京都外国語大学付属図書館  
        京都外国語短期大学図書館
 

       主題別書誌データベース

               明治日本の国際派女性たち

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                                              鹿鳴館の日本人女性たち


                                              (2017年3月30日公開)


 
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  カリフォルニアおけい  (CALIFORNIA Okei, 1853 - 嘉永6年~1871 - 明治4年)
     会津(現・福島県)に生まれ、1869(明治2)年、カリフォルニア州コロマ村の日本人移民村「若松コロニー」の指導者であるシュネル夫妻の子守として移民して働く。
   同僚達からは「北米移民村の可憐な花」と讃えられた。日本人女性初の移民でもある。

   
  下田歌子  (SHIMODA Utako, 1854 - 嘉永7年~1936 - 昭和11年)
     江戸末期の剣客としてならした下田猛雄の妻。本名は平尾鉐 (ひらお せき)。美濃(現・岐阜県)に生まれ、1893(明治26)年、皇女教育のため欧米教育を視察し、
   1895(明治28)年帰国後、「帝国婦人協会」を設立。1899(明治32)年には実践女学校(現・実践女子大学)を創立した。

   
  山下りん  (YAMASHITA Rin, 1857 - 安政4年~1939 - 昭和14年)
     洋画家。常陸(現・茨城県)に生まれる。ハリストス正教に入信しており、洗礼名はイリナ。1880(明治13)年、イコン(聖像画)を学ぶためロシアに留学。
   女子修道院で制作技術を学び、1883(明治16)年帰国。日本初のイコン画家として東京神田のニコライ堂ほか各地の正教会教会堂の作品を手掛けた。

   
  大山捨松  (OYAWA Sutematsu, 1860 - 安政7年~1919 - 大正8年)
     教育者。旧名は山川咲子。会津(現・福島県)に生まれ、1871(明治4)年、日本初の女性留学生として渡米。ヴァッサー大学で看護学、女子教育などを研究。1882(
   明治15)年に帰国し、大山巌と結婚。津田梅子の女子英学塾(後の津田塾大学)設立を支援し、愛国婦人会理事や赤十字篤志看護会理事などを務めた。

   
  鳩山春子  (HATOYAMA Haruko, 1861 - 文久3年~1938 - 昭和13年)
     教育者。旧姓は多賀。信濃(現・長野県)に生まれ、1878(明治11)年、東京女子師範学校に入学。翌年、米国留学の許可が下りるも、政府の都合
  により頓挫。1886(明治19)年には共立女子職業学校(共立学園)の創立に参加。後の総理大臣・鳩山一郎の母としても知られている。

   
  ラグーザ玉  (Raguza Tama, 1861 - 文久元年~1939 - 昭和14年)
     洋画家。旧姓は清原。江戸(現・東京)に生まれる。後に夫となるヴィチェンツォ・ラグーザと出会い、西洋画を学ぶ。1882(明治15)年、イタリアに留学。
   1884(明治17)年には夫が開設した工芸学校で絵画科の教師を務める。1927(昭和2)年、夫の遺作を東京美術学校に多数寄贈。6年後に帰国。

   
  津田梅子  (TSUDA Umeko, 1864 - 元治元年~1929 - 昭和4年)
     教育者。江戸(現・東京)に生まれ、1871(明治4)年、岩倉使節団に随行してアメリカのヴァッサー大学音楽学校に留学。1882(明治15)年に帰国し、1889(明治22)年に
   再度渡米。1900(明治33)年に留学経験を元に女子英学塾(のちの津田塾大学)を創設し、日本での女子教育に尽力した。

   
  小泉節子  (KOIZUMI Setsuko, 1868 - 慶応4年~1932 - 昭和7年)
     ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻。出雲(現・島根県)松江藩士小泉湊の娘として生まれる。ハーンとは1890(明治23)年に結婚。三男一女をもうける傍ら、ハーンの
   著作活動を助けた。

   
  幸田延  (KODA Nobu, 1870 - 明治3年~1946 - 昭和21年)
     音楽教育家、作曲家。幸田露伴の妹。東京に生まれ、1889(明治22)年、アメリカ、ドイツ、オーストリアに音楽留学。ピアノ、ヴァイオリン、ビオラ、声楽、
   音楽理論を修め、1895(明治28)年帰国。1912(明治45)年には審声会を創設し、家庭音楽の普及に努めた。

   
  安井てつ  (YASUI Tetsu, 1870 - 明治3年~1945 - 昭和20年)
     教育者。東京に生まれ、1897(明治30)年、教育学研究のためイギリスに留学。教育学や教育史、心理学などを修め1900(明治33)年帰国。その後、
   本郷協会の牧師・海老名弾正により洗礼を受ける。東京女高師(現・お茶の水女子大)教授や東京女子大学学監など教育会でも活躍した。

   
  川上貞奴  (KAWAKAMI Sadayakko, 1871 - 明治4年~1946 - 昭和21年)
     女優。本名は川上貞。東京に生まれる。1894(明治27)年、川上音二郎と結婚。1899年、夫の一座とアメリカ興業に同行。同地で亡くなった女形の代役に
   選ばれたことで、日本初の女優となる。1900(明治33)年のロンドン公演後はパリも訪れ「マダム貞奴」の通称で有名になった。

   

  ガントレット恒(恒子)  (GAUNTLETT Tsune / Tsuneko, 1873 - 明治6年~1953 - 昭和28年)
     社会運動家、婦人参政権運動家。山田耕筰の姉。愛知県に生まれ、1898(明治31)年に牧師のエドワード・ガントレットと結婚し、イギリス国籍を取得。1920(大正9)年、
   ロンドンの万国矯風会とジュネーブの婦人参政権協会の大会に出席。1941(昭和16)年、日本に戻り岸登恒(がんと つね)と改名。女性参政権獲得などで活躍した。

