職業学校(共立学園)の創立に参加。後の総理大臣・鳩山一郎の母としても知られている。

   
 
  福沢諭吉  (FUKUZAWA Yukichi, 1834 - 天保5年~1901 - 明治34年)
     啓蒙思想家、教育者。豊前(現・大分県)に生まれ、1860(万延元)年に咸臨丸で渡米。1862(文久2)年にはヨーロッパへ渡る。外国で購入した書
   物を元に、『増訂華英英語』、『西洋事情』などを著した。慶應義塾の創設者。

   
 
  古川正雄  (FURUKAWA Masao, 1837 - 天保8年~1877 - 明治10年)
     教育者。旧名は古川節蔵、岡本節蔵、岡本周吉。筆名は岡本博卿。安芸(現・広島県)に生まれ、1873(明治6)年、ウィーン万国博覧会の出展目録
   諸著書編集係として渡航。帰国後の1874(明治7)年、明六社に参加。福沢諭吉の弟子の一人で、慶應義塾初代塾長でもある。

   
 
  穂積陳重  (HODUMI Nobushige, 1856 - 安政3年~1926 - 大正15年)
     法学者。伊予(現・愛媛県)に生まれ、1876(明治9)年からイギリスとドイツに留学。1881(明治14)年帰国。翌年、東京大学教授に就任し法理学講
   座を開設。貴族院議員や法典調査会委員として民法などの起草にも関わった。英吉利法律学校(現・中央大学)の創設に携わった一人でもある。

      
 
  増島六一郎  (MASUJIMA Rokuichiro, 1888 - 明治21年~1974 - 昭和49年)
     法学者、弁護士。近江(現・滋賀県)に生まれ、1879(明治12)年、イギリスのミドル・テンプル法学院に留学し法廷弁護士の資格を取得。1884(明
   治17)年帰国。英吉利法律学校(現・中央大学)の創設にも携わり、初代校長に就任した。東京代言人組合会長、弁護士組合会長の肩書きも持つ。

      
 
  箕作麟祥  (MITSUKURI Rinsho, 1846 - 弘化3年~1897 - 明治30年)
     法学者。江戸(現・東京)に生まれ、1867(慶応3)年、徳川慶喜の弟・昭武に随行しパリ万博に出席。翌年に帰国。明治新政府の下でナポレオン法
   典の翻訳と民法・商法の編成に当たる。司法次官や行政裁判所長官などを歴任。日本における法律の元祖と評されている。

      
 
  森田一郎  (MORITA Ichiro, 1902 - 明治35年~1976 - 昭和51年)
     教育者、数学者、外交官。会津(現・福島県)に生まれ、東北帝国大学理学部を卒業。現在の芝浦工業大学などの教員を経て、1947(昭和22)年
   に京都外国語学校(現・京都外国語大学)を創設。同大学理事長や総長の他、メキシコの名誉領事などを務めた。公務出張中にハワイで逝去。

   
 
  安井てつ  (YASUI Tetsu, 1870 - 明治3年~1945 - 昭和20年)
     教育者。東京に生まれ、1897(明治30)年、教育学研究のためイギリスに留学。教育学や教育史、心理学などを修め1900(明治33)年帰国。その後、
   本郷協会の牧師・海老名弾正により洗礼を受ける。東京女高師(現・お茶の水女子大)教授や東京女子大学学監など教育会でも活躍した。

   
 
  山川捨松  (YAMAKAWA Sutematsu, 1860 - 安政7年~1919 - 大正8年)
     教育者。会津(現・福島県)に生まれ、1871(明治4)年、日本初の女性留学生として渡米。看護学、女子教育などを研究した。1882(明治15)年に
   帰国し、大山巌と結婚。津田梅子の女子英学塾(後の津田塾大学)設立を支援し、愛国婦人会、赤十字社篤志看護婦会などで活躍した。

   
 
  山脇玄  (YAMAWAKI Gen, 1849 - 嘉永2年~1925 - 大正14年)
     法学者。越前(現・福井県)に生まれ、1870(明治3)年、ドイツへ留学しベルリン大学やライプツィヒ大学などで法律と経済を修め、1877(明治10)年
   帰国。司法省に入省し太政官権少書記官、法制局参事官などを歴任。1891(明治24)年、貴族院議員。1903(明治36)年、山脇女子実修学校を創立。

   
 
  湯本武比古  (YUMOTO Takehiko, 1858 - 安政4年~1925 - 大正14年)
     教育学者。信濃(現・長野県)に生まれ、1889(明治22)年、ドイツへ留学し皇族に関する教育を研究。1893(明治26)年帰国、東宮御用掛を拝命する。
   開発者が刊行する雑誌『教育時論』の主幹や私立京北中学校・精華学校の設立にも携わった。

   
 
  横井太平  (YOKOI Daihei, 1850 - 嘉永3年~1871 - 明治4年)
     教育者、肥後(現・熊本県)藩士。横井小楠の甥。1866(慶応2)年、兄の左平太とアメリカへ渡る。日本初の官費留学生となった。3年後、結核を
   患い帰国。熊本洋学校設立に尽力するも病状の悪化により早世した。

   
 
  和田垣謙三  (WADAGAKI Kenzo, 1860 - 万延元年~1919 - 大正8年)
     経済学者。但馬(現・兵庫県)に生まれ、1881(明治14)年、イギリスに留学し経済学と農政学を修める。1883(明治16)年帰国。文部省御用掛を経て
   1886(明治19)年、帝国大学(現・東京大学)教授に就任。日本女子商業学校と東京商業学校の校長として民間実業教育にも尽力した。

   
                                                                              主な活動領域へ戻る
               自然科学系     現在、 32人 です。


 
 
  赤星研造  (AKABOSHI Kenzo, 1846 - 弘化3年~1904 - 明治37年)
     外科学者。福岡に生まれ、1866(慶応2)年、プロイセン(現・ドイツ)に留学、普仏戦争にプロイセン軍医として従軍。戦死者の解剖研究に従事した。
   1873(明治6)年帰国。宮内省侍医、東京大学教授を経て、仙台で外科医を開業した。

   
 
  池田菊苗  (IKEDA Kikunae, 1864 - 元治元年~1936 - 昭和11年)
     化学者。京都に生まれ、1899(明治32)年物理化学研究のためドイツのライプツィヒ大学に留学。1901(明治34)年帰国。翌年、理学博士の学位取
   得。1906(明治39)年、昆布の旨味の元であるグルタミン酸ナトリウムを発見。1917(大正6)年には理化学研究所の創設に参加した。

   
 
  石川千代松  (ISHIKAWA Chiyomatsu, 1860 - 安政7年~1935 - 昭和10年)
     動物学者。江戸(現・東京)に生まれる。1885(明治18)年、ドイツのフライブルク大学へ留学。ワイスマンに師事し無脊椎動物の生態を学ぶ。1889年
   帰国。発生学や細胞学などの研究で、日本における進化論の普及と生物学の啓蒙に貢献した。

      
 
  菊池大麓  (KIKUCHI Dairoku, 1855 - 安政2年~1917 - 大正6年)
     数学者。江戸(現・東京)に生まれる。1867(慶応3)年と1870(明治3)年の2度にわたりイギリスへ留学し、数学と物理学を学ぶ。1877(明治10)年帰国、
   東京大学理化学教授に就任。近代数学の移入と数学教育法の確立に尽力。貴族院勅選議員や枢密顧問官など国政にも参画した。

      
 
  北里柴三郎  (KITAZATO Shibasaburo, 1852 - 嘉永5年~1931 - 昭和6年)
     細菌学者。肥後(現・熊本県)に生まれ、1885(明治18)年、ドイツ留学。コッホに師事し1889(明治22)年、破傷風菌純粋培養法に成功。さらに血清
   療法を生み出し、ジフテリアに応用した。欧米各国の研究所、大学から誘われるが固辞し、1892(明治25)年帰国した。

   
 
  清野謙次  (KIYONO Kenji, 1885 - 明治18年~1955 - 昭和30年)
     病理学者、人類学者。岡山県に生まれ、1912(大正元)年にドイツのフライブルク大学に留学し、生体染色を研究。1914(大正3)年帰国。1921(大正
   10)年、京都帝国大学(現・京都大学)教授に就任。それ以前には、岡山県津雲遺跡の発掘にも関わり、それをきっかけに日本原人説を提唱した。

      
 
  草間良男  (KUSAMA Yoshio, 1888 - 明治21年~1968 - 昭和43年)
     衛生学者。長野県に生まれ、1916(大正5)年にアメリカのスタンフォード大学に留学し、医学と公衆衛生学を修める。1920(大正9)年帰国。第二次
   大戦後には、GHQと共にインターン制導入など日本の医療制度改革に尽力した。

      
 
  功力金二郎  (KUNUGI Kinjiro, 1903 - 明治36年~1975 - 昭和50年)
     数学者。山梨県に生まれ、1928(昭和3)年にフランスのパリ大学へ留学。帰国後の1932(昭和7)年、北海道帝国大学教授に就任。1949(昭和24)年、
   大阪大学理学部教授に。抽象空間の研究や「功力ーブールリングの定理」でも知られている。

