京都外国語大学付属図書館  
       京都外国語短期大学図書館
 

                                

                 明治の日本人が著した洋書

 
   このページは、本学図書館の主題別書誌データベース「明治150(2018)年を前にして 
  明治の国際人とその書物」で紹介している日本人の中で、外国語の著作(自著)を持っ
  ていた人々をピックアップしたものです。
   各カテゴリーの人名は五十音順に記述しています。
   但し、これらの書物は本学図書館が所蔵するものに限ります。


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                      (2019年11月6日公開)

            現在、 61人 です。


検索 1  主な活動領域  (「主な活動領域」には関連する職業も含まれます)
     
政治家・官僚(官吏) 外交官 実業家 思想家・宗教家 教育者・学者 出版家・ジャーナリスト
建築家 芸術家 評論家 作家 その他
 
 
検索 2  人名インデックス (検索ページへジャンプできます)
 
○職業
 
○五十音順



 

     
 
政治家・官僚(官吏)     現在、 6人 です。


 
  伊東巳代治  (ITO Miyoji, 1857 - 安政4年~1934 - 昭和9年)
     官僚、政治家。肥後(現・長崎県)に生まれ、1882(明治15)年、欧米の憲法調査のため伊藤博文に随行し渡欧。翌年に帰国。憲法や諸法典の起草・制定に
   参画し、第2・第3次伊藤内閣の下では書記官長や農商務省を務めたほか、第1次桂内閣の成立にも貢献した。

   
 
  岡部次郎  (OKABE Jiro, 1864 - 元治元年~1925 - 大正14年)
     政治家。信濃(現・長野県)に生まれ、1885(明治18)年髙橋是清に随行し渡米。オベリン大学のほか、パリ大学などヨーロッパの大学にも遊学し、1900(明治
   33)年帰国。「北海タイムス」の主筆や日露戦争での従軍記者を経て、1912(明治45)年、衆議院議員に当選を果たした。国際平和協会専務理事も務めた。

   
 
  金子堅太郎 (KANEKO Kentaro, 1853 - 嘉永6年~1942 - 昭和17年)
     政治家。福岡に生まれ、1871(明治4)年、岩倉使節団に同行し、アメリカに留学。ハーバード大学法学部で法学士の学位取得。帰国後は英語教師に。
   大日本帝国憲法の起草に携わった他、日露戦争講和のため、アメリカで広報外交を展開した。司法大臣・農商務大臣などを歴任。

   
 
  斎藤修一郎  (SAITO Shuichiro, 1855 - 明治20年~1910 - 明治43年)
     官僚。越前(現・福井県)に生まれ、1875(明治8)年、第1回官費留学生としてアメリカのボストン大学へ留学。1880(明治13)年帰国。1883(明治16)年
   以降は、外務卿井上馨の秘書官や農商務省次官など官職のほか、中外商業新報社社長や東京米穀取引所理事長も歴任した。

      
 
  末松謙澄  (SUEMATSU Kencho, 1855 - 安政2年~1920 - 大正9年)
     政治家、ジャーナリスト。福岡に生まれ、東京日日新聞の記者として社説執筆に携わる。1878(明治11)年、岳父伊藤博文の勧めで外交官としてロン
   ドンに赴任、ケンブリッジ大学に留学。この間、『源氏物語』の英訳本を刊行。帰国後は内務大臣などを歴任した。

   
 
  添田寿一  (SOEDA Juichi, 1864 - 元治元年~1929 - 昭和4年)
     官僚、銀行家。筑前(現・福岡県)に生まれ、1884(明治17)年、イギリスのケンブリッジ大学に留学し政治経済学を学ぶ。ドイツのハイデルベルク大学
   を経て1887(明治20)年帰国。大蔵省入省時代に銀行制度の確立に尽力したほか、日本法律学校(現・日本大学)の創立にも携わった。

      

            外交官     現在、 2人 です。


 
 
  松岡洋右  (MATSUOKA Yosuke, 1880 - 明治13年~1946 - 昭和21年)
     外交官、政治家。山口県に生まれ、1893(明治26)年、留学のため渡米。メソジスト監督教会やオレゴン大学での苦学を経て1902(明治35)年帰国。
   外務省に入省し、シベリア出兵やパリ講和会議などの外交問題に携わった。満州国否認の採択に抗議する形での国際連盟脱退でも知られている。