   
  杉本鉞子  (SUGIMOTO Etsuko, 1873 - 明治6年~1950 - 昭和25年)
     小説家。旧姓は稲垣。新潟県に生まれ、1898(明治31)年、アメリカで骨董品店を開いていた杉本松雄と結婚した縁で渡米。1909(明治42)年帰国。1916
   (大正5)年再渡米。日本の生活を紹介した『武士の娘』を雑誌『アジア』に掲載したことから、作家デビューを果たした。

   
  クーデンホーフ光子  (COUDENHOVE Mistuko, 1874 - 明治7年~1941 - 昭和16年)
     クーデンホーフ伯爵夫人。旧名は青山みつ。東京に生まれ、1892(明治25)年、ハインリヒ・クーデンホーフ=クーデンホーフ伯爵と結婚、1896(明治29)年にオーストリ
   アに渡る。ウィーン社交界でも注目された。夫の死後は領地・財産の管理を担う。パン・ヨーロッパ運動でEUの礎を築いたリヒャルトは息子。

   
  河原操子  (KAWAHARA Misako, 1875 - 明治8年~1945 - 昭和20年)
     教育者。筑摩(現・長野県)に生まれる。1902(明治35)年、師事していた下田歌子の推薦で、上海の務本女学堂に赴任。翌年、モンゴルの女学校教師を経て、カラチン
   王家の家庭教師に。大陸の軍事情報を探りつつ1905(明治38)年帰国。その際、留学生として来日した務本女学堂の生徒3名を実践女学校に入学させた。

   
  瀬沼夏葉  (SENUMA Kayo, 1875 - 明治8年~1915 - 大正4年)
     翻訳家。旧姓は山田、本名は郁子。瀬沼恪三郎の妻。群馬県に生まれ、1885(明治18)年、ロシア正教会のニコライ女子神学校でロシア語を学ぶ。尾崎
   紅葉に師事し「夏葉」の雅号を取得。チェーホフやトルストイなどロシア作家の翻訳に関わり、1908(明治41)年には『露国文豪チエホフ傑作集』を出版した。

  与謝野晶子  (YOSANO Akiko, 1878 - 明治11年~1942 - 昭和17年)
     歌人、作家。大阪に生まれ、1913(大正2)年、夫の鉄幹を追って渡仏。イギリスやドイツなどを周り4ヶ月後に帰国。2年後、鉄幹との共著『巴里より』にて女
   性教育の必要性などを説いた。奔放な愛の情熱をうたった「みだれ髪」、反戦詩「君死にたまふことなかれ」などが代表作。

   

  モルガンお雪  (MORGAN Oyuki, 1881 - 明治14年~1963 - 昭和38年)
     旧名は加藤ユキ。出生は不明(士族、刀鍛冶、刀剣商の娘など諸説あり)。1904(明治37)年、アメリカ財閥のJ.P.モルガンの甥、ジョージと結婚。排日移民法のため、帰
   化は叶わずパリに在住。社交界では「日本のシンデレラ」と好評を得た。ジョージの死後、言語学者サンデュルフ・タンダールとの再婚を経て、1938(昭和13)年に帰国。

   
  久布白落実  (KUBUSHIRO Ochimi, 1882 - 明治15年~1972 - 昭和47年)
     女性運動家。旧姓は大久保。熊本県に生まれ、1903(明治36)年にアメリカへ渡る。同地で牧師の久布白直勝と結婚。1913(大正2)年帰国。廃娼運
   動と婦人参政権の獲得運動に参画。戦後の1956(昭和31)年には売春防止法の成立に尽力した。

      
  三浦環  (MIURA Tamaki, 1884 - 明治17年~1946 - 昭和21年)
     女性ソプラノ歌手。旧姓は柴田。東京に生まれ、1914(大正3)年、夫と共に渡欧。翌年、ロンドンで「蝶々夫人」を公演、1916(大正5)年訪れたアメリカでも
   公演。「蝶々夫人」は1935(昭和10)年の三浦夫妻の帰国までに2000回の公演を記録するほど欧米で好評を博したと言われる。


   
  坂西志保  (SAKANISHI Shiho, 1896 - 明治29年~1976 - 昭和51年)
     評論家。東京に生まれ、1922(大正11)年、アメリカのホイートン大学に留学。1929(昭和4)年にはミシガン大学で美学を学び、哲学博士の学位を取得。
   その後はアメリカ議会図書館に就職。1942(昭和17)年強制送還されるが、国家公安委員長や立教大学講師など、政治と教育の多くの要職を歴任した。

      
  関屋敏子  (SEKIYA Toshiko, 1904 - 明治37年~1941 - 昭和16年)
     声楽家、作曲家。東京に生まれ、1927(昭和2)年にイタリアのボローニャ大学に留学。翌年、日本人初の特別卒業生となる。スカラ座のオーディションに
   も合格し「椿姫」などへの主演で「世界のプリ・マドンナ」として知られるようになる。1929(昭和4)年帰国後も海外からの主演要請は多かったという。

   
  川島芳子  (KAWASHIMA Yoshiko, 1907 - 明治40年~1948 - 昭和23年)
     満蒙独立運動家。本名は愛新覺羅顯孖(あいしんかくら けんし)。清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女として生まれるも、6歳の頃、粛親王顧問、川島浪速
   の養女となる。蒙古族のカジュルジャップと結婚するも離婚。第二次大戦頃、上海で日本軍の工作員として活動し、「男装の麗人」「東洋のマタ・ハリ」の異名で知られた。