      
 
  駒井卓  (KOMAI Taku, 1886 - 明治19年~1972 - 昭和47年)
     遺伝学者。兵庫県に生まれ、1923(大正12)年、コロンビア大学へ留学しT.H.モーガンに遺伝学を学ぶ。1925(大正14)年帰国し、京都帝国大学(現・
   京都大学)教授に就任。1949(昭和24)年には国立遺伝学研究所所長に就任。人類遺伝学、集団遺伝学の研究で知られる。

      
 
  佐藤昌介  (SATO Shosuke, 1856 - 安政3年~1939 - 昭和14年)
     農業経済学者。陸奥(現・岩手県)に生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)在学時にW・S・クラークに師事。1882(明治15)年に渡米。ジョンズ・ホプ
   キンス大学や農場などで農業経済学と農業技術を学ぶ。帰国後の1886(明治19)年、札幌農学校教授に就任。「北大育ての親」として知られている。

      
 
  志賀潔  (SHIGA Kiyoshi, 1870 - 明治3年~1957 - 昭和32年)
     細菌学者。宮城県に生まれ、1901(明治34)年ドイツのフランクフルト大学に留学。パウル・エールリヒに師事し、免疫学・化学療法を研究。1905
   (明治38)年帰国、医学博士号取得。1915(大正4)年に創設された北里研究所に入所。

   
 
  鈴木梅太郎  (SUZUKI Umetaro, 1874 - 明治7年~1943 - 昭和18年)
     農芸化学者。静岡に生まれ、1901(明治34)年ベルリン大学に留学。エミール・フィッシャーに師事しペプチド合成の研究に従事。1906(明治39)年
   帰国後、京都帝国大学(現・京都大学)教授。1910(明治43)年、米糠からオリザニン(ビタミンB1)を発見。ビタミン学研究の先駆者となる。

   
 
  高島裕啓  (TAKASHIMA Yukei, 1832 - 天保3年~1881 - 明治14年)
     幕府付の医師。本名は久也。1861(文久元)年、遣欧使節に随行しヨーロッパを巡った。1863(文久3)年頃帰国し、徳川家茂の侍医となる。明治維
   新以降は浅田宗伯や今村了俊らと病院の創設に携わった。

   
 
  高松凌雲  (TAKAMATSU Ryoun, 1837 - 天保7年~1916 - 大正5)
     医師。本名は荘三郎。筑後(現・福岡県)に生まれ、1867(慶応3)年、徳川慶喜の命により、パリ万国博覧会参加のため徳川昭武に随行。万博後
   もオテル・デュウ医学学校に留学するが1年半後に帰国。維新後に同愛社を創設し、日本における赤十字活動の先駆者としても知られる。

   
 
  高柳健次郎  (TAKAYANAGI Kenjiro, 1899 - 明治32年~1990 - 平成2年)
     電子工学者。静岡に生まれ、浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)助教授時代に「無線遠視法(テレビジョン)」の研究を始めた。戦争勃発
   や終戦の混乱で研究の停止を強いられるも、ブラウン管での電送・受像やテレビ受像器の発明を成功させ、テレビの父と呼ばれた。

   
 
  高峰譲吉  (TAKAMINE Jokichi, 1854 - 安政元年~1922 - 大正11年)
     化学者。越中(現・富山県)に生まれ、1880(明治13)年から3年間イギリスに留学。その後、農商務省に入省。1884(明治17)年にアメリカの万国
   工業博覧会に事務官として赴任。1886(明治19)年に帰国するが、1890(明治23)年の渡米以降は、同地に永住する。

   
 
  田口和美  (TAGUCHI Kazuyoshi, 1839 - 天保10年~1904 - 明治37年)
     解剖学者。武蔵(現・埼玉県)に生まれ、1887(明治10)年、東京大学医学部解剖学の初代教授に就任。1887(明治20)年、ドイツのベルリン大学
   へ留学。留学中の1893(明治26)年、日本解剖学会を創立し初代会頭に就任。1902(明治35)年には日本医学会初代会頭に選出された。

   
 
  寺田寅彦  (TERADA Torahiko, 1878 - 明治11年~1935 - 昭和10年)
     物理学者、随筆家。東京に生まれ、1909(明治42)年、東京帝国大理科大学助教授就任後、ベルリンに留学。1911(明治44)年帰国。1913(大正
   2)年、「X線の結晶透過」の発表によって、地球物理学で大きな業績を残した。

   
 
  長岡半太郎  (NAGAOKA Hantaro, 1865 - 慶応元年~1950 - 昭和25年)
     物理学者。肥前(現・長崎県)に生まれ、1893(明治26)年、ドイツに留学しルートヴィッヒ・ボルツマンに師事。1896(明治29)年帰国。東京大学教
   授に就任。理化学研究所員を兼任し、1903(明治36)年土星型原子模型理論を発表するなど、地球物理学、光学など多くの分野で業績を残した。

   
 
  長与専斎  (NAGAYO Sensai, 1837 - 天保9年~1902 - 明治35年)
     医師。肥前(現・長崎県)に生まれ、1871(明治4)年、岩倉使節団の一員として渡欧。ドイツやオランダの医学や衛生行政を視察。1873(明治6)年
   帰国。翌年、文部省医務局長に就任。東京司薬場(現・国立医薬品食品衛生研究所)を創設。さらに翌年には初代内務相衛生局長に就任した。

   
 
  仁科芳雄  (NISHINA Yoshio, 1890 - 明治23年~1951 - 昭和26年)
     物理学者。岡山県に生まれ、1921(大正10)年渡欧。ケンブリッジ大学、コペンハーゲン大学などで物理学を学び、1928(昭和3)年帰国。理化学
   研究所に所属するが、3年後に自分の研究室を立ち上げる。日本に量子力学の拠点を作り、宇宙線・加速器関係の研究で業績をあげた。

   
 
  野口英世  (NOGUCHI Hideyo, 1876 - 明治9年~1928 - 昭和3年)
     細菌学者。福島県に生まれ、幼少期、左手に大火傷を負い、この体験から医者を志す。1899(明治32)年、ペンシルバニア大学に留学。その後
   はロックフェラー医学研究所で勤務。黄熱病原体、梅毒スピロヘータなど細菌の発見に成功する。

   
 
  秦佐八郎  (HATA Sahachiro, 1873 - 明治6年~1938 - 昭和13年)
     細菌学者。旧姓は山根。島根県に生まれ、秦家の養子になる。1907(明治40)年ドイツ留学。パウル・エールリッヒとの共同研究で梅毒の化学
   療法を確立。後に「サルバンサン」の名前で製造、日本にも輸入されることとなる。1912(明治45)年帰国後は北里研究所創設に参加した。

   
 
  本多光太郎  (HONDA Kotaro, 1870 - 明治3年~1954 - 昭和29年)
     物理学者、金属学者。愛知県に生まれ、1897(明治30)年ドイツとイギリスに留学。1911(明治44)年、東北帝国大学理科大学開設と同時に物
   理学科教授に就任。磁性鋼であるKS鋼、新KS鋼を発明し、鉄鋼の世界的権威者として知られるようになった。

   
 
  箕作佳吉  (MITSUKURI Kakichi, 1858 - 安政4年~1909 - 明治42年)
     動物学者。江戸(現・東京)に生まれ、1873(明治6)年渡米。レンセラー工科大学で土木工学、イェール大学、ジョンズ・ホプキンス大学で動物
   学を学ぶ。帰国後、東京帝国大学(現・東京大学)で日本人初の動物学教授に就任する。カメの発生学、ナマコの分類などでも知られている。

   
 
  南方熊楠  (MINAKATA Kumagusu, 1867 - 慶応3年~1941 - 昭和16年)
     博物学者、生物学者、民俗学者。紀伊(現・和歌山県)に生まれ、1886(明治19)年、渡米。1900(明治33)年帰国。イギリスにも渡り、大英博物
   館でも博物学、生物学、人類学など多岐にわたる分野を学習・研究した。その間、科学雑誌『Nature』への投稿も行った。

   
 
  三宅秀  (MIYAKE Hiizu, 1848 - 嘉永元年~1938 - 昭和13年)
     医学者。江戸(現・東京)に生まれ、1863(文久3)年、幕府の遣仏使節に随行。翌年に帰国。1874(明治7)年、東京医学校長心得に就任。1876
   (明治9)年、渡米中に万国医学会副会長に選任。東京大学医学部長や医科大学教授などを経て、東京大学初の医学博士と名誉教授も歴任した。

   
 
  村岡範為馳  (MURAOKA Hanichi, 1853 - 嘉永6年~1929 - 昭和4年)
     物理学者。因幡(現・鳥取県)に生まれ、1878(明治11)年、師範学校の調査のため、ドイツのシュトラスブルク大学へ留学。ヴィルヘルム・レントゲ
   ンらに師事し、日本初の海外における博士号を取得し1881(明治14)年帰国。日本初のX線実験のほか、音響学や魔鏡の研究でも知られている。

   
 