   
 
  森有礼  (MORI Arinori, 1847 - 弘化4年~1889 - 明治22年)
     外交官、政治家。薩摩(現・鹿児島県)に生まれ、1865(慶長元)年、イギリスへ留学。ロシア、アメリカを経て1867(明治元)年頃に帰国。福沢諭吉
   らと明六社を結成。1875(明治8)年には私塾・商法講習所(現・一橋大学)を開設した。第1次伊藤内閣で初代文部大臣を務めた。

   
 
                実業家     現在、 6人 です。


 
  清水卯三郎  (SHIMIZU Usaburo, 1829 - 文政12年~1910 - 明治43年)
     実業家。武蔵国(現・埼玉県)に生まれ、箕作阮甫に師事。1867(慶応3)年、パリ万博に日本の美術品を紹介。万博後、欧州の学問や工芸を学び、
   陶器、絵の具、石版印刷機械を持ち帰る。帰国後は東京に瑞穂屋を開き洋書や歯科医療道具などの輸入販売を行った。

   
 
  星一  (HOSHI Hajime, 1873 - 明治6年~1951 - 昭和26年)
     実業家、政治家。SF作家・星新一の父。福島県に生まれ、1894(明治29)年、アメリカのコロンビア大学へ留学。1901(明治34)年帰国。1911(明治
   44)年、星製薬を設立。モルヒネの国産化に成功し、日本の製薬王と呼ばれた。1922(大正11)年には星製薬商業学校を創設した。

      
 
  益田孝  (MASUDA Takashi, 1848 - 嘉永元年~1938 - 昭和13年)
     実業家。佐渡(現・新潟県)に生まれる。1863(文久3)年、父と共に渡欧。帰国後は幕府陸軍に入隊。明治維新後は大蔵省に入省。1874(明治7)
   年、英語力を買われて井上馨の先収会社の副社長に就任。1876(明治9)年には三井物産の初代社長となった。茶人として「鈍翁」の号を持つ。    

 
  森村豊  (MORIMURA Toyo, 1854 - 嘉永7年~1899 - 明治32年)
     実業家。江戸(現・東京)に生まれる。1876(明治9)年、兄・市左衛門らと共に米国商法実習生として渡米。ニューヨークで日之出商会(後の森村
   ブラザーズ)を開業。後に村井保固の進言で経営方針を小売業から卸売業へ転換。日本陶器(現・ノリタケ)設立のきっかけに繋がる。       

 
  矢野恒太  (YANO Tsuneta, 1866 - 慶応元年~1951 - 昭和26年)
     実業家。備前(現・岡山県)に生まれる。1897(明治30)年、ドイツに留学して保険制度を学ぶ。帰国後の1898(明治31)年、農商務省に入省。保険
   業法の制定に尽くす。1902(明治35)年には日本初の相互保険会社である第一生命保険を創設した。『日本国政図会』(初版)の発刊者でもある。       

 
  米山梅吉  (YANEYAMA Umekichi, 1868 - 慶応4年~1946 - 昭和21年)
     銀行家。旧姓は和田。江戸(現・東京)に生まれ、1888(明治21)年渡米。ウェスレアン大学などで法学を学び1896(明治29)年に帰国。井上馨の
   紹介で三井銀行に入社。1924(大正13)年には三井信託の初代社長に就任。ロータリークラブや青山学院初等部の創設者としても知られる。      

 
               思想家・宗教家     現在、 12人 です。


 
 
  姉崎正治  (ANESAKI Masaharu, 1873 - 明治6年~1949 - 昭和24年)
     評論家、宗教学者。京都に生まれ、1900(明治33)年、ドイツ、イギリス、インドに留学し、1903(明治36)に帰国。1904(明治37)年、東京帝国大学(現・
   東京大学)教授に就任。翌年、宗教学講座を開設。日本の宗教学研究の発展の基礎を築いたとされる。

   
 