  八木秀次  (YAGI Hidetsugu, 1886 - 明治19年~1976 - 昭和51年)
     電気通信工学者。大阪に生まれ、1913(大正2)年ドレスデン大学に留学し電気工学を研究。イギリス、アメリカにも渡り、無線へ関心を持つ。
   1919(大正8)年東北帝国大学教授となり電気通信研究所を設立。7年後レーダー、テレビなどに使用される「八木ー宇田アンテナ」を発明。

   
 
  矢田部良吉  (YATABE Ryokichi, 1851 - 嘉永4年~1899 - 明治32年)
     植物学者。伊豆(現・静岡県)に生まれ、1871(明治4)年アメリカのコーネル大学に留学し植物学を学ぶ。帰国後の1877(明治10)年、東京大学の
   初代植物学教授に就任。日本各地の植物を採集、分類、標本化した他、新体詩運動、ローマ字の普及でも知られている。

   
 
  山極勝三郎  (YAMAGIWA Katsusaburo, 1863 - 文久3年~1930 - 昭和5年)
     病理学者。旧姓は山本。信濃(現・長野県)に生まれ、山極吉哉の養子となる。1891(明治24)年ドイツ留学。1895(明治28)年帰国し、東京帝国
   大学医学部教授に就任。1915(大正4)年、世界で初めて化学物質による人工癌の発生に成功。日本における癌研究の第一人者として知られる。

   
 
  和田維四郎  (WADA Tsunashiro, 1856 - 安政3年~1920 - 大正9年)
     鉱物学者。若狭(現・福井県)に生まれ、開成学校(後の東京大学)のナウマン教授の下で助教を務める。1884(明治17)年ドイツのベルリン大学へ
   留学し、鉱物学を学ぶ。翌年に帰国。東京大学教授を6年間勤めた後、近代的製鉄所設立のため、八幡製鉄所長官に就任する。

   
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              出版家・ジャーナリスト     現在、 20人 です。


 
 
  朝比奈知泉  (ASAHINA Chisen, 1862 - 文久2年~1939 - 昭和14年)
     ジャーナリスト。常陸(現・茨城県)に生まれ、1888(明治21)年、東京新報主筆となる。1891(明治24)年には東京日日新聞に招かれ、翌年主幹に。
   1895(明治28)年と1901(明治34)の2回にわたる外遊経験がある。

      
 
  池辺三山  (IKEBE Sanzan, 1864 - 文久4年~1912 - 明治45年)
     ジャーナリスト。肥後(現・熊本県)に生まれ、1893(明治26)年、フランスへ留学。新聞「日本」に寄稿した巴里通信で有名になる。1896(明治29)年
   帰国。大阪朝日新聞、東京朝日新聞の主筆として活躍。夏目漱石や二葉亭四迷らを迎えたことでも知られる。

      
 
  織田純一郎  (ODA Junichiro, 1851 - 嘉永4年~1919 - 大正8年)
     ジャーナリスト、翻訳家。本姓は大塚。旧姓は丹羽。京都に生まれる。イギリスに留学し、帰国後の1878(明治11)年、翻訳したリットン『欧州奇事花
   柳春話』で翻訳家として著名に。大阪朝日新聞や陸奥宗光の「寸鉄」、板垣退助らの「社会新報」の主筆も務めた。

      
 
  岸田吟香  (KISHIDA Ginko, 1833 - 天保4年~1905 - 明治38年)
     新聞記者。美作(現・岡山県)に生まれ、1866(慶応2)年、『和英語林集成』印刷刊行のため、ヘボンと上海へ渡航。1867年完成。横浜の居留地で
   発売。同年帰国し、1873(明治6)年には東京日日新聞の主筆となった。その後は台湾出兵の従軍記者、中国での商業・医療活動でも活躍した。

   
 
  城戸又一  (KIDO Mataichi, 1902 - 明治35年~1997 - 平成9年)
     新聞記者、社会学者。福岡県に生まれ、1933(昭和8)年、大阪毎日新聞社のパリ特派員となって、第2次大戦前夜のヨーロッパ情勢を報道する。
   1951(昭和26)年、単独講和に反対して退社。以後は同志社大学・創価大学教授を歴任した。

      
 
  清沢洌  (KIYOSAWA Kiyoshi, 1890 - 明治23年~1945 - 昭和20年)
     ジャーナリスト。長野県に生まれ、1907(明治40)年に研学移民としてアメリカ留学。1918(大正7)年帰国。中外商業新報社(現・日本経済新聞社)、
   東京朝日新聞社を経てフリーの評論家になるが、反軍国主義の立場を貫き続けた。

      
 
  栗原亮一  (KURIHARA Ryoichi, 1855 - 安政2年~1911 - 明治44年)
     ジャーナリスト、政治家。志摩(現・三重県)に生まれ、1876(明治9)年、自主社を創立し『草莽雑誌』『莽草雑誌』を刊行。板垣退助の元でも自由民
   権運動に参加した。1882(明治15)年に板垣の渡欧に随行。帰国後の1888(明治21)年には『東雲新聞』の主筆となり大同団結運動にも加わった。

      
 
  栗本鋤雲  (KURIMOTO Joun, 1822 - 文政5年~1897 - 明治30年)
     新聞記者、武士。本姓は喜多村、名は鯤。江戸(現・東京)に生まれ、函館奉行や外国奉行など幕末の外交交渉に当たる。1867(慶応3)年、パリ
   万国博覧会のためフランスに渡る。1868(慶応4)年帰国。1873(明治6)年には報知新聞の主筆として活躍した。

      
 
  佐藤顕理  (SATO Henri, 1859 - 安政6年~1925 - 大正14年)
     ジャーナリスト。本名は重道(しげみち)。江戸(現・東京)に生まれ、藩立学校で外国人教師に英語を学ぶ。1882(明治15)年頃、農商務省に勤務。
   1904(明治37)年にセントルイス万博へ出張し、英語で日本の貿易拡大に尽力した。教師や新聞記者を経て国際通信社の編集長となる。

   
 
  末広鉄腸  (SUEHIRO Teccho, 1849 - 嘉永2年~1896 - 明治29年)
     ジャーナリスト、政治家、小説家。本名は重恭(しげやす)。伊予(現・愛媛県)に生まれ、朱子学や陽明学に傾倒。1875(明治8)年頃、讒謗律と新聞
   紙条例の最初の違反者となる。その後は政府小説「雪中梅」の刊行や自由党結成への参加など政治的活動に関わる。欧米への旅行経験もある。

   
 
  頭本元貞  (ZUMOTO Motosada, 1863 - 文久2年~1943 - 昭和18年)
     ジャーナリスト。伯耆(現・鳥取県)に生まれ、1896(明治29)年、新聞経営のため欧米視察を行う。翌年帰国。「ジャパンメール」の翻訳記者や伊藤
   博文の秘書官を経て、日刊英字新聞「ジャパンタイムズ」の主筆となる。韓国やニューヨークに渡り、ジャパンタイムズ以外の英字新聞にも関わった。

   
 
  玉井喜作  (TAMAI Kisaku, 1866 - 慶応2年~1906 - 明治39年)
     新聞記者。周防(現・山口県)に生まれ、札幌農学校でドイツ語教師を務めた。1892(明治25)年、シベリアを経由してドイツへ渡り、生涯滞在する。
   月刊誌『東亜(Ost-Asien)』を刊行するなどジャーナリストとして活躍した。在留日本人の面倒をよく見たことでも知られている。

   
 
  徳富蘇峰  (TOKUTOMI Soho, 1863 - 文久3年~1957 - 昭和32年)
     ジャーナリスト、評論家。肥後(現・熊本県)に生まれ、1886(明治19)年に著した『将来之日本』で文名を上げ、翌年には言論団体民友社を創立し、
   月刊誌『国民之友』を創刊した。1896(明治29)年には三国干渉をきっかけに、海外事情を知る必要に迫られてイギリスやロシアなどに渡航している。

   
 
  成島柳北  (NARUSHIMA Ryuhoku, 1837 - 天保8年~1884 - 明治17年)
     ジャーナリスト。江戸(現・東京)に生まれ、幕末期は儒者として幕府に仕えた。維新後の1872(明治5)年、東本願寺法主、大谷光瑩の欧州視察随
   行員として欧米へ渡り、翌年に帰国。欧米で得た共済制度の知識を元に、日本初の生命保険会社「共済五百名社(現・明治安田生命)」を設立した。

   
 
  沼間守一  (NUMA Morikazu, 1844 - 天保14年~1890 - 明治23年)
     ジャーナリスト。本姓は高梨。江戸(現・東京)に生まれ、1872(明治5)年、大蔵省から司法省へ異動した直後、ヨーロッパへ派遣される。1873(明治
   6)年帰国後、法律講習会(後の嚶鳴社)を設立。1879(明治12)年以降は官職を辞し、嚶鳴社のジャーナリストとして本格的に活動する。

   
 
  長谷川武次郎  (HASEGAWA Takejiro, 1853 - 嘉永6年~1938 - 昭和13年)
     出版人。江戸(現・東京)に生まれる。かねてから海外に関心を持っており、日本昔噺の場面を描いた「ちりめん本」を外国人向けに発明した。1885
   (明治18)年~1892(明治25)年にかけて20冊の『日本昔噺シリーズ』が出版され、在留外国人によって諸国語に訳された。