  内村鑑三  (UCHIMURA Kanzo, 1861 - 文久元年~1930 - 昭和5年)
     キリスト教思想家。江戸(現・東京)に生まれ、札幌農学校卒業後の1884(明治17)年に渡米。アマースト大学で伝道者を目指し、理学士の資格を
   得て卒業。1888(明治21)年帰国。足尾銅山鉱毒事件を世に知らしめ、日露戦争時の非戦論や無教会主義で知られる。

   
 
  小谷部全一郎  (OYABE Zenichiro, 1868 - 慶応3年~1941 - 昭和16年)
     牧師、アイヌ救済運動家。秋田に生まれ、1888(明治21)年渡米。苦学しつつバージニア大学やエール大学などで神学を修め、牧師の資格を得る。
   1898(明治31)年帰国後はアイヌ民族救済活動に携わる。「義経=ジンギスカン説」や「日本ユダヤ同祖説」の提唱者としても知られる。

   
 
  賀川豊彦  (KAGAWA Toyohiko, 1888 - 明治21年~1960 - 昭和35年)
     キリスト教社会運動家。兵庫県に生まれ、1914(大正3)年渡米、1917(大正6)年に神戸へ戻りキリスト教伝道と社会事業を始める。1918(大正7)年
   友愛会に加入。神戸地区の労働運動に参加して関西一円の指導者となる。

   
 
  片山潜  (KATAYAMA Sen, 1859 - 安政6年~1933 - 昭和8年)
     社会主義者。美作(現・岡山県)に生まれ、1884(明治17)年渡米、英語とキリスト教を学び、1886(明治19)年、洗礼を受ける。西洋古典学を修め、
   1896(明治29)年帰国。1906(明治39)年、日本社会党に参加。1921(大正10)年にはソ連に渡りコミンテルン執行委員会幹部会員となった。

   
 
  河口慧海  (KAWAGUCHI Ekai, 1866 - 慶応2年~1945 - 昭和20年)
     僧侶、探検家。大阪に生まれ、1890(明治23)年、黄檗宗の五百羅漢寺で得度。1892(明治25)年、梵語、チベット語の仏典を求めて、日本人として
   初めてチベットへ渡る。1903(明治36)年帰国。翌年刊行した『西蔵旅行記』など仏教やチベットに関する著作活動に励んだ。

      
 
  久布白落実  (KUBUSHIRO Ochimi, 1882 - 明治15年~1972 - 昭和47年)
     女性運動家。旧姓は大久保。熊本県に生まれ、1903(明治36)年にアメリカへ渡る。同地で牧師の久布白直勝と結婚。1913(大正2)年帰国。廃娼運
   動と婦人参政権の獲得運動に参画。戦後の1956(昭和31)年には売春防止法の成立に尽力した。

      
 
  鈴木大拙  (SUZUKI Daisetsu, 1870 - 明治3年~1966 - 昭和41年)
     仏教学者。石川県に生まれ、1897(明治30)年にアメリカへ渡り、仏教書の英訳本を著し、仏教文化を海外に広めた。1909(明治42)年に帰国。日本
   の禅文化を海外に知らしめた人物として有名。

   
 
  高楠順次郎  (TAKAKUSU Junjiro, 1866 - 慶応2年~1945 - 昭和20年)
     仏教学者。旧姓は沢井。備後(現・広島県)に生まれ、1890(明治23)年、ヨーロッパに留学しインド学と梵語学を学ぶ。帰国後の1897(明治30)年頃、
   東京帝国大学(現・東京大学)で梵語学の講師を担当。1897(明治30)年には梵語学講座を創設。武蔵野女子学院の創設者でもある。

   
 
  中田重治  (NAKADA Juji, 1870 - 明治3年~1939 - 昭和14年)
     牧師。陸奥(現・青森県)に生まれ、1891(明治24)年、北海道でメソジスト伝道師として活躍。1896(明治29)年渡米し、シカゴのムーディ聖書学校へ
   留学。1898(明治31)年帰国。1917(大正6)年、東洋宣教会日本ホーリネス教会を設立し、初代監督となる。

   
 
  南条文雄  (NANJO Bunyu, 1849 - 嘉永2年~1927 - 昭和2年)
     僧、仏教学者。美濃(現・岐阜県)に生まれ、1876(明治9)年、サンスクリット語研究のためイギリスのオックスフォード大学へ留学。留学中の1883
   (明治16)年に発表した『大明三蔵聖教目録』が同国で注目された。1884(明治17)年帰国後は近代的な仏教研究とその教育機関の創設に尽力した。

   
 
  馬場辰猪  (BABA Tatsui, 1850 - 嘉永3年~1888 - 明治21年)
     土佐(現・高知)藩士、思想家、政論家。1870(明治3)年イギリスに留学。海軍、法学などを修め、1874(明治7)年に帰国。その後もイギリスに渡り、
   帰国後は中江兆民らと自由民権活動の紹介を行った。

      
 
             教育者・学者


               人文科学系     現在、 8人 です。

 
 
  朝河貫一  (ASAKAWA Kanichi, 1873 - 明治6年~1948 - 昭和23年)
     歴史学者。福島県に生まれ、1895(明治28)年にアメリカのダートマス大学に編入学。1906(明治39)年と1917(大正6)年に日本関係の資料収集の
   目的から一時帰国するが、亡くなるまでアメリカに留まった。太平洋戦争に反対し「平和の提唱者」といわれる。

   
 
  浅田榮次  (ASADA Eiji, 1865 - 慶応元年~1914 - 大正3年)
     英語学者。周防(現・山口県)に生まれ、1888(明治21)年神学と言語学を学ぶ目的で渡米。1893(明治26)年帰国。英語教育に尽力。1899(明治32)
   年には、東京外国語大学の教務主任を務めた。

   
 
  井上十吉  (INOUE Jukichi, 1862 - 文久2年~1929 - 昭和4年)
     英学者。阿波(現・徳島県)に生まれ、1873(明治6)年、イギリス留学。ロンドン大学で冶金学を学び、1883(明治16)年帰国。東京大学予備門や早稲
   田大学などで英語教師を勤め、1894(明治27)年に外務省の翻訳官に。「井上英和大辞典」など十数種に及ぶ辞典を編集にも携わった。

   
 
  井上哲次郎  (INOUE Tetsujiro, 1855 - 安政2年~1944 - 昭和19年)
     哲学者。福岡に生まれ、1884(明治17)年、ドイツ留学。1890(明治23)年帰国。日本人初と言われる東京大学文学部哲学科教授に就任。ドイツ観念
   論哲学を講じた。

   
 
  岡倉由三郎  (OKAKURA yoshisaburo, 1868 - 慶応14年~1936 - 昭和11年)
     英語学者。岡倉天心の弟。相模(現・神奈川県)に生まれ、1891(明治24)年、漢城(現・ソウル)の日本語教師に任ぜられる。1925(大正14)年、日本
   初のラジオによる英語講座を担当したことや『新英和大辞典』の編者、『英文学叢書』の監修者としても知られている。

      
 
  神田乃武  (KANDA Naibu, 1857 - 安政4年~1923 - 大正12年)
     英語学者。江戸(現・東京)に生まれ、1871(明治4)年、森有礼とアメリカへ留学。1879(明治12)年帰国。東京高等師範学校や東京高等商業学校(現・
   一橋大学)の教授、東京外国語学校(現・東京外国語大学)初代校長などを歴任した。

      
 
  九鬼周造  (KUKI Shuzo, 1888 - 明治21年~1941 - 昭和16年)
     哲学者。東京に生まれ、東京帝国大学(現・東京大学)卒業後、8年間ヨーロッパ諸国を留学。ドイツでハイデッガーに現象学を学ぶ。帰国後は京都
   帝国大学(現・京都大学)教授に就任。現象学やデカルトをはじめとするフランス哲学、近世哲学史を担当した。

   
 
  佐伯好郎  (SAEKI Yoshiro, 1871 - 明治4年~1965 - 昭和40年)
     歴史学者。広島県に生まれ、1893(明治26)年にアメリカへ渡り、カナダのトロント大学へ留学。英語と古典語の習得に努め1896(明治29)年帰国。母
   校の東京専門学校(現・早稲田大学)、東京高師、明治大学で留学時代の経験を活かして教鞭をふるう。第二次大戦後は郷里の町長を務めた。


      
               社会科学系     現在、 6人 です。

 
 