   
 
  長谷川如是閑  (HASEGAWA Nyozekan, 1875 - 明治8年~1969 - 昭和44年)
     ジャーナリスト、評論家。東京に生まれ、1908(明治41)年に大阪朝日新聞社に入社。1910(明治43)年にロンドン開催の日英博覧会の取材特派員
   となり、1912(大正元)年にはコラム「天声人語」も担当した。大正デモクラシーを代表するジャーナリストとして知られている。

   
 
  福地源一郎  (FUKUCHI Genichiro, 1841 - 天保12年~1906 - 明治39年)
     ジャーナリスト。肥前(現・長崎県)に生まれる。故郷で蘭学、江戸で英語を学んだ経験から、1861(文久2)年、通詞として文久遣欧使節に同行。
   1866(慶応2)年帰国。明治維新後は大蔵省に入るが、1877(明治10)年の西南戦争で戦争報道に関わったことがきっかけで、ジャーナリストを志す。

   
 
  森田思軒  (MORITA Shiken, 1861 - 文久元年~1897 - 明治30年)
     ジャーナリスト、翻訳家。美作(現・岡山県)に生まれ、1882(明治15)年、郵便報知新聞に入社。1885(明治18)年、清国へ特派員として渡航。「訪
   事日録」「北京紀行」などの紀行文を記した。ヴィクトル・ユゴーやジュール・ヴェルヌなど海外の著名人の著書の翻訳も数多く手がけた。

   
 
  矢野龍渓  (YANO Ryukei, 1851 - 嘉永3年~1931 - 昭和6年)
     ジャーナリスト。本名は文雄。豊後(現・大分県)に生まれる。明治維新後は大蔵省に入省。1881(明治14)年に退官後はジャーナリストとして活動。
   新聞事業視察のため1885(明治18)年から1886(明治19)年まで渡欧しており、その時の記録を『周遊雑記』に著している。

   
                                                                              主な活動領域へ戻る
 


 
              技術者     現在、 7人 です。


 
 
  青山士  (AOYAMA Akira, 1878 - 明治11年~1963 - 昭和38年)
     土木技術者。静岡県に生まれ、パナマ運河への強い関心から、1903(明治36)年、東京帝国大学(現・東京大学)卒業後、パナマへ渡航。運河建設に携
   わった唯一の日本人となった。1911(明治44)年帰国以降は、荒川放水路、信濃川大河津分水の補修工事も完成させた。

      
 
  井口在屋  (INOKUCHI Ariya, 1856 - 安政3年~1923 - 大正12年)
     機械工学者。加賀(現・石川県)に生まれ、1894(明治27)年ヨーロッパ留学。帰国後の1896(明治29)年に東京大学教授就任。1905(明治38)年に「渦巻き
   ポンプ」の理論を発表。発明されたポンプは、日本機械学会によって機械遺産に認定された。

      
 
  大河内正敏  (OKOCHI Masatoshi, 1878 - 明治11年~1952 - 昭和27年)
     機械工学者、実業家。東京に生まれ、1903(明治36)年ヨーロッパ留学。1911(明治44)年帰国。東京大学教授に就任。工学博士、理化学研究所所長を
   経て、理研をコンツェルンの地位にまで成長させた。貴族院議員の経験もあり、また、田中角栄を引き立てたことでも知られている。

      
 
  木村駿吉  (KIMURA Shunkichi, 1866 - 慶応2年~1938 - 昭和13年)
     通信技術者。江戸(現・東京)に生まれ、1893(明治26)年、アメリカのハーバード大学院とエール大学へ留学。1896(明治29)年帰国。1900(明治33)年、
   海軍技師として海軍艦船の無線設備の制定に携わったが、このシステムが後の日露戦争の日本海海戦を勝利に導いた要因の一つといわれている。

      
 
  田辺朔郎  (TANABE Sakuo, 1861 - 文久元年~1944 - 昭和19年)
     土木工学者。江戸(現・東京)に生まれ、琵琶湖疏水を手掛け、工事途中の1888(明治21)年、水力発電所などの視察で渡米。帰国後の1890(明治23)年に
   完成させ、翌年には日本初の水力発電所を造る。同年に東京帝国大学(現・東京大学)教授就任。大阪市営地下鉄など各地の鉄道建設計画にも関与した。

      
 
  古市公威  (FURUICHI Koi, 1854 - 嘉永7年~1934 - 昭和9年)
     土木工学者。江戸に生まれ、1875(明治8)年、フランスへ渡る。パリ大学で理学士の学位を得て、1880(明治13)年帰国。内務省に勤務しつつ、東京大学
   講師としても働く。1886(明治19)年には東京仏学校(現・法政大学)を設立。土木事業の近代化にも貢献し、近代土木界の最高権威として知られている。

      
 
  本木昌造  (MOTOKI Shozo, 1824 - 文政7年~1875 - 明治8年)
     日本の活版印刷技術の先駆者、通詞。肥前(現・長崎県)に生まれ、1848(嘉永元)年、オランダ船からもたらされた活字と印刷機を購入し、流し込み活字
   製造を案出。1854(安政元)年には下田で条約交渉の通詞を担当した。

      
 
  山尾庸三  (YAMAO Yozo, 1837 - 天保8年~1917 - 大正6年)
     技術者。周防(現・山口県)に生まれ、1863(文久3)年、伊藤博文らとイギリスへ密航。1868(明治元)年帰国。明治政府で工学関連の重職を歴任。聴覚
   障害者の人材教育にも熱心に取り組んだ。

   
                                                                              主な活動領域へ戻る
 


 
              建築家     現在、 4人 です。


 
 
  片山東熊  (KATAYAMA Tokuma, 1854 - 安政元年~1917 - 大正6年)
     建築家。周防(現・山口県)に生まれ、有栖川邸建設のため、1882(明治15)年、有栖川宮熾仁親王と欧州視察。1889(明治22)年、宮内省内匠寮の匠
   師に昇格。その後も明治宮殿、東宮御所などの建設のため、欧米を訪問した。東京国立博物館を設計している。

   
 
  曽禰達蔵  (SONE Tastuzo, 1852 - 嘉永5年~1937 - 昭和12年)
     建築家。江戸(現・東京)に生まれ、1873(明治6)年、工部大学校に入学。1890(明治23)年、恩師コンドルの紹介で三菱に入社。1893(明治26)年には
   シカゴ博覧会などのため渡米。丸の内のビル街、日本建築学会などの建設に携わった。

   
 
  辰野金吾  (TATSUNO Kingo, 1854 - 安政元年~1919 - 大正8年)
     建築家。肥前(現・佐賀県)に生まれ、1880(明治13)年、英国に留学。帰国後の1884(明治17)年、工部大学校教授に就任。2年後には銀座に辰野建
   築事務所を開設、1914(大正3)年には中央停車場(現・東京駅)を建設するなど、建築設計と教育の両面で活躍した。

   
 
  原田治郎  (HARADA Jiro, 1878 - 明治11年~1963 - 昭和38年)
     美術家、庭園研究家。山口県に生まれ、1893(明治26)年に渡米。セントルイス博覧会の運営にも携わり、1905(明治38)年帰国。1910(明治43)年に日英
   博覧会の特使としてイギリスに渡り、美術雑誌The Studio社にも関わる。1928(昭和3)年には英訳した初の日本庭園論『The Gardens of Japan』を著した。

   
                                                                              主な活動領域へ戻る
 


 
              芸術家     現在、 25人 です。


 
 
  浅井忠  (ASAI Chu, 1856 - 安政3年~1907 - 明治40年)
     洋画家。江戸(現・東京)に生まれ、西洋画を学ぶため、1900(明治33)年、フランスへ留学。1902(明治35)年帰国し、京都高等工芸学校(現・京都工
   芸繊維大学)教授に就任。1903(明治36)年には聖護院洋画研究所(1906年に関西美術院)を開設した。

   
 
  有島生馬  (ARISHIMA Ikuma, 1882 - 明治15年~1974 - 昭和49年)
     洋画家、小説家。神奈川県に生まれ、1906(明治39)年、イタリアに留学し古典美術を学ぶ。フランスを始めヨーロッパも周り、1910(明治43)年帰国。
   同人誌「白樺」に携わりセザンヌを日本に紹介。二科会や一水会の創立にも携わった。

      
 
  大塚保治  (OTSUKA Yasuji, 1869 - 明治元年~1931 - 昭和6年)
     美学者。旧姓は小屋。上野(現・群馬県)に生まれ、1896(明治29)年、ヨーロッパに留学。帰国後の1900(明治33)年、東京帝国大学(現・東京大学)
   初の美学講座教授に就任。美術審査員としても活躍した。夏目漱石と交友があり、小説『吾輩は猫である』の美学者・迷亭のモデルという説もある。

      
 
  岡倉天心  (OKAKURA Tenshin, 1862 - 文久2年~1913 - 大正2年)
     美術行政家、思想家。横浜に生まれ、東京開成所(現・東京大学)入所中、日本美術を研究するアーネスト・フェノロサに感化。1884(明治17)年、美
   術研究員としてフェノロサと渡欧。1890(明治23)年には東京美術学校初代校長になる。