  有賀長雄  (ARIGA Nagao, 1860 - 万延元年~1921 - 大正10年)
     法学者。大坂(現・大阪府)に生まれ、1886(明治19)年、ドイツのベルリン大学やオーストリアのウィーン大学へ留学し国法学を学ぶ。1888(明治
   21)年帰国。枢密院書記官や早稲田大学講師など、政治と教育の両分野で幅広く活躍。ハーグ平和会議にも日本代表として出席した。

      
 
  木下広次  (KINOSHITA Hiroji, 1851 - 嘉永4年~1910 - 明治43年)
     法学者、教育家。熊本県に生まれ、1875(明治8)年、フランスのパリ大学へ留学。1882(明治15)年帰国。東京大学教授、文部省専門学務局長な
   どを歴任し京都帝国大学(現・京都大学)初代総長に就任。「自由の学風」の基礎を作ったと言われている。

      
 
  津田梅子  (TSUDA Umeko, 1864 - 元治元年~1929 - 昭和4年)
     教育者。江戸(現・東京)に生まれ、1871(明治4)年渡米。1882(明治15)年に帰国し、1889(明治22)年に再度渡米。1892(明治25)年に帰国し、
   1900(明治33)年に留学経験を元に女子英学塾(のちの津田塾大学)を創設した。

   
 
  新渡戸稲造  (NITOBE Inazo, 1862 - 文久2年~1933 - 昭和8年)
     教育者、国際連盟事務局次長。陸奥(現・岩手県)に生まれ、札幌農学校入学。卒業後、ドイツやアメリカへ留学。1891(明治24)年に帰国し、札
   幌農学校教授に就任。体調不良からカリフォルニア州に転地休養。『武士道』はこの時に著した。

   
 
  福沢諭吉  (FUKUZAWA Yukichi, 1834 - 天保5年~1901 - 明治34年)
     啓蒙思想家、教育者。豊前(現・大分県)に生まれ、1860(万延元)年に咸臨丸で渡米。1862(文久2)年にはヨーロッパへ渡る。外国で購入した書
   物を元に、『増訂華英英語』、『西洋事情』などを著した。慶應義塾の創設者。

   
 
  穂積陳重  (HODUMI Nobushige, 1856 - 安政3年~1926 - 大正15年)
     法学者。伊予(現・愛媛県)に生まれ、1876(明治9)年からイギリスとドイツに留学。1881(明治14)年帰国。翌年、東京大学教授に就任し法理学講
   座を開設。貴族院議員や法典調査会委員として民法などの起草にも関わった。英吉利法律学校(現・中央大学)の創設に携わった一人でもある。


      
               自然科学系     現在、 4人 です。

 
 
  菊池大麓  (KIKUCHI Dairoku, 1855 - 安政2年~1917 - 大正6年)
     数学者。江戸(現・東京)に生まれる。1867(慶応3)年と1870(明治3)年の2度にわたりイギリスへ留学し、数学と物理学を学ぶ。1877(明治10)年帰国、
   東京大学理化学教授に就任。近代数学の移入と数学教育法の確立に尽力。貴族院勅選議員や枢密顧問官など国政にも参画した。

      
 
  野口英世  (NOGUCHI Hideyo, 1876 - 明治9年~1928 - 昭和3年)
     細菌学者。福島県に生まれ、幼少期、左手に大火傷を負い、この体験から医者を志す。1899(明治32)年、ペンシルバニア大学に留学。その後
   はロックフェラー医学研究所で勤務。黄熱病原体、梅毒スピロヘータなど細菌の発見に成功する。

   
 
  箕作佳吉  (MITSUKURI Kakichi, 1858 - 安政4年~1909 - 明治42年)
     動物学者。江戸(現・東京)に生まれ、1873(明治6)年渡米。レンセラー工科大学で土木工学、イェール大学、ジョンズ・ホプキンス大学で動物
   学を学ぶ。帰国後、東京帝国大学(現・東京大学)で日本人初の動物学教授に就任する。カメの発生学、ナマコの分類などでも知られている。

   
 
  南方熊楠  (MINAKATA Kumagusu, 1867 - 慶応3年~1941 - 昭和16年)
     博物学者、生物学者、民俗学者。紀伊(現・和歌山県)に生まれ、1886(明治19)年、渡米。1900(明治33)年帰国。イギリスにも渡り、大英博物
   館でも博物学、生物学、人類学など多岐にわたる分野を学習・研究した。その間、科学雑誌『Nature』への投稿も行った。

   
   
              出版家・ジャーナリスト     現在、 4人 です。


 
 
  河上清  (KAWAKAMI Kiyoshi, 1873 - 明治6年~1949 - 昭和24年)
     ジャーナリスト。旧姓は宮下。山形に生まれる。社会主義に共鳴し、1901(明治34)年片山潜らと社会民主党創立に参加。政府の弾圧を受けてアメ
   リカへ渡り、「時事新報」「東京日日新聞」特派員としてジャーナリズム活動を再開。この時「キヨシ・カール・カワカミ」の筆名で執筆活動も行っていた。

      
 
  佐藤顕理  (SATO Henri, 1859 - 安政6年~1925 - 大正14年)
     ジャーナリスト。本名は重道(しげみち)。江戸(現・東京)に生まれ、静岡の藩立学校で外国人教師に英語を学ぶ。1882(明治15)年頃、農商務省
   に勤務。1904(明治37)年にセントルイス万博へ出張し、英語で日本の貿易拡大に尽力した。教師や新聞記者を経て国際通信社の編集長となる。

   
 
  玉井喜作  (TAMAI Kisaku, 1866 - 慶応2年~1906 - 明治39年)
     新聞記者。周防(現・山口県)に生まれ、札幌農学校でドイツ語教師を務めた。1892(明治25)年、シベリアを経由してドイツへ渡り、生涯滞在する。
   月刊誌『東亜(Ost-Asien)』を刊行するなどジャーナリストとして活躍した。在留日本人の面倒をよく見たことでも知られている。

   
 
  長谷川武次郎  (HASEGAWA Takejiro, 1853 - 嘉永6年~1938 - 昭和13年)
     出版人。江戸(現・東京)に生まれる。かねてから海外に関心を持っており、日本昔噺の場面を描いた「ちりめん本」を外国人向けに発明した。1885
   (明治18)年~1892(明治25)年にかけて20冊の『日本昔噺シリーズ』が出版され、在留外国人によって諸国語に訳された。

   
   
              建築家     現在、 1人 です。


 
 
  原田治郎  (HARADA Jiro, 1878 - 明治11年~1963 - 昭和38年)
     美術家、庭園研究家。山口県に生まれ、1893(明治26)年に渡米。セントルイス博覧会の運営にも携わり、1905(明治38)年帰国。1910(明治43)年に日英
   博覧会の特使としてイギリスに渡り、美術雑誌The Studio社にも関わる。1928(昭和3)年には英訳した初の日本庭園論『The Gardens of Japan』を著した。

   
                                                                              主な活動領域へ戻る
   
              芸術家     現在、 3人 です。


 
 
  岡倉天心  (OKAKURA Tenshin, 1862 - 文久2年~1913 - 大正2年)
     美術行政家、思想家。横浜に生まれ、東京開成所(現・東京大学)入所中、日本美術を研究するアーネスト・フェノロサに感化。1884(明治17)年、美
   術研究員としてフェノロサと渡欧。1890(明治23)年には東京美術学校初代校長になる。

   
 
  小川一真  (OGAWA Kazuma, 1860 - 万延元年~1929 - 昭和4年)
     写真家。武蔵(現・埼玉県)に生まれ、1882(明治15)年、アメリカに留学し、乾板製法など当時最新の写真技術を学ぶ。1885(明治18)年帰国。東京に
   玉潤会を設立し写真家として活躍した。千円札に描かれた夏目漱石の写真も彼が撮影したと言われている。

   
 
  林忠正  (HAYASHI Tadamasa, 1853 - 嘉永6年~1906 - 明治39年)
     美術商。越中(現・富山県)に生まれ、1878(明治11)年、パリ万国博覧会の仕事で渡仏。美術品展を開き、浮世絵などの日本美術を紹介した。祖国の
   日本には印象派の絵画をもたらした。

   
                                                                              主な活動領域へ戻る
   
              評論家     現在、 2人 です。


 
 