   
 
  岡鹿之助  (OKA Shikanosuke, 1898 - 明治31年~1978 - 昭和53年)
     洋画家。東京に生まれ、岡田三郎助に素描を学ぶ。1924(大正13)年、パリに留学し藤田嗣治に師事。サロン・ドートンヌ、アンデパンダン展に出展を
   続けサロン・ドートンヌ会員になる。1940(昭和15)年に春陽会に所属。1972(昭和47)年には文化勲章を受章。代表作は「雪の発電所」など。

   
 
  岡田三郎助  (OKADA Saburosuke, 1869 - 明治2年~1939 - 昭和14年)
     洋画家。旧姓は石尾。佐賀県に生まれ、1897(明治30)年渡仏し、ラファエル・コランに師事。1902(明治35)年帰国後、東京美術学校教授。1912(大正
   元)年、本郷洋画研究所を設立。1930(昭和5)年には文部省に欧州出張を命じられる。代表作に「某婦人像」「読書」などがある。

   
 
  小川一真  (OGAWA Kazuma, 1860 - 万延元年~1929 - 昭和4年)
     写真家。武蔵(現・埼玉県)に生まれ、1882(明治15)年、アメリカに留学し、乾板製法など当時最新の写真技術を学ぶ。1885(明治18)年帰国。東京に
   玉潤会を設立し写真家として活躍した。千円札に描かれた夏目漱石の写真も彼が撮影したと言われている。

   
 
  荻原守衛  (OGIWARA Morie, 1879 - 明治12年~1910 - 明治43年)
     彫刻家。長野県に生まれ、1901(明治34)年渡米、西洋画を学ぶ。1906(明治39)年にはフランスへ渡り、ロダンの作品「考える人」に感銘を受け彫刻
   家を目指す。1908(明治41)年帰国後、「文覚」「母と病める子」「女」など多くの彫刻作品を発表し、日本に近代彫刻の道を開いた。

   
 
  木内克  (KINOUCHI Yoshi, 1892 - 明治25年~1977 - 昭和52年)
     彫刻家。茨城県に生まれ、1921(大正10)年、ロンドンに渡るも、半年後にはフランスのアントワーヌ・ブールデルに師事。テラコッタの技法を習得し、
   1935(昭和10)年帰国。二科展などに出品し、毎日美術賞と中原悌二郎賞を受賞した。

      
 
  木下義謙  (KINOSHITA Yoshinori, 1898 - 明治31年~1996 - 平成8年)
     洋画家。東京に生まれ、1928(昭和3)年、フランスのパリへ留学。制作した洋画をサロン・ドートンヌなどに出品した。1932(昭和7)年帰国。二科展に滞
   欧作品36点を特別陳列した。1936(昭和11)年、一水会を結成。洋画だけでなく陶芸作品でも賞を取った。

      
 
  国吉康雄  (KUSAMA Yoshio, 1889 - 明治22年~1953 - 昭和28年)
     洋画家。岡山県に生まれ、1906(明治39)年にアメリカへ渡る。画学生として学校を転々としつつ、1917(大正6)年、新独立美術協会展に作品を出品。
   1929(昭和4)年にはニューヨーク近代美術館にも出品。1931(昭和6)年に一時帰国するが、以後もアメリカの画壇で活躍した。

      
 
  黒田源次  (KURODA Genji, 1886 - 明治19年~1957 - 昭和32年)
     美術史家。熊本県に生まれ、ドイツへ留学。1926(大正15)年、満州医大教授に就任。1946(昭和21)年帰国。国立博物館奈良分館長や奈良国立博
   物館長を歴任した。1931(昭和6)年から1934(昭和9)年までベルリンの日独文化協会長を務めたこともある。

      
 
  黒田清輝  (KURODA Seiki, 1866 - 慶応2年~1924 - 大正13年)
     洋画家。薩摩(現・鹿児島県)に生まれ、法律研究のため1884(明治17)年、フランスに留学。帰国後、白馬会を結成。洋画界の主流となる外光派と呼
   ばれる画風を生み出した。後に貴族院議員になる。

   
 
  小林太市郎  (KOBAYASHI Taichiro, 1901 - 明治34年~1963 - 昭和38年)
     美術史家。京都に生まれ、1926(大正15)年、フランスのパリ大学へ留学。1929(昭和4)年帰国。東方文化学院研究嘱託、大阪市立美術館学芸員な
   どを経て、1950(昭和25)年、神戸大学教授に就任。語学力と幅広い知識により、東西の比較芸術学的方法に基づく美術史研究を進めたと言われる。

      
 
  小山敬三  (KOYAMA Keizo, 1897 - 明治30年~1987 - 昭和62年)
     洋画家。長野県に生まれ、1920(大正9)年、島崎藤村に勧められてフランスに渡り、シャルル・ゲランに油絵を学ぶ。1928(昭和3)年帰国。1936(昭和11)
   年、一水会結成に協力。1959(昭和34)年には連作「白鷺城」で日本芸術院賞を受賞。1975(昭和50)年には文化勲章を受章した。

      
 
  斎藤佳三  (SAITO Kazo, 1887 - 明治20年~1955 - 昭和30年)
     デザイナー。秋田県に生まれ、1912(大正元)年、構成美学を学ぶためドイツへ留学。帰国後の1914(大正3)年、東京で表現派木版画展を開き、カン
   ディンスキーらの作品を紹介。東京美術学校(現・東京芸術大学)講師のような美術活動のほか、作曲も手掛けていたと言われる。

      
 
  佐伯祐三  (SAEKI Yuzo, 1898 - 明治31年~1928 - 昭和3年)
     洋画家。大阪に生まれ、1923(大正12)年、妻と共にフランスへ渡る。1925(大正14)年、パリの街頭風景を描いた「靴屋の店」が入選。その翌年に帰国
   し、前田寬治らと1930年協会を結成した。

      
 
  坂田一男  (SAKATA Kazuo, 1889 - 明治22年~1956 - 昭和31年)
     洋画家。岡山県に生まれ、1921(大正10)年、フランスに留学しフェルナン・レジェに師事する。1933(昭和8)年帰国後は故郷にアトリエを構える。元々は
   キュビズム画家だったが、この頃から独自の抽象画に路線変更したと言われている。

      
 
  坂本繁二郎  (SAKAMOTO Hanjiro, 1882 - 明治15年~1969 - 昭和44年)
     洋画家。福岡県に生まれ、1921(大正10)年に絵画修行のためフランスへ留学し、シャルル・ゲランに師事。この時、カミーユ・コローの作品に感銘を受
   けたと言われる。1924(大正13)年帰国後は、馬や能面、月を主題とした作品を手掛けた。近代画家の巨匠として知られている。

      
 
  高島北海  (TAKASHIMA Hokkai, 1850 - 嘉永3年~1931 - 昭和6年)
     日本画家。本名は得三。長門(現・山口県)に生まれ、1884(明治17)年、明治政府の命令で万国森林博覧会参加要員として渡英、翌年にナンシー水利
   林業学校で植物地誌学を修める。1888(明治21)年帰国後、林務官となるも1899(明治32)年に退官。以後、日本画家として主に山岳風景画を手掛ける。

      
 
  中村不折  (NAKAMURA Fusetsu, 1866 - 慶応2年~1943 - 昭和18年)
     洋画家、書家。江戸(現・東京)に生まれる。日清戦争で正岡子規と従軍したことがきっかけで書に関心を持つ。1901(明治34)年、渡仏。ローランスらに
   洋画を学ぶ。1905(明治38)年帰国。太平洋画会(現・明治美術会)に所属。主に歴史画の分野で活躍。『吾輩は猫である』の挿絵も担当した。

   
 
  納富介次郎  (NODOMI Kaijiro, 1844 - 天保15年~1918 - 大正7年)
     陶芸家、教育者。肥前(現・佐賀県)に生まれ、1873(明治6)年、ウィーン万国博覧会の政府随員として渡欧。オーストリア帝国ボヘミアのエルボーゲン
   製陶所で陶磁器の製造を学び、1875(明治8)年に帰国。1887(明治20)年には金沢工業学校(現・石川県立工業高等学校)の初代校長に就任した。

   
 
  林忠正  (HAYASHI Tadamasa, 1853 - 嘉永6年~1906 - 明治39年)
     美術商。越中(現・富山県)に生まれ、1878(明治11)年、パリ万国博覧会の仕事で渡仏。美術品展を開き、浮世絵などの日本美術を紹介した。祖国の
   日本には印象派の絵画をもたらした。

   
 
  藤島武二  (FUJISHIMA Takeji, 1867 - 慶応3年~1943 - 昭和18年)
     洋画家。薩摩(現・鹿児島県)に生まれ、当初は川端玉章や曾山幸彦らに日本画を学ぶも洋画に転向する。1905(明治38)年渡欧。1909(明治42)年帰
   国。1年後東京美術学校教授。文展や帝展を中心に活躍した。作品は「黒扇」「芳蕙」「耕到天」など。

   
 
  山下りん  (YAMASHITA Rin, 1857 - 安政4年~1939 - 昭和14年)
     洋画家。常陸(現・茨城県)に生まれる。ハリストス正教に入信しており、洗礼名はイリナ。1880(明治13)年、イコン(聖像画)を学ぶためロシアに留学。
   女子修道院で制作技術を学び、1883(明治16)年帰国。日本初のイコン画家として東京神田のニコライ堂ほか各地の正教会教会堂の作品を手掛けた。

   
 
  ラグーザ玉  (Raguza Tama, 1861 - 文久元年~1939 - 昭和14年)
     洋画家。旧姓は清原。江戸(現・東京)に生まれる。後に夫となるヴィチェンツォ・ラグーザと出会い、西洋画を学ぶ。1882(明治15)年、イタリアに留学。
   1884(明治17)年には夫が開設した工芸学校で絵画科の教師を務める。1927(昭和2)年、夫の遺作を東京美術学校に多数寄贈。6年後に帰国。

   
                                                                              主な活動領域へ戻る
 


 
              芸能家     現在、 4人 です。


 
 
 
  川上音二郎  (KAWAKAMI Otojiro, 1864 - 元治元年~1911 - 明治44年)
     俳優、興行師。福岡に生まれる。継母と対立して東京へ出奔。1887(明治20)年頃、一座を開き落語家に学ぶなど興業活動を始め、有名な『オッペケペー
   節』を寄席で歌い、評判を集めた。1893(明治26)年には演劇事情視察のため、フランスにも渡った。

   
 
  川上貞奴  (KAWAKAMI Sadayakko, 1871 - 明治4年~1946 - 昭和21年)
     女優。本名は川上貞。東京に生まれる。1894(明治27)年、川上音二郎と結婚。1899年、夫の一座とアメリカ興業に同行。同地で亡くなった女形の代役に
   選ばれたことで、日本初の女優となる。1900(明治33)年のロンドン公演後はパリも訪れ「マダム貞奴」の通称で有名になった。

   

 
  古今亭志ん生(5代目)  (KOKONTEI Shinsho, 1890 - 明治23年~1973 - 昭和48年)
     落語家。本名は美濃部孝蔵。東京に生まれる。11歳の頃、素行の悪さから奉公先を転々とし、朝鮮の京城(現・ソウル)の印刷会社での勤務経験も持つ。
   1907(明治40)年頃から芸能の道を志し、1939(昭和14)年、5代目古今亭志ん生を襲名。芸能の仕事で終戦間際に満州へ渡ったこともある。

   

 
  柳家三語楼(初代)  (YANAGIYA Sangoro, 1875 - 明治8年~1938 - 昭和13年)
     落語家。本名は山口慶三。神奈川県に生まれ、少年期から外国人商社での勤務経験を持ち、英語が堪能だった。4代目橘家圓喬などに入門し1916(大正
   5)年には真打に昇進。英語を交えたユニークさに定評がある。大正期を代表する人気落語家の一人とされる。

   


 
                                                                              主な活動領域へ戻る


 
              音楽家     現在、 12人 です。


 
 
  伊沢修二  (IZAWA Shuji, 1851 - 嘉永4年~1917 - 大正6年)
     教育者、文部官僚。信濃(現・長野県)に生まれる。1875(明治8)年、師範学校教育調査のためアメリカ合衆国へ留学。音楽教育、障害者教育などを学
   び、1878(明治11)年帰国。近代日本の音楽教育、吃音矯正の第一人者となった。国家教育者を創設して、教育勅語の普及にも努めた。

   
 
  幸田延  (KODA Nobu, 1870 - 明治3年~1946 - 昭和21年)
     音楽教育家、作曲家。幸田露伴の妹。東京に生まれ、1889(明治22)年、アメリカ、ドイツ、オーストリアに音楽留学。ピアノ、ヴァイオリン、ビオラ、声楽、
   音楽理論を修め、1895(明治28)年帰国。1912(明治45)年には審声会を創設し、家庭音楽の普及に努めた。

   
 
  近衛秀麿  (KONOE Hidemaro, 1898 - 明治31年~1973 - 昭和48年)
     指揮者。東京に生まれ、1923(大正12)年、ヨーロッパへ渡り作曲と指揮を学ぶ。1924(大正13)年帰国。翌年、山田耕筰と日本交響楽協会を設立。その
   後もドイツやフランスなどヨーロッパ各地での演奏活動を頻繁に行った。日本のオーケストラの基礎を築いた人物として知られている。

      
 
  小松耕輔  (KOMATSU Kosuke, 1884 - 明治17年~1966 - 昭和41年)
     作曲家、音楽教育家。秋田県に生まれ、1906(明治39)年に日本最初のオペラ「羽衣」を作詞・作曲。1921(大正10)年にフランスのパリ音楽院に留学。
   1923(大正12)年帰国し、国民音楽協会を設立、合唱コンクールを初めて開いた。

   
 
  島崎赤太郎  (SHIMAZAKI Akataro, 1874 - 明治7年~1933 - 昭和8年)
     オルガン奏者、音楽教育家。東京に生まれ、1902(明治35)年、ドイツのライプツィヒ王立音楽院に留学し、オルガンと作曲を学ぶ。1906(明治39)年帰国。
   東京音楽学校(現・東京芸術大学)の教授に就任し、オルガン音楽の普及につとめた。「尋常小学唱歌」などの選曲にも携わった。

      
 
  関屋敏子  (SEKIYA Toshiko, 1904 - 明治37年~1941 - 昭和16年)
     声楽家、作曲家。東京に生まれ、1927(昭和2)年にイタリアのボローニャ大学に留学。翌年、日本人初の特別卒業生となる。スカラ座のオーディションに
   も合格し「椿姫」などへの主演で「世界のプリ・マドンナ」として知られるようになる。1929(昭和4)年帰国後も海外からの主演要請は多かったという。

   
 
  高崎正風  (TAKASAKI Masakaze, 1836 - 天保7年~1912 - 明治45年)
     歌人、武士。薩摩(現・鹿児島県)に生まれ、1872(明治5)年、明治政府左院使節団に任ぜられ欧米諸国を視察。1874(明治7)年帰国。以後、侍従番長
   や御歌掛など宮中の役職を歴任。御歌所派と呼ばれる旧派和歌に属し、「紀元節」(作曲:伊沢修二)、「勧学の歌」(作曲:奥好義)などの作詞も担当した。

   
 
  滝廉太郎  (TAKI Rentaro, 1879 - 明治12年~1903 - 明治36年)
     作曲家。東京に生まれ、ピアノを幸田延に、作曲をケーブルに学ぶ。1901(明治34)年、ベルリンに留学し音楽の対位法を学ぶが、肺炎にかかり帰国、翌
   年に亡くなる。代表作「荒城の月」「箱根八里」のほか、歌曲集「四季」も手掛けた。クリスチャンとしての洗礼を受けた人物でもある。

   
 
  田中正平  (TANAKA Shohei, 1862 - 文久2年~1945 - 昭和20年)
     音楽学者、物理学者。淡路(現・兵庫県)に生まれる。1899(明治22)年、森鴎外らとベルリン大学へ留学。1878(明治11)年帰国。近代日本の音楽教育、
   吃音矯正の第一人者となった。国家教育者を創設して、教育勅語の普及にも努めた。

   
 
  永井建子  (NAGAI Kenshi, 1865 - 慶応元年~1940 - 昭和15年)
     作曲家。安芸(現・広島県)に生まれる。1880(明治13)年、陸軍教導団軍楽隊配属。1894(明治27)年、日清戦争に従軍。その間に軍歌「雪の進軍」を
   作詞・作曲。1903(明治36)年にフランス留学。翌年帰国し、陸軍戸山学校軍楽隊楽長に。1915(大正4)年に退役するまで音楽活動を続けた。

   
 
  藤原義江  (FUJIWARA Yoshie, 1898 - 明治31年~1976 - 昭和51年)
     声楽家、男性オペラ歌手。山口県に生まれ、1920(大正9)年、イタリア・ミラノへ留学。ロンドンやニューヨークでの演奏活動を経て1923(大正12)年帰国。
   オペラ活動で活躍し、1934(昭和9)年に藤原歌劇団を創設。「カルメン」「椿姫」などで大成功を博し、1952(昭和27)年にはアメリカでも公演した。

   
 
  三浦環  (MIURA Tamaki, 1884 - 明治17年~1946 - 昭和21年)
     女性ソプラノ歌手。旧姓は柴田。東京に生まれ、1914(大正3)年、夫と共に渡欧。翌年、ロンドンで「蝶々夫人」を公演、1916(大正5)年訪れたアメリカでも
   公演。「蝶々夫人」は1935(昭和10)年の三浦夫妻の帰国までに2000回の公演を記録するほど欧米で好評を博したと言われる。


   
                                                                              主な活動領域へ戻る
 


     
              料理人     現在、 1人 です。


 
  秋山徳蔵  (AKIYAMA Tokuzo, 1888 - 明治21年~1974 - 昭和49年)
     料理人。旧姓は高森。福井県に生まれ、1909(明治42)年、本格的な西洋料理修行のため渡欧。1913(大正2)年帰国後、宮中の料理を統括する
   宮内省大膳寮初代司厨長に任命。同年7月には秋山俊子と結婚し、秋山姓となった。