  坂西志保  (SAKANISHI Shiho, 1896 - 明治29年~1976 - 昭和51年)
     評論家。東京に生まれ、1922(大正11)年、アメリカのホイートン大学に留学。1929(昭和4)年にはミシガン大学で美学を学び、哲学博士の学位を取得。
   その後はアメリカ議会図書館に就職。1942(昭和17)年強制送還されるが、国家公安委員長や立教大学講師など、政治と教育の多くの要職を歴任した。

      
 
  野口米次郎  (NOGUCHI Yonejiro, 1875 - 明治8年~1947 - 昭和22年)
     詩人、評論家。愛知県に生まれ、1893(明治26)年渡米。スタンフォード大学でウォーキン=ミラーに師事。1896(明治29)年「Seen and Unseen」など優れ
   た英詩を発表し英米詩壇で名声を得る。1904(明治37)年に帰国。2年後にはあやめ会を結成して日英米の詩人の交流に尽くした。


   
                                                                              主な活動領域へ戻る
   
              作家     現在、 4人 です。


 
 
  川島順平  (KAWASHIMA Junpei, 1903 - 明治36年~1985 - 昭和60年)
     劇作家、フランス文学者。東京に生まれる。演劇を学ぶためパリ大学に留学し、1932(昭和7)年に帰国。東方文芸部に所属し脚本や演出を担当。「ガ
   ラマサどん」が好評を博した。

      
 
  杉本鉞子  (SUGIMOTO Etsuko, 1873 - 明治6年~1950 - 昭和25年)
     小説家。旧姓は稲垣。新潟県に生まれ、1898(明治31)年、アメリカで骨董品店を開いていた杉本松雄と結婚した縁で渡米。1909(明治42)年帰国。1916
   (大正5)年再渡米。日本の生活を紹介した『武士の娘』を雑誌『アジア』に掲載したことから、作家デビューを果たした。

   
 
  徳冨蘆花  (TOKUTOMI Roka, 1868 - 明治元年~1927 - 昭和2年)
     小説家。本名は健次郎。肥後(現・熊本県)に生まれ、兄・徳富蘇峰の民友社に勤めるが、1900(明治33)年、『不如帰(ほととぎす)』を著し作家として自立。
   同志社英学校(現・同志社大学)時代、トルストイに傾倒し、その縁から自立後はトルストイと会見したほか、エルサレムも訪れた。

   
 
  森鴎外  (MORI Ogai, 1862 - 文久2年~1922 - 大正11年)
     小説家、陸軍軍医。石見(現・島根県)に生まれ、東京大学医学部卒業後の1882(明治15)年にドイツ陸軍の衛生制度を調べるため留学。1888(明治21)年
   に帰国。その後、文筆活動に入る。ヨーロッパ文学の翻訳や紹介を行った。

 
 
 
              その他     現在、 3人 です。

 
 
  秋山真之  (AKIYAMA Saneyuki, 1868 - 慶応4年~1918 - 大正7年)
     軍人。伊予(現・愛媛県)に生まれ、日清戦争後の1897(明治30)年にアメリカへ留学。ワシントンの海軍大学校校長のアルフレッド・セイヤー・マハンに師事。
   サンチャゴ港の閉鎖作戦などを学び、1899(明治32)年帰国。この経験は後の日露戦争でのバルチック艦隊撃破に大きく役立った。

   
 
  ジョセフ ・ ヒコ  (Joseph Heco, 1837 - 天保8年~1897 - 明治30年)
     漂流民、通訳。旧名は浜田彦蔵、通称はアメリカ彦蔵。播磨(現・兵庫県)に生まれ、1851(嘉永4)年、海難で漂流中にアメリカ船に拾われそのまま渡米。
   1858(安政4)年帰化し日本人のアメリカ市民権第1号に。翌年帰国。アメリカ領事館通訳を経て1864(元治元)年、民間初の「海外新聞」を創刊した。

   
 
  橘耕斎  (TACHIBANA Kosai, 1820 - 文政3年~1885 - 明治18年)
     元掛川(現・静岡県)藩士。1854(安政元)年、プチャーチン艦隊中国語通訳官ゴシケヴィッチの手助けでロシアへ密出国。1874(明治7)年帰国。滞在中、
   世界初の日露事典『和魯通言比考』を編纂、ロシア外務省のアジア局から出版された。