   
                                                                              主な活動領域へ戻る
 
 


 
              評論家     現在、 4人 です。


 
 
  小牧近江  (KOMAKI Omi, 1894 - 明治27年~1978 - 昭和53年)
     評論家。本名は近江谷駉(おうみやこまき)。秋田県に生まれ、1910(明治43)年、フランスのパリ大学に留学。この間、反戦運動にも参加していた。1919
   (大正8)年帰国。「文芸戦線」の創刊や初期プロレタリア運動の推進に関わった。革命歌「インターナショナル」を日本で初めて訳詞したことでも知られる。

      
 
  坂西志保  (SAKANISHI Shiho, 1896 - 明治29年~1976 - 昭和51年)
     評論家。東京に生まれ、1922(大正11)年、アメリカのホイートン大学に留学。1929(昭和4)年にはミシガン大学で美学を学び、哲学博士の学位を取得。
   その後はアメリカ議会図書館に就職。1942(昭和17)年強制送還されるが、国家公安委員長や立教大学講師など、政治と教育の多くの要職を歴任した。

      
 
  中村光夫  (NAKAMURA Mitsuo, 1911 - 明治44年~1988 - 昭和63年)
     評論家。本名は木庭一郎。東京に生まれ、1938(昭和13)年フランス政府に招かれてパリ大学に留学。1939(昭和14)年第二次大戦勃発により帰国。
   同人誌『批評』の発行をはじめ、近代日本文学批判など精力的な文筆活動・論争を行った。「汽笛一声」「贋の偶像」など戯曲、小説も手がけた。

   
 
  野口米次郎  (NOGUCHI Yonejiro, 1875 - 明治8年~1947 - 昭和22年)
     詩人、評論家。愛知県に生まれ、1893(明治26)年渡米。スタンフォード大学でウォーキン=ミラーに師事。1896(明治29)年「Seen and Unseen」など優れ
   た英詩を発表し英米詩壇で名声を得る。1904(明治37)年に帰国。2年後にはあやめ会を結成して日英米の詩人の交流に尽くした。


   
                                                                              主な活動領域へ戻る
 


 
              作家     現在、 16人 です。


 
 
  有島武郎  (ARISHIMA Takeo, 1878 - 明治11年~1923 - 大正12年)
     作家、評論家。東京に生まれ、1903(明治36)年、アメリカのハバフォード大学とハーバード大学に留学。ホイットマンやニーチェなどの西洋哲学に傾倒
   する。1907(明治40)年帰国。1910(明治43)年には同人誌「白樺」に加わり『或る女』『カインの末裔』などを発表した。

      
 
  磯貝雲峰  (ISOGAI Unpo, 1865 - 慶応元年~1897 - 明治30年)
     詩人。旧姓は内田。本名は由太郞。上野(現・群馬県)に生まれ、明治女学校に勤務しながら「女学雑誌」「国民之友」などに詩歌、訳詩、小説などを発表
   した。1895(明治28)年渡米するが病のために帰国し、その直後に亡くなった。

      
 
  川島順平  (KAWASHIMA Junpei, 1903 - 明治36年~1985 - 昭和60年)
     劇作家、フランス文学者。東京に生まれる。演劇を学ぶためパリ大学に留学し、1932(昭和7)年に帰国。東方文芸部に所属し脚本や演出を担当。「ガ
   ラマサどん」が好評を博した。

      
 
  河盛好蔵  (KAWAMORI Yoshizo, 1902 - 明治35年~2000 - 平成12年)
     フランス文学者。大阪に生まれ、1928(昭和3)年、フランスのソルボンヌ大学に留学。1930(昭和5)年帰国。ジャン・コクトー『山師トマ』、ファーブル『昆
   虫記』などフランスの書物の翻訳に携わった。戦後は東京教育大学や共立女子大学で教授を歴任した。

      
 
  きだみのる  (KIDA Minoru, 1895 - 明治28年~1975 - 昭和50年)
     小説家。本名は山田吉彦。鹿児島県に生まれ、1933(昭和8)年、パリ大学に留学し古代社会学を学ぶ。帰国してからの1948(昭和23)年に著した
   『気違い部落周遊紀行』で第2回毎日出版文化賞を受賞した。

      
 
  西条八十  (SAIJO Yaso, 1892 - 明治25年~1970 - 昭和45年)
     詩人。東京に生まれ、1919(大正8)年に第一詩集「砂金」を刊行。その後、フランスのパリ大学に留学。帰国後の1931(昭和6)年、早稲田大学教授に就任。
   歌謡曲の作詞家としても活躍し、代表作に童謡「かなりあ」、「東京行進曲」などがある。

      
 
  杉本鉞子  (SUGIMOTO Etsuko, 1873 - 明治6年~1950 - 昭和25年)
     小説家。旧姓は稲垣。新潟県に生まれ、1898(明治31)年、アメリカで骨董品店を開いていた杉本松雄と結婚した縁で渡米。1909(明治42)年帰国。1916
   (大正5)年再渡米。日本の生活を紹介した『武士の娘』を雑誌『アジア』に掲載したことから、作家デビューを果たした。

   
 
  島村抱月  (SHIMAMURA Hogetsu, 1871 - 明治4年~1918 - 大正7年)
     評論家、美学者、英文学者、新劇指導者。本名は佐々山滝太郎。島根県に生まれ、1902(明治35)年、早稲田大学の留学生として3年間イギリスとドイツ
   に留学。帰国後、早稲田大学文学部教授に。「早稲田文学」を復刊し、自然主義文学運動の旗手の一人となる。後に新劇にも取り組んだ。

 
  瀬沼夏葉  (SENUMA Kayo, 1875 - 明治8年~1915 - 大正4年)
     翻訳家。旧姓は山田、本名は郁子。瀬沼恪三郎の妻。群馬県に生まれ、1885(明治18)年、ロシア正教会のニコライ女子神学校でロシア語を学ぶ。尾崎
   紅葉に師事し「夏葉」の雅号を取得。チェーホフやトルストイなどロシア作家の翻訳に関わり、1908(明治41)年には『露国文豪チエホフ傑作集』を出版した。

 
  土井晩翠  (DOI Bansui, 1871 - 明治4年~1952 - 昭和27年)
     詩人、英文学者。宮城県に生まれ、1900(明治33)年、ヨーロッパに遊学。1904(明治37)年に帰国。第二高等中学校(現・東北大学)の校歌の作詞や詩集
   『東海遊子吟』などを刊行。以後は『ホメロス』『イーリアス』の翻訳など英文学者としての活動を主に行った。「荒城の月」の作詞者でもある。

   
 
  徳冨蘆花  (TOKUTOMI Roka, 1868 - 明治元年~1927 - 昭和2年)
     小説家。本名は健次郎。肥後(現・熊本県)に生まれ、兄・徳富蘇峰の民友社に勤めるが、1900(明治33)年、『不如帰(ほととぎす)』を著し作家として自立。
   同志社英学校(現・同志社大学)時代、トルストイに傾倒し、その縁から自立後はトルストイと会見したほか、エルサレムも訪れた。

   
 
  永井荷風  (NAGAI Kafu, 1879 - 明治12年~1959 - 昭和34年)
     小説家。東京に生まれ、1903(明治36)年、アメリカやフランスへ外遊。公使館や銀行に勤務し、1908(明治41)年帰国。『あめりか物語』を発表した。1910
   (明治43)年、慶應義塾大学教授。東京大空襲など逆境に遭いながらも多くの作品を世に出し、晩年の1952(昭和27)年、文化勲章を受章。

   
 
  夏目漱石  (NATSUME Soseki, 1867 - 慶応3年~1916 - 大正5年)
     小説家、英文学者。江戸(現・東京)に生まれ、1900(明治33)年、文部省留学生としてイギリスへ。1902(明治35)年帰国。その間、ロンドン塔を訪れたこと
   から後日、随筆『倫敦塔』を著した。大学講師の傍ら作家活動も精力的に行い『吾輩は猫である』『坊っちゃん』など数々の名作を出した。

   
 
  二葉亭四迷  (FUTABA Teishimei, 1864 - 元治元年~1909 - 明治42年)
     小説家、翻訳家。本名は長谷川辰之助。江戸(現・東京)に生まれ、外交官を目指して、1881(明治14)年、東京外国語学校(現・東京外国語大学)に入学。
   1902(明治35)年、ロシア滞在中にエスペラント語を学び、帰国後の1906(明治39)年に入門書を刊行。『浮雲』など小説の他、翻訳作品も数多く著した。

   
 
  森鴎外  (MORI Ogai, 1862 - 文久2年~1922 - 大正11年)
     小説家、陸軍軍医。石見(現・島根県)に生まれ、東京大学医学部卒業後の1882(明治15)年にドイツ陸軍の衛生制度を調べるため留学。1888(明治21)年
   に帰国。その後、文筆活動に入る。ヨーロッパ文学の翻訳や紹介を行った。

 
  与謝野晶子  (YOSANO Akiko, 1878 - 明治11年~1942 - 昭和17年)
     歌人、作家。大阪に生まれ、1913(大正2)年、夫の鉄幹を追って渡仏。イギリスやドイツなどを周り4ヶ月後に帰国。2年後、鉄幹との共著『巴里より』にて女
   性教育の必要性などを説いた。奔放な愛の情熱をうたった「みだれ髪」、反戦詩「君死にたまふことなかれ」などが代表作。

   

                                                                              主な活動領域へ戻る
   


 
              スポーツ関係     現在、 3人 です。


 
 
  嘉納治五郎  (KANO Jigoro, 1860 - 万延元年~1938 - 昭和13年)
     柔道家、教育者。摂津(現・兵庫県)に生まれ、1882(明治15)年に講道館をひらく。1909(明治42)年には日本初の国際オリンピック委員に就任。1912(大正
   元)年にはストックホルムオリンピックの団長として初参加。学習院教授や貴族院議員なども歴任。柔道を世界的に広めたことから「柔道の父」とも呼ばれる。

   
 
  常陸山谷右衛門  (HITACHIYAMA Taniemon, 1874 - 明治7年~1922 - 大正11年)
     力士。本名は市毛谷右衛門。茨城県に生まれ、1892(明治25)年初土俵を踏む。実績を重ね横綱に昇進して間もない1907(明治40)年頃、欧米を漫遊。ホワ
   イトハウスで横綱土俵入りを披露した。帰国後の1909(明治42)年には『相撲大鑑』を著した。

   
 
  三島弥彦  (MISHIMA Yahiko, 1885 - 明治18年~1954 - 昭和29年)
     陸上選手。東京に生まれ、1911(明治44)年、大日本体育協会主催の五輪予選会で100m、400m、800mの短距離走に優勝。これを契機に翌年、金栗四三と
   共にストックホルムオリンピックに参加。日本初のオリンピック選手として知られるようになった。

   
                                                                              主な活動領域へ戻る


 
              その他     現在、 15人 です。


 
 
  明石元二郎  (AKASHI Genjiro, 1864 - 元治元年~1919 - 大正8年)
     陸軍軍人。福岡に生まれ、1918(大正7)年第7代台湾総督に就任。台湾最大の華南銀行設立などインフラ整備を積極的に行った。1902(明治35)年ロシア
   公使館時代、イギリス秘密諜報部のシドニー・ライリーと知り合い、日露戦争時には彼と共に諜報活動を行った。

   
 
  赤松則良  (AKAMATSU Noriyoshi, 1841 - 天保12年~1920 - 大正9年)
     軍人、造船技術者。旧姓は吉沢、通称は大三郎。江戸(現・東京)に生まれ、1860(天保12)年に渡米、1862(文久2)年にはオランダへ留学し造船学を学ぶ。
   1868(慶応4)年帰国。1876(明治9)年に横須賀造船所長、その後は佐世保、横須賀の鎮守府司令長官などを歴任した。

   
 
  秋山真之  (AKIYAMA Saneyuki, 1868 - 慶応4年~1918 - 大正7年)
     軍人。伊予(現・愛媛県)に生まれ、日清戦争後の1897(明治30)年にアメリカへ留学。ワシントンの海軍大学校校長のアルフレッド・セイヤー・マハンに師事。
   サンチャゴ港の閉鎖作戦などを学び、1899(明治32)年帰国。この経験は後の日露戦争でのバルチック艦隊撃破に大きく役立った。

   
 
  秋山好古  (AKIYAMA Yoshifuru, 1859 - 安政6年~1930 - 昭和5年)
     軍人。秋山真之の兄。伊予(現・愛媛県)に生まれ、1887(明治20)年にサン・シール陸軍士官学校に留学した久松定謨の補導役としてフランスへ渡り、騎兵
   戦術を習得。1891(明治24)年帰国。この知識は日清・日露戦争で大きく役立ち、後に「日本騎兵の父」として知られるようになった。

   
 
  東良三  (AZUMA Ryozo, 1889 - 明治22年~1980 - 昭和55年)
     探検家。和歌山県に生まれ、明治末期に渡米。自然保護を推進したジョン=ミュアーに心酔しアラスカやカナダの極地を探検した。帰国後は日本自然保護
   協会理事などを務めた。

   
 
  井口省吾  (Iguchi Shogo, 1855 - 安政2~1925 - 大正14年)
     軍人。駿河(現・静岡県)に生まれ、1887(明治20)年、ドイツに留学。1890(明治23)年帰国。翌年には陸軍大学校教官に就任。日清戦争では第二軍参謀、
   日露戦争では満州軍参謀を務めた。他にも陸軍大学校長や陸軍中将など様々な要職を歴任した。

   
 
  木村鉄太  (KIMURA Tetsuta, 1828 - 文政11年~1862 - 文久2年)
     武士。肥後(現・熊本県)に生まれ、安咳艮斎(あさか・ごんさい)に師事し漢学、手塚律蔵に蘭学を学び航海術を習得。1860(安政7)年、幕府の遣米使節
   に抜擢され、ポーハタン号に乗船。その時の様子をまとめた著書が『航米記』である。

   
 
  クーデンホーフ光子  (COUDENHOVE Mistuko, 1874 - 明治7年~1941 - 昭和16年)
     クーデンホーフ伯爵夫人。旧名は青山みつ。東京に生まれ、1892(明治25)年、クーデンホーフ伯爵と結婚、1896(明治29)年にオーストリアに渡る。7人の
   子に恵まれ、夫の死後は領地・財産の管理を担い、ウィーン社交界でも注目された。

   
 
  ジョセフ ・ ヒコ  (Joseph Heco, 1837 - 天保8年~1897 - 明治30年)
     漂流民、通訳。旧名は浜田彦蔵、通称はアメリカ彦蔵。播磨(現・兵庫県)に生まれ、1851(嘉永4)年、海難で漂流中にアメリカ船に拾われそのまま渡米。
   1858(安政4)年帰化し日本人のアメリカ市民権第1号に。翌年帰国。アメリカ領事館通訳を経て1864(元治元)年、民間初の「海外新聞」を創刊した。

   
 
  橘耕斎  (TACHIBANA Kosai, 1820 - 文政3年~1885 - 明治18年)
     元掛川(現・静岡県)藩士。1854(安政元)年、プチャーチン艦隊中国語通訳官ゴシケヴィッチの手助けでロシアへ密出国。1874(明治7)年帰国。滞在中、
   世界初の日露事典『和魯通言比考』を編纂、ロシア外務省のアジア局から出版された。

   
 
  徳川昭武  (TAKUGAWA Akitake, 1853 - 嘉永6年~1910 - 明治43年)
     大名、華族。徳川慶喜の異母弟。江戸(現・東京)の水戸藩中屋敷に生まれ、1868(慶応3)年、パリ万国博覧会に将軍慶喜の名代として参加。博覧会後も
   ヨーロッパを訪れ、ナポレオン3世やウィレム2世などの王族と謁見。1868(明治元)年に帰国し水戸藩主を継承。その後もアメリカやフランスなどに渡った。

   
 
  中浜万次郎  (NAKAHAMA Manjiro, 1827 - 文政10年~1898 - 明治31年)
     漁師。土佐(現・高知県)に生まれ、1841(天保12)年、嵐に遭い無人島の鳥島に漂着。アメリカの捕鯨船に救出され、アメリカへ渡る。1851(嘉永4)年帰国。
   1869年、開成学校(東京大学)教授を務めた。ジョン万次郎の名前でも知られている。

   
 
  乃木希典  (NOGI Maresuke, 1849 - 嘉永2年~1912 - 大正元年)
     軍人。長門(現・山口県)に生まれ、1887(明治20)年、政府の命令でドイツへ留学。参謀大尉デュフォーに師事しドイツ陸軍について学ぶ。翌年帰国。日露
   戦争における203高地攻略や明治天皇への殉死がよく知られているが、秋月の乱の鎮圧や日清戦争における旅順攻略などでも功績を残している。

   
 
  三浦梧楼  (MIURA Goro, 1847 - 弘化3年~1926 - 大正15年)
     軍人、政治家。本姓は五十部(いおべ)。長門(現・山口県)に生まれ、1895(明治28)年、在朝鮮国特命全権公使に就任するも、乙未事変において閔妃暗
   殺を指揮した罪を問われる。無罪となった後は貴族院議員や枢密顧問官として活動。藩閥政治には反対の立場を取っており、山県有朋らとは対立していた。

      
 
  村垣範正  (MURAGAKI Norimasa, 1813 - 文化10年~1880 - 明治13年)
     武士。江戸(現・東京)に生まれ、1860(安政7)年、日米修好通商条約のため幕府から使節団の副使を拝し渡米。半年後に帰国。この時の経緯を『遣米使
   節日記』に記した。その後も外交面で活躍し、外国奉行や神奈川奉行なども歴任した。

      
 
  山口圭蔵  (YAMAGUCHI Keizo, 1861 - 文久元年~1932 - 昭和7年)
     軍人。京都に生まれ、陸軍大学校を卒業。1888(明治21)年、ドイツへ留学。1891(明治24)年に帰国。その後は日清・日露戦争に参戦。歩兵第二十一連
   隊大隊長や第十一師団参謀長などを歴任した。最終階級は陸軍少将。


      
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